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〜「底が突き抜けた」時代の歩き方〜

「よど号」グループのあしたのジョー≠ヘ、
 どこで灰になってしまったのか


 70年3月31日、日航機「よど号」をハイジャックした「赤軍派」9人の日本人の若者は4月3日、平壌に降り立った。彼らは何のために北朝鮮に行ったのか。彼らの当初の行き先は中国かキューバであった。しかし、中国はどうも受け入れてくれそうになかったし、キューバまで行くには遠すぎ、途中の給油時に逮捕される確率が高かったので、一番近い北朝鮮が浮上してきたのだ。メンバーの中には北朝鮮に関する知識のない者もおり、金日成の主体思想に共鳴しているわけではけっしてなかった。「われわれは、あしたのジョーである」と出発宣言の文章に記したグループリーダーの田宮高麿(95年11月死去)が関係者に、「われわれは、国際根拠地論の路線に従って、北朝鮮に行き、金日成をオルグする」といっていたように、もちろん、「亡命」するつもりはなく、北朝鮮で「軍事訓練」を受けさせてもらう程度の考えであったが、オルグされたのは彼らであった。仮に彼らが自分たちのイデオロギーと掛け離れた国であることにすぐに気づいても、金日成の懐に飛び込んだ以上は、金体制の掌の上で踊るよりほかに途はなかった。
 ハイジャックして平壌の美林空港に到着したその日から、彼らは破格の待遇を受け、70年当時最も格式が高かった平壌ホテルで数週間過ごし、労働党の招待所に移った。その後最高級アパートに住み、彼らの事務所のためにビルまで建ててもらう厚遇ぶりであった。経済が破綻し、食糧難が進行する中でも生活は労働党幹部よりもぜいたくで、ベンツに乗り、一般には口に入らないコメや肉を存分に食らう日々を過ごしていた。なぜそこまで北朝鮮は彼らに気を使ったのか。それは、彼らが金日成父子に忠誠を誓う日本人であり、主体思想で日本革命を遂行する「金の卵」にほかならなかったからだ。連日、主体思想を徹底的に注入されたグループは金日成に忠誠を誓う手紙を書き、朝鮮労働党に集団入党したいと申し出ると、72年5月6日、金日成はグループに初めて「接見」し、主体思想に基づく「日本革命をすべきだ」と「教示」(命令)した。一年後の73年5月6日、金日成はグループに対して「5・6教示」といわれる「日本革命テーゼ(運動方針)」を示し、グループは「自主革命党」を結成することになった。
 その頃はちょうど金日成から金正日への権力委譲期に当たり、「代を継いで革命を完成する」というスローガンがしきりに連呼された時期であった。北朝鮮からすれば「よど号」グループは、資本主義社会で育った若者でも徹底的に教育すると、主体思想の革命家になれることの見事な実例であった。この実例から北朝鮮は主体思想が世界に通用すると思い込んだにちがいない。それは拉致の対象が日本人や韓国人ばかりでなく、レバノン人や南米人など多岐にわたっていることからも推測される。北朝鮮はもちろん、ここでも勘違いしていたのだ。問題は自由意思で主体思想を選択するようになるかどうかであるのに、選択不可能な状況下では人は誰でも生きていくために、どんな馬鹿げた思想でも行為でも受け入れていくようになるということが北朝鮮にはわかっていなかった。世界が北朝鮮化すれば世界中の人々が主体思想の持ち主になるかもしれないが、主体思想が世界に通用する思想として世界が北朝鮮化することになるのとはそれは全く別の妄想であった。
「よど号」グループの見事な変身に北朝鮮が世界に通用する主体思想を見て取ったとすれば、その対極に今回の5人の拉致帰国者たちの変身が置かれているようにみえる。「よど号」グループをも虜にしてしまうほどに主体思想が世界に通用するものであるなら、今回の拉致帰国者たちに24年もの間刷り込まれてきた主体思想はそう簡単に彼らの心身から離れ去る筈がないからだ。しかし、主体思想を体現している筈の彼らが日本で過ごすうちに揺らぐとなれば、主体思想なるものは北朝鮮の国内に閉じ込められることによってしか効力を発揮できないローカルな思想ということになる。もし北朝鮮が主体思想から離れようとする彼らの動揺を日本国による洗脳とみなすなら、主体思想もまた、北朝鮮の洗脳の効果にほかならないことを逆に照らしだしていたのだ。
「代を継いで革命を完成する」という金父子体制を貫くスローガンは当然「よど号」グループの革命精神をも貫き、「代を継いで日本革命を行う」というスローガンとして、グループを家族形成のための妻の獲得作戦へと駆り立てていくことになった。日本革命は子供たちが「代を継いで」担ってくれるという見通しであった。主体思想が「代を継いで」日本革命を行うという妄想が北朝鮮とグループの間に宿ったとき、結婚作戦はやがて仲間づくりのための日本人拉致作戦のかたちをとっていく。現代コリア研究所長の佐藤勝巳(『正論』02・4)によれば、拉致の方法は次の4通りである。
@工作船で暴力的に日本人を拉致する。
A成田から北京、平壌と航空機を使用する。日本から日本人技術者を連行する場合、このコースを使用していると推定される。
Bヨーロッパ旅行中の日本人を北朝鮮につれていく。神戸市の有本恵子さんなどがこのケースで、モスクワ経由が多いと推定されている。
Cレバノンなどその他の国からの拉致は、モスクワ経由でピョンヤンに連行している。
 以上は具体的な拉致方法であるが、現在日本で問題になっている拉致事件は@とBである。@は南北統一のための工作員養成の補助要員としての拉致であり、「よど号」グループは直接的には関与していないとみられる。グループが関与していたのはBで、日本革命の同志づくりのために日本人の若い男女が拉致されたのである。しかし、@の場合でも横田めぐみさんを除いて、78年に連続して拉致されたのは若い男女のアベックであり、「代を継いで」というスローガンが貫かれているのがわかる。つまり、「よど号」グループの関与した拉致事件は「代を継いで日本革命を行う」という目的が明確であったのに対して、工作員が暴力的に拉致した若い男女のアベックにも「代を継いで」のスローガンが貫かれているのがみられる。現に蓮池さん、地村さん夫妻は家族をつくって北朝鮮人になりきっていた。
「よど号」グループが直接的には関与していない北の工作員による日本人拉致事件で、誰もが首を傾げて理解に苦しんだのは、「結局のところ北朝鮮は何のために日本人を拉致したのか?」という点である。日本や韓国で破壊活動を行うスパイ養成のための日本語教育や日本式作法を施す日本人の必要性、という理由だけでは大半の人が納得しなかった。アベック拉致であれば尚更であった。ここで改めて想い起こされるのは、本来は迷惑な存在である「よど号」グループを主体思想で日本革命を行う「金の卵」として、金日成が両手を広げて迎え入れたという事実である。スターリンにとって金日成自身がスターリニズムで北朝鮮を統治支配した「金の卵」であっただろうように、金日成もまた、グループを「金の卵」として大事に育てようとしたのだ。
 金日成にとって、すべての課題が「代を継いで革命を完成する」というスローガンに収斂していくものであったにちがいないし、その革命はなによりもまずは自らの手による朝鮮半島の統一であった。ところが、韓国は日韓米の強固なブロックの形成によって固く守られており、そのブロックを突き崩さないことには朝鮮戦争の二の舞になるのは明らかであった。地政学的にいえば、南北統一の鍵を握っているのは日本であった。その日本から日本革命の志を抱いている若者たちがこちらに勢いよく飛び込んできてくれたのであるから、朝鮮半島の統一に重なる日本革命の幻想に一気に火がついてしまったといえよう。どこからみても「よど号」グループが「金の卵」などである筈がないのに、金日成の行き詰まっていた革命図式に風穴を開けてくれる「金の卵」としてどうしても映ったのだ。金日成の革命妄想にグループの革命妄想が火をつけ、手を結び合った革命妄想が精力的に動き始めることになったのである。
 工作員による日本人拉致も紛れもなく、彼らの革命妄想戦略の一環にほかならなかった。グループはグループで別の拉致のかたちをとった仲間づくりに勤しみ、工作員による日本人拉致とは全く別個のようにみえていたし、蓮池さんたちも「よど号」グループとは異なるかたちで「代を継いで日本革命を行う」工作活動に従事していたと考えられる。単なる日本語や日本式作法を教える指導員として拉致された筈がなかった。そうしたことにも従事しながら、根底のところでは蓮池さんたちも「よど号」グループと同様に主体思想を徹底的に注入されて、来たるべき日本革命を担う積極的な役割を背負わされていたにちがいない。たぶん現段階では蓮池さんたちは「よど号」グループとの接触はなかっただろうが、時期が来さえすれば結集する予定であったとみなされる。
 ところで、「よど号」グループの結婚作戦は最初の日本人拉致事件と判断されるけれども、東大全共闘時代の恋人がピョンヤン入りしたり、あるいは日本にある「主体思想研究会」などの女性メンバーを北朝鮮留学などと偽って北朝鮮に渡航させたりしているために、体裁としては拉致事件としては取り扱われていない。たとえば、グループの妻の一人である八尾恵(47)は自分のケースについてこう語っている。55年生まれの彼女は77年3月初旬、友だちの在日朝鮮人を介して知り合った朝鮮総連系の学生活動家に誘われ、短期留学のつもりで北朝鮮に渡る。到着すると豪華な一軒家の招待所に案内され、そこに宿泊しているオモニ(熟年の女性接待員)がいて、食事・掃除など日常生活上のすべての面倒をみてくれた上に、彼女のための通訳と指導員も毎日やってくる。社会主義の講義のために金日成総合大学の教授や学者が教えにきてくれたり、授業以外に時々北朝鮮の革命史跡巡りや映画、観劇に行き、その都度車と運転手が手配されたり、オーダーメイドの服を作ってくれるなど、ただの若者のために「本当に至れり尽くせりの生活」を味わう。
「これは偉大な首領様が、あなたのためを思ってして下さっていることです」と繰り返される言葉の中で感謝と恩義をしだいに深めていき、北朝鮮のいう「領導芸術」へと引き込まれていく。毎日の学習は北朝鮮の社会主義がどんなに優れているか、金日成主席がどんなに偉大な革命家であるか、一致団結して社会主義・共産主義社会を建設していくために、われわれは心血を注ぎ、命をも捧げて闘っていかなければならないというものであり、普通の朝鮮人と一緒に生活したり、働いたりしながら「子供が王様の国」「地上の楽園」の現実を体験したかった彼女は落胆する。招待所での生活が一カ月を過ぎた頃、指導員から「ボーイフレンドはほしくないか」と聞かれ、やがて「革命というのは一代で終わらないと考えた方がいい。そのためには子供を産んで、代を継いで革命をしていく必要がある。だからあなたも、日本の国を良くしていこう、革命しようというのなら、絶対に結婚した方がいい。北朝鮮には日本から来た素晴らしい革命家がいる。彼と会って一緒に革命のために闘おう」といわれるようになる。
 ボーイフレンドの紹介から、いつのまにか急速に見ず知らずの男性との結婚を説得され、何度も断るうちに自分たちはこれだけやってきたのに、「結婚して革命をやることがあなたの進むべき最も良い道だ。それ以外の道はない」と公然といわれるようになって、日本に帰る手段をもたない彼女は「自力でここを脱出しない限り、結婚を断ることはできないという心理状態」に追い込まれていく。脅迫や恫喝ではなく、やさしく温かな家族的に説得する調子で包囲された彼女は、自分が生き延びるために自分の意思を捨てて、「結婚」を前提として日本人革命家と会うことを承諾する。結婚相手が「よど号」グループの一人であることを知らされ、会食の形で会った時に最悪の印象をもたらし、生理的嫌悪感で「この男だけはパスしたい」と思った柴田泰弘との「結婚」が決められていく。グループが住んでいた広大な敷地を持つ招待所で、「日本人革命村」と呼ばれているところに急ぐように連れて行かれ、グループの他のメンバーやその妻たちと一緒に結婚披露宴が挙げられる。
 朝鮮労働党のよど号担当部署の最高責任者は金正日であり、誰と誰を結婚させるかは彼の判断であったといわれる。夫婦の絆よりも同志の絆に重心を置くのが金日成主義の結婚観であり、相手をどうしても愛せないから別れたいなどという事情は一切通らず、それはただ金日成、金正日に対する忠誠心が不足しているという問題として処理され、より強い思想学習と思想闘争が求められていくことになった。グループの中でリーダーの田宮高麿は別格で、金日成が言うことと同じくらい田宮は絶対的な存在であり、北朝鮮では国際結婚が基本的に禁じられているのに、田宮だけに朝鮮人の血が流れる相手をあてがっていた。
 日本人革命村での日課は早朝起きると、全員が居住アパートの前で体操とランニングを行い、それから女性は朝食作り、男性はアパートの掃除から始まり、朝食後に全員が集合して朝の会議を行う。金日成に忠誠を誓う「朝鮮労働党の十大原則」を、グループに合うようにした内容と言葉で「宣誓」と称してリーダーの田宮高麿が一つずつ読み上げると、その後について全員で唱和する。「朝鮮労働党の十大原則」とは「ひたすら首領のために生き、青春も生命も喜んで捧げること」であるとか、「金日成の教示(教え)は法として至上の命令として受け止め、どのような些細な理由も口実もなく実践し、これを守り抜かなければ死ぬ権利もない」というような内容であり、それを繰り返し繰り返し学習する。
 更に一日の組織の活動予定を確認して、金日成、金正日の著作の学習や活動のための実践的な準備などで午前中を過ごし、昼食は全員食堂で食べる。午後はまた理論学習やスポーツ、思想教育目的の芸術映画や金日成、金正日の現地指導映画の鑑賞など、夕食後も講演会、活動準備、学習課題に明け暮れる。その合間を縫って女性は掃除や洗濯などの家事をこなし、託児所から夜引き取る子供の世話も加わる。彼女の場合は疲労困憊の中で夫が求めてくるセックスに嫌々応じて眠りにつく一日である。「結婚」一週間後に、彼女は男尊女卑で家父長制的な柴田が暴力的に強制するセックスをやめるように田宮に訴えると、逆にグループから思想的に問題があると批判される。当初は「こんなはずではなかった。日本にいる家族や友人に会いたい」と強く思う一方で、差別や抑圧のない社会を作るために日本で革命を起こす必要があり、革命のためには自己犠牲が必要だと思い、仕方がないとしだいに諦めていく。
 そんな生活の中で全員一緒に学習合宿や避暑に出かけたり、革命戦跡地や観光地を巡ったり、レクリエーションやお祝い事をしたりするうちに共同体的な仲間意識も芽生え始め、仲間としての絆も自然に強まっていった。金日成が村にやってくるときには、自分たちで作った詩や歌や絵画で金日成に対する忠誠の誓いを表現し、全員が一致して歌えるようになるまで練習に次ぐ練習を行ったりした。77年5月14日朝、グループ全員が田宮高麿、小西隆裕……柴田泰弘という指導部の地位の序列順に並び、それに合わせて女性たちも並ぶ中、金日成の一行がやってきて、田宮を先頭に本部と呼ばれていた平屋の建物に女性と警備関係者を除いて向かった。その後、グループ内で総会が開かれ、日本で金日成主義に基づく革命を行うためには革命党の創建が必要であり、周辺に金日成主義の影響を受けた戦力をつくっていくことが重要で、そのためには自分たちの政治運動の中核として活動する日本人を海外で獲得することが当面の課題になる、という金日成の教示があったことが明かされる。
「よど号」グループは一週、一カ月、半年、1年、3年、5年の単位で総括会議を行い、日々の任務や日常生活に現れたブルジョア的言動、行動について点検し、自分の中にある反金日成主義を皆の前で明らかにして、自己批判と相互批判を行う。総括会議で「忠誠心に欠ける」と批判されると、「ああ、これはもっとも重大な問題だ。深刻に反省しよう」というふうに皆がなってしまっており、自己批判と相互批判を繰り返していくうちに、最も素晴らしい革命家とは無条件に党の指示に従い、金日成のためなら命も投げ出す人間だと、最後には信じ込むようになっていたので、何らかの口実をつけて北朝鮮に連れてきてから思想教育を行うという、具体的に日本人を獲得する方法についても、彼女も他の者もなんの疑問も感じなくなっていた。
 こうして70年代後半以降、グループは田宮から海外での任務を与えられる。その際、グループの男性は全員国際指名手配されていたために海外での活動は偽造旅券を使わねばならなかったので、真正旅券を持っている妻たちが表に立って活動する役割を積極的に引き受け、日本の公権力の手が及ばないヨーロッパに照準を合わせる。オーストリア、フランス、スペイン、イタリア、ギリシャ、イギリス、ポルトガル、カナダ、メキシコなど各国にグループが派遣され、日本人を見つけだして接触し、調査報告して、リーダー田宮の承認のもと彼らを仲間にするため、東欧に作られた拠点で教育したり、北朝鮮に連れて行ったりした。拉致対象者として選ばれるのは、素直で従順な他の政治思想に染まっていない義理堅いタイプで、有本恵子さんはまさにそういう女性であったらしい。
 この有本さんについて八尾恵は『週刊新潮』(01・10・25)の手記の中で、こう記している。《当時私は日本人の若者を北朝鮮に連れてくれば、思想改造されて仲間になるとばかり思っていました。まさか、北朝鮮に連れて行った人たちの思想改造が失敗し、よど号グループの仲間にならず、そのままおよそ20年間も北朝鮮に幽閉されるとは考えてもみませんでした。今は、なんと浅はかだったのだろうかと思います。私は、自分たちの行動を客観的に見ることができませんでした。
 Iさんが、第三者を通じてポーランドから北海道の実家に出した手紙によって、88年にIさん、Mさん、有本さんが北朝鮮で、思想改造されることなく自由を剥奪されて生活しているらしいということが発覚しました。彼らが自分の意思に反して北朝鮮から出国できない状況は、監禁以外の何ものでもありません。このため、私は彼らを北朝鮮から帰国させなければならないと考えるようになったのです。》
 八尾恵はそこで、自分を含む「よど号」グループが間違ったことをしてきたと考えるようになった心の軌跡についても言及している。彼女は84年、初めて「よど号」メンバーとして日本に戻る。日本革命を担う中核的活動家の発掘・獲得・育成はヨーロッパだけでなく、アジア・日本でも行う段階を迎え、アジアや日本から北朝鮮に日本人を連れて行くだけではなく、アジアや日本国内に拠点を設けるという方針の下に87年、彼女は田宮から新たな任務を与えられ、二人の子供を残して日本に潜入し、これが彼女にとっての最後の北朝鮮からの出国となった。グループは日本革命勝利のために、防衛大学生や自衛官を組織的に獲得して金日成主義者に思想改造し、軍隊工作の中核的人材に育成する計画を立てて、彼女は横須賀に住み、防大生と接触するための場としてカフェ・バーを作る。任務遂行中の88年5月25日、突然に神奈川県警の外事課に逮捕されたことから歯車の狂いが生じ始める。
 マスコミが「北朝鮮の女スパイ」「北朝鮮の工作員」と書き立てる中、彼女は「北朝鮮には行ったこともない」「よど号グループとは何の関係もない」と主張し、人権侵害で裁判を起こす。裁判闘争の中で「よど号」グループのように「首領様」のために闘うのではなく、「人間として守るべき権利のために自分一人で考えて闘っている」多くの人と出会う。彼らの手弁当による支援の広がりの中で裁判闘争が進んだ92年、田宮から「自分がよど号グループの妻であることを公表」して、この支援運動を「よど号グループ」の支援運動に変えるようにという指示が出される。事実の公表に躊躇しながらも、主体思想の教えとして政治目的のためにつく嘘は悪いことだと思っていなかった彼女は、支援運動の事務局の人たちに公表すると、泣き出す人や途方に暮れる人、彼女を追及する人がいて、「私たちは人権侵害と闘っていくために集まったのに、八尾さんに嘘をつかれて傷つけられてしまった。八尾さんの私たちへの人権侵害はどうなるんですか」という痛烈な言葉が彼女の胸に突き刺さってくる。
「みなさんの心を傷つけてしまったことを、申し訳なかったと心を痛めていますが、本当のことを言わなかった事は、やはり組織や『革命』を守るために仕方なかったことだと思っています」と彼女が抗弁したことによって多くの人が去り、支援運動は休止状態に陥り、少数の個人的支援を受けながら裁判を続けていく。挫折し、自己葛藤が続く中で、「目的は手段を正当化する、と信じて、平気で嘘をついて」きたことの大いなる誤謬と欺瞞に気づき始める。もちろん、目的は手段を正当化しない。なぜなら、手段の中に含まれないような目的は妄想でしかないからだ。つまり、平気で嘘をつくような手段そのものがすでに目的を裏切り、葬ってしまっているといえる。簡単にいえば、手段と目的は一致しており、目的は手段としてあらわれるから、平気で嘘をつくことによって目的も嘘をつかれる。
「首領様」に頭を占拠されていた八尾恵はようやく自分の頭で考え、自分の言葉で語ることができるようになっていく。真の革命はすべてそこから一歩を刻み始める。かくして彼女は「よど号」グループに拉致された日本人の帰国を願って、全力を尽くす取り組みを開始するが、しかし、自分で歩みだした彼女の思考が見落としている重要な点をどうしても指摘しておかなくてはならない。挫折の中で統一協会のメンバーが勧誘の際に平気で嘘をいう例を挙げた『マインド・コントロールの恐怖』という本に彼女は出会う。
《「その時のはずみでうまくいきそうなことは何でも言った。世界を悪から救ってくれる地上天国を打ちたてるのがこの世で一番大切なことと思っていたから、私たちはそれが『本当の嘘』とは考えなかった。しょせん我々以外の人間は、みんなサタンに支配されているのだ」。ここに書かれている「地上天国」を「首領様に領導された共産主義」に、「サタン」を「資本主義」に変えれば、チュチェ思想を信じていた私が考えていたことと同じでした。私たちはみな、目的は手段を正当化する、と信じて、平気で嘘をついていました。これは、破壊的政治カルトのよど号グループの特徴のひとつです。》
 彼女が「いまの社会の差別や抑圧をなくすような社会変革の活動をしたい」という考えを青年期に抱いたことは、けっして悪いことではない。社会の矛盾や欺瞞に激しく突き当たる若い年齢からすれば、むしろ社会的矛盾に憤りを感じて当然とすらいえる。「よど号」グループも彼女も社会変革活動を求めて、道筋は異なりながらも、結局のところ北朝鮮に行き着くことになった。だが、どうして北朝鮮という国であったのか。「よど号」グループと八尾恵とではもちろん、北朝鮮の捉え方や接点の持ちかたは異なるが、少なくとも彼女にとって北朝鮮は、「社会の差別や抑圧をなくすような社会変革」が行われている国として映っていた。どうしてそう映ったのか。北朝鮮自身や日本のマスメディアによってそう喧伝されていたからだ。いわゆる「地上の楽園」であった。在日の多くが「帰国事業」に乗せられて、希望に満ちて祖国へ渡ったのと同じであった。「地上の楽園」にあこがれるのに、国籍や人種は関係なかった。
 しかしながら、彼女が北朝鮮に渡ったのは「帰国事業」開始からすでに十数年を経過しており、その実体も明らかにされ告発もされていたが、強固な思い込みの前ではなんの威力ももたなかった。ここから窺われるのは、彼女の思い込みにはあまりにも知識と猜疑心が欠如していたことである。「よど号」グループが接近した拉致対象者が素直で従順な他の政治思想に染まっていない義理堅いタイプであったなら、彼女もそういうタイプであったのかもしれない。要するに、それなりの正義感を備えた、疑うことを知らないタイプであった。疑うといえば世に擦れた印象を与えるかもしれないが、けっしてそうではない。自分自身を疑ってみる態度をたえず根底に置いて、自分を取り巻く世界を見つめる哲学を持っているかどうかの問題であった。
 彼女は周囲を疑わなかっただけではない。自分自身を最大に疑わなかった。だから自分のイメージする「いまの社会の差別や抑圧をなくすような社会変革の活動」というものを、微塵も疑わなかった。理想を夢みるのは、現実が理想と掛け離れているからである。つまり、現実が酷ければ酷いほど、人は理想を夢みることによって現実の酷さに耐えようとする。理想を夢みることはしたがって、現実の酷さの率直で自然な表出であるから、人が理想をもつことではなく、その理想がもう一度現実の中を潜らざるをえなくなることによってどのように湾曲をしいられていくか、ということが非常に重要であるのに気づく。理想を強くもった人ほど現実から手酷いしっぺ返しを食らうのは、理想が現実の中で大きく湾曲していく証にほかならない。
「よど号」グループや八尾恵は強い理想をかかえて、北朝鮮の現実、いや仮構された現実の中に入っていった。そして彼らの理想は北朝鮮の支配者に大きく方向を変えられていったのである。そこでの問題は、彼らの理想が大きな圧力を加えられて変形されていったことにあるよりも、理想が変形されていくプロセスに彼らがあまりにも無自覚であるということではなかったか。八尾恵は自分がチュチェ思想に操られていたようにいい、その覚醒も裁判闘争を通じてやってきたものであった。操りも覚醒もすべて彼女の外部からやってきたものであって、彼女自身の内的なプロセスのかかわりがあまりにも希薄にみえるのだ。「私たちはみな、目的は手段を正当化する、と信じて、平気で嘘をついていました。」というとき、理想を信じるのと嘘を信じるのがイコールで、そこには懐疑する彼女自身があらわれることはなく、懐疑はいつも彼女の外からやってくる。
 懐疑することのない彼女の思考は、統一協会の勧誘の手口との同一性を重ねて、「地上天国」を「首領様に領導された共産主義」に、「サタン」を「資本主義」に読み替えて、北朝鮮を「破壊的政治カルト」国家とみなす手付きにも顕著にあらわれている。米原万里も「まるで漫画のカルト国家」といい、関川夏央も「北朝鮮を、国家ではなく団体である、あるいは巨大なカルトであると考えればわかりやすいかと思う」といっているが、これらの見方に決定的に欠落しているのはスターリニズムへの視点である。北朝鮮を統一協会やオウム真理教のようなカルト教団と同一の枠組み内に押し込めてしまうなら、スターリニズム国家の極限の形態を歩む北朝鮮はみえなくなってしまう。
 八尾恵の手記に更に根本的に欠落しているのは、「普通の朝鮮人の人と一緒に生活したり、働いたりしながら『子供が王様の国』『地上の楽園』の現実を体験した」いという希望をいだいていた彼女が「日本人革命村」に隔離されて、「よど号」グループの妻として日夜主体思想の学習に明け暮れる生活の中で、金日成を始めとする北朝鮮幹部と接触することはあっても、北朝鮮の人々がどのような生活状態にあるかへの関心を全く喪失してしまっていることである。グループも彼女も北朝鮮では考えられないほどの破格の待遇を受けており、その厚遇に対して、義理や信義を重んじる日本人のメンタリティが理論上の隔たりを越えて剥き出されていったにちがいないが、彼らの贅沢が人々の悲惨な暮らしの上に成り立っていることへの一瞥もみられなかった。もちろん、北朝鮮が彼らに国民の実態を知らさないようにしているからであろうが、このことは彼らが人々の生活に関心を注ぐような存在の仕方を北朝鮮でしていなかったことを示している。
「よど号」グループからの離脱以降も、彼らの非人道的な拉致の手口を告発する八尾恵の視界に北朝鮮の人々の窮状が些かも迫り上がってこないのは、彼らの目指そうとしている革命が金父子のそれと同様に、いかに底辺の人々にとっての革命と程遠いものであるか、いや、対極にあるものであるかを物語っている。自分は革命の理想を追っているつもりでも、その中での存在の仕方がいかに反革命的なものであるかということに気づかないかぎり、革命はいつだって主観的な思い込みのうちに閉ざされている。革命は武力をもって国家権力を奪取した時に成就されるものではなく、革命を志向する(しなくても)存在の仕方においてどれほど革新的であるかによってしか成就されえない。「よど号」グループは自分たちに対して一度も革命的であることができなかったかぎりにおいて、自分たちがこれまでやってきたことのなかでおそらく永遠にさ迷いつづけるしかないだろう。                     

2002年12月14日 記
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