「萩往還マラニック」140qに挑戦!
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2007/5/3〜4
  〜3日夜 山口瑠璃光寺をスタート
         東光寺の99.5kmで途中棄権〜
山本 正之(69歳)

 
 非常食を背負い、地図片手に景色を眺め出会いの人と交流コースを巡る。“マラソン大会”ではないよ!
 大会会長の「小野 幹夫さん(田布施町在住)」の生涯かけた大会も今年で19回目である。“
 エエカノ!これだけはお願いじゃが、事故だけには気お付けてくれまいの!警察からも何べんも念押しされておるジャケン!やったら来年から許可が下りんか判らん ノンタ。方言交じりが心に伝わる。地元では余り取り上げられないが、全国各地からウルトラランナーが千6百41人余の参加。業界の中では誰もが一度は参加したいと願うコースである。
 

 3日の午後6時140kmの部の選手292名が瑠璃光寺をスタート。行き先の分からない不安一杯の気持ちを胸に偲ばせ、何とかなるだろう?の気持ちで。“千代田走友会(東京)の走りの仲間”大谷真一さん等“女性2名男4名に支えられてのラン開始である。
 42キロは今までに幾度か走ったが、こんな長い距離、それも夜間 徹夜の走り戸惑いと不安一杯だ。それに突然の出場の決定と、全くの心構えのないまま困惑のレースだ。
 

  疲れ切った頬!たれ下がった瞼!日焼けし浅黒い顔! その上、目も虚ろ!一昼夜15時間の走りと、 歩きの連続は、好きなRANとは言え疲労困憊 。こんなにもなるとは予想だにしなかった。

  山口〜三田尻〜天花畑〜石畳道〜佐々並市〜明木市〜萩城址〜笠山〜東光寺〜涙松跡〜板堂跡(標高560b)一の坂六軒茶屋跡〜山口瑠璃光寺ゴールの140キロメートルとなる筋書きであった。しかしである。

  〜過酷なコース石畳古道〜

  古希前の老体には過酷なレース。“エイド”で休み、休みで歩を重ね何とか帰路99.5km“東光寺”境内のチエックポイントで力尽きリタイア。走りか、歩きだか判別不能の夢遊病者がアチコチに出没。その一人がここに居た。
  チエックシート“英雲荘・萩城址・笠山・東光寺”と見事なチエックの針の跡が厳然と刻まれたものの。最も大事な唯一つゴールの印が欠落。
 結果は胸張っての“リタイア”、である。
 コースは過酷極まりない難路。

  しかし兵はどこかにいるものである、ご一緒に踏破していただいた「千代田走友会」のメンバーの中に50歳代の女性“森岡章子さん”がその一人である。決して若くはない御年だがその“粘りと根性には見上げた存在である。今回もケロリと愚痴言わず、言い訳せずに淡々と完踏である。過去にも100kmのウルトラマラソンでも手の骨折で指輪を切断してでも完走や転倒し頭から出血してもこれまた完走。その根性は誰にでも真似が出来そうにない。走りの90%以上は完走しようという“意気込みがあるか、ないか”で決まる。今回のリタイアなんか、気持ちの中の根性が入っていないからである。始めから“ノークレ病”になってしまっている。そんな気持ちでは参加以前の問題である。自分が一番惨めでもある。  
笠山山頂にて

  萩城築城後の1604年“三田尻と萩間”を結ぶ街道の53kmを整備された道が、今大会の主コース。 「佐々並市から山口天花畑」まで15qは 往還最大の難所  “一の坂”には、石畳道が数箇所点在。「周防の国・長門の国」の国境の古道は長く、そして、きつく急勾配の道のり。 古道を利用した当時の日本の将来を案じる維新の武士達の、弾む息をかみ締めながらの“マラソンとピクニック”出陣は、現世の映し絵でもある。。

  歴史の古道をランニングと歩きの交互のピクニックは誰もが経験することの出来ない豪華な連休のプレゼントであった。。今年の歳が明けると70歳を迎えるこの年齢でこんな脚技があるなんて、わが身を信じがたい。
  同期の連中は、医師通いか、病院のベットか関の山だが、己は連日のランニングで元気一杯である。目方も増えず、血液の各データーもそこそこの健康体、お陰さまである。

 でも、走りの最後は、やはり気力である。気持ちが逃げたランニングは蝉の抜け殻。幾ら引っ張って頂いても、後ろから扇風機の馬力アップしても、うんとも寸とも動かない。動こうとしない。脳が走れという指示を出してくれない。初のこんなにも長い長い走りは自分にとって貴重な経験でもあり、無謀な挑戦でもあった。
 しかしとりあえず終わった。ランニング中終始お世話になった千代田走友会の「大谷真一さん森岡章子さん」には本当にお世話になり心から感謝である。

 明治の維新新しい国造りを目指し行き来した若者の秘めた心意気をかみ締めながらの厳しくて長かった“私のマラニック”は“途中棄権”という勲章?を糧に、かくして思い出の一ページを刻んだ。有り難うそして感謝である。

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