
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 21
● 第六回公演(平成9年7月)を開催
大阪松竹座、新築開場記念七月大歌舞伎
片岡孝夫さん気迫の舞台、澤村藤十郎さん『女形の歯』を熱演
関西・歌舞伎を愛する会第六回公演は、平成9年7月2日から27日まで新築開場記念と
して大阪松竹座で開催されました。出演者は片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)さん、市川左團
次さん、澤村藤十郎さん、中村時蔵さん、中村福助さん、中村翫雀さん、中村信二郎(現・
中村錦之助)さん、片岡孝太郎さん、市川染五郎さん、市川男寅(現・市川男女蔵)さん片
岡愛之助さん、中村獅童さん、坂東吉弥さん、嵐徳三郎さん、松本錦吾さん、松本幸右衛
門さん、澤村鐵之助さんなど。
大阪松竹座は、大正12年に関西初の洋式劇場として誕生しました。正面の大アーチが特
徴的なネオ・ルネッサンス様式の建築は、近代建築史上に残る名建築と言われ、道頓堀の
シンボルとして親しまれてきました。大正時代は松竹楽劇部(後のOSK)の本拠地となり戦
前は洋画、戦中戦後は邦画封切館として数々の名作を上映してきました。そして、昭和27
年に洋画封切館として再出発し平成6年5月に歴史の幕を閉じました。平成9年に新築され
た大阪松竹座は、正面の大アーチを残し、最新鋭の舞台機構を備えた演劇専門の劇場とし
て新たに生まれ変わりました。
演目は、昼の部、『お国と五平』『野崎村』『土蜘』。夜の部、『女形の歯』『新口村』『蝶の
道行・越後獅子』
恒例の船乗り込みは、6月28日に予定していましたが、台風8号の接近のため中止となり
ました。昭和54年に船乗り込みが復活してから中止になるのは初めてです。孝夫さんは、
「来年1月、片岡仁左衛門を襲名するので、孝夫の幟を上げて船に乗り込む最後の機会で
した。大変意気込んでいたのですが残念」と話されました。船乗り込みが中止になった代わ
りに7月2日初日の開演前に大阪松竹座前に於いて大入り祈願の式典が行われました。
松竹の中川芳三常務、当会の高畑敬一代表世話人の挨拶の後、出演俳優に花束が贈ら
れ挨拶がありました。その後、鏡開き、撒き手ぬぐいを行い、孝夫さんの発声で手締めをし
て式典は終了しました。
昼の部、『お国と五平』は、お国に福助さん、友之丞に翫雀さん、五平に染五郎さんが出
演されました。
『野崎村』は、関西で歌舞伎を育てる会結成第1回公演(昭和54年)で藤十郎さんがお光
を演じて好評を得た演目です。今回は、久作に左團次さん、お常に藤十郎さん、お光に時
蔵さん、久松に信二郎さん、お染に孝太郎さん。お光の時蔵さんは、心躍らせながら大根
を刻むところや、お染を嫉妬するしぐさを明瞭に演じ、お光の積極的な一面を強調。孝太郎
さんのお染は愛らしく、幕切れでは、川に見立てた花道に、お染と母のお常が船に乗り、土
堤に見立てた上手の仮花道には、駕籠に乗った久松が、竹本の三味線「野崎」にあわせ
盛り上がりを見せました。
『土蜘』は、僧智籌実は土蜘の精に孝夫さん、保昌に左團次さん、頼光に藤十郎さん、胡
蝶に時蔵さん、番卒太郎に翫雀さん、次郎に染五郎さん、藤内に愛之助さん、巫子の榊に
孝太郎さん、碓井貞光に獅童さん。孝夫さんの智籌が異様な雰囲気を漂わせて花道から
出、七三で「いかに頼光」と声をかけるとともに、頼光との問答には凄みがあり、痩せた体
も水衣が全身に幅をもたせ大きく見えます。「修行」の辺りは体が
蜘蛛の様に軽く跳び、
間合よく拍子をとり板を踏むところは、鮮やかだと言われました。左團次さんの保昌は武人
らしい科白がいいと評されました。
夜の部、『女形の歯』は、田之助に藤十郎さん、訥升に左團次さん、お貞に時蔵さん、ヘ
ボン博士に翫雀さん、男衆の竹に信二郎さん、志女寿に孝太郎さん、緒形修三に染五郎
さん、相政に吉弥さん、芸者大幸に徳三郎さん。藤十郎さんは、脱疽で四肢を失いつつも
舞台への執念を燃やし、歯で扇をくわえて舞いながら死んで行くという鮮烈な内容を熱演。
田之助の驕慢な人柄を発火するような怒りや、寂しさ混じりの甘えをうまく表現したと評さ
れました。左團次さんの訥升も出色であり「隅田川の土堤」の場を熱演。翫雀さんのヘボン
博士、染五郎さんの緒形も好演、徳三郎さんのかもしだす芸者の色気が印象深く、芝居も
巧みと評されました。
『新口村』は、忠兵衛と孫右衛門に孝夫さん、梅川に福助さん、万歳に錦吾さん。孝夫さ
んの忠兵衛は抑制が利いて充分。孫右衛門に情があり、歩き方など老いの表現はあざとく
なく、巧者ぶりを発揮しました。大坂への義理をわきまえながらも、わが子を気遣う苦渋に
満ちた老父になっていました。罪を犯した我が子を悲しむ述懐が痛切で、客席から自然に
拍手が沸き起こりました。福助さんの梅川には、いとしい男と運命をともにしようとする女の
哀れさがあり、今月一番の見ものと評されました。
『蝶の道行』は、小槙に孝太郎さん、助国に染五郎さん。愛し合う男女が死によって結ば
れ、蝶となって躍り狂ううちに地獄に落ちる道行を二人が爽やかに踊りました。
『越後獅子』は、角兵衛に翫雀さん、信二郎さん。幕切れは一本歯の下駄で二本のさらし
の細布を振って爽やかに踊り、華やかな打ち出しとなりました。舞踊二題はいずれも予想
を上回る成果で楽しめたと評されました。
「第四回若手勉強会」が24日午後6時から開催され、若手俳優による『野崎村』が上演さ
れました。主な配役は、お光に中村志のぶさん、久松に片岡松三郎(現・片岡仁三郎)さん、
お染に中村福弥さん、久作に松本幸三郎さん、お常に片岡秀寿(現・片岡松之亟)さん。そ
の後、幹部俳優による長唄『勧進帳』が披露されました。孝夫さんは、毎回、若手勉強会の
収益の一部を福祉関係に寄付されていましたが、この年は、耳の不自由な人のために犬
が音の種類を聞き分けて飼い主に知らせる「聴導犬」育成の取り組みに寄付されました。
孝夫さんは「日本ではまだ関東地方に9頭いるだけで、あまり知られていません(平成23年
には31頭に)。犬一頭の訓練に一年半、約100万円かかります。新聞などで聴導犬育成を
知りました。世の中はみんな助けたり助けられたりしながら生きています。勉強会ではそう
いう勉強もしてほしい」と話されました。
千穐楽のカーテンコールは26日に実施しました。出演俳優へ花束が贈呈され挨拶の後、
市川染五郎さんに演技賞、片岡孝二郎(現・片岡嶋之亟)さんに奨励賞が贈られました。
新築開場された 『お国と五平』福助さん、染五郎さん 『野崎村』左團次さん、藤十郎さん、時蔵さん、
大阪松竹座前での式典 信二郎さん、孝太郎さん
『土蜘』孝夫さん 『女形の歯』藤十郎さん 『新口村』孝夫さん 『蝶の道行』孝太郎さん、染五郎さん
『越後獅子』翫雀さん、信二郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 20
● 第五回公演(平成8年7月)を開催
中座最後の大歌舞伎
感慨を込め、孝夫さん貫禄の舞台
関西・歌舞伎を愛する会第五回公演は平成8年7月2日から27日まで中座で開催されま
した。出演者は片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)さん、河原崎権十郎さん、澤村藤十郎さん、
坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん、中村翫雀さん、 中村扇雀さん、片岡孝太郎さん、市
川染五郎さん、片岡愛之助さん、片岡芦燕、 坂東吉弥さん、松本錦吾さん、澤村鐵之助さ
んなど。翌年から松竹座に 舞台を移すため、この年が中座での最後の公演となりました。
演目は、昼の部、『絵本太功記』『馬盗人』『江戸絵両国八景』。夜の部、
『切られお富』
『仮名手本忠臣蔵』『男女道成寺』
船乗り込みは、6月28日に実施。大阪市役所南側、中之島公園での式典には
大勢の歌
舞伎ファンが詰めかけました。この日はあいにくの雨模様。昼過ぎに
は晴れ間も見えまし
たが、夕方になって再び雨に。孝夫さんは、「今日は最悪 の天気になりましたが、7月公
演は最高の舞台にします。この雨は、中座の涙 の雨ではないでしょうか」と挨拶されまし
た。式典終了後、俳優と関係者、約 250人が十一隻の船に乗船し、色とりどりの幟と提灯
を掲げ笛や太鼓のお囃 子を響かせながら約1時間をかけて川面を進みました。道頓堀川
に入ると大勢 のファンが橋や両岸から「松嶋屋!」「紀伊国屋!」「大和屋!」の声が掛か
り七月大歌舞伎のムードが一気に高まりました。
中座前での大入り祈願式典は、中村仲太郎さんの口上に始まり、松竹の茂木
千佳史
副社長、当会からは寺内郁夫世話人の挨拶の後、出演俳優に花束が贈ら
れ挨拶があり
ました。その後、鏡開き、撒き手ぬぐいを行い、孝夫さんの発声 で威勢よく手締めをして
式典は終了しました。
この年で最後となる中座に、沢山の思い出がある孝夫さんは、「来年、松竹
座が完成す
るので中座での大歌舞伎公演はこれが最後、初舞台が1949(昭
和24年)年9月の中座、
『夏祭浪花鑑』の市松役で5歳でした。舞台に出るのが 照れくさくてね。そのころ照れくさ
いと指をくわえる癖があって、舞台に出てる間、ずっと指をくわえてました。手を引かれて
出て、科白は「かかさん」 「ちゃん」の二言です。僕の青春は中座です。ただ、当時は歌
舞伎と名が付け ば、お客さんが来てくれなかった。だから公演が非常に少なかった。『明
治天 皇と日露大戦争』とか『岩窟王』『無法松の一生』などの芝居をして、何とか
我々の
公演を増やそうと頑張りました。今は歌舞伎と名が付けば、かなり来て
いただけますけど
ね。亡父と『沼津』『新口村』を共演したのも懐かしい思い出です。あんな『沼津』の平作は、
もう出てこないでしょう。枯れて、情があって、という平作ね」と青春が詰まった中座を感慨
深く話されました。
昼の部、『絵本太功記』尼ヶ崎閑居の場は、太功記の十段目にあたり「太十」と呼ばれる
人気のある場面です。武智光秀に八十助さん、光秀妻操に藤十郎さん、真柴久吉に翫雀
さん、十次郎嫁初菊に孝太郎さん、武智十次郎に染五郎さん、光秀母皐月に鐵之助さん。
昼の部は出ずっぱりの八十助さんですが光秀は初役。表情に内面の葛藤がうかがえ、か
っくりとした動きに趣があります。初役揃いの中で、唯一、藤十郎さんが操の経験者。かつ
ては新作が似合うとされた藤十郎さんに丸本味が備わってきたと評されました。
『馬盗人』は、昭和31年7月、大阪歌舞伎座で初演された大阪生れの新作舞踊劇で、33
年ぶりの復活。巌谷小波作のお伽噺を息子、巌谷槇一が舞踊化したものです。ならず者悪
太に八十助さん、百姓六兵衛に翫雀さん、仲間すね三に染五郎さん。馬の脚に坂東三平さ
ん、坂東八一さん。馬が擬人化され、最後には飛び六方まで披露し大活躍するとともに、番
附に馬の脚が載る画期的な作品です。朴訥で人のよさそうな六兵衛は翫雀さんのニンに
ぴったり。ならず者悪太(八十助さん)の話を感心して聴いている表情は秀逸と言われまし
た。後半、馬が大活躍し観客は大喜び、役者が馬に食われたと評され、26日のカーテンコ
ールでは、馬の脚の2人に奨励賞が贈られました。
『江戸絵両国八景』荒川の佐吉は、佐吉に孝夫さん、相模屋政五郎に権十郎さん、丸総
の女房お新に藤十郎さん、大工の辰五郎に八十助さん、隅田の清五郎に翫雀さん、仁兵
衛の娘お八重に扇雀さん、鍾馗の仁兵衛に芦燕さん。親分の残した盲目の三下奴の生き
様と決意を描く真山青果の名作です。孝夫さんは前年(平成7年)に佐吉役で二度目の「真
山青果賞」を受賞されていました。孝夫さんは佐吉を品よく、さわやかに見せ、手塩にかけ
た子供を親のもとに手離す心理のあやもよく出して、哀愁あふれる演技、雰囲気がぴった
りで充実していると評されました。相政は、大ベテランの権十郎さんが、この一役のために
来阪され、しかも中座初出演。端正な顔立ちで江戸前の風格のある親分を演じられました。
お新の藤十郎さんはいかにも芸者あがりという存在感がありました。また、徳兵衛の松之
助さん、おかつの秀寿さん、お袖の孝二郎さんと松嶋屋一門の健闘ぶりも目についたと評
されました。
夜の部、『切られお富』は、河竹黙阿弥作の悪婆ものの代表作。切られお富に藤十郎さん、
蝙蝠の安蔵に吉弥さん、井筒与三郎に翫雀さん。藤十郎さんは、大祖父・三代目田之助の
当り役、お富に初役で挑まれ、冷たい色気が生かされるくだりもあり、兄の宗十郎さんとは
違う、なまなましい味が出たと言われました。
『仮名手本忠臣蔵』七段目祇園一力茶屋の場は、大星由良之助に孝夫さん、寺岡平右
衛門に八十助さん、遊女お軽に扇雀さん。孝夫さんの由良之助は目隠しして出てきても花
がある。風格、自然に備わる色気、しっかりしたハラ、どれも堪能させる出来栄えで傑作だ
ったと評されました。八十助さんの平右衛門は、科白もさわやかで、芝居っ気たっぷりで楽
しませ、引っ込む時はうまく悲しみを出せたと言われました。扇雀さんのお軽は、つややか
な味があり、哀れさを見せました。
最後の『男女道成寺』は、白拍子花子に孝太郎さん、狂言師左近に染五郎さんの爽やか
なコンビ。孝太郎さんは、几帳面に正確さをめざして踊り、長身で見場のいい染五郎さんと、
それぞれの長所を発揮して若手らしい爽やかないい一幕になったと評されました。また、公
演期間中の休演日を活用して、7月22日午後6時から「第三回若手勉強会」が開催されまし
た。若手俳優による『絵本太功記』尼ケ崎閑居の場のあと幹部俳優総出演による演奏、長
唄『供奴』が上演されました。
千穐楽に行う恒例のカーテンコールは、前日の26日に実施しました。出演俳優へ花束が
贈呈され挨拶の後、河原崎権十郎さんに特別賞、たつた舞台さんに感謝状、そして『馬盗
人』の馬の演技が評価された、坂東三平さんと坂東八一さんに奨励賞と副賞が贈られました。
『中座前での大入り祈願』 『絵本太功記』八十助さん 『馬盗人』翫雀さん、染五郎さん
『江戸絵両国八景』孝夫さん 『切られお富』藤十郎さん 『仮名手本忠臣蔵』孝夫さん
『男女道成寺』孝太郎さん、染五郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 19
● 第四回公演(平成7年7月)を開催
勘九郎さん連続9回、藤十郎さん7回連続出演
人間国宝認定の常磐津一巴太夫さん出演
松竹百年記念、関西・歌舞伎を愛する会第四回公演は平成7年7月2日から27日まで中座
で開催されました。出演者は中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、坂東八十助(現・坂東三津
五郎)さん、市川左團次さん、澤村藤十郎さん、中村福助さん、中村橋之助さん、片岡孝太
郎さん、市川染五郎さん、片岡愛之助さん、市川男寅さん、坂東秀調さん、松本錦吾さんな
ど。中でも、染五郎さんは、育てる会第九回(昭和63年)「四谷怪談」を観て以来、出たい出
たいと念願だった中座に初出演。勤められる役も全て初役。
演目は、昼の部、『義賢最期』『三人形』『人情噺文七元結』。夜の部、『寺子屋』『女夫狐』
『名月八幡祭』
船乗り込みは、6月28日に実施しました。梅雨の最中ですが心配された雨にも合わず、大
阪市役所南側、中之島公園での式典には大勢の歌舞伎ファンが詰めかけました。9年連続
出演の勘九郎さんは「中座での歌舞伎をぜひ見に来て下さい」と挨拶。午後5時に出演者と
関係者約150人が十隻に分乗し、賑やかなお囃子を先頭に川面を進みました。大阪府の横
山ノック(山田勇)知事も乗船し、船の中から「大阪の歌舞伎をよろしく」とファンに呼びかけ
ました。道頓堀川に入ると、両側のお店や橋の上からも大勢のファンから「中村屋!」「大
和屋!」「紀伊国屋!」の掛け声が掛かりました。
昼の部、『義賢最期』は、木曽先生義賢に橋之助さん、下部折平実は多田蔵人行綱に染
五郎さん、九郎助娘小万に孝太郎さん、待宵娘に愛之助さん。『義賢最期』は昭和40年8月
の中座公演で22年ぶりに片岡孝夫さんが復活初演され、鮮烈な印象を与えて時代物役者
としてデビューを飾った当り役です。今回初役の橋之助さんは、「義賢は、孝夫お兄さんの
をずっと見てて、以前からやりたいと思ってました」「どうしても直接(孝夫お兄さんに)教えて
いただきたい」と懇願し、挑んだ作品です。7月1日の舞台稽古で孝夫さんは、橋之助さんの
舞台を入念にチェックし細かい部分まで熱血指導されました。また、孝夫さんは自身の初演
を振り返り「仏倒れのことを考えると夜もなかなか寝つけず、やっと眠れたかと思えば夢の
中の自分も一生懸命研究していて、それがいつの間にか本番になり、観客の前で大怪我
をして目を覚ますという毎日でした」と話されました。
後半の立ち廻りでの「戸板倒し」や両手を広げて「蝙蝠の見得」をし、階段から正面に倒
れ落ちる大変危険な「仏倒し」と終盤の大立ち回りが最大の見どころとなりました。橋之助さ
んは「怖いと思ったら怪我をするんです。余計なことを考えるといけないんですが、時々倒れ
る時に手を突いてしまいます。」と話されました。
染五郎さんの小万、愛之助さんの待宵姫もそれぞれ初役を勤められ、手に汗握るクライマ
ックスは見事と評されました。
舞踊の『三人形』は、丹前侍秋之丞に勘九郎さん、奴伊達平に八十助さん、傾城漣太夫
に福助さん。浅黄幕が振り落とされると、三人が桜満開の吉原を背景に揃って華やかさ一杯。
八十助さんは軽快な踊りを披露されました。三人がまるで人形のような美しさであることから
『其姿花図絵』(そのすがたはなのうつしえ)という本題よりも『三人形』の通称で呼ばれるよ
うになった演目です。
常磐津節の太夫として、人間国宝第一号に認定されたばかりの常磐津一巴太夫さんが出
演され華を添えられました。一巴太夫さんは、「子供のころから歌舞伎が好きで、母親に連
れられて南座へよく行ってました。6歳から謡曲を、中学3年で長唄と三味線を習いました。
科白では苦労しました。江戸浄瑠璃なので、科白は江戸なまりにならなければなりません」
と話され、実力で常磐津の第一人者になられました。
『人情噺文七元結』は、左官長兵衛に勘九郎さん、和泉屋清兵衛に左團次さん、女房お兼
に藤十郎さん。この演目は、昭和54年5月朝日座での関西で歌舞伎を育てる会結成第一回
公演で十七世中村勘三郎さんが当り役を演じて以来、16年ぶりの上演です。勘九郎さんは、
「江戸の生世話って大阪じゃ受けないって言われるけど、これは人情噺。長兵衛って「あほ
ちゃうか」の存在だけど文七に金をやったことは仕方がないと思ってもらえるでしょ。人情に
西も東もないもの。長兵衛って、そそっかしくて、せっかちで。これ僕も同じ。好きな役ですね」
と話されました。藤十郎さんの女房お兼は、結成第一回公演で十七世勘三郎さんの長兵衛
で経験を積まれた当り役。勘九郎さんの爽快な演技と藤十郎さんの好演と滑稽さが秀逸だ
と評されました。
様式のととのった時代物の緊張した気分を、踊りで和らげ、さらに写実でくだけた世話物で
締めくくるのが、歌舞伎の番組のしきたりと言われますが、今回はそれが守られている構成
になりました。
夜の部。『寺子屋』は、舎人松王丸に勘九郎さん、春藤玄蕃に左團次さん、武部源蔵に八
十助さん、松王女房千代に福助さん源蔵女房戸浪に藤十郎さん、御台所園生の前に孝太
郎さん。
劇評では「勘九郎さんの松王丸を始めとする若い役者だけに、どこまでその輝きを見せる
か不安がないでもなかった。しかしその不安は無用であった。みずみずしい、しかも拡張の
高い舞台をみることができた。八十助さんの源蔵も藤十郎さんの戸浪も、張りのある科白、
切れのいい仕科を義太夫にのせたっぷりと演じている。若さが熱となり力となっているのが
快い」と評されました。
『女夫狐』は、弁内侍実は千枝狐に孝太郎さん、又五郎実は塚本狐に染五郎さん、楠帯
刀正行に愛之助さん、一巴太夫さんが出演。『義経千本桜』の「四の切」を背景にして書か
れた所作事で、珍しい演し物です。『義経千本桜』の狐忠信のようなケレン味たっぷりの踊。
千枝狐のくどきがあって幕となりますが、幕外の女夫狐の熱演に、客席から扇子で風を送る
お客さんがいるほど、大受けに受け、若さをほとばしらせる見事さとなったと評されました。
『名月八幡祭』は、縮屋新助に八十助さん、魚惣に左團次さん、芸者美代吉に福助さん、
藤岡慶十郎に橋之助さん、船頭三次に染五郎さん。新助は実直だが思い込みの激しい男
で八十助さんの好演が光りました。福助さんの美代吉は美しい悪女を生き生きと見せ、染
五郎さんの三次にも悪の魅力が臭う舞台となりました。
昨年(平成6年)の七月大歌舞伎に続く「第二回若手勉強会」が7月14日午後6時から開
催されました。若手俳優による『寺子屋』のあと幹部俳優総出演による『おたのしみゆかた
会』が催されました。八十助さんの軽妙な司会進行で、幹部俳優が2チームに分かれてジ
ェスチャーゲームをされ会場の笑を誘いました。日頃なかなか見る事が出来ない姿にお客
様は大喜びでした。
七月は恒例、「関西・歌舞伎を愛する会」の大歌舞伎。船乗り込みとともにすっかり定着し
たと評される公演となりました。

『船乗り込み』横山知事も乗船 『義賢最期』橋之助さん 『三人形』福助さん 『人情噺文七元結』藤十郎さん 勘九郎さん

『寺子屋』勘九郎さん 『女夫狐』孝太郎さん 愛之助さん 染五郎さん 『名月八幡祭』八十助さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 18
● 第三回公演(平成6年7月)を開催
孝夫さん、大病からの舞台復帰に「待ってました」の声援
連日大入り満員で祝福
関西・歌舞伎を愛する会の第三回公演は平成6年7月2日から27日まで中座で開催されま
した。出演者は病気復帰後関西で舞台に立つのは初めての片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)
さん、澤村藤十郎さん、中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)
さん、中村福助さん、中村智太郎(現・中村翫雀)さん、中村浩太郎(現・中村扇雀)さん、中
村橋之助さん、片岡孝太郎さん、片岡愛之助さん、坂東吉弥さん、嵐徳三郎さん、片岡亀蔵
さんなど。
演目は、昼の部、『鳴神』『伊勢音頭恋寝刃』『お祭り』。夜の部、『堀川波の鼓』『京人形』
『らくだ』『三社祭』。最大の話題は、平成4年の暮れに入院、飲むことも食べることもできず、
病院で一時は最悪の事態も覚悟し、八ヶ月の苦しい闘病生活を経て見事に舞台復帰を果
たされた孝夫さんの舞台でした。前売り券が5月28日に発売されましたが、徹夜組50人を含
め約800人を超える長蛇の列ができました。周辺の混雑を防ぐため発売時間を早めての対
応、また電話での予約もパンク状態になりました。
船乗り込みは、6月27日に実施。毎年、梅雨の最中に行う船乗り込みですが、当日は汗
ばむほど日差しが強く、孝夫さんの舞台復帰を祝うかのような快晴に恵まれました。孝夫さ
んは、中之島公園での出発式典で「こうやって居られるのが夢のような気がします。昨年は、
あ〜、いま頃は・・・と思いながら病院のベッドで寝ていましたから。本当にお芝居ができる
なんて胸がいっぱいです」と声を詰まらせて挨拶されました。色とりどりの幟や高張り提灯に
飾られた船が、道頓堀川に入ると待ち構えていたファンから紙テープと紙吹雪が舞い、元気
になった孝夫さんに「松嶋屋!」との掛け声が飛び交いました。
昼の部、『鳴神』は、鳴神上人に八十助さん、雲の絶間姫に藤十郎さん。八十助さんが鳴
神上人を初めて演じたのは平成2年の浅草歌舞伎でした。それまで八十助さんは「僕が器
用にやってしまうと線が細くなってしまい、作品本来の味が出なくなる」と断り続けていました。
しかしながら浅草での結果は上々。八十助さんの新しい魅力となった演目です。後半、ぶっ
かえってからの躍動感が良く浅草歌舞伎での経験がさらに練り上げられ、柱巻の見得など
芸達者ぶりを発揮。絶世の美女、雲の絶間姫の藤十郎さんは、色っぽさをかもし出しました。
『伊勢音頭恋寝刃』は、福岡貢に勘九郎さん、油屋お紺に福助さん、今田万次郎に智太郎
さん、油屋お岸に浩太郎さん、料理人喜助に橋之助さん、万野に徳三郎さん。貢、初役の勘
九郎さんは白がすりに黒の羽織という衣裳で花道から登場すると、さわやかな夏の雰囲気
を振りまき、武士でも町人でもない難しい役柄を好演されました。昼の部を締めくくるのが『お
祭り』。病気回復後、関西では一年半ぶりの孝夫さん。粋な祭り姿の鳶頭松吉で登場した瞬
間、客席から大きな拍手と、「松嶋屋!」「日本一!」の大向うが掛かりました。孝夫さんは、
公演前に「復帰後の元気な姿を関西のお客さんに観ていただきたい。皆様のお陰で活気あ
る公演に育った夏の中座公演が、関西での復帰の舞台になったのはとても嬉しい」との気
持ちを語り元気な姿を披露。舞台に立つ喜びにあふれているのが客席にも伝わり「待ってま
した!」の声に、「待っていたとはありがてぇ」の決まり科白。深々と客席に一礼すると、満員
の客席から割れんばかりの拍手が起こり、孝夫さんの舞台復帰を祝いました。
夜の部、『堀川波の鼓』は、小倉彦九郎に孝夫さん、宮地源右衛門に八十助さん、妻お種
に福助さん、彦九郎妹ゆらに浩太郎さん、お種妹お藤に孝太郎さん、一子文六に愛之助さん。
孝夫さんは、江戸への単身赴任中に愛する妻の不倫、その妻を斬らねばならない彦九郎の
辛さと苦悶を演じ観客を魅了しました。妻を手にかけた時、孝夫さんのまぶたから流れ出た
ひと筋の涙が、ひときわ感動を呼びました。また、『堀川波の鼓』の演目は父、(十三代目)
仁左衛門さんが昭和63年の南座顔見世で、前月から体調を崩され顔見世の連続出場記録
に終止符が打たれそうになった時、見事に復帰され彦九郎を演じたことがあり、孝夫さんの
復帰との因縁を感じさせました。『京人形』は、左甚五郎に橋之助さん、京人形の精に孝太
郎さん。橋之助さんの甚五郎は初役ですが、嬉しそうに人形を扱うのが、ほほえましく豊か
な表情で甚五郎を演じました。孝太郎さんの人形の精は二回目の舞台であり、細かいしぐさ
に格段の成長がみられたと評価されました。『らくだ』は、紙屑屋久六に勘九郎さん、手斧目
半次に八十助さん、半次妹おやすに孝太郎さん、家主佐兵衛に坂東吉弥さん、駱駝の馬太
郎に亀蔵さん。勘九郎さんと八十助さんの息もぴったり。亀蔵さんの死んだ馬太郎を背負っ
たカンカンノーのユーモアな踊りに場内は大爆笑になりました。『三社祭』は、悪玉に智太郎
さん、善玉に浩太郎さん。戦後の本公演で実の兄弟が踊るのは初めてで、元気いっぱいの
舞台を披露しました。
13日には、孝夫さんの呼びかけで「若手勉強会」が開催されました。孝夫さんは、「今見て
いる芝居を実際に演じると吸収の度合いが違う」と話され、昼の部の『伊勢音頭恋寝刃』を
若手だけで上演。更に、お客さんへのお礼の為にと幹部俳優が三味線、唄、鳴物などで『越
後獅子』を演奏されました。なお当日の売上金の一部を大阪府を通じて老人福祉に寄付さ
れました。
関西・歌舞伎を愛する会は9日昼の部に、関西の大学で学ぶ留学生(中国、台湾、韓国、
タイ、インドネシア、ニュージーランド)を26名招待しました。韓国からの学生は、「楽しかった。
難しい言葉は分からなかったけど動作でだいたい分かりました」。また中国からの学生は
「素晴らしい芸術。日本の文化に触れる良い機会でした」と喜ばれました。
26日に千穐楽のカーテンコールを行い出演俳優に花束の贈呈を行いました。孝夫さんは
「入院中、もう舞台に立てないのではと考えた日もありました。皆さんの前で一カ月間舞台
を勤められて夢のようです・・・」。と声を詰まらせ感激の挨拶をされると、場内からは「お帰り
なさい」という声援とともに大きな拍手が起こりました。その後、演技賞に嵐徳三郎さん、奨
励賞に片岡亀蔵さんに賞状と副賞が贈られました。
『鳴神』 八十助さん 『鳴神』 藤十郎さん 『伊勢音頭恋寝刃』 勘九郎さん
『お祭り』 孝夫さん 『堀川波の鼓』 孝夫さん 『京人形』 橋之助さん 孝太郎さん
『らくだ』 勘九郎さん 亀蔵さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 17の2
● 第二回公演(通算十四回、平成5年7月)を開催
『滑稽俄安宅新関』に藤山直美さん、宮沢りえさん飛び入り出演
勘九郎さんとの掛け合いに観客は爆笑の渦
夜の部、『敵討天下茶屋聚』は、安達元右衛門に勘九郎さん、東間三郎右衛門に左團次
さん、早瀬伊織と人形屋幸右衛門に八十助さん。序幕は四天王寺。二幕目は京都の東寺。
三幕目は再び大阪堂島大橋北詰めの福島天満宮の森。大詰は天下茶屋。秀吉が住吉大
社参拝の途中で茶を味わったところから天下茶屋となったと言われています。
勘九郎さんは、「早いねえ。もう一年たっちゃったんだねえ。好きな中座で一生懸命やりま
す。曽祖父さん(三代目中村歌六)が大阪だから、ぼくクゥオーターですよ。元右衛門は富
十郎のお兄さんに教えていただいて、資料読み漁って大騒ぎ。この役は楽しんでやらなきゃ
ね。まず酒に酔っ払うとこ。それから按摩になっての泣き落としから可笑しみ。そのあと真白
に塗って大時代にやるわけでしょ、芝居ごっこだね。お客さんびっくりしなきゃいいけど・・・」
と話されました。「貸座敷」で目の不自由な按摩を装い、引き窓から忍び込み金を盗んだ上、
弟を殺す残忍さも小心ぶりが随所にあふれ、勘九郎さんならではのおかしみが出ていました。
『滑稽俄安宅新関』は、勧進帳の安宅の関を背景にしたもので、富樫の左團次さんが「一
芸を見せれば通す」というので出演俳優が得意のかくし芸を披露するという趣向です。昔か
らこの芝居には飛び入りゲスト出演で盛り上げ、観客を喜ばす遊びがありました。今回も二
日目に松竹新喜劇の藤山直美さんが当たり役、「はなのお六」役で飛び入り出演。勘九郎
さんは「先代萩」の子役、千松で登場。二人羽織の要領で身長50センチの幼児に化けて、
直美さんとコントさながらの掛け合い。勘九郎さんが、父が昭和49年に出たときは、故・藤
山寛美さんが出演したことを話し「あんたの父ちゃんも出たんだよ」と言うと直美さんは「あ
の人も私と同じでうれしがりやから…」と答え場内の爆笑を誘いました。最後に直美さんは、
やしきたかじんさんの「やっぱ好きやねん」を歌い満員のお客さんから大喝采、大向うから
「藤山!」の掛け声も飛びました。直美さんは「ほんまにええ経験になりました」と手放しで
喜べば、出演依頼した勘九郎さんは「面白かったよね」と大喜び。浩太郎さん孝太郎さん
はタイツ姿でバレエ「白鳥の湖」を踊るサービス精神を発揮。日頃見られない俳優のかくし
芸に大笑いの連続でした。笑福亭鶴瓶さん、桂べかこさん、内田裕也さんと一緒に客席か
ら登場した宮沢りえさんは「ハトポッポ」の歌詞に「リ」と「ポ」をはさんで「ポリポリポリハト
ポリポリ、まポめポがポほポしポいポか・・・」と珍妙な替え歌を披露。観客の笑いと喝采を
浴びました。また公開中の映画「REX/恐竜物語」に登場する恐竜・REXも出演。千穐楽
までほぼ毎日、次のような方が飛び入りゲスト出演されました。木原美知子さん、吉田蓑
助さん、豊竹咲大夫さん、上岡龍太郎さん、山村楽正さん、ハイヒール・モモコさん、原田
伸郎さん、トミーズさん、林与一さん、ジミー大西さん、嘉門達夫さん、露の五郎さん、浜村
淳さん、桑名正博さん、池乃めだかさん、一路真輝さん、池田理代子さん、佐藤直子さん
など。最後は女方による南地大和屋指導の「へらへら踊り」で締めくくり、笑いの内に幕と
なりました。
千穐楽のカーテンコールは26日に行いました。出演俳優に花束を贈呈。その後、奨励賞
として中村智太郎さん、中村浩太郎さん、中村橋之助さん、片岡孝太郎さんに表彰状と副
賞が贈られました。
『敵討天下茶屋聚』 勘九郎さん、亀蔵さん 『滑稽俄安宅新関』 左團次さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 17の1
● 第二回公演(通算十四回、平成5年7月)を開催
『滑稽俄安宅新関』に藤山直美さん、宮沢りえさん飛び入り出演
勘九郎さんとの掛け合いに観客は爆笑の渦
関西・歌舞伎を愛する会の第二回公演は、平成5年7月1日から26日まで中座で開催され
ました。出演者は中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん、
中村智太郎(現・中村翫雀)さん、中村浩太郎(現・中村扇雀)さん、中村橋之助さん、片岡
孝太郎さん、片岡亀蔵さん、片岡愛之助さん、市川男寅さん、坂東秀調さん、そして、市川
左團次さん、澤村藤十郎さんなど。
昼の部、『角力場』『流星』『豊志賀の死』『団子売』。夜の部、『敵討天下茶屋聚』『滑稽俄
安宅新関』。
船乗り込みは、あいにくの雨模様となった6月28日に実施。中村仲太郎さんの口上の後、
中川大阪府知事、西尾大阪市長、当会の海野代表世話人、松竹茂木専務取締役、出演俳
優などから挨拶がありました。勘九郎さんは、「船乗り込みは毎年楽しみにしています。今年
は雨で残念ですが、公演では頑張りますのでぜひ観に来て下さい・・・」と挨拶。道頓堀に入
ると両岸や橋からは「中村屋!」「高島屋!」「紀伊国屋!」の掛け声が飛びました。
中座前での式典では、結成公演から12回出演された澤村藤十郎さんから大入り祈願の手
締めがあり、その後、鏡開きとふるまい酒が行われました。
昼の部、『角力場』は、放駒に智太郎さん、与五郎に浩太郎さん、濡髪に橋之助さん、吾妻
に孝太郎さん、いずれも初役の出演。智太郎さんは「放駒はやりたかった役です。父に、出て
きた時が勝負と言われました。飛び入りで濡髪に勝って舞い上がってる、米屋のヤンチャ坊
やの感じが出ればいいんですけど・・・」と話されました。前半はいかにも素人相撲取り、後半
は自信たっぷりに転じての変わりようを好演。
『流星』は、流星に八十助さん、牽牛に橋之助さん、織姫に浩太郎さん。七代目三津五郎も
得意とした舞踊で八十助さんにとってはお家芸。花道の出端「雲の上を歩くように」が口伝で、
八十助さんは足の上げ下げにつま先を巧みに使って軽やかに進んでいきます。舞台では雷
の亭主、女房、子ども、婆を、四つの角の形と輪の色を変えながら目まぐるしく踊り分けられま
した。
『豊志賀の死』は、豊志賀に初役の藤十郎さん、新吉に勘九郎さん、勘蔵に左團次さん。藤
十郎さんは、「小学校一〜二年のころ演舞場で先代時蔵(三代目)さんのを観て物凄く怖かっ
たのを覚えています」と思い出を語られました。藤十郎さんは、縁側へ這っていき、そこから上
半身を平舞台にずり落として最期は凄絶、幽霊になって出るリアリティが感じられたと評され
ました。
『団子売』は、お福に勘九郎さん、杵蔵に八十助さん。勘九郎さんの祖父、六代目菊五郎と
八十助さんの曽祖父、七代目三津五郎は舞踊の名人であり、代が移っていま、上り坂の勢
いに溢れている、勘九郎さんと八十助さんの息の合った踊りで楽しませてくれました。
(来月号につづく)
『角力場』 翫雀さん 『豊志賀の死』 藤十郎さん 『団子売』 勘九郎さん、八十助さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 16の2
● 関西・歌舞伎を愛する会に名称変更
第一回公演(平成4年7月)を開催
孝夫さん、勘九郎さんコンビで『傾城反魂香』 連日大入りの盛況
夜の部、『番町皿屋敷』は、播磨に八十助さん、お菊に藤十郎(澤村)さん。八十助さんは、
線の太い三河武士を描いてみせました。心を試すために皿を割ったお菊を取り押さえての
長科白も明快。「お菊はずいぶん演りましたよ。お皿は柱にポンとやるんだけど、なかなか
割れないんだよなあ。けっこう難しいんです」と話された藤十郎さんは、上品な色気をかもし
出し、非恋の色をなお濃く出してお菊を好演。手馴れたものと評されました。
『傾城反魂香』は、片岡十二集の一つであり、又平に孝夫さん、おとくに勘九郎さんで共
に初役。そして、将監には左團次さん。口べたで純朴な絵師の又平と、おしゃべりな妻、お
とくが土佐の苗字を許してもらうまでの夫婦愛がテーマ。今回の公演で一番の注目する舞
台と言われました。孝夫さんは、「又平のような役は、役者の成長過程において、やっとか
なきゃいけないものなんです。いつかは手がけたいと思っていました。いろんな役をやって
みたいですし、次は俊寛です」と話され、死を賭けて手水鉢に描いた自画像が裏に突き抜
けるのを見て「嬶(かか)抜けた」の、「嬶」を手水鉢のそばで大きく言って、「抜けた」をおと
くのそばで声を落として言うなど、奇跡を生むあたりの心理経過をきめ細かく演じられました。
勘九郎さんは「おとくって、控え目で、情愛があって、悲しくて、最後は喜んで…メリハリの
効いている、いいお役でしょ。これは旦那様あってのおとくなんでね、孝夫又平旦那様につ
いて、愛情注いで一ヶ月ね、やらしていただきます。」その言葉のとおり、又平に自画像を
描くようにすすめ、自害して賜号を待とうというところで、すぐ自害しようとする又平の手を押
さえ「あとで私も死にまする」の科白では、夫婦愛と情がにじみ出ました。孝夫さん、勘九郎
さんの二人に対して、いずれも初役とは思えない素晴らしさと評されました。
『棒しばり』は、次郎冠者に勘九郎さん、太郎冠者に八十助さん、曽根松兵衛に左團次さ
ん。手をひろげたまま棒にしばられた勘九郎さんと、後ろ手にしばられた八十助さんが、盗
み酒に酔いしれて踊ります。勘九郎さんが、扇を左手から右手にポンと放り投げて、パッと
受け止めた時の嬉しそうな顔。共に踊りの上手い二人が競演し、それがお客様にも伝わり
文句なしに楽しませてくれました。
八十助さんは、昼夜六本のうち五本に出る大奮闘。汗をかくほどに自分を大きくすると確
信しての舞台。その姿は好感がもてると評されました。
26日にカーテンコールを行い出演俳優に花束の贈呈を行いました。その後、片岡孝太郎
さん、中村助五郎さんに奨励賞の賞状と副賞を贈りました。
関西・歌舞伎を愛する会に名称変更した第一回の公演は、初日から連日大入り満員が
続きました。
中座前には「満員御礼」の立て看板が出ずっぱりの状態で、歌舞伎ブームをしっかりと定
着させることができました。
東京の新聞にも、「愛する会だ!関西歌舞伎。浪花にすっかり定着。船乗り込みも風物詩
に」との見出しで、「関西での歌舞伎は新たな衣替えで急速な盛り上がりを見せている」、と
大きく報道されました。(東京新聞平成4年7月25日夕刊)
当時の七月大歌舞伎の番附で福島秀治さん(読売新聞社・編集委員)が、「育成から愛
への流れ」と題して以下の文を寄稿されましたので紹介します。
「関西で歌舞伎を育てる会」が、十二年の実績を踏まえて、十三年目の今年から「関西・
歌舞伎を愛する会」へと発展的な名称の変更をすることになった。
「育てる会」の発足当初には、まだ勘三郎や二代目鴈治郎も健在で、ほかに仁左衛門、
梅幸らも出演の座組を飾った。一役者(澤村藤十郎)の発言がこれほどまでに輪を広げて
いくとは初めは想像もつかなかった。もう公演の五、六回目まで来ると、当時、若手といわ
れた現歌舞伎界を背負う役者たち、今月出演の孝夫はもちろん、海老蔵(現・團十郎)、菊
五郎、吉右衛門、幸四郎、そして彼らを支えて富十郎、扇雀(現・三代目鴈治郎)、延若(故
人)らはすべて来演ずみとなり、「関西で歌舞伎を育てる会」という名称に、なんの不自然
さも感じなくなってしまった。
正直なところいくら政、労、経済界をバックに出発した興行体制とはいえ「関西で…」では、
既に衰退しきっていた上方歌舞伎界なのでいかんとも御(ぎょ)しがたい、というのが発足
への感想であり、また、名称への疑念だった。これを名付けるなら「関西の…」であってこ
そ、役者の育成にも、埋もれた上方狂言の発掘にも力が込められると、その自然さを考え
たものである。
しかし、一年、二年、そして五年、六年と歳月が経過して行くにつれ、「関西で歌舞伎を育
てる会」が残していく結果は、私が考えていた一上方歌舞伎という、地域的な芝居ではな
かった。もっとグローバルであり、上方にも江戸にもとらわれていない、いうならば「カブキ
芝居」であったかも知れない。そういう中から大変な人気者に育ってきたのが中村勘九郎
である。
いま世間は、「歌舞伎ブーム」の再来といわれている。これは私の感覚では、「カブキ・ブ
ーム」といい直したいくらいで、このブーム形成の主たるファン層は、歌舞伎をカタカナ的に
捉える若者ではないかと判断するからである。そういうことが最近、やっとおえらい評論家
の先生方にものみ込めてきたようで、歌舞伎入門書にも必ず、まず、自分の感じたままを
大切に、そこから入りなさいと、執筆している。そんな平成時代の「カブキ・ブーム」のはしり
をもたらしたのも、振り返ってみれば十二年間の「関西で歌舞伎を育てる会」の流れであっ
たといえる。
さて、名称を改めて「関西・歌舞伎を愛する会」の出発「十年は一昔」で、関西で歌舞伎を
育てようとしたこの演劇効果が東京へも波及、いまや東京では「若手花形歌舞伎」が花ざ
かり。加えて六月からは勉強公演では伝統のある「三越歌舞伎」も復活した。今後はぜひ
「愛する会」との往き来を望みたいし、「上方歌舞伎を愛する会」の企画もお願いしたい。
「愛する」からにはどんな芝居に対しても無限であることが望ましい。
現在、松竹傘下の歌舞伎役者は大幹部から十代の第五世代まで二五〇人。その主た
る役者は過去十二年間の「関西で歌舞伎を育てる会」時代に来演してきている。まだ、見
せてくれない顔は歌右衛門、羽左衛門、雀右衛門、芝翫、猿之助、玉三郎、梅玉、信二郎。
これからはこの人気者たちの「愛する舞台」も、待っています。(平成4年、七月大歌舞伎、
番附より)
『番町皿屋敷』 『傾城反魂香』 『傾城反魂香』
藤十郎さん 孝夫さん・勘九郎さん 左團次さん
『傾城反魂香』 孝夫さん 『棒しばり』 勘九郎さん・八十助さん カーテンコールでの花束贈呈
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 16の1
● 関西・歌舞伎を愛する会に名称変更
第一回公演(通算十三回、平成4年7月)を開催
孝夫さん、勘九郎さんコンビで『傾城反魂香』 連日大入りの盛況
今から三十数年前、関西における歌舞伎は大変厳しいものがありました。「このままでは
関西から歌舞伎は無くなってしまうのでは・・・。まだ一度も歌舞伎を観たことがない方にも
歌舞伎の素晴らしさ楽しさを味わってもらおう…」このような願いを込めて昭和53年に『関西
で歌舞伎を育てる会』を結成しました。そして、翌年5月に朝日座で結成第一回公演を開催。
以降、毎年公演を積み重ねてきました。また公演を前にして行われる船乗り込みは初夏の
浪速の風物詩となりました。多くの関係者の御努力と御支援によって、若い方の観劇が急
増し平成3年の公演では「関西にも歌舞伎ブーム」と言われるように大入り満員が続きまし
た。「関西で歌舞伎を育てる会の結成と活動を高く評価したい。歌舞伎は育ったのでは・・・」
という声もいただくようになりました。このため、平成4年4月に開催した世話人会で、一過性
の歌舞伎ブームに終わらせるのではなく、さらなる発展と決意を込めて会の名称を『関西・
歌舞伎を愛する会』と変更し活動していくことを決定しました。このような経過から平成4年の
7月公演は、関西・歌舞伎を愛する会第一回公演(通算十三回)として、7月2日から26日ま
で中座で開催されました。
松竹の永山武臣会長は、七月公演の番附挨拶で「当月の中座は、永年関西において、
歌舞伎公演の支援を続けてこられた『関西で歌舞伎を育てる会』が『関西・歌舞伎を愛す
る会』と名称を変更されての第一回公演でございます。この機会に昭和五四年以来、愛好
者の皆さんから賜りました御厚情にあらためて厚く御礼申し上げる次第でございます。恒例
の船乗り込みも、今や水都大阪の夏の風物詩と嘔われるまで市民の皆様に馴染みの深い
ものとなっておりますが、船乗り込みだけでなく、最近では中座の夏の歌舞伎そのものが、
浪花の年中行事として定着して参りましたことをまことに喜ばしく存じております・・・」と述べ
られました。
出演者は片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)さんを始め、中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、
坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん、中村智太郎(現・中村翫雀)さん、中村浩太郎(現・
中村扇雀)さん、片岡孝太郎さんの若手に、市川左團次さん、澤村藤十郎さんなど。
演目は、昼の部、『道行恋苧環』『夏祭浪花鑑』『身替座禅』。夜の部、『番町皿屋敷』『傾
城反魂香』『棒しばり』。
船乗り込みは、6月29日に実施。梅雨の中、前夜までの天候不良も嘘のように当日は快
晴となりました。中村仲太郎さんの口上のあと、谷川大阪府副知事、佐々木大阪市助役、
当会の海野代表世話人、松竹の中川常務取締役、出演俳優から挨拶がありました。孝夫
さん勘九郎さん、藤十郎さんなど俳優が浴衣姿で十隻の船に分乗。大阪市役所の南側、土
佐堀川から東横堀川、道頓堀川の戎橋まで約3キロのコースを賑やかな笛や太鼓のお囃
子を鳴らしながら進みました。途中の橋や川沿いのビルからは「松嶋屋!」「中村屋!」
「紀伊国屋!」などと威勢の良い掛け声で歓迎。歌舞伎ブームを反映し、到着の戎橋は大
変な人出となりました。若い大勢のファンに囲まれた中座前で、大入り祈願の式典を開催。
出演俳優に花束贈呈と挨拶があり、孝夫さんの手締め、鏡開きと勘九郎さんの音頭で乾
杯をし公演の成功を祈願しました。 昼の部、『道行恋苧環』は、求女に智太郎さん、お三
輪に浩太郎さん、橘姫に孝太郎さん。『妹背山婦女庭訓』の四段目の道行を独立させた舞
踊です。若手三人にふさわしい舞踊となりました。
『夏祭浪花鑑』は、本水、浴衣、祭囃子を背景にした殺しの場など、夏芝居の人気ナンバ
ーワンの演目。団七とお辰の二役を、勘九郎さんが大阪で演じるのは初めて。三婦に左
團次さん、徳兵衛に八十助さん、磯之丞に智太郎さん、琴浦に浩太郎さん。勘九郎さんは「
ぼく去年(平成3年)、雨がショボショボ降る晩に高津の宵宮へ行きましたよ。遠くからだん
じり囃子が聞こえてきたんです。ワクワクしちゃって聞こえる方へ歩いて行ったらね、なんと、
七つくらいの子供がガラガンガラガン・ドンドン、叩いて遊んでいるの。これこそね、大阪の
文化が遺ってくわけだよ。高津神社様へ行って、団七やらして下さいいってお願いしたら、
通じたんですよ。しかもお辰と二役。こんな幸せなことないねえ。心して大切に勤めさせて
いただきます。」と話されました。後半の舅殺し、泥場では本水と本泥を使っての若さにあ
ふれた立ち回りに、殺しの美学を見せ大熱演。水しぶきが飛び散るたびに観客から歓声が
沸きあがりました。また、侠気に富んだお辰も良く、立役、女方を兼ねる役者への大きな可
能性を示す舞台となったと評されました。
『身替座禅』は、右京に孝夫さん、玉の井に八十助さん、太郎冠者は初役の孝太郎さん。
孝夫さんは、「『身替座禅』は、お狂言ものだから、おおらかで品がないとね。ぼく、媚びる
こと嫌いでね、笑いとか拍手とかいうものは決して買いにいってはいけないと思うんです。
芝居の流れ、役の心理状態の中から生まれてくる、動作なり科白まわしなりが、自然とお
客様の笑いとか拍手を誘うようにしないとね」と話されました。孝夫さんの右京は、愛人と
の楽しい一夜が忘れられず、花道で何回も振り返りながら、名残り惜しさを発散。玉の井
の八十助さんは、右京ののろけを聞き嫉妬と怒りの表情で観客を笑わせました。常磐津
連中には、常磐津一巴太夫さんが出演され冴えた美声で観客を魅了しました。
(来月号につづく)
『道行恋苧環』 智太郎さん 浩太郎さん 孝太郎さん
『夏祭浪花鑑』 藤十郎さん 左團次さん 勘九郎さん、左團次さん
『夏祭浪花鑑』 勘九郎さん 『身替座禅』 仁左衛門さん・八十助さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 15の2
● 第十二回公演(平成3年7月)を開催 通算入場者50万人突破
関西に歌舞伎ブーム
勘九郎さん『怪談乳房榎』三役早替わりで大奮闘
夜の部は、三世實川延若を偲び、通し狂言『怪談乳房榎』。重信、正助、三次の三役を中
村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、妻お関を澤村藤十郎さん、松井三郎を坂東八十助(現・
坂東三津五郎)さん、お栄を中村児太郎(現・中村福助)さん、磯貝浪江を中村橋之助さん
の配役。もともと江戸を背景とした芝居ですが、上方の夏芝居として有名になったのは、大
正3年8月、中座で二世實川延若が延二郎時代に初演。このとき原作にない悪党・三次を
登場させ、重信、正助、三次の三役早替わりの面白さや、本水を使った大滝の仕掛けなど
で評判を呼びました。勘九郎さんは、前年(平成2年)の8月、實川延若(三世)さんの指導
を受けて歌舞伎座で『怪談乳房榎』を初演、好評だったことから、今回の主な配役は、初
演通りで固めての再演となりました。
平成3年5月に延若さんが急逝され、今回は、「實川延若指導、三世實川延若を偲び」を
冠しての上演。勘九郎さんは、「延若のおじさんがこんなに早く亡くなられるなんて信じられ
なかった。教えていただいた時は、とってもお元気だったのに。芝居での早替わりはやっ
たことがないので、一本の傘の中で正助と三次がパッと替わるところが、ビデオを見ても
わからなくて、仕掛けを聞きました。『怪談乳房榎』をやる時は、いつまでも實川延若指導
を入れますって、おじさんのご遺体に約束してきました」と話されました。重信、正助、三次
の三役を早替わりする勘九郎さん。傘とゴザを使って花道の七三ですれ違いざま、正助か
ら三次に瞬時に替わると、しばらく客席からどよめきが消えませんでした。圧巻は大詰め、
十二社大滝の場は勘九郎さんの早替わりと本水を使っての大奮闘。正助が子供を滝に
投げ込むと重信の幽霊が現れ、改心して子供を育ててくれという。その時、正助を追って
三次が現れる。勘九郎さんは正助から三次へ、またその逆へ瞬時に入れ替わる早替わり
の連続のあざやかさ、約3トンの水が勢いよく流れる滝つぼで、びしょ濡れになりながらの
大立ち回り。水しぶきが飛び散るたびに客席がどっとわきました。めまぐるしい早替わりは
ファンをとりこにして楽しませました。色悪の浪江を姿のよい橋之助さんが好演。若くて美し
いお関の藤十郎さん、吹き替えの俳優も含めて、全員が力を合わせて観客が興奮する舞
台を作り上げられました。勘九郎さんは、「演じていても楽しい芝居です。お客さんが喜んで
いただけてなによりです」と話されました。
『釣女』は、醜女に勘九郎さん、太郎冠者に八十助さん、上臈に児太郎さん、大名に橋之
助さん。勘九郎さんと八十助さんの息のあった演技が見もの。美男美女の成駒屋兄弟。ぴ
ったりとはまった役どころにまばゆい美しさ、はちきれる若さ、爽やかないきのよさ。大名役
の橋之助さんが三田寛子さんと婚約発表をされたばかりでしたので、釣り糸で釣られた美
女(児太郎)が「三田家の寛子と申します」と答え客席の喝采を集めました。また俳優が幕
に消える時、手拍子が起こるなど楽しい雰囲気が一杯でした。
連日、大入り満員が続く中座。当時は、勘九郎さんが司会を務める「今宵もKANKURO」
というテレビ番組も放送されており、人気の勘九郎さん(36歳)をはじめ、八十助さん(35歳)、
児太郎さん(30歳)、橋之助さん(25歳)と若手の人気俳優が勢ぞろいし、同世代の女性の
観客が急増していました。初日から補助席、立見席とも完売。20日には、第一回公演から
の通算入場者が50万人を突破しました。記念すべき50万人目のお客様は、大阪市東淀川
区のOLの方。藤十郎さんから記念品と花束を贈られ「評判を聞いて友人3人と来たんです
が、歌舞伎は古いというより逆に新しい感じがします」と大喜び。中座の一ヶ月の定員を超
えて、四万二千人強の来場があり、大入り満員が続きました。このため、千穐楽を一日延
ばし、30日の昼の部(演目は、夜の部の『怪談乳房榎』『釣女』)が追加公演されました。
公演期間中に、一人暮らしの在宅老人180名をご招待しました。また21日の終演後には、
大部屋の俳優、鳴物、大道具、小道具、照明さんなどの裏方さんに感謝し慰労するパーテ
ィを開催し、120名の参加者で多いに盛り上がりました。
29日にカーテンコールを行い出演俳優に花束の贈呈を行いました。その後、特別賞に上
村吉弥(五代目)さん、功労賞に澤村藤十郎さん、中村勘九郎さん、坂東八十助さん、努
力賞に坂東みの虫さん、中村蝶十郎さん、中村仲一郎さん、中村芝のぶさんに賞状と副
賞を贈りました。
千穐楽をひかえ、中川芳三(松竹取締役・演劇担当)さんが次のような内容を寄稿され
ましたので紹介します。
昭和49年8月、道頓堀中座で、今は亡き三世實川延若が『怪談乳房榎』を上演した。何
しろその前年までの7年間、中座では歌舞伎興行が絶えていた。そして17年経過、今また
同じ舞台で中村勘九郎が、その延若に指導を受けた『怪談乳房榎』を演じている。興奮う
ず巻く大入り満員の連日で、入場者は百%をはるかに超えそうな勢いである。今、なぜ
歌舞伎ブームなのか…。俳優の層の厚さ、とりわけ第四世代スターの台頭、難しい古典
芸術からの脱皮など、要因はいくつか数えられるが、歌舞伎そのものの人気の高まりは、
感覚の芸術であり、非リアリズムの手法でロマンを謳(うた)う歌舞伎本来の楽しさが、映
像世代に育った若い人たちにマッチした故ではなかろうか。時代を反映するのが演劇の
本質である。それだけにまことにありがたい人気だけれど、この間に充実した舞台を作り、
新しいお客様を本当の歌舞伎の魅力のとりこにしてこそ、歌舞伎が今日に生きる演劇と
して、しっかりとよみがえったと言えるだろう。歌舞伎にとってはラストチャンスであると自
戒している暑い夏である。(7月29日・読売新聞夕刊より)
「まだ一度も歌舞伎を観たことがない若い方にも歌舞伎の素晴らしさ、楽しさを味わって
もらおう…」という願いを込めて「関西で歌舞伎を育てる会」を結成してから13年、地道な
活動でしたが、第12回公演は、若い観客が中座へ駆けつけるほど関西にも歌舞伎ブー
ムが起こり、記念すべき公演となりました
『怪談乳房榎』 勘九郎さん 『怪談乳房榎』 藤十郎さん 『怪談乳房榎』 八十助さん
『釣女』 勘九郎さん、八十助さん 上村吉弥(五代目)さんに特別賞を贈呈
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 15の1
● 第十二回公演(平成3年7月)を開催 通算入場者50万人突破
関西に歌舞伎ブーム
勘九郎さん『怪談乳房榎』三役早替わりで大奮闘
関西で歌舞伎を育てる会の第十二回公演は平成3年7月4日から29日(好評のため30日
昼の部を追加公演)まで中座で開催されました。出演者は中座5年連続の中村勘九郎(現・
中村勘三郎)さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん、中村児太郎(現・中村福助)さん、
中村橋之助さんなど若手花形の皆さんに、第一回公演以来お馴染みの澤村藤十郎さんが
出演されました。そのほかに上村吉弥(五代目)さん、中村仲蔵さん、市川新車(現・市川
高麗蔵)さんなど。
演目は、昼の部、『毛谷村』『藤娘』『月の船頭』『壺坂霊験記』『太刀盗人』。夜の部、『怪
談乳房榎』『釣女』。
船乗り込みは、7月1日に実施。中村仲太郎さんの口上のあと、中川大阪府知事、西尾大
阪市長、当会の小松代表世話人、松竹の茂木専務取締役、出演俳優から挨拶がありまし
た。当日はあいにくの雨模様でしたが勘九郎さんは「雨は降り込むと言って縁起がいいん
ですよ。『怪談乳房榎』では大滝に打たれるシーンがあるので、縁起がいい」とニッコリされ
ました。戎橋に到着すると出演者をひと目みようと幾重にも取り囲んだファンから、「中村屋
!」「成駒屋!」の掛け声が響き、若手歌舞伎俳優の人気ぶりを感じさせ盛り上がりました。
開演に先立ち4月26日、勘九郎さんが奈良県高取町の壷阪寺を訪れ、公演の成功祈願
をされました。この年(平成3年)は、沢市が壷阪観音のご利益で開眼して三百三十年目に
あたる年でした。『壺坂霊験記』で沢市を勤められる勘九郎さんが壷阪寺境内をお練りされ
ると、雨にもかかわらず五百人の参拝客から「中村屋!」の声が掛かり大フィーバー。勘九
郎さんは、朱塗りの欄干から山なみを見て「日の出の位置が分かり、手を合わせる時の目
線がはっきりしました。芝居に自信がつきました」と話されました。
昼の部、『毛谷村』は、八十助さんの六助、藤十郎さんのお園で、どちらもぴったりの適役。
六助は武芸の達人でありながら、歯がゆいほどの善人。その六助を八十助さんは、明るさ、
純朴さ、そして科白の明快さで好演。お園も女武芸の典型で女だてらに虚無僧の姿をして、
六助と互角に立会い猛女ぶりを見せる。藤十郎さんは精四郎時代に一度された役で、男
女の科白の使い方がよく、魅力的なお園を演じられました。登場人物の喜怒哀楽、感情の
起伏をはっきりとさせ、義太夫狂言の特徴を生かしたテンポ感がみごとと評されました。
『藤娘』は、児太郎さん。六代目直伝の父芝翫ゆずりの藤の精。暗がりに光が入ると黒の
塗り笠をかぶり、藤の花をかかげた娘姿の児太郎さんは、大津絵から抜け出たような美し
さ。衣裳を変えて藤音頭を踊ります。扇を盃に見立てて酒を飲み、艶かしくも酔った様子。
ほろ酔い気分に春の夕暮れの甘い香りがただよう様でした。
『月の船頭』は橋之助さん。粋でいなせな立役が絵になるすっきりした男ぶり。鯒(こち)
を捕まえようと大奮闘。楽しい踊りを披露されました。
『壺坂霊験記』は、沢市に勘九郎さん、女房お里に児太郎さんで息もぴったり。盲目の
夫に、ひたすら仕え励ます妻の情愛が観客の心に響きます。谷底で観音様のご利益によ
って開眼した沢市が、お里を見てドギマギするところでは拍手が起こり、二人で花道に入
る時、勘九郎さんが「これから大阪へ出て中座の芝居を見よう」というアドリブには笑い声
が出ました。
『太刀盗人』は、九郎兵衛に勘九郎さん、目代に藤十郎さん、万兵衛に八十助さん。太
刀を奪われまいとする万兵衛の八十助さんが踊り込んで見せれば、スリ、九郎兵衛の勘
九郎さんは、万兵衛の答えを盗み聞こうとする動作が面白く、同じ言葉の繰り返し、一問
づつずれる動きなどで笑いを誘いました。
(来月号につづく)
『毛谷村』 『藤娘』 児太郎さん 『月の船頭』 橋之助さん
藤十郎さん、八十助さん
『壺坂霊験記』 『太刀盗人』 勘九郎さん、八十助さん
勘九郎さん、児太郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 14
● 第十一回公演(平成2年6月)を開催
86歳、仁左衛門さん絶品の舞台。連日大入り満員の盛況
関西で歌舞伎を育てる会の第十一回公演は平成2年6月2日から26日まで中座で開催
されました。出演者は舞台生活85年を迎える片岡仁左衛門(十三代目)さんを上置きに、
片岡孝夫さん、片岡秀太郎さん、市川左團次さん、澤村藤十郎さん、中村勘九郎(現・中
村勘三郎)さん、中村浩太郎(現・中村扇雀)さん、中村橋之助さん、片岡孝太郎さん、市
川子團次さんほか。演目は、昼の部、『女形の歯』『弁天娘女男白浪』。夜の部、『義経千
本桜』『新口村』『連獅子』。
鑑賞券の前売りと電話予約は5月12日から開始。前売り券を買うため前夜から並んだ
という徹夜組も現れ、多い時には約800人が法善寺横丁あたりまで長蛇の列ができまし
た。また、電話予約も回線がパンクするほどの人気となりました。土、日曜の夜の部の前
売り分も初日前に売り切れました。
船乗り込みは、5月30日に実施。中村仲太郎さんの口上のあと、中川大阪府副知事、
西尾大阪市長、当会の海野代表世話人、松竹の茂木専務取締役、出演俳優から挨拶
がありました。
4年連続で出演する勘九郎さんは「毎年、毎年、大阪が好きになる。芸は未熟な私で
すが、中座を愛した藤山寛美先生が亡くなられても(船乗り込みの9日前にご逝去)、先
生に負けぬよう一生懸命に勤めたいと思います」と挨拶されました。
劇場前の式典では、仁左衛門さんも加わり鏡開き。孝夫さんの音頭で手締めの後、振
る舞い酒で公演の成功を祈願しました。 昼の部、『女形の歯』は藤十郎さんが三代目
澤村田之助さんの数奇な半生を体当たりで熱演。田之助さんは、わずか16歳で守田座
の立女方となりましたが、舞台の怪我がもとで両手両足を切断。それでも33歳で亡くな
るその日まで舞台への執念を燃やし続けました。藤十郎さんが、八重垣姫の衣裳を着
て座敷から落ち、扇を口にくわえて演じ踊り狂う様は、感動的な舞台となりました。
『弁天娘女男白浪』稲瀬川勢揃いの場では、日本駄右衛門に孝夫さん、弁天小僧菊
之助に勘九郎さん、南郷力丸に左團次さん、赤星十三郎に藤十郎さん、忠信利平に橋
之助さんが、花道にそろいの出で立ちで現れ観客を魅了しました。
『義経千本桜』川連法眼館の場は、昭和36年、十七世中村勘三郎さんと八世竹本綱
大夫さん、十世竹澤弥七さんの歌舞伎・文楽の共演で話題となったのを、30年ぶりに、
ご子息の勘九郎さんと豊竹咲大夫さんが共演されました。
咲大夫さんの義太夫に乗せて、勘九郎さんが義経の忠臣・忠信と狐が化けた忠信、狐
の三役に挑戦。勘九郎さんの源九郎狐には母狐を慕う悲哀の情が漂い熱演。
『新口村』は、孫右衛門に仁左衛門さん、忠兵衛に孝夫さん、梅川に親子三人の初共
演。仁左衛門さんは、「孫右衛門は歌舞伎教室も入れると何十回勤めたでしょう。私の
ことですから前のままでいいわということが出来ず、その都度工夫をしています。今度も
身体を考えて花道から出ずに下手から出ますが、傘を持ちません。戸外(おもて)で芝
居をするからには雪が止んだのでないと道理に合いませんから、私は3〜4年前から花
道の途中で雪があがった思い入れで傘をすぼめました。芝居全体として、いまの時代、
理屈に合わないにしても、どこかで見る人をひきつけないと、劇中の人物にお客様が共
鳴してくれない。それでは意味がないと近頃私は思っています」と話されました。
一世一代と思える86歳、仁左衛門さんの孫右衛門。気力を振り絞っての熱演に盛ん
な拍手が沸き、罪を犯して追われる息子・忠兵衛に親の哀しみと情愛を存分に見せて
観客を泣かせました。視力の衰えが進み、文字通り心眼の至芸を披露されました。
孝夫さんも恵まれた風姿で上方芸の継承ぶりを示し、秀太郎さんの梅川は、孫右衛門
に尽くす哀れさ、しおらしさを好演。近年これだけの梅川を見たことがないと評されまし
た。
『連獅子』は、親獅子の精に孝夫さん、仔獅子の精に孝太郎さんの親子共演。浄土僧
専念に藤十郎さん、法華僧日門に勘九郎さん。
孝夫さんの親獅子の舞い狂う姿はひときわ豪快、孝太郎さんの真剣さも美しく進境ぶ
りが伺えました。
11日の夜、勘九郎さんが尿管結石で緊急入院されました。『女形の歯』澤村訥升は浩
太郎さん、『弁天娘女男白浪』弁天小僧菊之助と『連獅子』法華僧日門は橋之助さんが
代役を勤められました。橋之助さんにとって弁天小僧菊之助は初役。急場を見事に演
じきった橋之助さんに対し孝夫さんは、「たいしたものです。あの若さで(当時25歳)突
然の初役の代役でありながら、立派なものでした。平常ちゃんと勉強している人だとい
うことですよ」と称賛されました。勘九郎さんは、14日から舞台復帰。超満員の客席か
ら「おめでとう」「待ってました」の掛け声と拍手で科白が聞き取れないほど。
勘九郎さんは「最初に出た感じは雲の上を歩いているような気持ちでした。ものすご
い拍手をいただき、本当にやさしいお客様だと大感激しました。もう大丈夫です。頑張
ります。」とのコメントを出され、再検査のため病院に向かわれました。
お客様の3割強は10〜20代で、うち9割以上は女性というほど、場内は若い女性の姿
が目立ちました。
連日補助椅子や立見が出るなど公演は満員御礼の日が続き、中座の1カ月の定員が
4万人弱に対し4万2600人強の記録的な大入りとなりました。マスコミの取材に対して孝
夫さんは、「歌舞伎ブームの再来と言ってくださる方もあります。若いファンの姿が目立
ちますし嬉しい限りです。家でテレビを見る時代に劇場に足を運んでくださる。役者冥利
につきます・・・。」と話されました。
千穐楽のカーテンコールでは、出演俳優に花束が贈呈されました。その後、85年の
長き舞台生活を通して芸道の真髄を極められ、特に今回の『新口村』の舞台において
芸の極致ともいうべき最高の演技をもって観客に深い感銘を与えられた、片岡仁左衛
門さんに当会から特別賞をお贈りしました。また、優秀演技賞に中村橋之助さん、奨励
賞に片岡孝太郎さん、中村助五郎さんに表彰状と副賞を贈りました。
『女形の歯』 藤十郎さん 『弁天娘女男白浪』左より孝夫さん、左團次さん
『義経千本桜』勘九郎さん
藤十郎さん、橋之助さん、勘九郎さん
『新口村』 仁左衛門さん、孝夫さん、 『連獅子』 孝夫さん、孝太郎さん
秀太郎さん
仁左衛門さんに特別賞を贈呈
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 13
● 十周年記念公演(平成元年5月)を開催
第一回公演の俳優が出演。勘九郎さん髪結新三を熱演
関西で歌舞伎を育てる会の結成十周年記念公演は昭和64年5月3日から27日まで中座
で開催されました。出演者は十周年にふさわしく昭和54年の第一回にご出演された中村富
十郎さん、澤村藤十郎さん、中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん。そして中村又五郎さん、坂
東三津五郎(九代目)さん、市川左團次さん。中村智太郎(現・中村翫雀)さん、中村浩太郎
(現・中村扇雀)さん、中村橋之助さんほか。演目は、昼の部、『野崎村』『茶壷』『魚屋宗五
郎』。夜の部、『髪結新三』『身替座禅』。第一回公演で上演された懐かしい演目も選ばれま
した。
番附のご挨拶で松竹の永山社長は「昭和53年に結成されました関西で歌舞伎を育てる
会の活動は関西演劇界に多大な功績を残してこられました。関西の文化を支えるひとつの
柱として歌舞伎公演をご後援していただくことは誠に意義深く、喜びに堪えません」と述べ
られました。
演劇評論家は、「もしこの会が結成されていなかったら関西での歌舞伎公演は、もっと数
が減っていただろう。そう思うとこの会の関係者の努力には感謝しなければならない。55年
ぶりの船乗り込みの復活、なんとか盛り上げようという企画性も見事だった。歌舞伎と縁の
うすいお客も多かろうと歌舞伎の見方という解説の一幕もつけた。とにかく、何んとか歌舞
伎を見てほしい、理解してほしい、楽しんでほしい、そういった関係者の努力で、一回一回
の公演が積み重ねられていった…」と評価していただきました。
初夏の浪速の風物詩となった船乗り込みは、4月30日に実施。岸大阪府知事、大浦大阪
市助役、当会からは小松・前川・海野代表世話人、松竹中川取締役、出演俳優など関係者
が乗船。中座前での式典では、大入り祈願の鏡割りとふるまい酒が行われ公演を盛り上げ
ました。
『魚屋宗五郎』で、宗五郎役の富十郎さんは、「前々名の鶴之助以来ですから30年くらい
たつでしょう。もう一度、松緑兄さんに教わり、ああこれが江戸の生世話なのだと楽しんで
いただけるように勤めます」と話されました。舞台では宗五郎が、禁酒の誓いを破り、湯飲
み、片口、酒樽へと段階を踏んで、次第に乱れる酔態は宗五郎の心が描かれ、さすが富
十郎さんと評されました。
過去10回のうち8回出演され、当会の結成に尽力された藤十郎さんは、「結成公演は岳
父(十七代中村勘三郎)が出てくれたお陰で成功したと思います。私も青春時代のライフワ
ークでもありましたし、もう二度と出来ませんね、ああエネルギッシュなことはね」と述べられ、
『野崎村』のお光、『魚屋宗五郎』の女房おはま、『身替座禅』の太郎冠者にご出演されまし
た。
「好きな中座で好きな『髪結新三』をやることができて幸せです」という勘九郎さん。前年
4月に亡くなった父・勘三郎の当たり役だった新三を一周忌の追善をこめて熱演。いなせで
演技のメリハリもあり、江戸前「髪結新三」の又五郎さん、勘九郎さんの小気味良さと愛嬌
は十分。長兵衛の又五郎さんとはアドリブを織り込みながら絶妙なやりとりで客席を沸かせ
ました。
結成第一回公演の時の懐かしい演目が選ばれたのは、『野崎村』『茶壺』そして、『身替
座禅』。
折りしも5月は野崎まいりのシーズン。久作に左團次さん、お光・藤十郎さん、久松・智太
郎さん、お染・浩太郎さんが勤められました。
『茶壷』は、狂言を基にした軽妙な舞踊劇。悪者の熊鷹に三津五郎さん、麻胡六に勘九郎
さん、目代に富十郎さんが勤め、坂東流家元の三津五郎さんが家の芸を見せ多いに笑わせ
ました。
結成公演で勘三郎(十七代目)さんが山蔭右京を演じ大評判を呼んだ『身替座禅』。今回
は富十郎さんが山蔭右京を勤め、玉の井に三津五郎さん、太郎冠者に藤十郎さんの配役
で楽しませました。
5月14日の終演後、大部屋の俳優、鳴物、大道具、小道具、照明さんなどの裏方さんを慰
労し激励するパーティを開催しました。集いは110名の参加者で多いに盛り上がり楽しいひ
と時を過ごしました。
千穐楽のカーテンコールでは、十周年の感謝を込めて出演者に花束を贈呈。高畑前代
表世話人は十周年の節目に当たり、「多くの歌舞伎ファン、俳優、松竹、行政、そして鑑賞
券の斡旋などでお世話になった関係組織、全ての皆さんに心から御礼を申し上げます。結
成時の思いを忘れずこれからも歌舞伎の公演が一回でも増えるよう努力していきます」と
挨拶されました。その後、優秀演技賞に中村橋之助さん、奨励賞に片岡十蔵さん、中村
仲一郎さんに表彰状と副賞が贈られました。
また、1人暮らしの在宅老人300名をご招待しました。

「船乗り込み前の式典」 「魚屋宗五郎」の富十郎さん、鶴蔵さん 「髪結新三」の又五郎さん、勘九郎さん
十蔵(現・片岡市蔵)さん(右より)
「野崎村」の藤十郎さん 「カーテンコールの花束贈呈」
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 12
● 第九回公演(昭和63年7月)を開催
松本幸四郎さん中座初出演、21年ぶりの東海道四谷怪談
関西で歌舞伎を育てる会の第九回花形歌舞伎は、昭和63年7月2日から24日まで中座
で開催されました。出演者は、中座初出演の松本幸四郎さん、お岩さんを初めて勤める
中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、中村浩太郎(現・中村扇雀)さん、市川子團次さん、
松本錦吾さん、中村勘五郎さん、市川新車(現・市川高麗蔵)さんほか。演目は、大阪で
昭和42年以来21年ぶりの、通し狂言『東海道四谷怪談』。序幕の「浅草観音額堂の場」
から大詰めの「仇討の場」まで、一部を省略するものの四幕十場を通して上演。この狂
言は、先代の幸四郎さん、先代の勘三郎さんのコンビで大好評を博したものです。
船乗り込みは、6月30日に実施。中村仲太郎さんの口上のあと、中川大阪府副知事、
西尾大阪市長、当会の海野代表世話人、松竹佐原専務と出演俳優から挨拶があり揃
いの浴衣で乗船。途中、大粒の雨が降り東横堀川の上を走る高速道路の下でしばし雨
宿り。道頓堀に着いた頃にはすっかり雨も上がり、「高麗屋!」「中村屋!」の掛け声が
ビルにこだましました。
中座前では大入り祈願の式典の前に、お岩さんの供養と公演の安全を祈り修祓式が
執り行われました。式典のあと舞台で公開顔寄せと、公演の監修役をされた中村又五
郎さんと補綴の奈河彰輔さんの「怪談ばなし」のトークショーを実施。
主な配役は、家の芸である色悪の民谷伊右衛門役に23年ぶりという幸四郎さん、お岩・
佐藤与茂七・小仏小平の三役早替わりに勘九郎さんが初めて挑戦。お袖・お花には浩
太郎さん、宅悦に子團次さんと助五郎さんが交互に出演されました。
伊右衛門役の幸四郎さんは、「首が飛んでも動いてみせるわ」という鶴屋南北独特の
したたかな悪を小気味よく描いて見せ、好演。
勘九郎さんは、4月に亡くなった父、勘三郎さんの遺志を継いで、三役を熱演。勘三郎
さんが病床にあった時、「怖さより女の哀れさを出すように」と教えられたとの事。
第二幕の「伊右衛門浪宅の場」(髪すき)では、勘九郎さんの演技に気迫がこもる。伊
右衛門から薬といわれて渡された毒を飲んだことによって変わってしまった顔に驚きあ
わて、嘆きもだえる。「これが私の顔かいなあ」と悲嘆にくれるところで、一日中で一番
大きな拍手が起こり、中村屋の後継者としての責任感と気概が、ひしひしと伝わってき
ました。
戸板返しに始まり、提灯が燃えると幽霊のお岩さんが現れ宙乗りに。その後、井戸、
仏壇、そして突然客席から現れ、お客さんからキャーという悲鳴が上がる。多彩な仕掛
けと趣向は怖くて楽しく、客席は大いに沸きました。
千穐楽のカーテンコールでは、俳優への花束贈呈と、市川子團次さんに優秀演技賞、
松本幸右衛門さん、松本錦吾さん、中村助五郎さんに奨励賞をお贈りしました。
昨年に引き続き、当会として裏方さんに感謝するため、17日の終演後「カラオケ大会」
を実施。中村勘九郎さんの乾杯でスタートし、楽しいひと時を過ごしました。賞品は岸知
事、西尾市長、企業、組合などから寄贈を受けました。また、1人暮らしの在宅老人300
人を招待し大変感謝されました。
歌舞伎ファン、特に若い女性の姿が目立ち、若者に歌舞伎ブームが起きたきっかけ
となる公演であったと言えます。
「中座前での修祓式」 「公開顔寄せ」
「民谷伊右衛門」の幸四郎さん 「お岩」の勘九郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 11
● 第八回公演(昭和62年6月)を開催
沼津で松嶋屋親子初共演、勘九郎さん中座初出演
関西で歌舞伎を育てる会の第八回六月中座大歌舞伎は、6月1日から25日まで開催さ
れました。改装後の中座は座席数を230席ほど減らして801席に。座席もゆったりとしたも
のに新調され見やすい劇場になりました。そして、第八回公演が新しくなった中座で、初
めての歌舞伎公演となりました。
出演者は、片岡仁左衛門(十三代目)さん、片岡秀太郎さん、片岡孝夫(現・片岡仁左
衛門)さん、中村勘九郎(現・中村勘三郎)さん、中村時蔵さん、中村智太郎(現・中村翫
雀)さん、中村浩太郎(現・中村扇雀)さん、澤村昌之助さん、尾上松鶴さん、嵐徳三郎さん、
ほか。演目は、昼の部『檻』『沼津』『道行乱菊二人妻』『近江のお兼』。夜の部『伊勢音頭
恋寝刃』『羽根の禿』『供奴』。
船乗り込みは、5月30日午前10時15分、大阪市役所中之島公園にて中村仲太郎さんの
口上で始まり、俳優のほか、岸大阪府知事、大島大阪市長、当会から小松・海野代表世
話人、松竹からは茂木常務など関係者が乗船。道頓堀戎橋まで賑やかなお囃子を先頭
に進みました。
昼の部の『檻』は中座初出演の勘九郎さんが、父勘三郎さんの専売特許といわれた役
を継いで二度目の舞台であり、なんとしてでも自分のものにしたいという意欲が舞台から
伝わってきました。『沼津』は仁左衛門さん、秀太郎さん、孝夫さんの初共演で、親子の
真実の愛情がそのまま舞台でも生かされて、見ごたえのある芝居。再見、三見の価値が
あると評されました。目の不自由な仁左衛門さんでしたが客席を歩いて回りお客さんを喜
ばせ、品格のある最高の平作を見事に作り上げました。孝夫さんの十兵衛は初役とは
思えない、父仁左衛門さん譲りの上方型を好演。客席を歩く二人に会場からは拍手、拍
手。
夜の部『伊勢音頭恋寝刃』について片岡仁左衛門さんは番附の中で「近頃は伊勢音頭
が上演されても、油屋の座敷と奥庭の一幕二場だけで、他の幕は出ないのが普通の様
になっています。これは東京でも大阪でも同様ですが、この度は相の山から妙見町の宿
屋そして追っかけが二場、次には二見ヶ浦があって、それから油屋の座敷、奥庭と二幕
七場を監修、演技指導をして御覧いただきます」と意欲を述べられました。
初役の孝夫さんの貢が好評で、今月一番の人気狂言と高い評判。油屋での衣裳は白が
すりが似合い、声も姿もいい孝夫さんの人柄に、和事のぴんとこなの役割がぴったりはま
って、近来にない貢であると言われました。
秀太郎さんの万次郎は本物のつっころばしの和事芸を見せ、こんな役はもう秀太郎さん
の他にやる人がいないと評されました。
千穐楽のカーテンコールでは俳優の方への花束贈呈のあと、優秀演技賞に、嵐徳三郎
さんと中村浩太郎さん。奨励賞に片岡松之助さんと、片岡當十郎さんに表彰状と副賞が贈
られました。
劇評のまとめとして、六月の中座は『沼津』『伊勢音頭恋寝刃』と名舞台がそろい、客席
もそれに応えて大入りであるのはうれしい。昨年の自主好演『夏祭浪花鑑』に引き続き、
今年も「関西で歌舞伎を育てる会」の公演が、西の役者の上方狂言で成功をおさめたこと
を、心から喜び祝いたいと評価されました。
「檻」の勘九郎さん 「沼津」の仁左衛門さんと孝夫さん 「伊勢音頭恋寝刃」の孝夫さん、秀太郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 10
● 第一回自主公演(昭和61年8月)を開催
『夏祭浪花鑑』予想をはるかに超える成功
関西で歌舞伎を育てる会の第一回自主公演を8月20日から24日(10回公演)まで国
立文楽劇場で開催しました。中座が改装工事のため使用できないということになり、公
演を中止するか他の劇場で自主公演をするのか、決断が求められました。当会の麻埜
専務理事が事前に調べたところ8月なら片岡仁左衛門さん(十三代目)が空いておられ、
国立文楽劇場も使用できるとの情報をもとに、小松左京代表世話人、桂米朝世話人、
山田庄一国立文楽劇場理事にご参集いただき、開催を前提に検討いただきました。事
務局として麻埜専務理事と、川島事務局長は、「自主公演は赤字をだすと会が存続でき
なくなるかも知れないが、是非やりたい」という決意を伝えました。いつ終わるとも知れな
い楽しく和やかな懇談でしたが、やる意義は大きい、その場合は『夏祭浪花鑑』だと意
見が一致しました。
世話人会で確認をとり具体的に取り組みがスタートしました。出演者は、片岡仁左衛
門さん、片岡我當さん、片岡秀太郎さん、片岡進之介さん、片岡芦燕さん、嵐徳三郎さ
ん、坂東竹三郎さん、中村鴈之丞さん、ほか。通し狂言『夏祭浪花鑑』四幕七場、序幕・
住吉鳥居前の場、二幕目・内本町道具屋の場、横堀番小屋の場、三幕目・釣舟三婦
内の場、長町裏の場、大詰・田島町団七内の場・同大屋根の場。
片岡仁左衛門さんは、記者会見やインタビューで「『夏祭浪花鑑』を選んでいただき嬉
しくてしかたがありません。今は責任と緊張で夜も眠れないくらいです。代表的な上方狂
言ですが、今は大阪の型というものが舞台で見られません。私が二十四年前、仁左衛
門歌舞伎でやったのが最後ではないでしょうか。私の目の黒いうちに上方の型をきちん
と残しておきたいと思います」と熱い思いを語られました。
『夏祭浪花鑑』の公演の他、国立文楽劇場で9月に近松座第五回公演、11月に国立
文楽劇場第一回歌舞伎公演が決定し、三公演を「上方歌舞伎祭」として盛り上げようとい
うことになりました。3月28日の記者発表で、仁左衛門さんは「大阪の芝居をさせていただ
き本当に嬉しく思っています。長生きしたかいがある。上方歌舞伎をしっかりと伝承してい
きたい」と二度も三度も手を合わせて話されました。我當さんは、「お礼の申し上げようも
ない。父が元気なうちに教えてもらい勉強できるのが嬉しい」。秀太郎さんは、「8月と11
月に出演できて嬉しい。これだけ続いて、お客さんが来てもらえるか心配な面もある。三
本の矢が束ねると折れないように頑張りたい」、近松座に出られる中村扇雀(現・坂田藤
十郎)さんは、「仁左衛門さんの元気な間に、私共は勉強しないといけない」と話されまし
た。短期間に上方歌舞伎が3回も上演されるのは最近では例がなく、大きな期待と注目
を集めました。
その後、当会の自主公演はポスターやチラシ、番附、チケットの販売依頼、さらにテレホ
ンカードの制作など準備は進みましたが、川島が、事務局長として一番頭が痛かったの
はチケットの売れ行きでした。毎日各種団体や組織などに販売の依頼をして帰宅も遅く、
夜も心配で眠れない日が続きました。そのとき浮かんだのが、義平次を殺した団七が祭
りの衆に紛れて逃げていく場で、お御輿を担ぐ役の半数を黒門市場の若い衆に担いでも
らおうという考えでした。うまくいけば黒門市場の協力ももらえるのではとの思いでした。
すぐに松竹の方にお願いにいきましたが、「話は面白いが素人さんが舞台に上がると潰
れます。無理です」という返事でした。話し合いは前進せず時間ばかりがたちました。
ギリギリになって、仁左衛門さんも駄目だとおっしゃっていますかと切り出しました。松竹
の方は、仁左衛門さんには話をしていませんという返事でした。それなら仁左衛門さんに
話をして下さい。仁左衛門さんも駄目なら仕方がありませんと伝えました。数日して松竹
から「仁左衛門さんは結構ですとおっしゃっています」という連絡がありました。すぐに黒
門市場の布生理事長へ挨拶に行きました。布生理事長は、「舞台に高津神社のお祭り
が出てきますが、黒門市場は高津神社の氏子であり若い衆がお御輿を担ぐのはいつも
やっていることです。協力しましょう」という快諾とともに、吉田青年会長はじめ四名の青
年を選んでいただきました。そして、8月17日の舞台稽古に若い衆を案内しました。その
とき、迎えていただいたのは秀太郎さんでした。「よく来た。待っていた。皆さん緊張して
いると思いますが、私の言うとおりにしていただければ心配ありません。ただし真面目に
やって下さい」という温かい言葉でした。舞台稽古の休憩のとき、仁左衛門さんは「皆さ
んご存知のようにお御輿を担いでくれる黒門の若い衆が来てくれました。自己紹介をし
てもらいましょう」との話しがあり、四人の自己紹介が終わったとたん、稽古場におられた
全員から大きな拍手が起りました。これで公演はきっと成功するだろうと、期待で嬉しさ
が込み上げてきました。
公演の前日、国立文楽劇場前で大入り祈願の式典を開催しました。高津神社から引
き出したお御輿を黒門市場や当会の若い衆が担ぎ公演を盛り上げたあと当会の小松
左京代表世話人は、「関西の文化を代表する歌舞伎を多くの人に知ってもらういい機会
です。一人でも多くご覧下さい」と挨拶。続いて片岡仁左衛門さん、布生黒門市場理事
長などのご挨拶がありました。
心配した自主公演は黒門市場の協力や、マスコミで大きく取り上げられ注目を集め、
初日から多くのお客様に駆けつけていただきました。連日、補助椅子が出たり満員札
止めの日が出るなど、公演が終わってみると、98・5%の入りという信じがたい大成功
となりました。また公演内容はビデオに収録され、後世に『夏祭浪花鑑』の大阪の型を
伝える貴重な記録となり、当会の事務所で大切に保存されています。
劇評では、次のように高い評価をしていただきました。「大阪の型といえば、かね太鼓
でにぎやかなだんじり囃子である。そのにぎやかさに一番乗っていたのが三婦の仁左
衛門。住吉鳥居前で自分の下帯をお囃子に合わせて髪結職人に引っ張りださせるあた
りなどは、そのもっともうれしい例で、表情一つにも、仁左衛門の派手でにぎやかな芸の
再現を見ることができた。高齢のうえ目も不自由であるのに衰えのない元気いっぱいの
舞台は、まさに奇跡としか言いようがない。とことんまで観客を楽しませようとする大阪
の芸の匂いがぷんぷんする芸である」、「団七を演じる我當は、大人のかわいらしさ稚
気のあるのが特色。体当たりで演じている誠実さが快い」、「女房お梶の秀太郎は、大
阪の女の形と心を余すところなく描く。ちょっとした物腰や捨てぜりふにまで自然ににじ
み出ていた。上方の女方芸をまじり気なしに見る思いがした」、「女房お辰は徳三郎。
美貌と華やかな芸風がこの役にはぴったりで、顔を火傷させてまで意地を通す心意気
を鮮やかに印象づける」、「普段はせりふもほとんどつかない腰元役の千次郎(現・上村
吉弥)が、こせこせしないおっとりした和事ぶりで目を見張らせた。千次郎の仲間たちも
檜舞台におくせず、いい成績をあげている。仁左衛門指導の若手勉強会「若鮎の会」
で精進してきた結実といえる」、「季節にも土地柄にも会った演目を役者の年齢とつりあ
いのとれた配役で見る楽しさ、しかも、ちょうどいい広さの満員の劇場で見る楽しさは格
別で、芝居を見る楽しさが、そこにあった。この楽しさは、関西で歌舞伎を育てる会と仁
左衛門を中心とする役者たちの関西の歌舞伎への熱いこころがもたらしたものだ」、
「関西で歌舞伎を育てる会の第一回自主公演、夏祭浪花鑑は予想をはるかに超える
成功をおさめ、育てる会は関西で歌舞伎を育てることから進んで、関西の歌舞伎を育
てることができた。熱さが暑さに勝った『夏祭』だった」と評価いただきました。
国立文楽劇場前での式典 高津神社のお御輿を担ぎ盛り上げる 釣舟三婦の仁左衛門さん
お梶の
秀太郎さん
釣舟三婦の仁左衛門さん、 団七の我當さん カーテンコールの手締め
お辰の徳三郎さん 義平次の芦燕さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 8
● 第六回公演(昭和59年6月)を開催
菊五郎さん、海老蔵さん顔合わせの魅力
関西で歌舞伎を育てる会の第六回公演は、尾上菊五郎さんと市川海老蔵さんという
若手の名コンビが顔を合わせ花形大歌舞伎として、昭和59年6月1日から25日まで中座
で開催されました。また公演は「大阪21世紀計画ミナミまつり84プレイベント」と位置づけ
されました。 出演者は、尾上菊五郎さん、市川海老蔵(現・市川團十郎)さん、坂東簑
助さん、坂東彦三郎さん、澤村藤十郎さん、尾上菊蔵さん、澤村昌之助さん、市村萬次
郎さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん、市川右之助さん、片岡十蔵(現・片岡市
蔵)さん、ほか。演目は、昼の部『神霊矢口渡』『身替座禅』『傾城反魂香』。夜の部『熊
谷陣屋』『供奴』『弁天娘女男白浪』。
恒例になった船乗り込みは、5月30日に実施され、俳優のほか、岸大阪府知事、西尾
大阪市助役、当会から小松・前川・海野代表世話人、松竹からは佐原常務など関係者
が揃いの浴衣で十隻の船に乗船。この日は日中の気温が28・7度まで上がり最高の暑
さを記録。まだ蒸し暑さが残る午後6時に大阪市役所中之島公園を出発、約1時間かけ
て道頓堀戎橋まで軽快なお囃子にのせて船が進みました。途中、今橋の上からは着物
姿の粋なファンから、ご祝儀の舞扇が船に投げ込まれるなど情緒も満点。大阪コクサイ
ホテル前や戎橋などでの口上には、来春、團十郎を襲名する海老蔵さんに向けて「十
二代目!」と声援。また、船乗り込み終了後、午後8時からの顔寄せと『供奴』の舞台稽
古を公開でご覧いただきました。
昼の部『身替座禅』は菊五郎さんの山陰右京、海老蔵さんの奥方玉の井で多いに笑
わせ。続いて『傾城反魂香』では不遇の夫浮世叉平を海老蔵さん、かいがいしい妻を菊
五郎さんと、役柄をとり替えて顔合わせの楽しさを存分に見せました。絵師・叉平の海老
蔵さんは、汗にまみれた顔に人柄がそのままにじみ出た見事さ。菊五郎さんは夫へのい
たわりをみせ美しい夫婦像を演じました。
夜の部『弁天娘女男白浪』。弁天小僧は菊五郎さんの日本一の当たり役、江戸前の
さわやかで威勢のいい小悪党の魅力で引きつけ、最高に絵になる顔をもつ弁天小僧菊
之助。海老蔵さんの日本駄右衛門、彦三郎さんの南郷力丸、萬次郎さんの赤星十三郎、
八十助さんの忠信利平という五人による稲瀬川勢揃の場は理屈抜きに楽しませてくれ
ました。
中日の13日午後5時30分から、道頓堀ホリデーイン南海において「当会員と出演者
との交流パーティ」を開催しました。
今回から関西で歌舞伎を育てる会として、優秀な演技を披露された俳優に「演技賞」
と「努力賞」を出すことになり、演劇評論家や演劇担当記者の方々に選考をお願いしま
した。この結果、第一回の受賞者は「演技賞」に坂東八十助さん、「努力賞」に尾上菊
十郎さんと決まり、千穐楽のカーテンコールで俳優の方への花束贈呈とともに、表彰状
と副賞が贈られました。恒例となった1人暮らしの在宅老人や身体障害者の方、270人
をご招待しました。また、公演を盛り上げるため大阪民労協に加盟する労働組合により、
地下鉄淀屋橋駅などで公演のPRチラシ配布なども実施しました。
「当会員との交流パーティ」 「身替座禅」の菊五郎さんと 「弁天娘女男白浪」の 「供奴」の八十助さん
海老蔵さん 菊五郎さん
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関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 7
● 第五回公演(昭和58年6月)を開催 中座創建330年に因み
中村吉右衛門さんの迫真力ある俊寛
関西で歌舞伎を育てる会の第五回公演は、昭和58年6月2日から26日まで中座で開
催されました。出演者は、中村扇雀(現・坂田藤十郎)さん、中村吉右衛門さん、坂東
簑助さん、澤村藤十郎さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん中村芝雀さん、中村
児太郎(現・中村福助)さん、中村智太郎(現・中村翫雀)さん、中村浩太郎(現・中村
扇雀)さん、中村橋之助さん、ほか。演目は、昼の部『舌出三番叟』『俊寛』『椀久末松
山』。夜の部『野崎村『』『鷺娘』『河内山』。第一回からの『歌舞伎のみかた』は、所期の
目的を達成したとの考えで省き、昼夜六本の狂言を上演しました。また公演は「大阪築
城400年まつり協賛」「中座創建330年」に因んで開催されました。
恒例になった船乗り込みは、5月31日に実施され、俳優のほか、岸大阪府知事、大島
大阪市長、当会から高畑・海野代表世話人、松竹からは永山副社長など関係者が今回
から揃いの浴衣で乗船。十隻の船がスタートすると、中座の創建を祝って、五色の煙り
を出す300発の花火が打ち上げられました。また今回は出発時刻を午後6時の夕刻とし、
道頓堀に到着するときは華やかなネオンと幟が川面に映り、鈴なりの橋からは「成駒屋」
「播磨屋」の掛け声がビルにこだましました。
昼の部『俊寛』は吉右衛門さんの俊寛と瀬尾(簑助さん)との敵対する立ち回りは迫真
力があり、クライマックスの幕切れは孤独感をにじませ、役柄を深く読み取る吉右衛門さ
んの独壇場となり、昼夜を通して最高と評されました。『椀久末松山』は、上方和事を得
意とする成駒屋のお家芸。酒を無理強いされる場面が見もので、久兵衛を演じる扇雀さ
んは、色気ある二枚目ぶりを堪能させながら、見事な写実芸を披露され亡父・二世鴈治
郎を追悼されました。夜の部『野崎村』は、藤十郎さんのお光の愛らしさ、久作の簑助さ
んは父親の愛情を、お常の扇雀さんが母親の気配りを見せました。『河内山』は、吉右
衛門さんの科白に江戸の生世話物のいなせな味があふれて気分爽快。
中日の14日には「ファンと集う歌舞伎まつり」が5時30分から開催されました。内容は、
澤村藤十郎さんなどの長唄「たぬき会 長唄越後獅子」「出演俳優による模擬店」片岡
仁左衛門さん、中村扇雀さん、桂米朝さんによる「故中村鴈治郎を偲ぶ座談会」坂東簑
助さん、三林京子さん(賛助出演)サミー・ラスムッセンさん(賛助出演)などによる愉快
な「滑稽俄安宅新関」(おどけにわかあたかのしんせき)が演じられ俳優とファンの楽し
い交流となりました。
また当会として裏方さんに感謝するため、23日の終演後「裏方さんが楽しんでいただ
くカラオケ大会」を実施し、岸知事などから数多くの賞品が寄せられて大いに盛り上がり
ました。さらに1人暮らしの在宅老人300人と身体障害者の方をご家族とともに招待し御
礼の手紙をいただきました。
「俊寛」の吉右衛門さん 「椀久末松山」の扇雀さん 「野崎村」の藤十郎さん 「舌出三番叟」の八十助さんと芝雀さん
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(平成21年5月号掲載)
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 6
●結成第四回公演(昭和57年6月)を開催
片岡孝夫さんが第一回眞山青果賞を受賞
関西で歌舞伎を育てる会の第四回公演は、昭和57年6月2日から25日まで中座で開
催されました。出演者は、中村扇雀(現・坂田藤十郎)さん、中村富十郎さん、片岡孝夫
(現・片岡仁左衛門)さん、市川左團次さん、澤村藤十郎さん、中村東蔵さん、坂東八十
助(現・坂東三津五郎)さん、中村智太郎(現・中村翫雀)さん、ほか。演目は、昼の部
『歌舞伎の魅力』『御浜御殿』『枕獅子』。夜の部『寺子屋』『棒しばり』『葛の葉』。『歌舞
伎のみかた』は、さらに深く歌舞伎を理解してもらいたいとの願いを込め『歌舞伎の魅力』
と改め、演技を助ける大道具(舞台装置)の仕掛けを藤十郎さんと八十助さんが解説され
ました。
公演前の4月26日、大阪コクサイホテルで、中村扇雀さん、中村富十郎さん、澤村藤十
郎さん、中村智太郎さん、当会からは海野代表世話人と麻埜専務理事、松竹からは茂
木取締役が出席され製作発表が行われ、扇雀さんは「『寺子屋』では、祖父の当たり芸
の源蔵役を勉強していきたい」と話されました。また、『棒しばり』の次郎冠者に出演され
る富十郎さんは、「二年前に尾上辰之助に教わり松緑兄さんに仕上げをしてもらいました。
勉強できる機会を得て嬉しい」と話されました。
製作発表後、俳優と当会員によるチャリティパーティが開催され、俳優から提供された
品物や色紙などのバザーの収益金をもとに1人暮らしの在宅老人、312名を中座にご招
待しました。
昼の部の『御浜御殿』は眞山青果の代表作であり、赤穂浪士に討ち入りの覚悟がある
のかどうか、これを問う綱豊卿の孝夫さんと隠し通そうとする助石衛門の富十郎さんの対
決に緊迫感がみなぎりました。孝夫さんは容姿にも王者の風格が備わった当代一の綱
豊であると評され、眞山美保さんから孝夫さんに第一回眞山青果賞が贈られました。
『枕獅子』は扇雀さん、八十助さん、智太郎さんの舞踊。扇雀さんの傾城弥生が艶やか
な姿を見せ、最後は勇壮に舞い納めました。
夜の部の『寺子屋』では孝夫さんの松王丸が見るたびごとに大きさが増すと評される
とともに、源蔵に初役の扇雀さんは鍛え上げた写実芸がひときわ光り、充実した舞台と
なりました。
『棒しばり』は踊りの名人、富十郎さんの次郎冠者が絶品で、孝夫さんの主人と八十
助さんの太郎冠者とともに大いに笑わせ、『葛の葉』は扇雀さんが葛の葉姫と女房の二
役早替わりで場内をわかせました。
また、この公演から「大阪21世紀計画」の協賛となり、公演の英文パンフレット(番附)
も制作されました。
「御浜御殿」の富十郎さんと孝夫さん 「寺子屋」の孝夫さん 「棒しばり」の富十郎さんと 「葛の葉」の扇雀さん
八十助さん
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(平成21年4月号掲載)
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 5
●京都第二回公演(昭和56年9月)を開催
八坂神社で大入り祈願奉納舞
関西で歌舞伎を育てる会の京都第二回公演は、昭和56年9月3日から27日まで南座で開催さ
れました。出演者は、實川延若さん、中村雀右衛門さん、尾上辰之助さん、片岡我當さん、澤村
藤十郎さん。演目は、昼の部『歌舞伎の魅力』『土蜘』『女殺油地獄』。夜の部『女鳴神』『藤娘』
『まかしょ』『名月八幡祭』。昼の部の『歌舞伎の魅力』は、いままでの『歌舞伎のみかた』を発展
させ、義太夫、長唄、常磐津の違いを、演奏を通して解説するものを取り入れました。
公演前の8月11日、京都ロイヤルホテルで實川延若さん、中村雀右衛門さん、片岡我當さん、
澤村藤十郎さん。当会からは高畑代表世話人と麻埜専務理事、松竹からは加藤取締役が出席
され製作発表が行われました。延若さんは「『女殺油地獄』の与兵衛を演じますが、この狂言は
父親の先代延若が明治末期に復活した、いわばお家芸です。関西で歌舞伎を育てる会には初
出演で勝手がわかりませんが、ただ、ただ、一生懸命にやらせていただきます。」と控え目なが
ら、自信に満ちた表情でご挨拶されました。相手役のお吉を演じる雀右衛門さんは、「テレビでは
経験がありますが舞台では初めてです。『土蜘』の頼光も初めてで、久しぶりの関西で初役ぞろ
いです。」と話されました。
製作発表後、チャリティパーティが開催され、当会員と俳優との和やかな懇談が続きました。さ
らに、公演を盛り上げるため9月1日、八坂神社の本殿前で大入り祈願の式典が開催されました。
境内の舞殿で出演者の挨拶の後、雀右衛門さんの静御前、藤十郎さんの義経で『弥栄洛風流』
(いやさかえみやこふうりゅう)が舞われ、その後、南座までのお練りで公演を盛り上げました。
『女殺油地獄』の与兵衛で延若さんは、油まみれの殺しもなまなましく、昼の部一番の見ものと
評判を呼びました。夜の部『女鳴神』では、藤十郎さんの鳴神尼、我當さんの絶間之助の美声、
一巴太夫さん、都喜蔵さんなどによる常磐津連中の厚味のあるきれいな響き。幕切れの押戻し
で辰之助さんが登場。豪華さが倍増の舞台となりました。
年末の顔見世は盛況であるが、他の月の歌舞伎公演が少ないという現状を改めるため、川島
事務局長は毎日、大阪から京都へ行き経済界や企業など関係先を訪問し、歌舞伎発祥の地で
ある京都で、もっと歌舞伎を盛んにしたいと訴えました。しかしながら京都では、大阪のような協
力や盛り上がりも少なく、大阪では連日大入りつづきの実績を上げつつも、京都ではなかなか
思うように行きませんでした。このため、残念ではありますが、第二回で京都公演を中止せざる
をえませんでした。
「弥栄洛風流」を 舞う雀右衛門さんの静御前、 「女殺油地獄」与兵衛の 「土蜘」土蜘の精の辰之助さん
藤十郎さんの義経 延若さん
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(平成21年3月号掲載)
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 4
●結成第三回公演(昭和56年6月)も成功裡に・・・
梅幸さん57年ぶりの中座
関西で歌舞伎を育てる会の第三回公演は、昭和56年6月4日から28日まで中座で開催されま
した。出演者は、尾上梅幸さん、中村扇雀(現・坂田藤十郎)さん、尾上菊五郎さん、坂東簑助さ
ん、片岡我當さん、澤村藤十郎さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん。この年から『歌舞伎
のみかた』は、昼の部のみとし、夜の部は『歌舞伎のみかた』を卒業した人たちの為の番組とな
りました。演目は、昼の部、『歌舞伎のみかた』『男女道成寺』『封印切』。夜の部『番町皿屋敷』
『三人吉三巴白波」』『連獅子』。17日より昼夜演目を入れ替えて催されました。また、仕事をされ
ている方に配慮し、水曜・金曜日は昼の部午後1時開演、夜の部午後6時15分開演としました。
公演前の4月27日、大阪コクサイホテルで岸大阪府知事、高畑・小松・海野代表世話人、永山
松竹副社長、尾上梅幸さん、中村扇雀さん、尾上菊五郎さん、坂東簑助さん、澤村藤十郎さん、
坂東八十助さんが出席され製作発表が行われました。梅幸さんは「中座出演は大正12年9月以
来57年ぶりで、本当に懐かしい思いで一杯です」と語り、菊五郎さんも「初参加ですが、役者とし
ての熱意を力一杯ぶつけます」とご挨拶されました。
製作発表後、第二回チャリティパーティが開催され、俳優と当会員との和やかな懇談が続きま
した。パーティの収益金をもとに、1人暮らしの在宅老人、308名を中座にご招待しました。
関西で歌舞伎を育てる会の公演も3年目となり、徐々に定着し始め、初日から多くのお客様がお
越しになりました。『歌舞伎のみかた』は、八十助さんのさわやかな解説で、立ちまわりの型と殺
しの演技を見せた後、観客参加による花道の引っ込みの演技指導。和気あいあいとした楽しいも
のとなりました。そして『男女道成寺』は、梅幸・菊五郎親子で魅せる。梅幸さんは格調のある、そ
して変化の面白味もある見事な踊りで満足させてくれました。『封印切』は、忠兵衛を扇雀、八右
衛門を我當、梅川を藤十郎、おえんを徳三郎と、配役も粒ぞろいで、上方世話物の本当の楽しさ
を味わうことができると評判でした。簑助・八十助親子の『連獅子』は、生気に満ちた踊りに思わ
ず身を乗りださせる程で、毛を振り合う獅子の姿は、拍手、拍手、また拍手と、場内が拍手で包
まれ、第三回公演も成功の内に千穐楽を迎えました。
千穐楽には、岸知事ご夫妻もご出席されカーテンコールを行いました。舞台下のお客様から俳
優に花束が贈られ交流の輪が広がりました。また、当時の一等席は5000円(第1回公演は、38
00円)であり、当会では3900円の斡旋でした。また学生一等席3900円、同二等席3000円という
時代でした。
「男女道成寺」の梅幸さんと菊五郎さん 「封印切」の扇雀さんと我當さん
「連獅子」の簑助さんと 岸知事ご夫妻も出席され、カーテンコール
八十助さん
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(平成21年2月号掲載)
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 3
●京都第一回公演(昭和55年9月)を開催
歌舞伎発祥380年祭、念仏踊りを再現
関西で歌舞伎を育てる会の京都第一回公演は、昭和55年9月3日から22日まで南座で開催
されました。歌舞伎発祥の地である京都に於いて、顔見世以外の歌舞伎公演が少なくなってい
くのは寂しい。京都でも大阪の朝日座や中座のようなユニークな公演をやってほしい・・という多
くの声に応えて開催されました。出演者は、二代目中村鴈治郎さん、中村扇雀(現・坂田藤十
郎)さん、市川海老蔵(現・市川團十郎)さん、澤村藤十郎さん、市川左團次さん、坂東八十助
(現・坂東三津五郎)さん、中村智太郎(現・中村翫雀)さん。演目は、昼の部、『歌舞伎のみか
た』『鳴神』『伊勢音頭恋寝刃』。夜の部『歌舞伎のみかた』『十六夜清心』『於染久松色讀販』
8月6日、京都ロイヤルホテルで製作発表が行われました。鴈治郎さんは、「南座は5歳で初
舞台を踏んだところ。京都生まれとしても、この公演はぜひとも成功させなければ」とご挨拶さ
れました。また、扇雀さんは、「関西では歌舞伎公演が少なくなりました。これを機に大いに盛
り上げたい」と抱負を語られました。
今回の話題は、なんといっても公演前に行う「歌舞伎発祥380年祭念仏踊り」です。380年前、
出雲の阿国が四条河原で踊ったと言われる念仏踊りを再現しようという企画であり、大阪での
船乗り込みにかわる催しです。
9月1日(月)、念仏踊りが伝わる六波羅密寺の空也上人像にお参り。同寺の六斎念仏の一
行20人が鉦、鼓を鳴らしながら四条大橋北詰の特設舞台までお練りし、六斎念仏踊りを披露
しました。式典では、林田京都府知事、木下京都市助役、小松左京代表世話人、俳優の挨拶
があり、来賓の井上八千代(四世)さんら大勢のファンが見守る中、阿国に扮した澤村藤十郎
さんが登場。黒塗りの笠、当時を思い起こさせる元禄風の着物、数珠とまが玉を首に掛けた藤
十郎さんは、歌舞伎復興の情熱を心に阿国を華やかに再現されました。
公演は、『伊勢音頭恋寝刃』で扇雀さんが初役の貢を鴈治郎さんゆずりの型の和事で演じ、
場内をやわらかな上方の空気で包むとともに、鴈治郎さんの憎憎しい万野は、天下一品と評
されました。『於染久松色讀販』では、扇雀さんが五役を早替わりで披露、鴈治郎さん、智太
郎さん親子三代水入らずのくだりでは、親近感あふれる温かい拍手がわきました。
左より、坂東八十助さん、市川左團次さん、澤村藤十郎さん 製作発表の後、当会員となごやかなチャリティパーティ
市川海老蔵さん、中村扇雀さん、中村鴈治郎さん、
高畑代表世話人、松竹加藤取締役
380年ぶりに再現した 「伊勢音頭恋寝刃」の
阿国の念仏踊り(藤十郎さん) 中村鴈治郎さんと扇雀さん
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(平成21年1月号掲載)
関西・歌舞伎を愛する会〜30年の歩み〜 2
●結成第二回公演(昭和55年6月)も成功裡に開催
二代目中村鴈治郎さんの、ちょいのせが大うけ
関西で歌舞伎を育てる会の第二回公演は、中座に場所を移し昭和55年6月1日から25日まで
開催されました。出演者は、二代目中村鴈治郎さん、市川海老蔵(現・市川團十郎)さん、片岡
孝夫(現・片岡仁左衛門)さん、澤村藤十郎さん、坂東八十助(現・坂東三津五郎)さん。演目は、
昼の部、『歌舞伎のみかた』『鳥辺山心中』『新版色讀販 ちょいのせ』。夜の部『歌舞伎のみか
た』『与話情浮名横櫛』『釣女』。
公演前の4月30日、大阪コクサイホテルで制作発表が行われました。出席者は、岸大阪府知事、
大島大阪市長、高畑・小松・海野代表世話人、永山松竹副社長、二代目中村鴈治郎さん、片岡
孝夫さん、澤村藤十郎さん、坂東八十助さん。出席者の顔ぶれを見ても、歌舞伎復興に掛ける意
気込みが伝わってきます。冒頭、岸知事は、「昨年の結成公演で観客を馬に乗せるなど新しい企
画が成功し、歌舞伎を大衆に再認識させた功績は大きい。関西で歌舞伎を育てる会は、大阪の
文化活動の中で一番と言っていいほど大きな成果を上げている団体です・・・」、とご挨拶されまし
た。
公演が始まると、連日大変な人気で、関西での歌舞伎復興が一段と盛り上がりました。中でも、
『ちょいのせ』で番頭善六を演じる鴈治郎さんは、上方独特のチャリ味を堪能させアドリブを連発。
続いて夜の部『釣女』の醜女は絶品と言われました。『鳥辺山心中』で半九郎の孝夫さんは、持ち
前の口跡で名調子をうたいあげ、藤十郎さんのお染とともに二人は絵のような美しさを漂わせ、第
二回公演は、結成公演と同様に成功裡に終わりました。各新聞は、新歌舞伎、義太夫狂言、生世
話、松羽目物と様式に富み、しかも上方色を加えて工夫と努力の跡が伺えた。実験精神が活力
を生み出し、歌舞伎を少しでも広めたい、深めたいという意欲に満ちあふれた舞台だったと高く評
価されました。
公演は当会でビデオ収録をしており貴重な記録となりました。また1人暮らしの在宅老人と障害
者の方、250人をご招待し、たいへん喜ばれるとともに感謝状をいただきました。
左より、片岡孝夫さん、二代目中村鴈治郎さん チャリティパーティでご挨拶される
永山副社長、岸知事、大島市長 二代目中村鴈治郎さん
「ちょいのせ」の二代目中村鴈治郎さんと 「鳥辺山心中」の片岡孝夫さん
澤村藤十郎さん
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(平成20年12月号掲載)
●関西・歌舞伎を愛する会は、結成30年を迎えました。
ご支援ご協力に心から御礼申し上げます。
関西歌舞伎を愛する会は、今年12月20日で結成30年を迎えました。今日まで暖かいご支
援ご協力を頂きました会員の皆様、俳優の方々、松竹関係者、各種団体、世話人の方々に心
から厚く御礼申し上げます。
ここでどのような経過があって当会が結成されたのかを振り返ってみたいと思います。昭和52
年の秋、高畑敬一前代表世話人(大阪地方民間労働組合協議会=大阪民労協代表世話人)
に一本の電話が入りました。高畑さんの友人、明石友成さんからで「澤村藤十郎さんと一杯や
りながら小唄でも唄いませんか」という内容であり、この電話が後に当会を誕生させるきっかけ
となりました。楽しい盃が進むにつれ話題は歌舞伎に。藤十郎さんは、「5月に兄の宗十郎と新
歌舞伎座で襲名公演をしたが散々でした。そして大阪の顔見世も中止になってしまった。悔し
いし責任を感じています。なんとかして大阪で歌舞伎を復興させたい。高畑さん協力して頂け
ませんか・・・」という訴えに近い話しであった。
藤十郎さんの歌舞伎に対する情熱は高畑さんの心を動かすとともに、歌舞伎が好きだったこ
ともあり、なんとかしようという返事で場は盛り上がった。東京へ帰った藤十郎さんは、すぐにこ
のことを松竹の永山武臣副社長(後に、松竹会長となられ、平成18年12月ご逝去)に伝えると、
永山副社長より、一度高畑さんに会いたいとの話があり、高畑さんは明石さんとともに松竹本
社を訪ねることになりました。永山副社長から出た話は「興行責任は松竹が持つので、精一杯
切符を売り、観客動員をしてほしい。演目や役者はそちらの要望を極力取り入れ料金も安くする。
大阪で歌舞伎が息を吹き返すかどうか、松竹として最後の賭けを貴方がたにしてみたい・・・」
と言うものでした。帰阪すると高畑さんから、「川島事務局長、歌舞伎復興をやろう。急いで趣
意書、会則、活動内容などを作って関係先を回ってほしい」という話があった。出来上がった資
料を持って連日、各種団体を訪問する川島さんに対し、何処へ行っても「素晴らしいことだ大い
にやろうという話で快諾を頂いた。
大阪民労協の総会には澤村藤十郎さんも駆けつけ挨拶をされた。労働組合の総会に歌舞伎俳
優が出席するのは初めてであり、藤十郎さんの熱意に大きな拍手が寄せられた。
昭和53年12月20日、結成の記者発表は中村勘三郎さん(十七代目)、澤村藤十郎さん、永山
武臣松竹副社長、大島靖大阪市長、小松左京代表世話人、高畑敬一代表世話人が出席し内
容は翌日の新聞に大きく報道された。高畑代表世話人は、会の名称を、関西で歌舞伎を育てる
会とした理由を次のように説明した。「関西歌舞伎を育てる会としないで関西で歌舞伎を育てる
会とし「で」を入れたのは、この会は上方(関西)歌舞伎だけを育てる会ではなく、歌舞伎そのも
の(南座顔見世公演以外の公演)がされなくなっているので、江戸、上方を問わず歌舞伎が関
西で何回も公演されるように育てていこう、それが先決であるとの趣旨からである。もちろん歌
舞伎ファンが育って大阪で歌舞伎公演が増えたら、上方歌舞伎の興隆にも力を入れて行こうと
言うものであった。その後、平成4年に関西・歌舞伎を愛する会と名称変更。このように、「関西」
と「歌舞伎」の間に中点「・」を入れたのも、「で」を入れた同様の理由からであり、また、もうひと
つの理由として、「関西」の部分を変えるだけで、関西だけでなく、ほかの地域にもこのような会
を作る事ができる、と歌舞伎の発展を願った永山会長の意志が込められたものである。
左より、大島大阪市長、小松・高畑代表世話人、 55年ぶりの船乗り込み、松竹 永山副社長の挨拶
藤十郎さん、十七代目勘三郎さん、永山副社長、
永田さん(昭和53年12月20日)
結成第一回公演は、翌年(昭和54年)の5月、朝日座で開催され、公演前の5月2日には、澤
村藤十郎さんの発案で55年ぶりという古式ゆかしい船乗り込みを行い公演を盛り上げた。第一
回公演の出演者は、中村勘三郎さん、中村富十郎さん、澤村藤十郎さん、尾上菊次郎さん、中
村勘九郎さん、坂東八十助さん。演目は、『歌舞伎のみかた』、『茶壷』、『人情噺文七元結』、
『野崎村』、『身替座禅』。一等席は三、八〇〇円であった。公演が始まると連日大勢のお客様
が朝日座に来場下さり、歌舞伎のみかは好評を博し、観客が舞台に上がっての馬乗りは評判
を呼んだ。歌舞伎のみかたは、澤村藤十郎さん、中村勘九郎さん、坂東八十助さんが交替で
名解説をされ、歌舞伎を初めて見たというサラリーマンに理解が深まった。公演は大成功を収
め歌舞伎復興という活動は好スタートを切ることができた。俳優の方々、松竹関係者、そして
当会が一体となり、何としてでもお客様に歌舞伎を見て頂こう、歌舞伎をもっと盛んにしようと
いう熱意が溢れた興行であった。
以上が結成第一回公演までの概要です。
岸知事、大島市長、十七代目 中座前で新国劇の皆さんによる、お出迎え 朝日座前で文楽人形から鍵渡し
勘三郎さんがお練り
歌舞伎のみかたと、評判を呼んだ馬乗り 身替座禅、右京 野崎村、久松(富十郎)、お光
(十七代目勘三郎) (藤十郎)、久作(菊次郎)
松竹関係者は、「これまで松竹も努力してきたが、どうしても若い方を劇場に呼ぶ事ができな
かった。それを皆さんがして下さった。そして歌舞伎に対する市民の関心を高めて頂いた事を見
て、歌舞伎は再生の可能性があると教えて頂いた。大阪で歌舞伎公演が出来るのは、本当に
関西で歌舞伎を育てる会を作って頂いたお陰です。」とおっしゃったのが印象的でした。 この他、
昭和61年8月、国立文楽劇場で開催した、自主公演『夏祭浪花鑑』は、十三代目片岡仁左衛門
さん、片岡我當さん、片岡秀太郎さんにご出演頂きました。片岡仁左衛門さんは、「こんな嬉しい
公演はありません。『夏祭浪花鑑』は昭和37年に演じて以来途絶えたままになっている。この公
演を通じてしっかりと『泥えのぐの味』上方の型を伝えて行きたい」と述べられました。そして、黒
門市場の若衆が舞台で一緒に御神輿を担ぐなど評判を呼び、大入り満員となったのも懐かしい
出来事です。
自主公演、国立文楽劇場前での式典 釣舟三婦 団七(我當)
(十三代目仁左衛門) 義平次(芦燕
小松左京前代表世話人は、「財政の厳しいボランティア団体でありながら、よく30年も続いたも
のだ」と言われる。ある演劇記者は、「大阪の財界が上方歌舞伎を励ます会を作ったがパーティ
だけで終わってしまった。とにかく地道でいいから長続きする会にしてほしい」という記事を書か
れた。「創業は易く守成は難し」という言葉がありますが、どんなことがあっても会の活動は継続
するという固い信念で進めてきました。今、30年を振り返ると長かったようで、あっという間の出
来事であったと思います。
澤村藤十郎さんの歌舞伎復興に対する情熱と行動力がなければ、今の関西・歌舞伎を愛する
会は存在しなかったと言えます。関西で歌舞伎を育てる会の発足を見つめなおして、あらためて
澤村藤十郎さんに感謝するとともに、一日も早い舞台復帰を心から祈念申し上げます。
関西のどこかで毎月のように歌舞伎がかかっているようになりたい、という夢はまだまだ実現
できていません。結成30年を機に、結成時の初心を忘れず、これからも多くの方々のご支援ご協
力を得て、活動を進めて行きたいと新たな決意をしているところです。皆様方には、引き続きまし
てご支援ご協力を頂きますようお願い申し上げます。
最後に歌舞伎復興に一緒に汗を流し、ご尽力を頂いた、麻埜四郎専務理事、明石友成世話人
が鬼籍に入られました。ご活躍に心からの感謝と、ご冥福をお祈り申し上げます。
