一覧へ戻る ちよだ No.1 昭和54年10月1日(1979)発行
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カーター米国大統領の手紙  

 
ホワイト・ハウス
ワシントン

1979年7月20日
ロバート・コネリー様

 あなたのお手紙と千代田走友会のランニングシャツを送ってくださってありがとうございます。

  桜井氏やクラブメンバーの皆様の友情に対して、私が深く感謝していることをお伝えください。
 さらにランニングストーリーの誌に私のことをのせていただいた好意に感謝しております。

敬具

ジミー・カーター
     


(ちよだ)創刊にあたって 桜井 守
 人類が地球上に立ってから今日に至るまで、人間は歩き、走り、働くことが運命づけられているにもかかわらず、現在日常生活を営んでいる人々はどうだとうか。約半数の人々がなんらかの形で身体の不調を訴えているのが現状である。これらの人々は真にその原因がどこにあるかを追求したことがあるだろうか。
 交通機関の八つ、電化及び自動化、労働におけるオートメ化など我々人間が作り出した文明に他ならないのである。その結果として肥満、胃、心臓、高血圧、糖尿病等いわゆる文明病になやまされ無気力、不健康人間を作り出しています。これら文明病にむしばまれている人々を救うため、日々努力し一人でも多く心身共に健康な人間を作ることが、スポーツを愛好する者に与えられた課題ではありませんか。
 疲れを明日に残す運動をするのは愚か者のすること、スピードをきそい、命をかけてやるのが我々に与えられた運動ではありません。あぜらず、あきず、あきらめず、運動は生涯やってこそ意義があるのです。
 これから会員一同「協力しあい」「助けあい」「励ましあい」会報(ちよだ)と共に細く永く続けることを紙上を借りて誓おうではありませんか。創刊にあたり努力して下さった会員各位に感謝し、この出版を意義あるものにしたいと考えます。

千代田走友会の始まり 和田 茂
 旧千代田走友会は千代田区の駅伝大会に出るためだけに作られた名前で、もと多摩川クラブのメンバーの私の地元ということで、みんなを集めて参加していました。日本で初めて万国博覧会が大阪で開かれた年の翌年、つまり昭和46年4月頃、桜井さんが九段町会の人たちが走るので、千代田走友会に入って呉れというので、千代田走友会はあっても無いようなものでしたので、私は困ってしまいました。でも会を作るなら協力しようということで、毎週の日曜や休日に走ることになりました。
 私は当時、4月に始めたものの、7−8月頃には誰も来なくなるだろうと思っていましたが、逆にだんだんとふえてきたのには驚きました。会則もその時決めましたが、余りごたごたと会則を最初から作るより、1年続いたら正式に会則、会長、会計を定め、会旗も作ろうと決め、ユニフォームは原則として作らないことにしました。そうしないと、それを着ないと入れないと思うので、ただランニングシャツだけを作るということでした。会則も政治、宗教は一切言わないという簡単なもので、みんなが自由に走るという会則が今日の千代田走友会を盛りあがらせたのだと思います。
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