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ちよだ No.2

昭和55年1月1日(1980)発行
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私は皇居を6年で千周した 島田 義昭
 私はもうかれこれ25年も走り続けており、走ることは日課の一つになっています。
 昭和46年の春、大学に入るために上京してからは道路や不忍池のまわりを走っていました。47年4月から丸の内に勤めるようになり、私の皇居マラソンが始まりました。しかし、ただ走るだけでは満足できず、48年の元旦に一千周して見ようという目標を設定し、一周に要した時間と天候、周辺の様子などを記録し、廻った回数を数え初めました。
 そして今年の10月10日の「体育の日」念願を達成しました。年毎の回数は49年が196回、50年224回、51年215回、52年124回、53年121回、54年は12月6日現在で138回の合計で1018回になります。
 また一日の最多回数は50年9月6日の6回、一周の最短タイムは49年12月12日の16分57秒です。
 今後1500周、2000周を目指して、体力の許す限り走り続ける覚悟ですが、どこまで記録を伸ばせるか、神のみぞ知るでしょうが、過去を振り返りながら感想を述べて見ることにします。
 49年元旦の朝は快晴の寒い朝でした。酒気のさめやらぬ悪条件にめげず、酔いざましにと、悲願とも見られる皇居一千周の第一歩を高く踏み出したのでした。そして、それから昼休みや、土曜、日曜、祝祭日など閑暇(ひま)な時間を利用して走り続けました。
 皇居マラソンを初めて、まだ6年余りですが、種々の思い出が脳裡を走ります。そこには未知の人々との出会いがあり、また常連との別離もあります。この大都市の中心地で四季のうつり変わりを一本の木、一群の雑草を通じて知ることができます。
 水ぬるむ春になると先ず柳が芽を吹き、桜の花が咲き初めたと思う間もなく、さくらふぶきを浴び晴れがましい気分で走れます。内濠の斜面には野生化したアブラナが咲き乱れ、春もたけなわとなるとつつじが花を開き、やがて若葉も青葉と変わり、アジサイの花咲く梅雨を迎えます。しかし、走るには気の重い季節です。
 当たり前のことながら梅雨があけると暑い夏、半蔵濠には赤いハスの花が咲きますが、夏山登山によく出掛ける私にとっては皇居一周コースは山歩きの訓練の場と変わり、思いザックを背に登山靴で歩くので、走る方は少しおろそかになります。8月はスモッグの多い月、走る者には嫌な季節で、清々しい空気の満喫できる山歩きの楽しさも思い浮かべながら走ります。
 秋ともなれば空気も乾き、ランナーの数はふえ、また修学旅行の生徒や観光者の団体なども多くなり、各種グループの競技大会もよく、このコースで行われますから、外桜田門内は人の波をぬって走らねばなりません。濠の内外には色鮮やかに彼岸花が咲き乱れます。
 晩秋となり肌寒さを覚える頃、いちょうの葉は黄色を帯び初め、桜の葉は逸早く歩道に散り敷きます。乾門脇のかえでが真っ赤に染まればもう冬です。木枯らし吹きすさぶ真冬となればランナーの数もやや少なくなります。走るのが一寸億劫になる季節ですが、粉雪の舞う中を、周囲の雪景色を賞(め)で乍ら走るのは風流人になったような感慨が涌きます。濠の水面が氷にとざされ、吹き荒(すさ)ぶ寒風をついて走るときはつらさがひとしお身にしみます。
 そしてまた春、唐時代の有名な詩に「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからす」というのがあるそうですが、草木などの自然の眺めは毎年、大体は同じことの繰り返しで、走る私たちを楽しませ、励ましてくれますが、皇居の周辺には20階前後の高層ビルが次々に建てられ、時の流れが感じられ、走る仲間も去って行く人、新しく入って来る人と、移りかわりを見せつけられます。
 これより先、何周できるかは前に述べた通り神のみぞ知るですが、今後も心身の鍛練のため、無理をせず気の向くままに、草木を眺めては自然の変化を楽しみ、仲間の人々との交流を通じて多くの人々を知り、人生をより豊かにしたいと考えています。
 これからも、ずーっと走り続ける覚悟です。
  1979年12月9日記

青梅駅伝参加出場の皆様へ 在旭川市 堀 隆男
商用で東京に出て来たので12月2日の日曜、久し振りに皇居一周を16分15秒で走ることが出来ました。
 しかし帰りの飛行機の時間があって、青梅まで行って皆さんに会えないのが残念です。
 今北海道はスキーシーズンです、皆さん冬休みに遊びに来て下さい。雪が凍って、固まれば又ランニングの練習が出来ます。来年の青梅マラソンに出場するつもりですから、懸命に練習します。皆さんと会える日を楽しみに・・・
 北海道からの名物ホワイトチョコレートを田中さんにことづけて送ります。
 頑張ってください!! 皆さん、お元気で!!さよなら  12月2日

「ちよだ」発刊して 下島 一郎
五四年 皇居一周 元旦マラソンに年明けて
寒さに めげぬ 初走り
桜の花にも また 映えた 皇居一周
レディス マラソン カッコよく うちの女性軍はすばらしい
ホームコースは 皇居のまわり 季節の花や 香りに 励まされ
いとしや夏の柳芽が 元気で行きなと肩なでる
清麻呂公の 銅像様は
会旗を 日曜日毎 身につけて
我々の体操を声援するかのよう
見守っています 初秋のもと
気力で行こう! 走って 走って
走者不老! を合言葉
幸福は 健康から生まれる 信念のもと
諸兄姉の益々の御検斗を祈る

富士見高等学校 1年 涌井 良子
私が皇居へ来るようになって2年がたちます。
運動会のマラソン競技のために 走っていたものが2年間続けてきたのは
なぜか 何が私を “皇居に行こ−”と思わせるのか
最初は 友達と一緒じゃなきゃ 行かなかったものも 1人でも行けるようになり 行きたくなる。 皇居で走る 走ることは 楽なことじゃないけど みんなと一緒に走る
おじさん おばさん 四中のみんな 若いおじいさん おばあさん 励ましあいながら 競争しながら 走る ここで走るのは 楽しいです
 今 私は高校でクラブが忙しくて日曜日もありません 皇居へ行けないのが とても残念です
三年間の高校生活が終わったら また 通いたいと思います
健康のために やせるために 体力をつけるために 一緒に走りましょう。

英会話と陸上競技(先づ心臓を鍛えよう) 田中 千春
 長い間勤めた日本語教師を定年でやめ、なにか新しい事をやろうとしている。
 日本語の方は長年の経験で自信はあるが、英語の方はあまり自信がない。
 それなら、なんで英語講座をやるのかと云われる。そこが心臓の所以(ゆえん)である。
 では、英会話と陸上競技の相似点は何か?一に心臓、二に心臓、三、四がなくて、五に実行。
 先づやって見る事だ。
 かつて、イギリスからえらばれて、日本の高校で英語を教えている先生方の座談会があった。先づ先生方の御意見は、先づ日本人学生はshy(しゃい)である。皆さんお解りかな。シャイとは恥ずかしがる事であるが、日本人は恥ずかしがって、なかなか英語を話さない。又、まちがって笑われる事をおそれて尻込みをする。これでは、いつまでたっても会話は上達しない。
 間違えても笑われても、皆で話すべきだと。
 も一つは教師が文法にとらわれて、むずかしいくて面白くもない文法を最初から覚えさせようとする。
 これらの事が一つの要因となって、日本人全体の英会話レベルが低いのではあるまいか、との事である。
 やはり会話というものは、しゃべらにゃ話にならぬ!?外人とあったら、なんでもよいからしゃべれ。単語を並べるだけでも良い。日本語と英語のチャンポンで良い。とにかく、お互いの意志が通じれば良いのだ。
 私の英語だってその通り、心臓英語なのだ。
 時々、タートルマラソンに外人のランナーが来る事があるが、なんとかかんとか、意志は通じるものだ。
 大分昔の事になるが、オリンピックで優勝された織田幹雄先生に云われた事がある。
 「自分や南部忠平君は日頃に練習によって鍛えた技術や体力によって優勝する事が出来たが、国際大会の場合など精神的心臓も強くなければだめだ。我々は語学など充分とはいえなかったが、スポーツに国境はなく、片言の英語でも通じるものだ。だから、我々は試合前に外人選手の間に入っていって、冗談を云いあったものだ。そうやってリラックスしたからこそ、萎縮(いしゅく)せずに充分実力を発揮できたのだ。」という事です。
 私が農大陸上競技部に在籍中、日頃は練習、練習とシゴキにシゴク先輩も、時には酒を呑みに或いは遊びにつれていってくれましたが、「お前達には練習が大事な事は勿論だが、それだけではダメだ。酒に強くなれ、女にも強くなれ、そして外人に対しても強くなれ、肉体の心臓だけではなく精神の心臓も鍛えなくてはならん。他の大学の選手達ともよく交流しろ。要は相手にのまれてはいかん。相手をのんでしまえ!」と。それを真に受けて、一生ケンメイはげんだものだが、残念な事に、酒と女には未だ強くなれずにいるのだが、外人に対しては強くなることが出来た。
 戦争がおわってからはフィリッピン大使館につとめていたので、いやでも外人と接しなければならなかったし、又朝鮮戦争の頃、外人兵相手のホテルに勤めていたので、英語に関する珍談、奇談が沢山あるのですが、省略し、私が英語を話す相手が正統(スタンダード)な英語を話す人達ではなかったので、未だに変な英語を話すくせがついてしまったのだ。残るは実戦で鍛えられた心臓のみ、ここで今一つ思い出した事があるので、書いてみよう。
 或る会員に訊いた話であるが、「視察旅行で外国に行き、ホテルにとまった時の事である。いざ寝る時になって、ホテルのパジャマを着てみると、とても大きくダブダブなのである。そこでマネージャーをさがしだし、曰く「ジス パジャマ ノーグー ダブダブ!」といって見せたところ、すぐに解って、丁度良いものと取りかえてくれたとの事である。
 ここが大切な所である。大ていの人はマネージャーに云うのは恥ずかしいので、不都合ではあるが、我慢してダブダブのを着て寝てしまうでしょう。ところが、この人は「日本人を甘くみるな」てなわけで通訳もつれず、自分一人で交渉したわけだ。この心意気、誠に御立派です。その後は「イエス」「ノー」「サンキュー」「グー」「ノーグー」等々少数ながら、もてる単語を使って、楽しい旅をつづけました。
 始めにのべた如く、とにかく心臓で話す事が第一であるが、第二に練習する事も大切である。ランニングは日々の練習によって鍛えられるが、会話も日々の訓練によって上達する事を忘れてはならない。もてる力をのばしてゆくところに人間として向上があるのだ。ランニングを同じように日々の練習が大切である事は解ったが、功をあせってはいけない、スロー アンド ステッディに行きましょう。ゆっくりでも良い、着実にやることです。
 私と中原政策君はNHKの基礎英語を聞いて勉強しています。同好の士よ、集まれ。費用はあまりかかりません。カセットテープ代だけです。 どうですか?
 私たちの心臓英語勉強会に入って、将来のボストンマラソン、ハワイマラソンに備えては。
 ご希望の方には私の録音テープを無料で貸出すこととしております。         終
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