☆ 見えなくなってきて見えてきたモノ ☆

  初めまして★あたしは、神戸市の中央区にあるコミュニティーFM FM−MOOV(エフエム ムーヴ)のDJ・パーソナリティーをしている森島 ちさとと言います。
 実はあたし、先天性で進行性の目の病気を持つ視覚障害者で中途失明の類です。
「視覚障害者がラジオで喋ってる」と聞くと、おそらく皆さんは、周りが何でもやってくれる至れり尽せりで、 森島は、ただマイクの前に座って喋っていれば良い、そんな風に番組をやっているとお思いになるのではないでしょうか?
 あたしはムーヴの開局前からオープニングスタッフとして関わっていました。当初は北野坂にあったムーヴでは、 週に5本程の番組をやっていました。その中には生放送も収録もありましたが、そのほとんどが自分で機材を触りながら番組をこなしていました。 朝の2時間生放送を全く一人でスタジオに入り、ミキサーもCDもMDも、一人で操りながら生放送をしていました。 元々、機械が嫌いではなかったことと、自分でやれることは自分でやりたい、好きなことに関しては誰にも・・・普通に見えている人にも負けたくない、 そういう気持ちが強かったのでしょうね。

 ところで皆さんは『目の不自由な人』『視覚障害者』という言葉を聞いて、どんな人を思い浮かべますか?
最近では、だいぶ知られるようになりましたが、視覚障害者とは、全く見えていない全盲の人だけではなく、 視力が僅かしかでなくて強制視力もでない弱視や、その他に 視力があっても見えにくい、という視覚障害も 世の中にあるのです。・・・もし、自分がそういう目の病気でなければ、あたしも気づいてはいなかったことでしょう。
 あたしは『網膜色素変性症』という目の病気です。 この病気は視野がどんどん狭くなって行き、 そして、針の穴から覗くほどの小さい視野になり、やがては失明するという進行性の病気で難病の一つだそうです。
今は視力もほとんど僅かになってしまいましたが、「視力があっても実用性のない視力」という障害は、周りの人達に 判ってもらえない事で、昔からかなりなストレスであり、最大のコンプレックスでした。

 「視力があっても視野が狭くて見えにくい」というのは、きっと普通の人には想像つかないことだと思います。 当事者のあたしでさえ、何故そう見えるのか?不思議なぐらい、見えている時と見えない時のギャップが大きかったです。
たとえば、鏡の前に立っても自分の姿が写っていない鏡の風景が見えたりしました。ぼやけていたり、 だぶって見えたりするのではなく、自分の目にはその物体が存在していない、目に写っていない・・・ 本人にもどう説明して良いか判らない部分が多いのです。 例えば、絞りの悪い一眼レフのカメラを思い浮かべてみてください。目の前いっぱいに景色が広がっていても、 ファインダーを覗くと、その枠の中でしか景色が見えません。そして枠の中の向こうに景色が写っていたとしても、 ピントがあっていないと何が目の前にあるのかは判りません。
もっと具体的に知りたい人は、紙を筒状に丸めて望遠鏡のように覗いてみてください。筒を除くと、 その範囲でしか見ることができません。覗いている筒の真横に大きな柱があったとしても、見えている範囲に入っていないので、 覗いている人は、そこに柱が存在している事を知ることができません。反対に覗き穴の先に物があったとします。 でもその物体の一部分しか見えない場合、全部の姿が見えないと何があるのかは認識できなかったりします。
視力があっても、その見える範囲の中に全体が写っていなければ、はっきりとは判りません。 漠然とした例えばかりで判りにくいかもしれませんね。でも、これで、あたしが、「不思議な見え方をする目」を 持っていたことを何となく判ったでしょうか?

 今は、こんな風に自分が他の人よりも変わった見え方をしたり、見えなかったりすることを説明できるし、 自覚できていますが、小さい頃は自分が周りの人達よりも「見えていない」ことを知りませんでした。 それが、小学校の時に六甲山にキャンプに行って、あやうく崖から落ちそうになって、リーダーんの大学生のお兄さんか お姉さんが「もしかして、この子は他の子よりも見えていないかも?」と気づいてくれました。 自分の病名が判ったのは確か中学生の頃。「最悪な場合は20歳までに失明する」と言われました。 本当なら大変な事なのに、あたしの両親はそれほど本気にせず、あたし自信も「ただ他の人よりも目のできが悪いだけ」 という理解で暮らしてきました。
結構、不便な事も多かったと思います。きっと普通の人のように ちゃんと見えてはいなかったので、 何をするのも人よりも時間が掛かりました。目が悪い分、耳から入る情報が優先していたので、誰かに呼びとめられると気づくのだけれども、 振り向いて見えなかったら、相手に変に思われると思って、あえて気づかないフリをして、「鈍感な人」と思われたりもしました。 「見えたり見えなかったり」する中途半端な見え方が最大なコンプレックスでした。 いっそ、完全に見えない方が周りに判ってもらいやすいかも・・・と自分で目をつぶそうかと思った時期もありました。
でも、地震の後、「少しでも見えているからこそ、まだ一人でも歩けるんだ」と思えるようになりました。 それと同時に、どんどん見えなくなってきている自覚も出てきました。 少しずつ、どんどん「見えなくなっていく」からこそ、「見えている」ありがたさや大切さを身に染みて感じています。 そして「見えているような見えていないような」中途半端な見え方だったおかげで『見えている人』の気持ちも、 もしかしたら『見えていない人』の気持ちも少しは判るような気がします。
今まで最大のコンプレックスだった『中途半端な見え方』が、この頃は人の前で話す機会があり、少しは役に立っているらしいということが何故だか不思議な気がします。

 今は、こんな風に結構、平気で目の話や自分の事を話せるようになりましたが、ムーヴ開局当時、喋り始めた頃は、 人前で自分の目の話をしようとは思っていませんでした。「ラジオの前では絶対に目の病気の話はしないでおこう。」そう硬く思っていました。 開局して何ヶ月して出会った人には、「せっかくだから話せば良いのに」と言われたことがありますが、 「もし何かのはずみでばれてしまったら、話せることは沢山あるのかもしれないけど、自分から『視覚障害者』だと言うのは嫌だ」と頑固に思っていました。 声だけなら目が不自由だと判らないだろうし、「あたしは、もうすぐ目が見えなくなる病気です」と自分から言うのは同情をひくみたいで嫌だ!!とも思っていました。 いろいろな葛藤があり、やっと白杖を持って初めて普通の人と対等なスタートラインに立てたつもりなのに、自分からそれを崩したくないと思っていたのかもしれませんね。
 ムーブに行くようになって、いろんな人に出逢い、悔しい思いをすることも沢山ありました。こんな目で普通の人と張り合うなんて身のほど知らずなのかと思わされかけた事もありました。 世間的な事にめげかけたこともありました。丁度そんな時にALMAというバンドに出逢いました。 プロデビューしている視覚障害を持った4人組のバンドです。初めて出逢った時の彼らのライヴの時の言葉、 「お金や地位のことしか考えられない大人になるぐらいなら、見えなくなるのなんて怖くない」
その言葉を聞いた時、「あたしが一番怖いのは見えなくなることなんだ」と気づいたような気がしました。 そして初対面のアルマのメンバーの一人に「ねえ、見えなくなるのって、どんな感じ?」と聞いたのを覚えています。 「いろいろ差別されることもあるけど、みんな親切だし大したことないですよ」
そんな言葉の意味が最近少しずつ判って来たような気がします。
 それから何度かALMAに会う機会がありました。彼らと居ると、お皿の位置をどうやって知るか?とか、 ビールの缶に点字があること、などを気づかされたり覚えたりできました。 そして、その当時のあたしの目の状態だからこそ、『見えていること』や『見えないこと』で伝えられることがあるのかもしれない、素直にそう思わせてくれました。
 彼らが正々堂々とプロとして勝負をしているからこそ、あたしも引け目なんて感じずに、喋る仕事で頑張ろうっ!!そう思わせてくれます。 もし、彼らに出逢えていなければ、今あたしはここに居なかったかもしれませんね。

 あたしの場合、中途失明ですが、例えば生まれつき見えていない人は、一番始めに覚えるのが点字であるように、見えないで生活する方法や術を覚えていきます。 もし事故か何かで急に見えなくなったら、周りも気を使って何もかもやってしまうかもしれないし、本人もそれに甘んじてしまうかもしれません。 でも、あたしの場合は、本当に少しずつ少しずつ、見えなくなってきたので、自分でもどれをどうしてもらえば良いのかは、あまり慣れていません。 それに「迷惑」になると悪いから、とか余計な事を考えてしまって、初めの頃はなかなか人にお願いするということができませんでした。 でも、ここ何年かで、少し手を貸してもらうこと・・あたしの場合は目を貸してもらうことですが、 それは、決して迷惑をかける事ではなくて、必要なことだということ・・・そんな事が少しずつ判ってきました。 そして、周りの人も、当事者のあたしも、お互いに戸惑いながら判ってくる事・・・そんなことも多いのかもしれない、そう思えるようになりました。
 それに案外、見えなくなってきて見えてくるもの、って結構、あるものだということも・・。 少なくとも、あたしの目が見えていた頃でも、普通の人よりは、はっきりわからなかったことが、 今は、他人の目を借りて、結構いろいろ見えて来たりするものなのです。それは、物理的なものだけではなく、 例えば、全く同じ場所に別々な人と何度か行ったとします。全く同じ場所でもそれぞれに興味や価値観が違うので 見えてるものが、違うみたいです。だから、例えば6度、違う人と同じ場所へ行くと、あたしはそこを6倍、楽しめたりします。 そんなことに最近、気づきました。
もしかしたら、見えないことは、世間が思うほど、「可哀想」とか「気の毒」では、ないのかもしれませんよ。 ただ、やっぱり、光を感じないほど、見えなくなるのは、こんな能天気なあたしでさえ、不安だし、怖いのですが。 でも、それを乗り越えられれば、もっと何かを「見る」ことができるのかもしれません。
 そして、いよいよ「その時」が近づいているような気がします。ここで踏ん張ることができれば、 もっと素敵な話ができるのかもしれません。そうなることを祈っててくださいね☆

     (2002年 3月18日 著)   
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