えちご・くびき野100kmマラソン 「感動そして絆」
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2006/10/14
 越後くびきの100kmマラソン 完走記

岸田 勝 (2006.11.4)
 日時 2006年10月14日(土)スタート5時30分 制限時間13時間30分
 参加者 浅野、大谷、森岡、小山内、中川、江畠、梅沢、片山夫妻、高野、岸田(11名)

 越後くびきの100kマラソンは2年に1回開かれる大会で、今回で6回目、新潟県上越市で開催される。
 平成17年1月に町村合併で上越市となって始めての大会、越後平野の田園地帯、6mを越す豪雪地帯の山間地域、日本海の夕日が見られるという変化に富んだコースで、途中5つの峠越えがあり、日本一過酷なコースと言われている。

コース 直江津(スタート)→三和区→清里区→牧区→安塚区(第一関門、中間点)→浦川原区(第二関門)→吉川区→柿崎区(第三関門)→大潟区→頸城区(ゴール)

コース概略 
 越後平野を20kほど清里の山里に向かって南に下ると、だらだらとした登りに差し掛かる。30k地点から第一峠に入る。約5k走って200m登る勾配、この程度の峠が70K地点までに全部で5箇所続く。第二峠を降りたところが第一関門(47.4K)安塚区。最高高低差345mの第4峠が一番きついと言われている。第五峠を下りきったところに第二関門(69.1K)浦川原区。70K過ぎに平野に出る。これより越後平野を北に向かって日本海に面した柿崎へ向かう。15Kほどで第三関門(85.2k)柿崎区。ここから海岸線を西に向かって走る。あとは平坦な道を15k、夕日を右に見ながらのラストラン。ゴールに入る頃は日も落ちて心細い。後2k地点から大会本部が用意した照明器が歩道を照らし、キャンドルで車道と分けている。最後の直線100mはまばゆいばかりのキャンドルで誘導された感激のゴールへと続く。大勢のスタッフや撮影隊が待つゴールとなる。
 もっとも11時間以内で走るランナーは、照明機もキャンドルも関係なく味気ないゴールとなる。

第一日目 10月13日(金) いよいよ越後に向かって出発
 出発は勤務の都合もあって、前夜祭に出れる人、途中参加の人、宿で落ち合う人とそれぞれが別れて越後に向かった。
 私は12日に上京し一泊、大宮から中川さんと待ち合わせ、東京からの森岡さん、浅野さんと合流し、とき312号で越後湯沢乗り換え、ほくほく線のはくたか12号で直江津へ向かった。各自お弁当を買ってビールを飲みながらワイワイガヤガヤ、約2時間ほどで直江津に着く。
大宮へ向かう途中京浜東北線で人身事故があり、電車がストップ、一時はどうなることかと焦ったが、南浦和で宇都宮線に乗り換え何とか間に合う。(別ルートがあるので事なきを得たが、毎日どこかで人身事故があるようだ。田舎では考えられないことだ。・・・東京は恐ろしい。)
 本部が用意したシャトルバスで15:00には会場につきゼッケン交換をした。広い体育館の片隅に受付が用意されていた。1319これが私のゼッケン番号。明日はよろしく頼むとゼッケンに挨拶。遅れてくる人の分まで受付を済ませたので、首から各自2〜3のバッグをぶら下げて宿泊場所のビジネスホテル「元気人」へ向かう。宿泊場所は日帰り入浴ができる温泉付のビジネスホテルでスチームサウナ、ドライサウナ、ジグジーや薬草湯等があり、前夜祭前にのんびりと湯に浸かった。
 中川、浅野、岸田の頭格好の似たものが湯に浸かっているとき、ひょっこり高野さんが現れた。
 事前に参加を聞いてなかったので、お互い奇遇を驚くとともに参加をたたえあった。
私は3回目のウルトラになるが前夜祭に初めて飛び入り参加する。
スタート会場のリージョンプラザ上越は体育館やプールを備えた総合運動公園で、前夜祭会場は体育館を仕切って用意されていた。物産販売コーナーでは越後の郷土品が所狭しと並べてあり、特に地酒コーナーは試飲で盛況であった。
 
 市長や関係者の挨拶が型どおり終わり、乾杯、沢山の料理とビール、地酒が用意されていた。会場で小山内さん、江畠さん、小宮山さん等と出会い、途中で片山夫妻が加わり盛り上がる。
 ついつい明日のことも忘れて飲みすぎる自分に気づき自重するが、レース終了後なら良いのにと森岡さん等と語り合う。本当は雪中梅等の地酒をもっと飲みたかった。寄せ書きをしたり、餅つきでは中川さんや浅野さんが慣れない手つきで杵を振る。ちょっとふらついていたかな?
 終了の19時までねばり、試飲の地酒が残っていると聞きつけ、銘柄別の余りものを6本ほど頂いてほろ酔い気分で会場を出る。新潟の地酒はどれもおいしい。
 会場前のスタート地点には、まばゆいほどのキャンドルと、かがり火が焚かれ幻想的な雰囲気をかもし出していた。
 
 宿舎差し回しのマイクロバスで帰途に着く。
 大谷さんと梅沢さんの到着を宿舎食堂で待った。
出場者全員が揃ったところで乾杯、不思議と100Kマラソンに出場すると言う緊張感がなく、コースの話をするわけでもなく、制限時間を気にするわけでもなく、和気あいあいとしたうちにお開きとなった。最もこのとき関門制限時間について話し合っていたら、梅沢さんもミスることなく完走できたのではないかと思われた。
 明日の天気は晴れ、気温は朝方12℃最高23℃位との予想なので、ランパンとTシャツの上に新調した千代田のユニホームでスタートすることとした。ゴールと途中の着替え袋が2つ(青(中間点)白(80K)黄(ゴール))あり、青袋には替えの靴下とシューズ、白袋にはトレードマークの青のキャップを入れた。ところが緊張感が少なかったのか、走り出したらすぐに暑くなると信じきって、手袋やハーフパンツは持参するも宿のバックの中に置いたまま忘れる。日が昇る8時くらいまでは意外と朝の寒さはこたえた。5時半のスタート、目覚ましを3時にセット、22時半頃床に着く。初参加の秋田のときはなかなか寝付けず人の寝息で焦ったが、今回は一人一部屋のビジネスホテル、他人の寝息に干渉されずかなりぐっすりと眠れた。ところが朝方3時前廊下が騒々しい。森岡さんの声が聞こえる。中川さんが鍵を持たずに部屋を出て裸でうろうろ。ロックがかかって入れない。フロントに電話して事なきを得たが、すっかり目が覚めた。

大会当日 10月14日(土)
 朝食のおにぎりを2個食べて4時にロビー前集合、宿のマイクロバスで会場へ。10分程で到着。
 既に大勢のランナーが集っていた。片山さんや大谷さんは顔見知りの人たちが多く、元ジャーマンの山本軍団等と歓談した。  中川さんは地元テレビ局のインタービューを受け、何処から来たのですかという問いに対し、盛んに佐渡の宣伝をしていた。
全員揃ったところで記念写真 そろいの千代田のユニホームが輝いた。
 スタート地点に並ぶ、まだ空は真っ暗、スタートのアーチ塔がまばゆい。どんなドラマが待っているか? 5時30分号砲が鳴る。「ウオー」という歓声とともに一斉にスタート。男子993名、女子183名
 スタートとともに千代田の仲間がばらけて行く。片山夫妻、中川、浅野、江畠らはスタートダッシュ良く?すぐに消えていった。
 大谷、梅沢、森岡、小山内、岸田がお互いの位置を確認しながら、前後して走る。先は長い。雨の心配はなく、風もほとんどない。絶好のコンデション、少し寒いか?2Kほどで手先が冷たい。持参したのに忘れたことを後悔。気温12℃、5Kほどでトイレを模様す。日が昇れば暖かくなると言い聞かせて走る。途中畑で用を足したり10Kまでにすでに3回のトイレタイム、寒いからしょうがないかと思いながら、寄る年波を感じる。
 
途中梅沢さんから手袋を借りる。ありがたい。自分の手に比べ梅沢さんが暖かいのにびっくり。汗ばんで汚さないうちに返さなくてはと気遣いながら、薄明るくなった頃返す。15K地点でトイレ休憩の梅沢さんと別れる。大谷、森岡、小山内、岸田の4人旅が始まる。エイド休憩を入れて20K地点で所要時間2時間20分丁度良いペースを確認。1時間10分/10Kのペース。
ウルトラを楽しく走る適当な速さか。
 日が昇るとともに越後平野が全貌を現す。すでに刈り取られた田圃が何処までも広く続く。まっすぐに平野をつき抜ける農道、遠くにうっすら山が見える。「あの山を越えるのかな、いやちょっと遠過ぎるぞ」など思い巡らしながら、歩を進めた。
 夜明けとともに農家の人々が沿道に集まってきた。
 地元の人にとっては一大イベント。お茶を飲みながら、一杯やりながらの応援。浅野さん余裕のハイタッチ。 それにしても農作業で鍛えた人の手は分厚く熱かった。
 
「千代田?東京から?遠いところからよう来なさった、ガンバレ!ガンバレ!」の声援が飛ぶ。
 峠にはなかなか近づかない。途中山栗を拾ったりしてコスモスの咲く山里を走る。かなり急な坂道に差し掛かる。「いよいよ峠ですね。いやいやまだまだこんなものじゃない」と経験者の小山内さんが教えてくれる。緊張がみなぎる。
いつもの事ながら大谷さんがダッシュ、カメラでポーズ 有難う。
 越後くびき野の魅力はエイドが充実していることに尽きる。ボランテアが足腰を氷で冷やてくれたり、横になって休息できるテントがあったり当然飲食も可のレストエイドが9箇所、飲食可の通常エイドが11箇所、給水のみが18箇所と合計38ヶ所、2〜3k毎にエイドがある勘定。ほとんどのエイドで休憩を取ったのでエイドだけで1時間近くかかった計算になった。
 とにかくこしひかりのおにぎりがうまい、豆腐汁に豚汁、何杯お代わりをしただろうか。ウルトラはかえって太るよと誰かが言っていた。大谷さんは4杯、私も負けずに3杯食べる。
 第一関門(47.4K)到着(約5時間15分)、自分は靴下を取り替える。
 ここで大谷さんが眠気を模様す。豆腐汁や豚汁の食べすぎか?仮眠を始めた。さすが仙人は何処でも眠れるのかと感心する。先を急ぐこともないのでここでじっくり休む事にし、遅れている梅沢さん中川さんらを待つ。15分位して梅沢さん中川さんが到着、片山さんと浅野さんを待ったが現れず。あまり遅くなってもまずいので6人で出発。
 中川さんは沿道の人と言葉を交わしながらいつものペース、いつの間にか姿が見えなくなった。
 
 梅沢さんはゆっくり行くからと言ってずるずると後退、結局また4人旅となった。力はあるのだからここで頑張って着いてくれば完走できたのに残念。
 第3峠を過ぎる頃からすすきが多くなって沿道を彩る。
あぜ道一杯に繁るススキのために棚田が見え隠れする。刈り入れをすでに終えた棚田はすすきの棚田となっていた。苦しい登りをすすきがやわらげてくれた。
 くびき野の すすきの棚田 駆け下りる
 くびき野の 行けども尽きぬ すすきかな
 くびき野の 風に揺らめく すすきかな
忘れないように何度もつぶやきながら走った。                                           
沿道のあちこちにユニークなたて看板、地元の人たちの暖かい心づくしがジーンと伝わる。
第4峠 一番きついと言われている。ほとんどの人が歩いている。余計なエネルギーを使いたくないのか。小山内さん、大谷さん、森岡さん歩きだす。私は見栄を張ったわけじゃないけど歩かなかった。 自分は上りは得意だと言い聞かせながら、大菩薩峠を思い出しながら一歩一歩進んだ。
峠を折りきったところでエイドが待っていた。皆が来るまでゆっくり休めると思った瞬間、3人がドッと駆け込んできた。すごい勢いで駆け下りたことになる。びっくり。休む間もなく出発。
 
 第4峠を下りきったところに天然記念物の「むしがわ大杉」があった。その大きさに見とれしばし休憩、エイドで十分水は足りているのだが名水100選に選ばれている清水を飲む。
第2関門を通過して第5峠に差し掛かる。大谷、小山内、森岡歩く人、岸田走る人、同じパターンでエイドで一緒になる。ひとり突っ走ることは難しいと観念する。千代田4人の団体が通り過ぎるたびに、「東京だ、千代田だ」と声がかかる。長丁場を揃って走るランニング姿は人目を引いたようだ。
 第五峠を下って越後平野を北へ日本海に向かう。もう山はない。平坦な道が続く。この頃になるとエイドの飲み物もスポーツドリンクと書いてあっても水かお茶しかない。何か炭酸水の刺激がほしい。途中の販売機で1本のコーラを2人で分け合う。生き返るほどおいしかった。コーラを飲み終えた頃片山さんからメール、第二チェックポイントで関門に引っかかる。残念
 第3チェックポイント(85.2K)計算はしなかったが、余裕で到達か?。ここで小山内さんがゆっくり休んでゆくと言う。目の下に隈ができていた。後で聞いたことだが、小山内さんは隈ができると危険信号との事。ここまでくればもう安心。一人では関門通過が難しかったといって横になった。
ここで蛍光板付きたすきをもらう。第三関門を通過した人だけの勲章と思ったが、安全のためのたすきで、早い人はつけないようだ。ここから西へ向かって海岸線を走る。後15K 6分/kで90分、7分で105分何とか13時間前には到達できそうと話し合う。
 少し曇っていたが、何とか日本海の夕日をバックに写真が取れた。
 日が傾くとあっという間に暗くなった。大谷さんが急に快調に走り出す。森岡さんが後につく。遅れて私が追う。だんだん交通量が増えてくる。歩道が暗く見えづらい。転んではいけないとただひたすら地面とにらめっこ。あたりを見る余裕はなく、時々お互いに声掛け合いながら注意しあう。
 名物の海鮮汁は疲れのため喉を通らず。かに、えび、たいなどの味噌仕立ての海鮮汁、汁だけ吸って具を残す。「もったいなーい!」
 あと5K、海岸から離れてゴール「ユートピアくびき」へ向かう。
 
  森岡さんの左側に太陽

 皇居一周か、と言い聞かせながら、丁度料金所のあたりあと4kと思ったとき、4kの看板を見つける。まだまだ意識はしっかりしている。思いのほか足が動き始める。遠くにゴールらしき明かりが夜空を照らしている。ゴール近くなると元気が出るものだ。いつの間にか3人の先頭になっていた。
 ゴールの明かりを頼りに進んでゆくと、急に道が曲がってどんどんゴールが遠くなる。大きく迂回しているようだ。まだ3Kはある。がっかり。半蔵門の当たりか。早めたピッチを少し遅くして、淡々と走る。完全に真っ暗。工事用の照明器が歩道を照らし、歩道と車道を分けるキャンドルが点々と続く粋な計らいだ。
再び正面にゴールの明かりが更に大きく近づいてきた。目を凝らすとやはり田圃の中。しまなみのときは町の明かりで暗いという感じはなかったが、キャンドルの明かりが異常な雰囲気を盛り上げゴールへとはやる気持ちを掻き立ててくれた。コーナーを回ってはっきりとゴールとわかった時、まばゆいほどの照明と人の声。このままゴールと思ったが、せっかくここまで一緒に走ったのだからと、2人が来るのを待った。待つこと1〜2分、3人揃っての感激のゴール。パチパチとフラッシュの雨
 12時間49分26秒(ゴール写真は片山さん撮影)
 この瞬間が最高。ウルトラ バンザーイ!
 
 3人手を取り合うこともなくゴールとともにすぐボランテアの人に取り囲まれた。女子中学生が2名が付きっ切りで世話をしてくれた。ナンバープレート、RCタグをはずしたり、飲み物を持ってきてくれたり、至れり尽くせり。風呂場まで案内してくれて、湯上りにマッサージのサービスまで、マッサージは一人が足、一人が腰や肩と二人がかり、ついうとうととなった。
 越後くびき野の人気の秘密がこんなところにもあるのだろう。
 このウルトラはロングマラニックで思い切りたのしく走ろうと思って臨んだ。夕日を見るまでは期待通りに進んだが、しかし暗くなってからは景色を楽しむ余裕はなく、ただひたすらゴールが恋しく無我夢中になった。その分疲労も極度に足し、ゴールでは精根尽き果てドット倒れこんだ。しばらく水以外は受け付けず、吐き気を模様した。楽しいはずのウルトラがきつい厳しい印象として残った。
 5つの山越えで力を使い果たしたのか、それとも水の飲み過ぎか、胃ぐすりの問題か、ウルトラにもいろんなウルトラがあると、いろいろと反省の残る大会だった。
 かくして長い一日が終わった。

第三日目 10月15日(日) 越後湯沢高原散策
 思いのほか疲れは残っていなかった。全員見渡しても足を引きずっているのは 片山旦那くらいか?
 ビジネスホテルの温泉にゆっくりと浸かり熟睡。翌朝快晴の越後湯沢へと向かう。梅沢さんは朝早く宿をたって東京に帰る。見送りできず残念。またのリベンジを期待する。
 130人乗りというゴンドラで湯沢高原へ、高原でお弁当を食べ昨夜の地酒を飲むこととなった。紅葉はまだ早いか。とにかく大きいゴンドラだ。バスを横に2台繋げたくらい。7分ほどで頂上へ。
 高原のビールと酒、弁当はうまかった。「ヤッホー」、
 高原を降りて湯沢温泉に浸かる。窓から湯沢高原が見えた。
 「いい湯だな!」足湯が3箇所もあった。さすが湯の町。
 私は久しぶりのふるさと新潟へ向かって皆とここで別れた。
 「箱根で会おうね!バイバイ」
 

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