≪戻る  2006年しまなみ海道100kmウルトラ遠足 岸田 勝
日時 2006年6月3日 スタート5時:終了19時
コース 福山城(福山市)〜今治城→今治繊維リソースセンター(今治市)
参加者;大谷、加藤、柴田、高桑、森岡、岸田 6人


2日;広島空港 集合(9:30)

 終日観光;宮島厳島神社、原爆ドーム、平和記念資料館、鞆の浦温泉(日帰り入浴)
 宿泊;福山ニューキャッスルホテル(大会受付会場)
広島空港は広島市まで西へ車で1時間、宿泊施設のある福山市まで東へ車で1時間と丁度中間にある。宮島まではかなりの距離であったが、みんなの意向で厳島神社を参拝することとなった。乗り継ぎのアクセスが運良くつながり、復路は途中広島市に立ち寄り原爆ドーム、平和記念資料館を見学することができた。
宮島厳島神社;赤い大きな鳥居とバンビが出迎え。お払いをして明日の完走祈願をした。宮島はカキがおいしいが、この季節はオフシーズン、アナゴ飯で乾杯
 
  原爆ドームと記念館;ドームの真上600mのところで原爆が炸裂。その悲惨な情景を写真や展示物で目の当たりにし心痛め、いまだに続く核開発に言い知れぬ不安を感じた。(まだ見てない人は一見の価値あり、全世界の人が、原爆の恐ろしさを知るべし、途中立ち寄りでなく時間をとって見学すべし)
鞆の浦温泉(日帰り入浴);福山ニューキャッスルホテルで受付を済ませ、大会本部よりもらったおそろいのTシャツで鞆の浦温泉へ向かう。さらっとした肌触りの温泉に浸って瀬戸内海の夕日を堪能する。夕食は完走を願いたい飯で乾杯、
明日の厳しい100Kの試練を忘れリラックスムードの一日でした。
今回の参加者はみな経験者なのでどこと無く余裕があった。

3日;しまなみ海道100Kウルトラ遠足
 行程 福山城→尾道市→(尾道大橋)→向島→(因島大橋)→因島→(生口橋)→生口島→(多々羅大橋)→大三島→(大三島橋)→伯方島→(伯方大島大橋)→大島→(来島海峡第一大橋)→(来島海峡第二大橋)→(来島海峡第三大橋)→今治城(今治市)→ゴール(今治繊維リソースセンター) 橋 9本 全長;9432m 島 6島

観光疲れもあり22:00には就寝、男女別れての3人1部屋のビジネスホテル。温泉のぬくもりと大谷、加藤両氏のいびきで寝そびれるが、熟睡する。3時起床、暗いうちから本部が用意した朝食を食べる。秋田のときはこんなに早く朝飯?とびっくりしたが、さすが2度目となると、違和感無くぱくつく。朝食のお弁当はバナナつきの弁当とうどんの2個、こんなに食べるの“何かの間違い”と思ったが、サービス万点朝からいい調子と本部を褒めながらうどんを残して鳥のから揚げ弁当を平らげる。加藤さんは2個を食べる大食漢ぶり、柴田、森岡、高桑の女性軍もしっかり食べたらしい。皆きりりと走り慣れた格好で4:30ホテルロビー集合、私はトレードマークの青で統一  

スタート地点は福山城址

歩いて5分くらい、4:30に宿を出てスタート地点に向かう。今日一日の快晴を約束するような薄明かりの空、秋田のときはスターウオーズのテーマソングが鳴り響き大会雰囲気を盛り上げていたが、今回は鳴り物は無く静々と選手が会場に向かっていた。ウルトラの人の世界は意外と狭いらしく、経験豊富な大谷さんは、すれ違う人の中に知人を見つけては、久しぶりの再会を喜んでいた。ひときわオーラを感じたのは大勢の人に囲まれた主催者の海宝さんと出会った時であった。大谷森岡柴田等との宮古での出会いを懐かしく喜んでおられた。こんなところにもウルトラの隠れた良さが在るのかな?  
スタート5分前主催者の挨拶が始まる。約1000人が出場、この大会は競走でなくウルトラ遠足(とおあし)で、瀬戸内海の景色を楽しんでいただくため、制限時間も16時間とってあり、特に夕日を見てほしい、また事故を起こすと2度と開催できないので、“交通信号を守って安全第一に走ってください”という趣旨の挨拶があった。前日まではタイムを狙うか楽しく走るか決めかねていたが、この一言で久しぶりの仲間だ、ゆっくり走ろう、時間じゃないと心に決めた。
小さなピストルのバンという音で一斉にスタート、スタート直前女性軍がトイレに行ったのでスタートを切るのにすでに5分を経過、鼻からゆっくりムード、これでいいこれでいいと6人が一団となって走り出す。5Kほどで加藤さんが遅れ始めた。いつものペースらしい。はじめは調子が出ないとか。“食べすぎだよ、あれだけ食べれば当たり前”の声が聞こえた。高桑さんがどんどん飛ばす。いつの間にか姿が見えなくなる。後の話だが、関西芸人の一団がテレビ撮りをして走っていたので、自分も写るために一緒に走ったとか、高桑さんらしい、只では走らない、関西地区だけの放送らしい。
走り始めて15Kくらいで、柴田さんが膝が痛いと言い出す。まだ先が長いのに今から足が痛くてはと心配したが、森岡さんによればいつものことでそのうち痛みがなおり走り出すとのこと。心配したのは私だけらしい。しばらく大谷さんが付き添い遅れていたが、その後は快調に走り出す。10Kが1:21、スタートが遅くなったにしても少し遅すぎるか?しかし早く走ろうという気にはならず流れに任せる。信号機待ちで大きな集団となり、しばらくしてばらけ、また信号で集団となる。  
福山城→尾道大橋 約20K(所要時間2:24)
市街地を抜けると造船所が立ち並ぶ海が見えてくる。海はいつ見ても感動もの、建物や船の隙間から見える海に歓声が上がる。いくつかトンネルをくぐり遠く朝日に照らされた尾道大橋が見えたときは、いよいよきたなといつの間にか気合が入る。尾道大橋は専用歩行者道が無く階段を上って狭い歩道をゆっくりゆっくりわたる。トンネルのような構造で眺め悪し。狭いのでよそ見は禁物、障害物を声掛け合ってひたすら下を見て走る。  
向島→(因島大橋)約30K(所要時間3:41)
尾道大橋をわたって向島に入る。途切れなく民家が続く県道を走る。10Kほどで因島大橋にたどり着く。しまなみ海道では唯一、自動車道の下に専用歩行者道がある。しっかりと網の囲いがあるためわずかな隙間から海面が見える。潮風が気持ちよく吹き抜ける。
徐々に気温が上がってきた。橋を渡って因島に入る。加藤さんが遅れて、5人が前後、横並びとなりながら団体で交通量の少ないのどかな県道ひた走る。

因島→(生口橋)約40K(所用時間4:47)
11kほどで因島を抜け、生口橋にたどり着く。生口橋で始めて橋の上から海面を覗く。鳥が羽を広げたような美しい橋で、歩道も広く欄干から瀬戸内海が一望できた。橋の上からきらきらと光り輝く海と、朝日に映える島々に見とれる。のんびりムードで観光気分。今日一日を気分よく走れることの幸せを感ずる。エイドステーションも飲みのも食い物も十分にありすごく充実。気分満点、大谷さんから頂いた胃薬を声掛け合いながら忘れずに飲む。  

生口島中間点 約50K(中間点到達6:00、休憩、着替え10分)
遅れていたはずの加藤さんとここで合流、すでに到着していた。前のエイドで追い抜かれたのかもしれない。これで始めて全員がそろった。高桑さんは次のエイドで親戚の方が応援に来ているというので、9年ぶりの再会に胸を躍らせて、休憩なしにすっ飛んでゆく。
三角の大きなおにぎりを食べ腹ごしらえ、靴下だけ履き替え、帽子を青に取り替えてゴール写真の準備完了。秋田のときはしゃがみこんでフーフー息を弾ませていたのとは大違い。

中間点(生口島)→多々羅大橋 約60K(所要時間7:20)
多々羅大橋の袂で約60K、生口島は高桑さんの故郷、途中高桑さんのお父さんが卒業した小学校前を通過、すでに廃校となっていたが、学校前を過ぎると広々とした海水浴場が広がり現在はサンセットビーチとしてにぎわうとのことである。エイドのサンセットビーチで高桑さんの伯父叔母に挨拶、潮風が心地よく吹き抜け、疲れもさほど感じない。
12時を過ぎ快晴 頭から水をかぶり、スイカを食べ、ジュース、氷水、冷い茶などがぶ飲み、走り始めはお腹の音がしたが、汗で飛んでゆく。30℃を超えているとか。
暑いけど潮風が心地よく海岸線に沿って6人が始めて団体で走る。快調快調みな調子が良かった。
多々羅大橋をバックに記念写真。ずうずうしくも後から来る選手に撮影を頼む。お返しに写真をとってやる。これぞまさしく遠足気分。
 
多々羅大橋(全長1480m)  
しまなみの中でも美しい橋に数えられている。途中2箇所鳴き竜という場所があり、拍子木が用意されていた。なにやら前の方がにぎやかなので近づいてみると、カッシーとふーちゃんがしつこくヤッホー、ヤッホー、パンパンパンパンを繰り返していた。私も大声でオーーイ、オーイと叫んでこだまを聞く。四国に近づくにつれ海の青さが増してくる。魚やくらげを発見、橋の上から見えるのだからかなり大きい。1mくらいある、いや50p位と走りをやめてしばし見とれる。ちょうど橋の中間で四国愛媛県に入った。 大三島→ 大三島橋 わたり終えて66k 
橋にたどり着く道はかなり長い坂、いつの間にか森岡が遅れる。坂道が苦
手とか、また急に疲れが出たか、森岡を気遣いながら橋を渡る。大三島橋はしまなみの中で最初に完成した橋で、歩道は広かったがアスファルトはでこぼこ、2/3ほど渡ったところで岸田、森岡、高桑が並んで、少し遅れて柴田、大谷、加藤の順 そろそろ第13エイドが見えてきた。
アクシデント
私の右脇を走っていた森岡が、“わあっー”と叫んだ瞬間つまずいて転倒、
“ドスン”という大きな音がして顔面から左側に向けて倒れた。
左目じりから頬、左唇があっという間に赤く染まった。左肩、左ひざを強打、幸い頭は打たなかったようだ。手は無傷、高桑と二人で助け起こし、傷口の砂や小石を取る、程なくして後ろの3人が駆け付ける。見る見る左ほほが張れあがる。。
宮古島で破れバラの花の刺繍で修理したタイツは、無残にも引きちぎれ、砂まみれになった左膝は皮膚がむけ肉がむき出しとなった。痛々しい。取り合えずありあわせのバンドエイドを張った。幸い後100mくらいでエイドが見えたので、高桑が手を取って歩いてエイドに向かう。みなが怪我の程度を心配して、その後に続く。
“今私どこにいるの?ここはどこ。だんだん記憶が薄れてゆく。思い出せない。私今何をしてるの?”冗談かと思ったがすぐ青くなった。かなり記憶喪失になっているようだ。“しまなみウルトラ走っているのよ。大三島橋で転んだの、”と声をかけても“今私どこにいるの?ここはどこ。”を繰り返す。同じことを3,4回繰り返した。
大会スタッフが車を用意し次のエイドで病院を手配してくれた。消毒液で応急処置をして氷で傷口を冷やし車の到着を待っている時、
突然“私歩きます。歩いても完走します。”
“海宝さんに会わす顔がない。また迷惑をかけた。”と口ずさんだ。
誰かが昨日泊まった宿覚えてる、昨日何食べた?と矢継ぎ早の質問。普通でも覚えてないことを聞いたりして、失笑を買う。
“橋の上で転んだのね、大三島橋の上”
時間とともに記憶がよみがえってきたようだ。うつろな目に生気が戻り始める。
正直ホットした。このまま記憶が戻らなかったら如何しよう。ウルトラどこしでは無い。
一瞬後のことが頭をよぎったが、ボクシングにあるように急激なショックで脳が動いたのかな?
一段落すると、痛いところは無いか、頭は打っていないか、走れるか?と皆が気遣う。
何はともあれ、次のエイドまで歩いてゆっくり移動することとした。
柴田は一緒に休めると喜んでいたが、休んだのもつかの間、100mくらい歩いたところで、森岡が走り出した。タオルに氷を包んで左手で抑えながら走り出した。先をどんどん行く、遅れを取り戻そうとするのか、歩いては申し訳ないというウルトラ精神なのか、いつの間にか先頭に立ち、高桑と歩調をあわせ後の4人をおいてゆく。びっくりするより、そこまで回復したのかと喜んだ。
このとき全員が手をつないでそろってゴールしようと心に誓った。皆同じ気持ちだったと思う。走りながら大谷さんに気持ちを告げたら、そうしようと意見が一致。ここから団結のウルトラが始まった。“一人の落伍者を出さず一緒にゴールしよう。”が合言葉となった
足や肩や痛いところが一杯あるのになんと気丈な、精神的に強い人なのだとつくづく感心した。本人は完全に記憶が戻っているわけじゃなかったけど、走ることによって調子をとり戻したようだ。団結のヒーローは森岡に決まった。
 

大三島からは計測をやめた。時計を計ることを忘れた。計測は意味がなくなった。

伯方島と大島に架かる伯方大島大橋からの眺めは、傾きかけている夕日が島影を海面に映し、ちょうど通りかかった貨物船に陽があたり、ロマンチックな映画の一場面のようであった。
いつの間にか森岡の出血も納まり、ほほに当てていたタオルは走りにくいということで途中はずし、首が痛いというので氷をタオルで包み首にまいて走った。大きな氷が長持ちすると思い手当てしたが、細かくて軽いほうが効き目があるという効能を聞いた。
大島は延々と野菜畑が続いた。ジャガイモ、スイカ、みかん、葉タバコ、トマト、ナス
特に見渡す限り白いジャガイモの畑は見事だった。柴田さんが詳しいので驚いた。生まれ故郷の丹波の田舎の事を聞きながら、時折みかんの花の香を楽しんだ。
来島海峡第一大橋に差し掛かる。第17エイド(86k地点)すでに300人ほど通過したとか。
“エッまだそんなに早いの”遅くなったと思ったのに。皆夕日を見るためこの地点が一番眺めが良く、これから混むらしい。“ライトアップされた橋を見てるとゴールは21時頃になるよ”と言われ先を急ぐ。すでに4時を回っており日はかなり傾きかけ、ゆうやけは見れないけれど、十分に夕日を連想でき堪能した。
 
森岡が順調になってくると、心配なのが柴田だった。ついうっかり“心配なのはフーちゃんだね”と言ったしまった。この一言が柴田の闘争心を斯き立てたのか急に後も振り返らず一人飛ばし始めた。いつの間に後姿も見えなくなり来島海峡第三大橋をわたり終えるころ、眼下に第18エイド(92K地点)が見えた。小さく屈伸運動する柴田を見つけ、橋上から“おーいおーい”と手を振った。いよいよ四国だ。愛媛県だ。残り約10K  
感激のゴール
橋を渡ると今治市、ちらほらと応援の人が手を振ってくれる。そういえばここまでほとんど応援らしい応援はなかった。一人で走ったら景色はすばらしいけど、もう少し気合の入らない、寂しいランニングになったかも。
今治市内に入ると歩道があったり車道を走ったり、前後にランナーの姿が見えず道を間違っていないか心配であった。ほとんどのランナーが一人旅。われわれのように6人一塊で走っている姿は珍しかった。最後のエイドは96K地点、柴田さんがエイドに寄らず突っ走る。皆で一緒にゴールしようと言ったのに、とちょっと心配になったが、私は待っていてくれると信じていた。柴田見えず、森岡50m離れて、岸田と高桑、少し遅れて加藤、大谷の順で後2kいよいよゴールだ。 急に大谷さんが歩き出す。太ももの内側が痛いと言う。歩くと直り走ると痛む。こんなことは初めてだ。  
あの大谷さんが歩くとは。先を行く柴田と森岡はそのままに、大谷さんを待つ。すでに14時間を過ぎていた。今治城を過ぎてゴールの繊維センターは“どこだ、どこだ”と森岡がスタッフに食いかかる。いつもの調子となっていた。すでにゴールした人とすれ違う。ゴールが近いのはわかるけど、見えてこない。先に行った柴田がかすかに見えた。ゴール手前でわれわれを待っていた。右折してゴール、一番左が私隣が柴田あとはどのように並んだかはわからない。ゴール前で整列、6人が手を取り合ってそのまま万歳して、ゴール “おーっ”と言う歓声が上がる。パッパッとフラッシュがたかれる。感激のゴール、団結のゴール 皆で抱き合って完走を祝った。
3人一緒は今まであったが6人一緒は初めてだと後で知った。感激のゴール写真が早く見たい。

ゴール会場で早速ビールで乾杯、さすがに森岡は傷に悪いと一口のみ、かわいそうに、
用意されたバスで会場を離れ、宿泊地今治健康ランドに着く
不思議と筋肉痛もあまりなく、お風呂に浸かって 長い一日が終えた。

3日は森岡さんのご主人の実家がある松山で観光、ご主人の弟さんに案内してもらう。
さすがに森岡の顔は大きな絆創膏と腫れで痛々しそう。前日より左目の周りに内出血の隈ができさぞかし親戚の人に会うのがつらかったのではないか、気丈に振舞う彼女が気の毒であった。

私だけ松山―柳井フェリーで皆と別れ四国を発つ。今までの喧騒がうそのよう。急に火が消えたように孤独な船上の人となった。かくしてウルトラマラソンが終わった。
 
ウルトラマラソン
100Kを走る。さぞかし難行苦行の道のりだろうと 一般の人は100Kの長さにあきれる。私もはじめは自信がなかった。マラソンよりきついに違いない。最初の秋田のときは走れるだろうかと緊張と不安で大会を迎えた。制限時間との戦いで、楽しむ余裕用などなかった。ひっしもっしで電信柱を数えながら、一歩一歩歩を進めた。70Kを走ったとき後30K残っている。まだ青梅の距離だと思ったとき、頭が真っ白になった。それからがきつかった。エイドで休んで走り出すと、足首、膝、腰とぎしぎしと痛み出し、1Kくらいで何とか走れるようになり、次のエイドに倒れるようにしてたどり着き屈伸運動をしたことを覚えている。
しかし、今回のウルトラは大会本部の要望もあり楽しくが合言葉、終わってみてまったく違う走りの世界があることに気がついた。時間を気にせずのんびりと、エイドでおいしいものを飲み食いし、和気あいあいと気の会った仲間と走る事の楽しさ。70K走って残りの距離を惜しむ心の余裕、こんな気分になった大会は始めて、ウルトラマラソンはフルより楽だと言う片山範子さんの言葉を思い出した。サブ10狙うも良し、制限時間一杯を使って楽しむも良し、今回のしまなみで走りの楽しさの一面を知りました。  

海宝さん有難う、千代田の仲間有難う、森岡さん怪我は残念だったけど、かけがえのない団結と言う絆を作ってくれて有難う。最後に走るだけで消費ばかりの私に何一つ文句を言わない妻に有難う。これからも健康で走り続けたい! “健康ばんざい”

以上 count: カウンター