戻る
旅行日程:2005/12/9〈水〉〜12/14〈水〉     町谷芳郎・幸子

ブルネイ・ダルサラーム:平穏な国という意味を持つというこの国はボルネオ島の北部に位置した小さな王国である。そして、その王様は世界一のお金持ちとか?・・。このイスラム寺院(モスク)は王様のポケットマネーで建てられたという。その国への旅は………..。
何故!ブルネイか?  まさか本当に行くことになるとは思ってもいなかったが・・・・ことのはじめは、ランナーズの付録にある。
世界のレースを紹介したこの小冊子の最後のページに小さく載っていた記事、詳しいことは何もわからない簡単なものであった。第1回という言葉と、ブルネイってどんな所の好奇心で、インターネットで検索をしてみると、なんとなく旅心をあおる写真&記事であった(私は英語の読解力は無いので単なる感じがしたというに過ぎないが・・)。
そこで仕事をそっちのけにして、半日かけていろいろ調べてみたが、ホノルルマラソンと同じ日に、初めての未知のレースへのツアーを組む旅行会社があるわけが無い、さらにブルネイへの観光ツアーも期間限定で週2便程度が見つかったという程度で手の施しようが無い、これで初秋の半日をかけた夢はひとまずENDとなったのである。 

それが再び息を吹き返したのは、第一回隠岐の島ウルトラマラソンの写真を整理していて、往路のそしてレースでの荒天によるトラブル!は、何もない平凡に消化したレースより思い出が深い・・・などと,もの思いふけっていると、何の脈絡も無くブルネイが頭に浮かんだのである、    
そこで考えた次の手が、観光ツアーで行って、レース当日会場に行くプランが組めないか?ということであった。
飛行機の接続の関係か週2便はどの会社も、日曜には現地を出発している日程である、しかしこれは延泊は可能ということでクリアできた。次は・・・・・

レース当日会場に自力で行くための手段であるが、まずレースが行われる場所がどこなのか?ということである、これがいくら探しても分からない。インターネットでダウンロードした大会要綱にも、コース途中に大学があるとか、スタート近くに帝国ホテル(…と訳されたホテル)があるとの表記はあるものの、開催地に関する地名が見つからない、観光業者に問い合わせても全く分からない。 次の手立てとして、ブルネイの地図を探すことにしたが、これまた努力に見合う成果はほとんど得られなかった。再びこの計画は幕引きとなった。
縁というものでしょうか! 普通なら完全に没になっている、この計画、3たび復活してきたのです、冒頭の小冊子裏表紙に宣伝を載せていた旅行会社(ここはブルネイとは全く関係なく中国関係の宣伝をしていた会社)に、ブルネイマラソンへのエントリーが可能かどうか、というちょっとお門違いな問い合せから事態は急変したのです。・・・電話の相手の人曰く;ブルネイ航空に友人がいますので云々。さらに話は発展、我々2人分でツアーを組んでくれる話となったが・・・・。しかし12月に入ってのはなしである、当然のことのように時間は切迫している。日程、金額、そして、やはり開催場所はここでも?である、現地のしかるべき人が、大丈夫といっている程度の信頼性、そして頼みの電話の人は、程なくシンガポールマラソンの添乗でしょうかお出かけ・・なのである。“不安はあるもののあとは天に任せて“の心境。
出発前日;FAXで請求書届く。同日振込み
出初当日(成田からのフライトは明日だが時間の関係で成田泊);旅行日程表届く
12月9日 A.M6:30 ホテル発成田空港へ、そして ブルネイへ
夕方に到着したホテルは、ブルネイ最高級ホテルといわれているエンパイアホテル!
ホテル庭
建屋&部屋の
窓からの景観
 

このホテル1Fに、今回の大会エントリールームがあった。

ここでゼッケンを受け取る!

そして、レースのスタート&ゴールはやはりこのホテルの敷地内(上の写真の斜め後ろ・・・
ホテル玄関に続く方角)であることが、到着後現地ガイドさんの説明でわかった。


12月10日(土曜日) ブルネイ市街観光
ニュー“モスク” 礼拝日でなければ、観光客も内に入れるが女性は肌の露出しないようすっぽり体を覆うガウンの着用が義務付けられている

ブルネイ博物館
パレードの車、警護の兵士が持つ道具などが展示されている
博物館といっても、一般的な展示があるのでなく王室の歴史や行事など、全て王室にゆかりの品が展示されている。 このフロア以外は撮影禁止!であった。











水上部落
ブルネイだけでなく、隣の東マレーシアを含む、カリマンタン島のこの地域の人たちは、写真のように水上に小屋を作り生活していたのが、現在に至っているという。
  その理由は、1つに暑さ対策のため
2つ目は;陸地よりずっと安全であったためだという(陸地はジャングルで覆われ危険な生き物に遭遇する可能性があった)
そして、この集落の規模は立派な町組織となっていて
学校をはじめ、生活に必要なものは全て存在している。

水上の家々や陸との交通は水上タクシーで!
家と家をつなぐ木道は、十字路もありなかなかのもの。
そして、この家の内に入ると正に豪華絢爛の形容にぴったりの・・・
照明はもちろんクーラーによる冷房完備(暖房はありません!!)

12/11(日)第一回ブルネイ国際マラソン当日

☆スタートが当初、男女別であったのが・・・人数がまあまあだからとかで同時スタートに!
☆ 時間も大会案内では6;50と7:00だったのが、前日の確認では6;30になると言われていたが、進行状態でなのかどうかは分からないものの、6;00、6;06と前の種目スタートに続き流れるように何の違和感も無く6;12という半端な時間に“GO”となった。


スタート地点にて →

私(芳郎)のゼッケン

  コース その1
  ビーチ(砂浜)を走る

 写真(見た目)よりかなり
  悪い!くるぶしくらい
  まで靴がもぐるところ有り

コース その2

ブルネイ大学構内
(10Km位)
ゴール地点での
風景→
この日のレースフルマラソンの部は1.2.3位までケニアの選手だった。!
レースに持っていったカメラ不調で写真が撮れていなかったのが残念だった。
(帰国後修理に出した)

12/12〈月〉ウルテンブロン国立公園(通称;熱帯雨林)観光!
熱帯雨林といっても一年中雨が降っているわけでなく、本日は好い天気です。
この国立公園に行くには、ブルネイからマレーシア領を横切っていくことになり、陸路で行くと半日近くかかってしまうので、両岸にマングローブの覆い茂る河を1時間半ほどもさかのぼり、目的地近くで、救命胴衣を着て細長い船外機に乗り換えさらにさかのぼる・・
濁流という感じの河だったものが、上流のこのあたりになると、澄んで川底の石が手ですくえそうな感じになるが、川幅が狭まるとともに水勢は増し伊達で救命胴衣を着させられたのでは無いことを実感!!
ようやく着いた目的地。そして、 ここからいしばらく歩くと大展望台がある。
お楽しみに・・・ということだが、果たしてその展望台は?
“絶景かな! “絶景かな!“ .....と、いうところですが・・・。
実はこれ後ろの木と、やぐらの高さを比べて見ていってください。
写真では撮りきれませんが、1層ではないのです。
そして上りきったところがこの位置
やった!のポーズですが、頂上の柵には何故か水準器が・・・・・・
これって、よく分かりますよね
塔が傾いだとき一目で判りますから
でも60何メートルといったっけ、この天辺で傾いでるって判ってどうするの?
そして、その近くでは昨年落下したというつり橋を修理中でした。
誰も渡っていなかったの?
実は渡っていたのだそうです。

レインジャ−部隊の兵隊さんで無事だったとか。

うそのような、本当の話だそうです

 

12/13 東マレーシアのリゾート地
コタキナバルにて至福のひと時を・・