2006年 甲州夢街道・シルクロード215kmラン・ウォーク遠足
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2006/9/30-10/1
2006年 甲州夢街道・シルクロード215kmラン・ウォーク遠足 完走記

大谷 真一(2006.10.25)
 既に10月14日の「えちご・くびき野100kmマラソン」にエントリーしていた6月半ばでした。2002年に高橋嘉子さん(当時中井さん)が、このレースに参加するのを聞き、興味本位で片山さん夫妻と応援に行ったのを思い出しました。36時間以内で諏訪大社から日本橋までの215kmを走る。私は2年後の2004年に萩往還250kmを46時間ぐらいで完踏した経験はあるが、ここの距離は35km短いけど時間は12時間も短い、一体どの位のスピードで走ったらいいのだろう。来年の秋にでもと考えていました。しかし、いつまでも若くないし来年はどうなっているかも分からないのだから、走れる時に走ろうと言うことですぐにエントリーしました。

 9月29日(金)仕事を終え急いで家に帰る。日暮里から山手線で新宿へ、18時発のあずさ29号で下諏訪へ向かいました。新宿駅ホームには森岡さん柴田さんが見送りに来てくれました。ホームで出発まで15分ほどの時間に森岡さんが買ってきた缶ビールにおつまみで盛大?な見送りをしていただき、出発3分前までホームで話をし、元気をもらって乗り込みました。窓越しに聞こえないけど「ありがとう」と言って手を振り静かにスタートしました。20時25分ごろ下諏訪に到着、ランナーらしき人がたくさんいると思ったけど見たところ1人だけ、案内図を見て宿泊先の山王閣ホテルへ歩いて10分ほどで着いた。1泊朝食付き6000円を支払って部屋へ、そこには先に来ていた3人が食事も終えすっかりリラックスしていました。同室の小沢さん、天野さん、會木さんよろしくお願いしますと挨拶した。取り急ぎ荷物を「背負って走るリュック」と「預けるリュック」に分ける。同室の皆さんを誘ってまずはお風呂へ。1階にあるけど高台なので諏訪湖が眼下に広がり素晴らしい景色、と言っても夜なので街明かりと、明かりの無いところが諏訪湖と判るような夜景でした。

 4時起床、朝食は5時からなので着替えて荷物をまとめ、先に受付のある「かめや旅館」へ行くことにする。もしかして早いかもと思いながら行ってきましたが、すでに人がたくさんいて海宝さん、城定さんもいて挨拶し海宝さんと握手しました。参加賞のTシャツとゼッケンその他書類を持って足早に山王閣へ戻る。初めて使う新しい千代田走友会のランシャツにゼッケンを付ける、何とも初々しい気持ちでした。すぐに食堂へ行くと簡単な食事かと思ったら朝食バイキングでした。
食べ放題ですが早朝から多くは食べられず、ご飯みそ汁、適当におかずを一皿分を取り座る席を探していたら森近さんがこっちを向いて手を振っていました。 正面に座り一緒に検討をたたえながら早めに済ませ部屋に戻る。荷物をすべて持って同室の小沢さん、天野さんと一緒にスタート地点へ向かう。歩いて5分ほどですが、諏訪大社の前で記念写真を撮りスタート会場の「かめや旅館」へ、そこには大勢の参加選手、道路をまたぐように「甲州夢街道215kmラン・ウォーク遠足」と書かれた横断幕があしました。この光景を見て身が引き締まる思いがしました。  

 参加者は200名弱、記念撮影などして、海宝さんが最後に注意事項を話され合図と共にスタート。6時夜が明けたばかりの静かな町並みをザッザッザッと足音が響く静かなスタートでした。緊張する人も多いけど私は全く緊張せず顔見知りの森近さんと併走、写真を撮りながら皆と同じペースで走り始めました。
この後の走るペース、何キロで何時間など計算せず、馬なりではなく人間なりで行くことにしました。 無理せず身体任せと言うところでしょうか。7時40分東京まで190kmの標識を見つけました1時間40分で25kmも走れる訳ないなと思い、東京までと言うのは東京の何処なんだろう? と思ったけど良く分からないので考えないことにした。東京まで何キロの標識はたくさんある、歩道と車道の間にもよく見ると100m置きに数字がある東京までの距離だ。見ても距離が縮まる訳ではないが、つい見てしまう。天気は晴れ結構暑い。  
走っているうちに見慣れた白州サントリー工場まで来ました。ここは良く皆さんと遊びに来て工場見学をしたところです。随分来た感じはするけど残りはまだ170kmもある。走り初めて7時間東京まで150kmの標識、どうもこの標識は都県境までの距離かも? 周りは収穫の終わったのどかな田んぼが広がり、日差しは結構強い、自販機で飲み物を頻繁に買うようになった。

  13時50分ようやく第1エイド到着(62.8km)。そうめん、豚汁、おにぎりをいただく。疲れはないので早々に立ち去る。しばらくすると田んぼに替わってぶどう畑が広がり15時30分甲府市街へ入る。笛吹市に入り石和温泉の文字が見える、16時50分ごろ一の宮に入った所に片山夫妻の車発見道路脇で私設エイドを開設していました。飲み物をいただき、笹子峠で待っていると言うので、私は7km先にある第2エイドへ向かう。18時頃第2エイド到着(86.9km)、陽が落ち寒くなってきたので暖かいみそ汁とおにぎりを食べ、懐中電灯を頭に、赤く光る点滅灯をリュックに付け、ウィンドウブレーカーを着る。
いよいよ峠越え、3キロほどは緩い坂道ですが、峠入り口から坂は急になる。後のことを考え峠までの9キロを歩くことにした。しばらくして片山さんが峠で待っていると言って車で追い越して行った(18:50)。前後に3名ほどランナーはいるけど、皆さん歩くのがやたらと速い。
付いて行こうと思ったけどマイペースで行くことにした。しばらくすると街灯はまったく無くなり、木立の間から月明かりが見える程度で自分のライトの明かりだけでした。ひたすら歩いていると前方にヘッドライトを点けた片山さんの車発見(20:10)、またまた飲み物と食べ物を頂く。立ち止まると身体が冷えてしまうので早々に立ち去る。片山さん達はその後も飲み物が無くなるまで後続のランナーに応援しながら飲み物と食べ物を提供したのでした。  

 今までのウルトラマラソンと違って一人でエントリーしたため孤独でした、他のランナーと併走するときには話はするけど、飲み物を買ったりすると待ってはくれません。また一人になります、そうする内にまた別のランナーと併走し多少の会話をする、この繰り返しでした。やはり知っている人が応援で声をかけてくれるから元気が出ます。
 峠のトンネルを過ぎここから下りです。登り速かった人も下りは遅かった、私はどちらかと言うと下りが得意なので、どんどん追い抜いていく。
4キロほど下ると最後の第3エイド(103km)に21時頃到着。この時間は止まると寒い、ありがたい事にテントの中で食事がいただける。カレーライス、クリームチャウダー、みそ汁、おにぎり、他にもたくさんの食べ物と飲み物。しかし次々にランナーが入ってくるので狭いところではゆっくり出来ず食べ終わったらすぐ出なくてはなりません。夜が明けるまで9時間ぐらいはあるな、と自分に言い聞かせ真っ暗な夜道をひた走ります。 大月駅前(00:00)、猿橋駅(00:20)、上野原(03:00)、と前後にランナーはいるけど、それそれマイペースでコンビニを見つけると立ち寄ったりしていました 。  
4時半ごろ藤野駅付近でお揃いの赤色ユニフォーム男女2人ずれに会う。ご夫婦ですか、と訪ねると「はい」と返事。「夫婦揃ってこんなに長い距離走る人に会ったの初めてですよ」と言うと、「去年も2人揃って完走しました」と言うのでまたまたビックリ。周りは真っ暗ですが2人の写真を撮って先を急ぎました。

 相模湖駅(05:30).を過ぎるとそろそろ大垂水峠の登り開始です。夜が明けて明るくなってきました、ヘッドライトを消しリュックにしまう。この辺りで長野から来た北村さんとお話をしながら併走する、彼はこの辺りの地理はまったく分からないので、車で何度も通って知っている私は道路の状態を説明しながら「峠まで歩かずに走ろう」と元気付ける。早朝の峠道(ワインディングロード:バイク乗りが好んで走る)をナンバープレートが付いてないバイクが爆音をとどろかせて車体を倒しながらコーナーに突入する。峠で折り返して何度も行ったり来たり、峠で折り返している音も聞こえる。北村さんには「あのカーブを曲がってしばらく行くと峠だよ」と説明したけど、カーブを曲がっても、まだカーブが続く、「あれ?じゃあのカーブを曲がればすぐだよ」と説明を訂正。しかしカーブを過ぎてもまだ続く、とうとう疲れて歩こうかと歩き始める。15分ぐらいで峠まで行けると思っていましたが、実際は45分もかかってしまいました。車で走ればすぐなのに走ると遠いもんだと再認識しました。大垂水峠(06:30)。

 下りが得意な私に北村さんは付いて来られないので一人で先へ行く。峠を下りきった所に奥武蔵ウルトラを主催するスポーツエイドジャパンのスタッフが私設エイドを開いていました。(07:20)(ウルトラマラソンを開催する主催者の方々はお互いの大会に協力しあうことがよくあります、すばらしいことだと思います)。飲み物はもちろん、カレーライスもいただきました。空きっ腹においしかった!
 
 20分ほど走ると高尾山口駅残り52キロ、「いよいよ大詰めだぞ」と自分に言い聞かせ市街地へ入る。ここから先はよく知っている道。交通量が多くなり歩道を走り、信号機が多くなる。坂道はなく平坦ですが信号で止まる回数が増えペースが乱れ、想像してなかった疲れが出る。

  八王子で三重の金児さん、神奈川の塩田さんと併走する。塩田さんは今回で2回目、前回は惜しくも途中でリタイアとのこと、歳を訪ねると67才だそうで驚きました。「奥さんは何て言ってたの?」と聞くと「元気に行ってらっしゃいだけだよ」と言う。細い身体で「今回は何とか完走したい」と真剣でした。もう一人の金児さんは若いし元気そうなので完走は間違いないので、私は出来るならゴールまで塩田さんと一緒に走りたいと思いました。
塩田さんと走って見ると私の方が僅かにペースが速く、すこし登りになったり、連続で走る時間が長くなると歩いてしまうので、待つことにしました。これを繰り返しながら、日野(10:00)、府中(11:00)、調布(12:10)、と順調に進む。

 何時ごろだったか森岡さんからメールで梅沢さんと2人で仙川まで応援と迎えに行きますよ〜と連絡がありました。ゴールまで残り20キロを併走してくれるそうでありがたい。実は内心で2人のペースで行けるのかな?歩いて疲れている姿は見られたくないなと思い、新宿でもいいと言ったのに仙川で合流すると言うので了解しました。調布あたりで「仙川まで5キロほどだよ」とメールで連絡を入れる。 早めに来ていた2人は仙川駅で食事を済ませて甲州街道の右側を下り、私は左側を上ればどこかで会えるはず。塩田さんと併走しながら元気が湧いてきました。 柴崎駅付近に差しかかったところで、一目で判る新しい千代田のユニフォームを着た2人が前から来るのが見え手を振り合図する。 お互いすぐに気が付きました。写真など撮って喜び合いました。塩田さんを紹介したり、お話しながらゆっくりペースで進む。気持ちが話の方に切り替わり、疲れは感じません。途中はどうだったとか、片山さんの応援に来た話とか、夜中は寒かったなど話していると時間の経つのも早く、夢中で話している内にペースが上がったのか、塩田さんは「付いていけないのでお先にどうぞ」と言う、残り5時間で15キロ完走は問題ないだろうと思って先へ行きました。

 いよいよゴールは現実に感じました、笹塚では私の友達が出迎えてくれ、3人揃って走っている姿を写真に撮ってくれました。代々木警察前残り10キロを過ぎた所で前から走って来る大矢さんと合流、この辺で雨が降り始めました。 しばらく行くと新宿の人通りが多いところ。 ここでは國岡久峰子さんと粕谷愛ちゃんが横幅2mもあるような手製の旗を人混みの中で恥ずかしげもなく「まけるな(ハートマーク)真一!!」と書いてあるのを掲げ、「頑張れ〜!」と叫んでいました。(@_@)驚きビックリ!!でも嬉しい!!併走は5人になった。四谷3丁目で片山さんが出迎え写真を撮ってくれました(14:50)。大矢さんは用事があるので四谷で別れ5人でゴールへ向かう。しばらくして皇居が見えた時は嬉しかったなぁ、家に帰って来た感じがしました。 半蔵門を右に折れ、桜田門手前で板倉さんが自転車でやってきました。どんどん人が増えてくる他のランナーは皆孤独、このようにしてくれているのは私だけです、なんて幸せなんだろう。祝田橋交差点で信号待ちしていると八王子の先で別れた三重の金児さんと再び会いました。一緒に和田倉門で記念撮影し、大手町を右に折れ日本橋ゴールへ。併走していた皆は先回りするため手前で曲がり、金児さんは先に行ってもらってから皆が待つゴールへ向かいました。
 
仙川付近
笹塚付近
新宿での出迎え
和田倉門前
 なんとそこにはサプライズが待っていたのです。今まで一度もマラソンの応援に来たことがない妻の純子がいました。一瞬何でここにいるの?と思いました。 忘れていた訳ではないが、今日10月1日は私達夫婦の32回目の結婚記念日だったのです。驚かせようと思って私に内緒で進めていたようです。ゴール前で手を繋ぎ両手を上げてゴールテープを切りました。待ち受けていた海宝さんもこの事を知って「おめでとう」と握手をしてくれました。タイムは33時間53分17秒。長い長い2日間でした。

日本橋ゴール ゴールで出迎えてくれたみなさん

 気になる67才の塩田さんは23分遅れの34時間16分、大垂水峠を共に登った若い北村さんは34時間40分、川越夫妻は揃って35時間56分でそれぞれ完走しました。おめでとうございました。

 ふり返って、もし孤独で誰も話す相手がなく、一人黙々と走っていたら完走出来ただろうか。多くの仲間に「行って来るぞ」、と言ったので「何としても完走しなくちゃ」、と言う思いもあるが、エイドのスタッフの心配り、途中での応援、終盤での併走、これら全てが力となり、ゴールまで運んでもらったと思っています。
皆さん応援ありがとうございました。


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