発 行 日 |
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タ イ トル(・・・PDFファイル) |
2011.01.22 |
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1号−自分の人生をつくる勉強、学習を共に始めませんか |
2011.02.15 |
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2号−そこにある勉強ではなく、そこにない勉強で跳躍を!! |
2011.03.16 |
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3号−16年前の大地震をいまもう一度味わっています |
2011.03.23 |
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4号−考えたくないことについて、どこまでも考えよ |
2011.04.05 |
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5号−どうして日本人の抑制された美質は直立しないのか |
2011.04.11 |
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6号−「正しい問い」の上に私たちの生活を新築しよう |
2011.04.14 |
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7号−なぜ日本の、組織のトップはいま命を賭けないのか |
2011.04.22 |
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8号−一企業に国の命運、国民の命を託しているデタラメ |
2011.04.25 |
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9号−「大地震への発言」はどのようにして成立するのか |
2011.05.04 |
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10号−原子力村、文学村、メディア村、職場村…の爆発こそを! |
2011.05.10 |
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11号−原発賛成派と反対派には言葉が通じ合う前提が壊れている |
2011.05.12 |
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12号−流星の東洲斎写楽 |
2011.05.16 |
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13号−人間が生きていくということ |
以 後、『 2 1 世 紀 瓦 版 』 に 改 題 。 |
2011.05.20 |
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14号−制度化されている自分との衝突なしに議論は始まらない |
2011.05.23 |
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15号−歌っても歌わなくても思考停止の「君が代」問題 |
2011.05.24 |
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16号−敗戦で「よごれたしょぼたれた日の丸」に自ら起立せよ |
2011.05.26 |
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17号−学校教育の「戦争責任」と「原発責任」 |
2011.06.02 |
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18号−戦後も戦場に立ちつづけた大岡昇平 |
2011.06.06 |
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19号−どうして言葉は突き上がってこないのか |
2011.06.08 |
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20号−言葉を発明したヒトは神と光を見出して人になったのに…… |
2011.06.10 |
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21号−「圧死せし 友を悲しむ私は 生きて暗夜に 生理始まる」 |
2011.06.13 |
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22号−村上春樹よ、遠い異国で身体を張らない正論を吐くな! |
2011.06.15 |
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23号−原発体制は「壁」であるか、私たちは「卵」であるか |
2011.06.22 |
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24号−日本人の核に対する恐怖感は拒否感に向かわない |
2011.06.24 |
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25号−戦災〜震災後に際立つ日本人の「手のひらを返す」島国的心性 |
2011.06.29 |
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26号−人目を気にせず一人でいっぱい悲しまない日本人 |
2011.07.01 |
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27号−原発の捕虜状態と化してきた戦後の日本社会 |
2011.07.04 |
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28号−日本の指導者は戦前も戦中も戦後もずっと無能であった |
2011.07.05 |
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29号−国家の捕虜状態であったことを浮き彫りにした日本兵捕虜 |
2011.07.05 |
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30号−生きるために日本国家を捨てた日本兵捕虜 |
2011.07.06 |
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31号−「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」 |
2011.07.06 |
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32号−戦後の対日占領政策に最大に生かした米軍の日本兵捕虜分析 |
2011.07.13 |
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33号−民主国家の虚妄の中で統治システム不全に陥る民主党政権 |
2011.07.14 |
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34号−能力なき思い込みの強さほど始末の悪いものはない菅首相 |
2011.07.19 |
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35号−人間に技術がコントロールできるはずがない |
2011.07.22 |
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36号−吉本隆明の思想に影響された世代は原発事故にどう向き合うのか |
2011.07.25 |
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37号−3・11が問うのは言葉ではなく言葉がかたちづくる態度である |
2011.07.26 |
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38号−3・11は「態度」の言説を垣間見せたか |
2011.08.03 |
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39号−科学は科学的であっても、科学を取り扱う人間は科学的ではない |
2011.08.04 |
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40号−3・11の66年前に「作家の日記」に書かれていること |
2011.08.04 |
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41号−8・15「作家の日記」に匹敵する3・11「作家の日記」は? |
2011.08.04 |
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42号−8・15「作家の日記」に匹敵する3・11「作家の日記」は? |
2011.08.05 |
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43号−敗戦後に作家は自分の内部世界に立つ戦いをどのように展開したか |
2011.08.11 |
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44号−原発をやめることは「人類をやめる」ことであるか |
2011.08.16 |
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45号−「安らかに眠らないで下さい。過ちを繰り返しますから」という言葉こそを刻め |
2011.08.18 |
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46号−人間にとっての最大の問題は人間自身である |
2011.08.19 |
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47号−人間は問いとともに生まれてきた |
2011.08.25 |
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48号−「広島・長崎がなければ、福島もなかった」 |
2011.08.26 |
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49号−理論物理学は「破壊」だけで「創造」は何一つしなかった |
2011.08.30 |
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50号−広島・長崎の被爆者は原子力平和利用に反対しなければならなかったか |
2011.09.01 |
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51号−3・11が打破した「リスクを押しつける国VS抑圧に耐える地元」の図式 |
2011.09.05 |
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52号−米国は戦時も戦後も「原子力平和利用」を一貫させてきた |
2011.09.07 |
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53号−広島は原発をどのように受けとめたのか |
2011.09.08 |
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54号−「核抑止」は嘘で、世界は「核支配」に向かっている |
2011.09.14 |
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55号−福島原発事故で浮かんできた「非常用復水器」をめぐる問題 |
2011.09.15 |
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56号−生きることが困難な我々への本当の供養は3・11以前に戻らぬこと |
2011.09.20 |
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57号−「レベル7」の「明日の神話」として描かれた3・11の落書き |
2011.09.21 |
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58号−「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」 |
2011.09.27 |
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59号−許可の得ないところで行為せよ 創造せよ 生きよ |
2011.09.28 |
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60号−「太陽の塔」は許可された「いのち」の力を輝かせていたのか |
2011.10.04 |
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61号−「梅棹忠夫的システム生産効率至上主義」を終焉させた3・11 |
2011.10.05 |
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62号−我々が科学を掴むのではなく、科学が我々を掴まなくてはならない |
2011.10.11 |
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63号−「芸術テロ」から「風景テロ」へ拡大、深化させよ |
2011.10.12 |
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64号−命を賭した「落書き」を見よ |
2011.10.14 |
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65号−神的狂気としての「落書き」は許可されない場所で |
2011.10.18 |
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66号−〈大学〉闘争で出現した〈黒板への落書き〉に「ラスコーの洞窟壁画」を視よ |
2011.10.24 |
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67号−どう経験すればよいかわからない「3・11」の打撃の意味 |
2011.10.25 |
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68号−我々は生きるためにどんな人類の記憶を封印してきたか |
2011.10.26 |
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69号−「苦しむ自分」から芽生える自分はいつだって新鮮である |
2011.11.01 |
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70号−専門知とは専門外無知の別名である |
2011.11.02 |
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71号−専門知の修得はそれ以外の多くの有用な学問の修得を全部妨げてしまう |
2011.11.04 |
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72号−地震学者を裁くイタリアのラクイラ地震裁判 |
2011.11.09 |
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73号−放射能から避難できても自分からは避難できない |
2011.11.10 |
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74号−「経済=お金」ではもはやなく、「才能=紙幣」を発掘せよ |
2011.11.15 |
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75号−変わったほうがいいのに、自分では変えられない人はどうすればいい? |
2011.11.17 |
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76号−自分が自分に関係できていないということ |
2011.11.18 |
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77号−イエスは信じるが、キリストは信じない |
2011.11.21 |
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78号−正しく生きても悲惨な目に遭うのなら、神仏は何のためにあるのか |
2011.11.24 |
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79号−ヨブ記であらわにされたキリスト教の無神論 |
2011.12.01 |
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80号−なぜ、イエスという犠牲によってすべての人類の罪が赦されるのか |
2011.12.02 |
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81号−3・11の渦中で「自分がいまどこにいるか、わからない」 |
2011.12.06 |
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82号−非民主的に処刑されたイエスと、民主的に処刑されたソクラテス |
2011.12.07 |
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83号−書くことでは伝わらない人間の力故に、ソクラテスは〈書かなかった〉 |
2011.12.14 |
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84号−キリスト教的解釈の中で宗教的要素をそぎ落とされてきたソクラテス |
2011.12.15 |
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85号−シャーマン的な「ソクラテスの宗教性」 |
2011.12.21 |
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86号−安全なトリウム原発に見向きもしない日本社会 |
2011.12.22 |
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87号−「軍用に役立たない」トリウム原発はだから敬遠される |
2011.12.28 |
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88号−「忍び寄るわからなさ」のまま進む文明による文明の破壊 |
2011.12.30 |
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89号−巨大科学技術システムの中で問題解決能力の喪失を強いられている被害性 |
2012.01.06 |
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90号−「ただ一人の人間」として問題解決の能力、決定権を掌握せよ |
2012.01.09 |
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91号−独裁制もまた民主主義の一つの形態にほかならない |
2012.01.12 |
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92号−思想としてのイソノミアの原理を唯一アテネで体現していたソクラテス |
2012.01.18 |
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93号−3・11を機に「善い核」は「悪い核」になったのか |
2012.01.20 |
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94号−「憲法九条」を自分の問題として語るにはどうすればよいか |
2012.01.25 |
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95号−「憲法九条」は個々人の次元ではどのような論理、発想であるか |
2012.01.26 |
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96号−ソクラテスから2500年後のギリシャでいま、起こっていること |
2012.01.27 |
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97号−「ギリシャ3000年の歴史」が根強く張り付いているギリシャ問題 |
2012.01.31 |
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98号−第二次大戦で共産圏に組み込まれていたかもしれないギリシャ |
2012.02.01 |
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99号−ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の突然の事故死 |
2012.02.02 |
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100号−世界中の人々を閉じ込めている大きな収容所の扉はどのように開かれるか |
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