No.508の記事

映画ノルウェイの森を観たんだけど…

ノルウェイの森
自分に大きな影響を与えた小説、村上春樹の「ノルウェイの森」の映画がついに公開されました(公式サイト)。待ちに待った映画化なのですごく期待してしまう一方、自分の中に出来上がってしまったイメージとのギャップが心配で、観に行くのに若干の心理的抵抗がありました。まぁトラン・アン・ユン監督の映像は嫌いではないし、主人公のワタナベが松山ケンイチってのもおおよそイメージと離れてないので大丈夫かなと思ってはいるんですが、肝心の直子が菊地凛子ってのがどうにも不安で、実際観るまではかなりドキドキしてしまいました。そんな期待と不安の入り交じる映画「ノルウェイの森」の感想でも今回は書いてみようと思います。
ちなみに今回は思うところがたくさんあったのでネタバレとかは全く気にせず書きます。気になる方は映画を見てから以下を読むようにしてください。

まず冒頭から。小説は37歳になったワタナベが過去を回想するシーンから始まりますが、映画ではキズキとワタナベ、直子の高校時代から始まります。高校生を演じるには若干年齢が上の役者ばかりですが、意外に違和感もなく原作を良い感じで再現しています。以後キズキの自殺、直子の再開、直子の20歳の誕生日まで駆け足で話が進みます。ちょっと展開が速いですが、この時点では端折りが目立たず長編小説の映画化なので仕方が無いかなーという感じです。
で、直子の家でワタナベが20歳の誕生日をお祝いするシーンで初めて改変に気が付きました。小説では直子がとめどなく喋るのをワタナベが不意に遮ってしまいそれをきっかけに直子が泣き出すという流れだったのに、映画では特にきっかけもなく突然泣き出すという展開になっていましいた。うーん、これだと突拍子無さ過ぎて直子に感情移入しにくいなぁ…敢えて改変したのは何故なんだろう?という感じです。
この後直子が失踪し、直子からの手紙をきっかけにワタナベは山奥の療養所行くようになります。それと同時並行的に東京では永沢さんやハツミさん、緑と関わっていきます。ここで触れられる永沢さんの傲慢だけど精神的にタフでマッチョな言動や、病床の父親に会ったり火事を見ながらビール飲んだリして緑と関わっていくシークエンスが結構好きだったんですが、かなり省略されていました。直子と対極にいる彼らとのやり取りは、ワタナベにとってすごく大事な要素だと思うんだけど、監督はあんまり重視していなかったみたいです。仕方が無いので小説のエピソードを脳内補完しつつ観てみましたが、小説ほどワタナベに感情移入することはできませんでした。
その後もワタナベは直子と一緒に暮らすために寮を出る→直子は具合を悪くして自殺→ワタナベが放浪の旅に出る→帰宅したら家の前にレイコさんがいた(!)とかなり圧縮気味な展開になっており、尺不足に悩まされたであろう監督に同情さえしてしまいます。ただその割には直子が首を吊っていることを暗示する裸足の足がプラーンというシーンや岩浜でワタナベが音声なしでひたすら号泣し続けるシーンとかには結構な時間を割いており、そこを強調するかね…という疑問もあったりします。最後のレイコさんと直子のお別れ会をするところも、歌をたくさん歌ったりする描写は一瞬で過ぎ去ってしまい、さらっとラブシーンを描いて終わるのでちと寂しい感じでした。
という事で、約2時間でストーリーを忠実に再現しようとしている分かなり端折っているのが気になって仕方がない展開でした。一見関連のないような出来事やセリフの積み重ねに意味のある…もしかしたらストーリーよりもその哲学みたいなものに価値のある小説だと思っているので、いっそのこと映画も上下巻構成にして細かいエピソードをもう少し盛り込んだ方が良かったんじゃないかなーなんて思ってしまいました。

演技面では、若干棒読み気味な感じがむしろリアルな松山ケンイチや傲慢さのにじむ玉山鉄二は悪くなかったし、初音映莉子演じるハツミさんがワタナベをなじるシーンなんかは目が怖すぎて一緒に気まずくなってしまうくらい迫力があって結構良かったです。菊地凛子の直子も想像していたよりは随分良かったですが、あの独特な喋り方と激高したときの金切り声だけはどうしてもイメージと合わず、そこだけちょっと残念でした。スカイクロラの時もそうでしたが、僕は菊地凛子があんまり好きでないみたいです…むぅ。

同じ村上春樹の小説の映画化だと「トニー滝谷(公式サイト)」が佳作だと思うんですが、あれが主人公のモノローグをたくさん盛りこんで原作の雰囲気を忠実に再現するのに成功している事を考えると、ノルウェイの森でもワタナベのモノローグをもう少し入れてくれれば感情移入できたのかもしれないと思いました…うーん、そうすると僕はワタナベの苦悩に共感する映画を観たかったみたいですね。