一覧へ戻る ちよだ No.1 昭和54年10月1日(1979)発行
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皇居馬羅邨歳時記 元旦マラソン 橋本徒歩
初茜 丸ビル街の甍(いらか)染め
囀り(さえずり)や 左回りの片耳に
濠ぬるむ 衛士は眼差あそばせて
襷(たすき)つぐ ゴール間近かや氷旗
雲の峰 清麻呂象下の友あまた
こぼれ萩 紅と白とに桜田門
禁足の土手駆け上る 曼珠沙華
霧まとう ちぎれちぎれの走者かな
孤影もよし 濠の白鳥走者われ
朝駆けや 薄目の一羽 浮寝床

   短歌三首
茜さす東調布の坂道を 髪なびかせて走る娘一人
えんじゅの花散りしく坂を駆け登れど 茜さす街に人影を見ず
冬ならば賑う蔵王の山なみの 青き愛でつ走る坂みち (いづみ)

素晴らしき思い出 西村 政男
 戦前から続いている岩城山神社往復参拝マラソン大会に友だち4人で初参加し、42キロを完走した時の喜び、今もって忘れられない思い出である。前以て先輩より参考意見を聞き、当日は白足袋にワラジ2足をタスキで結びつけ、ランニングシャツの内側に小さなポケットを付けて百円紙幣を2枚入れ(落伍したときの馬車賃)、朝の5時16分発の一番電車で出発点の猿賀神社に向かった。
 昭和21年の第13回登山マラソンである。8時に到着、本部に優勝した新城の佐藤だとか、これが弘前の森下だとか、造道の和田3兄弟などと、県下に名の知れた韋駄天ばかり、記念写真をとる時は小さくなって顔も見えない所にいた。参加者は昨年を大きく上回り87名(昨年は53名)青森県のマラソン史上最高の人数である。午前10時県陸協の村上理事長の号砲で一斉にスタート。
 初めてのフルマラソンであり、「先は長いのだから決して無理はするな、最後まで頑張れ」と先輩から注意されていた。4人の中で僕が一番遅い筈だから、気楽に3人ならんで走った。1番速い神正良君は先頭集団をマークして別行動を取っていたのだった。弘前市を通り過ぎた頃より、徐々に登り坂となり、途中の審判員の友人から、神君は13キロ地点を16位で通過したと聞かされる。奴はやはりやるなと感心した。3人は1団となって52位、53位、54位だ。途中お腹がすいたので、リンゴ畑に入って1人で3個位もぎ取り、走りながら食べた。後から来た連中にも呉れてやり、体中の乾いた汗の塩を払い落としたり、なめたりして走った。20キロ地点を過ぎると、1人、また2人折り返した選手をすれ違うが、行けども行けども16位だった筈の神君とは行きあわない。不安のうちに66段の石段を登り切った神社の前にも居ない。
 復路は12キロの下り坂で、不思議を足も軽くなり、友だち2人を引き離して走った。前を走る選手を面白いほど追い越すことが出来た。
 弘前市の入口に親方の兄さんが待って居て「あと5キロだ、頑張れ」と励まし、自転車で伴走して呉れた。勇気百倍し、遂に32位で完走した。平山君は46位、福井君は折り返して2キロで落伍し救護車で帰って来たが、神君は居なかった。審判団と相談し、電話で八方手をつくしているうちに、途中の審判員より7名の落伍車が馬車で帰路についたという連絡があった。
 3時の閉会式に先立つ20分前に神君をのせた馬車が帰ってきた。神君は19キロの地点で疲労と空腹で走れなくなり、民家に入ってご飯をご馳走になった。(以下次号)

ミス千代田走友会のくり言 塩沢 洋子(20才)
 疲れました。ちょっと走りすぎです。
膝も足悔いも腫れています。とても痛いのです。
ヨウコ「神様、この足を治してください。」
神様「1ヶ月、お休みしなさい、治りますよ。」
ヨウコ「アラ、ソオウ。」ブツブツ1人言。今日で4日も休んでいるのだ。あと26日も休めるか。
 一年以上もベッドで寝ていると、この疲れの味を味わいたくて、ウズウズしてくるのです。でも最近はちょっと味わいすぎです。足の爪3本もはがしています。痛いのです。でも食物がとてもおいしいのです。
 毎日毎日、夜寝る頃は六ちゃんのお腹みたいにふくれているのです。せめて会長のお腹ぐらいにとどめなければと毎日毎日同じことを反省するのです。今もお腹がふくれすぎて動けないのです。でも六ちゃんみたいに1日中ふくれっぱなしでいるわけじゃないからまぁいいや。
 最近、又足に筋肉がついてカッコいい足になってきました。脚線美。この足、保険をあえようかしら。2千万円くらいでいいかしら。おそろしいものです。1年も寝ていると、どこをさがしても筋肉なぞ見あたらないのです。走り初めて7ヶ月、又筋肉もりもり、この筋肉を見て1人ニャニャしている最近の私です。
 六ちゃんみたいなお腹で、筋肉をみてニャニャしている私を御想像下され。
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