No.212の記事

小説「天人五衰」

さて三島由紀夫の最終作になってしまった豊饒の海シリーズの最終巻、天人五衰を読了しました。前作の「暁の寺」の異質な展開に、冗長性を感じつつもかなり引き込まれてしまったせいか、前作に続いて一気に読み終えてしまいました。

天人五衰表紙

この作品もやはり本多繁邦氏が主人公ではありますが、最後の生まれ変わりである安永透の1人称でも語られる形式になっています。そういう意味では最初の2作品と同様の形式です。

この安永透君は冷めた目を持つ美しい青年なんですが、かなり独善的で自惚れたヤツで、世界に対する悪意に満ちています。今までの生まれ変わりがやや無自覚な傾倒を見せていたのに比べて、明らかに異質で自覚的な人間なわけです。本多氏は彼と出会い、その心に自分と似通った所を見出し、ついに生まれ変わりの印である黒子を見付けてしまうわけです。
ジンジャンのときはその不在を楽しんでみたりしていた本多氏は、今度は逆に彼を養子にします。そして俗物に教育する事で、20歳で死んでしまう生まれ変わりの宿命から逃れさせようとします。安永透も世間への悪意を形にするため彼の提案にのります。そして力をつけた彼は歳老いた本多氏を退け、無限に自意識の肥大を続けます。この頃の安永透は、見ていてハラハラするとともに悪のはびこりに対する不謹慎な爽快感さえ感じます。この悪ぶりはいかにも三島作品っぽい感じでしたね。

しかし三島由紀夫の作品だけあって、ここでカタルシスが訪れます。本多の友人である久松慶子が、安永透君に課せられた宿命を本人に話してしまうんですね。しかも松枝清顕や飯沼勲、ジンジャンのような盲目の情熱を持っていない彼を「贋物」呼ばわりするわけです。
全てを見渡していたつもりの彼は、自分が全く見えていなかったことを知らされ、しかも贋物であることも受容できず自殺を図りますが、結局失明したものの命を取り留めます。失意の様はまさに天人五衰そのものなわけです。ここでようやくタイトルの意味が分かってきました。

こんな展開を見せられ、あとは後日談的に話が進むのかと思い最後のページをめくっていくと、さらに大きなカタルシスが待っています。これは流石に予想外でした。というか読んですぐはちょっと納得がいきませんでした。ネタバレになるので書きませんが、ここまで壮大なストーリーをおってきた本多氏と読者を巻き込んだものでした。
そして豊饒の海という皮肉な副題を眺めていると、この不毛な結末を強調するためだけに今までの壮大なストーリーがあったんじゃないかとさえ思えてきました。

Webで評価を見ていると結構批判されている作品のようですが、三島由紀夫のオムニバスとして見ればよくできていると思います。暁の寺はちょっと冗長でしたが、各巻ともに独立した作品としても読める内容でした。ただ他の作品にない新しい要素があるかというと、ちょっと弱い印象です。個人的な評価としては「可」といったところでしょうか。