あたしが白杖を持つようになってから、そろそろ4年半ぐらいになるでしょうか。
始め、持つのをあれほど抵抗して葛藤した「白杖」が、今ではすっかりなくてはならないモノになってます。
白杖は、あたしの目の代わりに歩く時に手探りのように助けてくれます。人がぶつからずによけてくれたり、
道を迷ってる時などは助けてくれる人も呼んでくれます。気持ち的に倒れそうな時にはぎゅっと
握り締めると支えにもなってくれます。そして、いろんな人との出逢いのチャンスだってくれるのです。
あれだけ持つのに抵抗していた白い棒は、今ではあたしの
良き相棒となっています。「愛棒」なんつってねっ☆
白杖が呼ぶさまざまな出逢いは、おいおいお話することにして・・・今回は少し気がついたことを
書いてみましょうね。
自分がどんどん見えなくなってきて、不安で怖くて仕方がなかったこともありますが、
ここ何年かで「見えなくなってきて見えてくるモノ」も結構あるのだという気がしてきました。
白杖を持っていると、いろいろな人が声をかけてくれることがあります。
声をかけてくれなくても、道をゆずってくれたり、よけてくれたり、気をつけてくれたりもします。
でも、やたら白杖を蹴られたり、ぶつかられても謝らない人が多い日もあるのです。
「今日は世間が世知辛いなぁ」そう思うことが何度かありました。何でだろ?
始めはそう思ってたぐらいだったのですが、徐々に何となく分かってきたような気がします。
蒸し暑かったり雨だったり、あまり過ごしやすくない時は、人は周りのことを見なくなるのではないかな?
そして逆にウキウキするような遊びに行きたくなるような良い天候の時は、自分のことで
頭がいっぱいで周りのことが見えなくなるのでは?
多分、人は「不快指数」が高ければ高いほど、そして「快適指数」が高くても、
周りのことを見なくなったり、周りのことが見えなくなったりするのではないかな?
そんな風に思えます。
白杖にぶつかる人がどれぐらい居るかによって「世間の温度」が分かるような気がしてます。