2003年 1月 3日 ☆ 年末から三が日まで ♪
「2002年一人暮し日記」の冒頭は確か、2001年の大晦日から2002年にかけての年越の話だったように思います。
あれから一年・・今回の年越は珍しく「一人」で迎えました。今までは、例え家族が寝てしまってたとしても実家で年を越してたり、
一度は年越ライヴで外で年越をしたこともあります。2001年は仲良しの友達と新しい我が家で年越を迎えました。
その我が家で2002年はたった一人で年明けを迎えました。何だか秋すぎから、バタバタと月日が流れたせいか、
年末の30日、31日は、珍しく知りあいには誰にも会わず、お家で作業をしていました。ほんと久々の
「一人」が心地よく感じてしまうのは、いかにあわただしい生活だったか・・と、言うことなのでしょうか?
そんなに大忙しではなかったはずなのですけどね・・。とりあえず、寂しがりやだったはずのあたしが、
一人の時間が落ち着くようになったのは「成長」なのでしょうか?一人でじっくりゆっくりと自分のことを
見つめなおし、2003年こそは大きくはばたかなければねっ♪
2001年の年越はまだ十分な台所用品もそろっていずに、年越しそばを作るにも一苦労でした。
でも2002年年越は、最近やってないとはいえ、自炊もしていた一年なので、おなべで暖めるだけの
年越そば一人分を買ってきて、夜の11時半すぎから制作。実家なら11時45分ぐらいから、
外で何箇所かの除夜の鐘が聞こえてきます。(実家の犬はその音におびえるから、除夜の鐘どころじゃない遠吼え大会になってしまうのですが(
今の我が家は残念ながら「生除夜の鐘」は聞こえないみたい?しょーがないから、某国営放送の「行く年来る年」みたいな番組にして、
厳かな雰囲気を聞きながら、おなべで年越そばを暖めます。イースタントラーメンそばじゃないとこが、
少しはエライでしょー?
ぎりぎりの時間から作り始めてたので、どんぶりにいれて・・いやさ、大きめなラーメン鉢にいれて、
「さ、食べようっ」とすすりはじめた瞬間に「おめでとうございます、2003年の幕開けです」の
タイミングでした。あー、やっぱり今年も「年越そば」ではなく、「年明けそば」になってしまったわー。
来年こそは、「年越そば」に食べなきゃねっ。
さて、年明けそばも食べ終わり、やったことといえば、年明けそうそう、取材番組の編集。
ムーヴの録音スタジオがなくなってしまったので、自分の部屋で機材つないで、簡単な編集をしなければいけない羽目にっ。
まっ、普通はそんなに機材はないはずなのに、なーぜか、あたしん家にはあるのですっ。夜中の1時すぎから、3時ぐらいまで、
ごそごそ作業をして、やっと眠れたのは朝の4時。次の日は実家に帰るつもりでいたので、その前に
編集したのをムーヴに持っていかなければっ。・・平常運転な作業をしていたので、お正月だという
意識が少し薄くなってました。いつものように東急ハンズ口を出て階段昇ってて・・あれ?いつもの道が
ないっ!?あ、あーーっ、露店がいーっぱいっ、人もいいーっぱいっ!!・・あたしは、その道が
生田神社の参道だということに気づいていませんでした。「今ね、入場制限してるから、人が動いてないのよ。」
と声をかけてくれたおばさんが居ました。「あ、チキンジョージの方へ行きたいんですが、この道、
次のとこで左に曲がれます?」「ああ、じゃあ、そこまで一緒にいてあげるわ」と親切なおばさん。
でも、まいりましたっ。いつもは1、2分も掛からない道が20分30分の渋滞です。・・でも、
くんくんと良い匂いが、たあーくさんっ。焼きそばや、とうもろこしや・・なんかグツグツと煮てる
音もするよー。なーんか食べようかなー、と思ったら、「あ、イチゴ大福っ。でも、あれ、昨日デパートで
100円で売ってたよー、ここ300円か・・ってことは、4つ買うと1200円だわー」という声が
後ろからした。そっか、やっぱ、高いらしい・・そんなことを考えてるうちに時間は結構たっていく。
そして、やっと角のタイヤキ屋台まで来て一緒にいてくれたおばさんとわかれた。
これでムーヴが閉まってたらあばれるぞっ、と勢いこんで行くと、ちゃんとスタッフが詰めていてくれた。
ありがとうっ、今年もよろしくっ。
そのあと、実家に帰り、2日の夜には我が家へ戻り、3日には、リフォーム収納隊の友達たちが
我が家へやってきて、新年お茶会でしたっ。ホントは年賀状、三が日のうちに書かなきゃ・・だったのに、
今だまだ完成してません・・うーーん、今年もバタバタとあわただしくすぎてしまいそうですねぇー。
何はともあれ、今年が良い年でありますように☆
2003年 1月 9日 著