飛ばしに飛ばして、車で5時間半。
愛知県緑区にある萬乗醸造にやってきた。
私と彼女を結びつけてくれた「醸し人九平次」を醸す蔵元さんだ。
平成7年度に初めて世に出た銘柄ゆえ、
近代的な建物を想像していたのだが、まったくその逆で,
老舗っぽい雰囲気の、歴史を感じさせる建造物で非常にシビれる。
恐る恐る玄関をすり抜け、事務所らしき部屋を覗き込んでいると
蔵人の伊藤さんが笑顔で出迎えてくれた。
伊藤さんとは都内の試飲会で知り合ったご縁で、
開業の折に前掛けを送ってくれたり
手ぬぐいを送ってくれたりと大変にお世話になっていたのだが、
久々すぎて正直顔を忘れていた。
まーいい、とりあえずいろんな話を伺うことにした。
仕込み水は長野の県境までトラックで汲みにいったり、
酵母は何故14号系を使うのか、伊藤さんの生い立ちetc..
話は各地の我儘杜氏の噂話にまでまで至り、興味深い内容で時間を忘れた。
いよいよ蔵の中を案内して頂く事になった。
夕方近くゆえ、稼働している機械は皆無だが、
蔵内が生命力で満ちているが手に取るように解る。
ふつふつと酵母の歌声が聞こえてくるようなモロミタンク、
隔離された部屋で温度管理されるヤブタ式絞り機。
清潔に片付けられた麹室。
特別、他の蔵と変わったところは無いのに、
なにゆえこれ程の美酒が出来るのか。またさらに解らなくなってきた。
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一回りし事務所に戻ろうとした時、
社長の九平次さんが自ら長靴を履いて器財を洗っていた。
社長といえど下働きをしているのか・・
感慨深い光景に胸を打たれ、ソッとその場から立ち去ろうとしたら、
向こうから声をかけてくれた。
「後で顔を出すから〜!」
私ごときを覚えてくれていて、さらに感動的だ!
思い起こせば4年ほど前、
何度か文通みたいなやり取りを九平次さんとやっていた。
地酒への思いや、開業への夢を書きなぐり、送りつけては返事が返ってきた。
大体の蔵元さんは、居酒屋開業の夢を語るとニコリと笑い、
手放しで応援してくれるものだが、
唯一九平次さんだけは反対意見を述べてくれていた。
そんなに焦るなよ、とか。
もっと勉強してからでも遅くない、とか。
その度に私は自己反省をしてみたり、慎重な考えを持つようになった。
そんな兄上のような存在の九平次さんに、
今回はじめて開業したことをご報告出来るので、妙に心が弾んでいた。
数分後、仕事を一段落させて九平次さんが、我々のもとにやってきた。
相変わらずの素敵な笑顔、変わらぬオーラ。
堪らず握手をさせて頂くと、かなり手が荒れていて、白髪も増えていた気がした。
苦労されているのかなぁ・・と、勝手に思った。
日本酒を適正価格でお出しする店をやっているんだ、と誇らしげに話すと
喜ぶと思うと思いきや、真剣な面持ちで
「大丈夫か?あまり無理するなよ。」とか、
「儲けがでなきゃ駄目なんだぞ。」と言ってくれた。
相変わらず慎重な意見を言ってくれる兄上に、脱帽である。
今度は奥のほうから佐藤杜氏が来てくれた。
最初は、真面目な造りの話で頷きっぱなしだったが、
後半は下ネタが多かった。
そんな気さくな佐藤杜氏も大好きだ。
日帰り旅行には、とにかく時間が制限される。
もっとお話を伺いたかったのだが、日は暮れ、寒風が気になりだした。
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玄関で集合写真を撮らせて頂き、後ろ髪をひかれる思いで蔵をあとにした。
帰りは伊藤さんのご好意で、有名店「蓬莱軒」に付き合って頂き、
名古屋名物の「ひつまぶし」に舌鼓を打ち、
信長が桶狭間前に参拝したという熱田神宮で、今年3度目の初詣を済ました。
飲食業界は不景気の波にのみ込まれてしまっているが、
少数精鋭で、この景気に奇襲を仕掛けようと思った。
長い長い東名高速を飛ばしている間、目を瞑り、
眠りに就こうと思ったが、まったく眠ることが出来なかった。
九平次さん達との感動的な再会と大きな感謝で、
興奮が修まらなかったからだろう。
数日後、蔵の倉庫の奥の方で見つけ、
おねだりをしてた大きな「杉玉」が本当に店に届いた。
エレベータにも入らない杉玉を何とか階段から下ろし、
お店のど真ん中に吊るし上げる事に成功した。
愛すべき日本酒をたくさんのお客様にご提供していきたい、
潤む目で大きな杉玉を見ながら
新たな誓いを胸に、今日も営業に臨むことにした。
バーシー石橋 2005年 1月
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