No.204の記事

小説「暁の寺」

暁の寺表紙

三島由紀夫の長編小説「豊饒の海」シリーズの第3作目「暁の寺」をやっと読み終わる事ができました。前2作品とはちょっと毛色の異なる展開で、面白いと思った反面ちょっと違和感を感じたりもしました。毎度ながら感想を書いてみようと思います。

本作の主人公はまたもや本多繁邦で、前作までと異なり今回は彼の1人称で話が進みます。第2作で飯沼勲が壮絶な自害を遂げてから20年くらい経った、太平洋戦争の前後の時代が舞台です。すっかりオジサンになってしまった本多繁邦は、かつてともに過したシャムの王子に5歳くらいの娘がいる事を知ります。亡くなった王子の恋人と同じ名前「ジンジャン」と名づけられた彼女が、自分は日本人の生まれ変わりだと言っているのを聞き、松枝清顕〜飯沼勲の生まれ変わりではないかと本多氏は疑いを持ちます。

今回は主人公が枯れてきた本多繁邦のせいか、前2作品に比べて話は地味に進んでいきます。ジンジャンが松枝清顕(飯沼勲)の生まれ変わりと信じ執拗に追い続けるわけですが、なかなかその印である黒子を確認できず、そのまま前半部は終わってしまいます。太平洋戦争が終わりジンジャンがかなり大きくなって、自分が日本人の生まれ変わりだなんて言わなくなった頃、後半が始まります。
この辺から本多繁邦自身も大金を手にしたりしてかなり俗物に変貌していきます。またジンジャンは相変らず天真爛漫ですが、周囲では耽美系な行動が見られていきます。
前の作品が結構ストイックな雰囲気だったのに比べ、特にこの後半パートはかなり生々しくストイックさのカケラもなかったですね。その辺は、本多氏が体験した、インドの汚濁にまみれた聖地をモチーフにしたんだろうなと思いました。
またインドやタイの風景描写と阿頼耶識や唯識論などの仏教思想がそこらじゅうにちりばめられていて、読むのには結構体力が要りました。正直、勉強不足のためあまりよく分らなかった所もありました。

終盤に本多繁邦は最終的にジンジャンに黒子を確認することに成功しますが、その後彼女はあっさりこの世を去ってしまいます。これはちょっと乱暴なオチなんじゃないかと思ってしまいました。起承転結という言葉からすれば「転」にあたる巻なので、「結」になだれ込むための準備としてとらえられれば不満はないんですけど、評価については最終巻の内容次第ですね。読了した段階での評価はちょっと冗長な印象の作品でした。