≪戻る  秋田内陸リゾートカップ100Kチャレンジマラソン 岸田 勝

北緯40度秋田内陸リゾートカップ100Kチャレンジマラソンに参加して
平成17年10月1日 岸田勝
種目 100k
日時 2005年9月25日 スタート5時:終了18時
場所 秋田県角館から北秋田(旧鷹巣)

 4月24日富士五湖チャレンジ100Kにエントリーし初のウルトラで大いなる期待のもと準備万端の用意をしていたが、会社の商品説明会が急遽行われることとなり、出場できなくなった。
 そんな経緯があったのでこの秋田は意地でも出場するつもりであった。ところが勤務延長がなくなり、6月一杯で定年退職、急遽山口へ帰る羽目となり、山口から秋田まで出向くこととなった。
 しかし山口から秋田へ行く、普通ならびっくりすることだ。ほかにも大会はあるのに・・・
 そのとおりで10月には四万十川ウルトラマラソン10/16、隠岐の島ウルトラマラソン10/23がありこの時点でその気になればエントリー可能だったが、千代田走友会のメンバーと走りたくてあえて遠い大会を選んだ。
 出場が決まってからは、8月猛特訓が始まった。
 連日30度を越える毎日、比較的涼しい朝夕を選んで走った。もっとも毎日日曜日といっても、40年間の身についた習慣はおいそれとなくなるのもではなく、ウィークデーの午前からのんびりと走っていることに少し気が引けた。
 最低10K/日を目標に週末はマラニックで20kから30kをこなした。暑さのためこれ以上は無理であったが、距離から言うと少し物足りなかったと反省している。
 ランニングコースは国道2号線永源山から夜市まで約13kや、周南緑地公園周回コースを最低5回7〜10k、また国道2号線を西へ末武から三丘温泉までLSD27kと日によってコースを変えながら練習した。ペットボトルを腰に平均25分/5Kのペース、マラニックは6分/kのペース
 8月274Kを達成、体重も55k体脂肪12%と2ヶ月前に比べ2Kgの減となった。太ももは見た目も絞られ、静脈が浮いて見えるのがうれしかった。(もっともダイエット中の妻と一緒に食事するため、いつもすきっ腹であったような気がする)
 初参加で特別用意するものが何か、千代田走友会の大谷さんや森岡さんに聞いて8月より早々と用意した。サングラスこれは必需品ということで12000円のものを購入、練習中に颯爽とかけてみたが、もともと紫外線には強いほうで必要なかったかもしれない。胃薬、雨合羽、心配すればきりがなかった。

 9月23日(金)12時30分発の山口宇部ANAで一日早く東京に向かった。
 久しぶりの東京、京浜東北線で蕨へ向かったが、人の多さに改めて驚いた。午後4時ころ長男のアパートに着く。
 一緒に買い物をして夕食をジョナサンでとる。久しぶりで親子の会話を楽しむ。

 9月24日(土)6時56分東京発こまち1号 で出発
 大宮から乗れば近いし便利なのは判っていたが、千代田の人たちが見送りに来てくれることがわかっていたので、東京駅で合流。
 40分ごろに到着すでに出場予定者全員と見送りの人が集まっていた。久しぶりで懐かしく皆と握手して再会を喜んだ。友達はいいもんだとつくづく思った。
 見送りの人たち 片山夫妻、柴田、山岸、板倉、佐藤、梅沢
 差し入れもたくさんいただいた。ビール、ジュース、ごまたまご、ケーキ、ゆで卵ほか
 
 出場者 大谷、中川、森岡、榊、加藤、岸田 時間はずれるが後藤、江畠、小宮山
の9人
 列車は一路秋田へ、早くも酒盛りが始まる。福島を過ぎるころからはっきりと快晴の空模様となる。明日こんな天気だと暑くて大変だなーなどと話し合っていた。盛岡で石津エンジェルがあらわれる。こんなところまで応援に来てくれる石津さんに頭が下がる。

 昼前に角館に到着   
 荷物を預けて散策することとなった。500円の大きいロッカー2個を借りて押し込んだ。
 角館は小京都といわれており、武家屋敷の黒い塀が続く静かな町並みであった。
 有料と無料の屋敷があり、無料の屋敷を2、3軒回った。当時のそのままの様子が残されており生活のにおいがした。庭には大きな杉の木があり、またいたるところにしだれ桜があり、さぞかし春はすばらしいだろうと思いをめぐらした。秋にしては強い日差しを受けながら気分満点、帽子の上に止まった赤とんぼを写真に撮ったり、お土産や酒屋などを冷やかして散策した。
 昼食はきりたんぽにしようと相談がまとまり、後藤さんら一行を迎えてきりたんぽ鍋をつついた。ビールで乾杯、味付けが淡白な鶏のきりたんぽがおいしかった。

 駅前の角館広域交流センターが大会本部となっており、センター前が出発地点であった。
 スターウオーズのテーマソングが流れており、いやが上でも大会雰囲気を盛り立てていた。朝早く暗いうちのスタートのため、係りの人が照明器の設置に取り組んでいた。受付を済ませ、前夜祭に参加せず早々と送迎バスで宿舎の花葉館へ向かった。
 
 
約10Kの道のり、川の堤にはススキの穂がゆれ秋田の山里を堪能した。前夜祭にも参加したかったというのが本音であった。

   宿に着くとすぐ後藤さんたちの部屋に集まり、前祝をした。森岡さん差し入れのワインと角館で買った清酒で「カンパーイ!」、すでに何回乾杯をしたことか、何度しても楽しい。
 とうとうここまできたのだ、窓の外はどこまでも青く澄み渡り、ススキが揺れていた。
 100K初挑戦、最初は自重しよう。後半思い切って飛ばそう。作戦はこのとき決まった。
 こんなによい天気では疲れるなー
 花葉館の夕食はおかずが多くきりたんぽ鍋を残してしまうほどだった。

 エンジェル石津のこと

 仕事でたまたま東北に来ていたので連休を利用して応援に来た。急の思いつきで宿を取ってなかったらしい。さすがに近辺は予約で満杯。どこも断られて最後は大曲かとあきらめていたが、朝の5時の応援はさすがに無理なので、執拗に近辺の民宿を探した。ようやく一軒予約成立と思いきや民宿の手違いで満杯とのこと。断った民宿の親父が気の毒がって、知人のうちを紹介、急遽角館駅前の民家に宿を取った。約10Kを花葉館まで自転車でやってきて、われわれと風呂場で合流、角館で宿を取れたことをみんなで喜ぶ。
 これで明日のエンジェルは大丈夫。内陸鉄道を乗り継いで要所要所で応援が出きることとなった。
 食事が終わりいよいよ明日の準備にとりかかる。
 我々6人は男の大部屋であったが、大谷さんが早々と寝床を窓際に確保してくれる。
 申し込みが遅かったので個室は満席となり大部屋となっていた。(ツアー費が4000円安くなった。)
 レースの朝は、帽子は白、青のランシャツと青のランパンにした。50K地点での着替えの白袋には、換えの靴、靴下、万一の長袖と長タイツ、着替えのランシャツとランパン、それに青の帽子を用意した。ほかの荷物は黒袋にと仕分けした。靴はスタートは履きなれた底の厚いもの、後半は競技用の薄い靴を用意した。あれもこれも用意するとビニール袋は結構大きな荷物となった。
 ゼッケン番号704を胸と背中につけ、ポシェットに胃薬と雨合羽、テッシュー、小銭を用意し枕元においた。
 床に着いたのは8時ころ、8時半には寝息が聞こえる人もいた。大部屋は役30人位か
 朝は2時起きなので、早く眠りたいと焦ったが、緊張のためか、クーラーの音が耳障りであったことと、布団が厚かったので寝返りを打っているうちに、21時、22時と時計が気になった。隣の加藤さんから寝息が聞こえたときは流石に焦ったが、寝なくても一日くらい気力で大丈夫と思っているうちに寝入ったようだ。寝入ったのは23時近くなってからだろうか。 目覚まし時計がチチと午前2時を告げた。あちらこちらでジージーとかチャリチャリとか目覚ましがなった。一人二人と暗闇の中でうごめく人影、いよいよ来たな、寝返りを打って時計を見た、すでに2時を過ぎていた。中川さん、大谷さんの後を追って洗面所へと部屋を出たとき、なんと中川さんがおにぎりを食べている。この夜中に・・・食堂でもらって食べるのだとか、 このとき初めて100Kの異常さに気がついた。食堂では大谷さんがすでに食事をしていた。程なく加藤さんが来て一緒の席でおにぎりにぱくついた。
 特別お腹が空いていたわけでもないが、とにかくお腹に詰め込んだ。100Kはエネルギーが必要だ。トイレに行って用を足したが、昨日食べた割には量が少なく、硬くて十分ではなかった。すっきりしないままトイレを出た。
 3時半に会場までのバスが出るので荷物を持って待機していたが、外は冷たい雨が降っているようだとの声が聞こえ、自分の目で確かめるため外に出た。びっくり。昨日のあの青空は何だったのだろうか、パチパチ、ボソボソと大粒の雨が音を立てて降っていた。
雨はライトの光にきらきらと輝いていた。二の腕に落ちた雨は冷たかった。雨合羽を持っていたが、手製のビニール袋をくり抜いた雨具がよいということで、急遽榊さんに作ってもらった。4時ころ会場に着いた。スターウオーズのテーマソングが流れ、2000人近い人の熱気が冷たい雨を忘れさせた。いやが上でも気分は盛り上がった。

 白と黒のビニール袋を所定の場所に運んだ。まるでゴミ袋を回収しているような大きなトラックの中に、ポーンと放り込まれた。いってくるぞ 待っててくれ 荷物に対し祈るような気持ちとなった。
 

 5分前 大谷、加藤、榊、森岡、岸田の5人が一緒にスタートラインについた。 中川と後藤、江端、小宮山はすでに姿が見えなかった。もっと前のほうに並んでいるのだろう。 
 時間が近づくにつれますます雨脚はひどくなっていった。 
 5,4,3,2、という掛け声が一順途絶えた。ピストルのパンという音が小さく響いた。
 肝心なときマイクの調子が悪かったのかスタートの合図をするとき拡声器の音が途絶え、と同時に花火が上がった。さあー出発。いっせいに冷たい雨の中を駆け出した。
 

 スタートを切ればもうこちらのもの、泣いても笑っても後の祭り、いつもの調子を出すだけ、一歩一歩歩を進めた。朝くらいうちから角館の民家の人々が戸口で応援してくれてた。あっ昨日の酒屋さんだ!あっ昨日の武家屋敷だ、有難う有難う 丁寧に応援に答えた。
   雨は依然と激しく降っていた。水たまりの少ないところを探しならら路面だけを見て走った。1〜2kほどで右足先からぬれてきた。履きなれている靴は雨漏りも早いのかなと反省、あっという間に両足がびしょびしょ先が思いやられた。とにかく初参加大谷森岡を見失わないよう気遣いながら走った。5Kほどいって加藤さんは後ろのようだ。榊さんはずーと飛ばしているようだ。中川さんは前にいる、などと話しながら進んだ。10K地点のエイドでトイレ休憩、このとき3人が離れ離れになったが、森岡さんがトイレ休憩せず先へ行ったと知らず沿道で待つこと約2〜3分、加藤さんに追いつかれこんな後ろにはいないと今度はピッチを上げて追いかける。
あっという間に300メートルくらい離されたのか やっとの思いで後姿を見つける。  
 大谷さんが榊さんをきずかって後退、森岡と2人で1時間10分/10Kのペースで進む。雨はますます強くなってガサゴソガサゴソというビニールのすれる音だけが耳に障った。25Kを過ぎるころ雨が小降りとなって朝もやのように雲が山肌を登っていった。「春は曙、ようよう白くなり行く山際・・・、」と枕の草子を口ずさみながら秋田の山里の雨上がりの朝を堪能しながら、時折姿を見せる農家の人に手を振って挨拶した。こんなに朝早くから応援してくれて頭が下がった。このころはまだ余裕があった。
 35Kを過ぎるころ、大谷さんが合流した。榊さんが25K過ぎでリタイヤしたことを聞く。上り坂で息ができず、肺がぼこぼこと音がするという。まだ先が長いのでこの調子では無理と判断し、大谷さんがリタイヤを進めた。「残念!」
 40K過ぎてすでに5時間近くかかっているので、こんな調子では完走できないとはっぱをかけられた。走りながらペース計算した。50kが約6時間残り1時間20分ペースで6時間40分何とか13時間は切れると計算した。もっとも走りながら計算するので何度も間違え、答えが出るのにいやになるほど時間がかかった。
 このころは加藤さんが合流し4人で大覚野峠に差しかかった。
 大きな登りのヘヤピンカーブ、あの有名な大覚野峠だ。
 長い坂が果てしなく続く、1Kごとの標識がなかなか出てこない。こんなに時間がかかるのか8分近くかかった。予想時間よりだいぶ遅れた。坂道はきつい。だんだんと森岡が遅れる。次は中間点の着替え場所だ。長い坂道のトンネルに差し掛かる。久米さんが注意しろといったあの坂だ。飛ばしてゆけばどんどんスピードがでる。しかしこの坂で消耗してはいけない。大谷加藤と歩調を合わせて一人先行するのはやめたが、終始先頭で引っ張った。このころは坂道も苦にならず体調はよかった。雨も上がってきた。午前10半ころ、走り始めて5時間が過ぎた。
 

 途中途中でカメラマンが写真を撮っている。かっこよくとってもらおうとこのときは背筋を伸ばしストライドに注意した。どんな写真が取られているか楽しみだ。
 4〜5kごとにあるエイドすべてに立ち寄った。主にオレンジとバナナそれに梅干をとった。雨模様で今思えば走りやすかった。晴れていたら水分補給でかなり苦労したのではないか。
 秋田美人のおばさんたちを冷やかす余裕があった。
 「一杯食べて、水は、おにぎりもあるよー」と「ウンジャー頂くか、もうひとつ」  何度か経験のある大谷さんがもう少しで着替え場所だ、と教えてくれた。さらにピッチを上げる。
 6時間前につく。
 石津さんが待っててくれた。雨は上がっていたように思う。
 到着と同時にボランテアの女子高生が着替えの袋を持ってきてくれた。手際がよい。自分で探さなくてもよいのだ。
 靴紐が解けてはいけないとしっかりと縛ってあったので、ぬれた手で紐を解くのに時間がかかった。靴下と靴を取替えた。雨合羽のビニールは用心のため脱がず、手袋だけをはずした。森岡の体調を気遣った。足がしびれて動けないと弱音を吐いて、先に行ってくれとしゃがみこんで動こうとしなかった。目がうつろで精気がなかった。1ヶ月前から体調を崩していたと聞いていたが完調ではなかったのか。もしかするとリタイヤするのかなと心で思った。大谷さんが後を見るというので4人の中で最初にスタートし一人旅が始まった。  
 着替えた靴がレース用の底の薄い靴でしばらくは雨でふやけた足に路面がきつく感じられた。少し後悔した。
 50Kのクラスはちょうど11時にこの中間点からスタート。50Kの部がスタートした直後で、黄色のゼッケンをつけた一団に取り囲まれた。調子がよかったのか50Kのゼッケンナンバーの人を次々と追い抜いていった。
 もっとも追い抜いたのは後ろの人たちで鼻からとろとろ走っていたようだ。
 調子に乗って走ったので50K通過地点を見落とした。
 60Kまでの10Kが58分くらいか。快調に飛ばした。
   このころには雨も上がり汗ばんできた。65K付近でエンジェルが現れ写真を数枚とってもらう。このときビニール合羽を石津さんに手渡す。急に秋風がスーッと胸に入り込み体も軽快に感じた。上から下まで青に統一した姿が秋の秋田路に生えるだろうと一人悦に入って走った。
 「キッシー」という掛け声が急に聞こえた。伊藤さんだ。車の中から身を乗り出して応援してくれた。あの高橋さんの伴走できているとのこと。奥さんの旧中井さんの顔も見えた。あっという間に車は通り過ぎていった。 
 天気がよくなりいつの間にか沿道に応援の人が増えていた。
 「山口、山口から来ている」という声が通り過ぎてから聞こえだした。そんなときは必ず「有難う、がんばってるよー」と振り向いて挨拶し、沿道の人とハイタッチをした。
 山を下って内陸に出るころ、すばらしい秋田杉の林道が続いた。走りながら見とれた。
 こんなコースを毎日走れたらいいなーと思いながら、歩を進めた。
 秋田内陸を北に向かって走る105号線、杉並木を抜けると両側は黄金の田圃、田圃、田圃、どこまでも続いた。稲掛けの木立がどこまでも続く、一部では刈り取りも終わっていたが、まだ手付かずのところが多く、西陽にはえてすばらしかった。走りながらふと気づいたが、あぜ道がない。新潟の田圃は1反ごとにあぜ道で仕切られているのに、秋田の田圃はどこまでも大きく稲穂が揺れていた。  70Kを過ぎて残り30Kと計算したとたん気が遠くなった。まだ青梅の距離が残っているのだ。まっすぐな農道が数キロは続いたであろうか。あまり遠くを見て走ると疲れるので、このころは次の電柱、次の標識と走りながら目標を定め体調を気遣いながら走った。
 80Kを過ぎるころから、エイドによってはふくらはぎや太ももをスプレーで冷やしてもらった。だんだん足に来ていた。エイドで休むと走り出すときからだの節々が痛く、調子が出るのに時間がかかった。エイドで休むのをやめようかと思ったが、エイドがくると自然と足が止まり倒れこむようにしてたどり着いた。自然と水、バナナ、オレンジ、などに手が出た。屈伸運動をしたりストレッチをしたりエイドで費やす時間がだんだん多くなった。左足足底部、右足かかと裏の筋が痛み出した。走り出すとき腰から下全体がぎしぎしと油が切れたように痛み出した。
 日差しがきつくなってきたので用意したサングラスをかけた。どうだかっこいいだろうと内心思いながら走ったが、沿道の人たちに対し私の表情が伝えられないのは失礼かなと思い、数分ではずし帽子のひさしにかけた。途中エイドによって屈伸運動をしたりスプレーをかけたりしてふと頭に手をやると、サングラスがない。しまったどこかに落としたのだ。いくらも使ってないのに残念。やっぱりサングラスをかける柄じゃないのだとあきらめた。
 このころ加藤さんに追いつかれた。加藤さんは私が先に行っているというので必死に追いかけてきた。エイドで休んでもスタートのエンジンのかかりが違っていた。あっという間に離されていった。「畜生、まあいいや、このままでも完走できるな」と思った。
 別れ際 次のエイドで待ってるよーといって軽快に走り去っていった。
 確かに次のエイドで待っていてくれたが、休む時間もそこそこに一緒にスタート。また離された。こんなことを2度3度続けているうちに残り10Kとなった。
 このころは8分/Kのペースでこのままでは12時間を切れないと半ばあきらめていたが、加藤さんが「がんばろう。一緒にゴールしよう」と声をかけてくれたので、気を取り直した。
 最後の長がーい陸橋、遠く町並みが見える。あれが鷹巣の町か。後8、7、6Kと残りの距離が表示される。加藤さんは見えない。体の痛みをこらえ、一歩一歩こころを鬼にして進んだ。
 残り3.5K付近で「キッシー、キッシー」の声、「アッ、榊さん、元気なんだ」うれしかった。救急ベットで寝ているのかなと思ったりもしたから、元気な姿を見て安心した。 
 町に入ってからは急に元気が出て、「704、山口の 岸田さん 到着」のアナウンスを聞いてから、ますます快調に飛ばした。こんな力が残っていたなら、なぜもっと早く走れなかったのだろうと、反省しながら夢中で商店街を駆け抜けた。
 ゴールはどこだ!あと少し、あと少し、という沿道の声援にうなずきながら、ゴールはどこだ、ゴールはまだかと 長かった。太鼓の音が聞こえたときあっという間にゴールが見えた。
 自然に万歳と両手を挙げてテープを切った。石津さんが抱きかかえてくれた。疲れと感激で声も涙も出なかった。有難うといいたかったのだが・・・。
 時間11時間54分 初参加にしては堂々の成績
 後藤さん、田端さんが笑顔で迎えてくれた。1時間以上前にゴールしていたらしい。中川さんがきがえをもってきてくれた。足の故障で大覚野峠でリタイヤしたことを後で知った。
 
達成感と満足感で着替え袋をもらい荷を解いているとき急に寒気がした。あたりは薄暗くなっていた。
 森岡さんと大谷さんのゴールが気になり、せっかくのビールもそこそこにゴールで今か今か待った。後15分で制限時間。12時間46分ころ到着した。完走できてよかった、よかった。大会本部が用意したお風呂で汗を流し、指定バスに乗って今夜のホテルに向かった。
 長い長いウルトラの一日が終わった。 

以上 count: カウンター