感激の東京マラソン2007
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2007/2/18
日時:2007年2月18日 スタート:9時10分       千代田走友会 岸田 勝(2007.3.6)

コース:東京都庁→靖国通り→市谷→飯田橋(6K)→竹橋→大手町→日比谷(10K)→御成門→品川(15k)折り返し→日比谷→銀座→日本橋→総武線ガード→蔵前(27k)→浅草雷門(折り返し28k)→銀座(34k)→築地→佃大橋(36k)→豊洲→東雲→東京ビッグサイト

競争率3倍の抽選の結果、晴れて東京マラソンに参加することができる連絡を受け“ヤッター”と叫んだ。
私は大体籤運が悪く半ばあきらめていたが、日ごろ練習しているご褒美とこのときばかり、石原さんに感謝した。
例年ならば青梅と荒川にエントリーしていたが、今回は東京一本に縛って走り込みをした。うれしいことに毎日一緒に練習している仲間の山本さんも当選、二人で運のよさに喜び合った。

大会が近づくにつれテレビや新聞で話題となってきて、兄弟からも問い合わせがあったりして、これは普通のマラソンとは違うぞ、俺が走ることを親戚や知り合いに知らせよう、迷惑じゃないなと思い始めた。応援に来てもらっても3万人の中から私を見つけるのは難しいだろうと思い、ランニング姿と凡その通過時間およびコース取りを連絡した。
ゼッケンNO15896白帽子に千代田のマーク入り青のランシャツランパン、それに青のアームウオーマーという出で立ち 少々の寒さでもこれが私のスタイルだ。
予想タイムは3時間30分フィニッシュで前半24分/5k、後半25分/5kのペース、スタートラインまでのロスタイムを5分と計算して市谷付近を9時40分、順に5Kごとの通過時間を計算で求め最後のゴールを12時40分とした。最初の20Kまでは団子状態、後半はバラケテ来ると予想、応援し易いようにと最初は中央よりを、後半は沿道よりを走ることとした。

蕨の子供の家から新宿まで約40分、7時半には着きたいので7時前には出るとして5時半起きとした。
マラソンの日の朝食はトーストにバナナ、りんご、トマト、ヨーグルト、それに安倍川餅の定番だ。

家を出るとすでに冷たい雨が降っていた。町はまだ薄暗く街灯の灯が濡れた路面にぼんやりと映り、駅に着く頃は、靴はびしょびしょ肩に背負ったバッグからは雨が滴り落ちていた。プラットホームにはそれらしき姿の人が数人、なにやら談笑している。ちらりと緊張感が走る。
濡れた靴を見ながら“なんという日だ、昨日はあんなに良い天気だったのに”とつい愚痴った。

千代田の仲間との待ち合わせ場所はスタート地点Cの真下と地図上で聞いていたが、実際は大勢の人でごった返し、場所の確認ができず、折からの雨でみな同じカッパをつけているので、探し出すことはできなかった。

9:10スタート、8:30手荷物預け終了、8:45スタート地点整列完了、
マンモス大会、何かにつけて早めはやめの時間設定、普通の天候なら問題ないが、土砂降りで寒いときている。皆ぎりぎりまで防寒雨対策を採って時間を待っていた。
手荷物を預けると、ランシャツランパンになって最低40分は待たなければならない。
マラソンはランパンと決めていたし、応援の人に見つけやすいようにと青色にこだわったので、タイツを持っていたが、着替えなかった。寒さしのぎにTシャツの上にランニング、ランパンの上にトレーニングパンツをはいた。
“練習でもこの格好で40Kくらい走っているから、いざとなれば途中で脱げばいい”
都庁の前をこま鼠のように40mぐらいをグルブルとウオーミングアップしている群集がいた。
“ウオーミングアップをしなきゃー”と焦った。大急ぎで荷物を預けいつの間にか自分もこま鼠の仲間入りをしていた。
これが思わぬ結果を招いた。結構いでたちは気になる。タイツの人はいるがパンツの人は見当たらなかった。しかしもう荷物は預けた。着けて走る以外にない。

不思議なもので少しでも走ると気持が落ち着いた。10分ほどウオーミングアップして40分前にはスタート地点Eに整列した。
自己申告3時間30分としたのでEになったのか?もう少しは早めに申告すべきだったと反省した。
スタート時間が近づくにつれ、ますます雨粒は激しく大きくなり、とうとう都庁の半分までもが雨雲に隠れた。大粒の雨が頭、肩と容赦なく降りかかり、あっという間にずぶぬれ、襟首から雨が背中に入ってきた。
スタート5分前、トレーニングパンツを脱いだ。太もものひえを始めて感じた。腰に巻いた。“こんな格好で走るのは始めてだ!失敗だった”と後悔、君が代斉唱、自然と口ずさんだ。君が代は奮い立った気持ちを落ち着かせてくれたが、この歌を歌うときは、いつもなんとなく落ち込む。こんなときは元気のいい歌がいいなーと思った。
今回ばかりはスタート時間が待ち遠しかった。早く走り出したいと思った。
 

9時10分“バーン”号砲とともに勢い良く花吹雪が舞った。
群集が一斉にスタート、思いのほかスムーズに群集は動いた。ロスタイムは5分と見ていたが実際は1分30秒位であった。
走り出したら雨も寒さも気にならなかった。つかえることもなく順調順調、新宿歌舞伎町付近は片側4車線、分離帯をはさんでまさか8車線前部がコースになるとは思ってなかった。右を取るべきか左かで少し迷ったが、中央より右車線を走った。激しい雨も少し小降りになったので、カッパを脱ぎ捨てた。  

“きしださーん”後ろで誰かが私を呼ぶ。江畠さんだ。しばらく付いて行ったが、スピードが違う。群集の中に消えていった。四谷付近で千代田のマークが一人見えてきた。後ろからぽんと叩く。東海林さんだ。お先にと声をかける。程なくまた千代田のユニホーム、ぽんと肩を叩いて挨拶、後で聞いたら品川さんだった。陸連登録の人たちだ。大谷さんや、板倉さんの姿は見えない。
市谷付近は親戚が応援に駆け付けると言っていたので、右車線を走り沿道を眺めて走ったが確認できなかった。 竹橋を過ぎ清麻呂を過ぎてすぐ右カーブ、お堀端に差し掛かったとき、千代田の盛大な応援を感じた。山岸さん、石津さん、りずみちゃん、片山夫妻(他にいれば失礼)かなりはっきり確認できたし、うれしかった。この10Kのラップは22.58 快調に飛ばした。腰のパンツも気にならない。ほどけちゃいけないと3重に縛った。

10K日比谷の交差点を左に折れて、東京国際のコースに出た。広い広い道路、ものすごい応援の人人人、何もかも始めての経験だ、すでに何箇所か給水ポイントを通過したが、10K過ぎて始めてコップを取った。口を濡らす程度。丁寧にお礼を言って水をもらい、コップを返す時も手渡ししている人がいた。見習わなければと思いながら、ぽいと回収箱めがけて投げ捨てたが、コップは一度も箱に入らなかった。“すみませーん”

御成門を過ぎ増上寺に差し掛かった。“国際マラソンでよく見る景色、今俺が走っているのだ。”と感激した。
三田駅か泉岳寺辺りで先頭集団とすれ違う。“品川を折り返してきたのか、走りが違う。ストライドが伸びている”と感心する。油谷、入船、徳本ら日本選手がいるかどうか注視したが、あっと間のすれ違いだった。しばらくして“有森さーん”という声援で対向車線の有森を確認、10人くらいの団体で通り過ぎていった 。

この頃は雨も上がり気持ちよく走れた。
青が目立つように腰に巻いたパンツの上にランシャツを出した。ゼッケンも良く見えるし、写真映りもいいだろうと一人悦に入っていた。
 
品川の折り返し、後ろから続々と来る選手とすれ違う。千代田の人はいないかと注意するが確認できず。
日比谷の交差点を過ぎいよいよ銀座だ。服部時計店の角を回ったとき“ウオー”という歓声、ものすごい人並み、いよいよ東京のど真ん中だ。うれしさに疲れも吹き飛ぶ、応援を得て元気百倍、あっという間の銀座通りであった。この間の25Kラップ24.09、有楽町を過ぎ日本橋三越前、景色に見とれている暇もなくまた雨が降り出した。
 

早くにカッパを脱ぎすぎたかと後悔、靴の濡れも気になりだした。気にならなかった腰の荷物がお荷物に感じ始めた。腰の周りでくるくると動き出す。縛り目を前にするか横にするか締めなおしながら考えた。

総武線のガードをくぐるといよいよ千代田の警備隊が待っている蔵前だ。かなり道が狭くなった。アンパンをもらったが、のどにつかえて食べにくい。人形焼が良かったよと後で聞いた。残念!
左沿道一杯に走ると、給水所や施設のボランテアのエイドがあって、走りにくかった。 ついつい中央よりのコースを取った。警備の人は皆同じ姿をしているので、誰がいたのか判別できなかった。

この頃先導車とすれ違う。黒人選手が一人ダントツで過ぎて行く。後続は遅れているようだ。
程なく有森が過ぎてゆく。まもなく雷門の折り返しだ。“疲れていても姿勢を正せ、基本に忠実に”と言い聞かせて手足を動かす。“イッチニ!イッチニ“
周りの建物の高さが低くなっていった。銀座日本橋とはだいぶ違う。浅草雷門が見えたとき“はるばる新宿から走ってきたのか”と感激で身震いした。それにしても大提灯が意外と小さく見えた。
折り返して程なく中央寄りを走っていると、見慣れた人の姿が急に現れた。“山本さんだ”“ヨっシャー”とハイタッチ、こんなに大勢の中でハイタッチできるとは・・約6分ほどの差か “ガンバレー“誰にいうとはなしに口ずさむ。
 

蔵前にさしかかる。今度は千代田の警備隊の人を発見、松本さんとは目配せでガンバルゾー、上村さんは大きな声援ガンバー、曽我さんは黄色い声でキッシー、石津さんの野太い声援、元気をいっぱい頂く。

再び総武線ガード下を過ぎ30K地点この間のラップは24.21、所要時間2時間23分位、あと10k少し、5分/kで1時間、5.5分/kで1時間6分この調子なら3時間30分は切れると計算、
広い銀座通りの群集も建物も意識の中に入ってこなくなった。特徴ある建物や標識を目標として走り、通り越すと次の目標を定めて走る。自己新達成を目指して頭の中は真っ白、何とか27分をきりたい。

35k通過頃雨に混じって何か白いものが落ちてくる。“みぞれだ!気温は下がっているのか?”
沿道の応援の人垣はなくなったが、途切れなく続いていた。佃の大橋にさしかかる。“岸田さーん!”かなり大きな声、通り過ぎて振り返る。立ち止るわけにもいかないので誰かわからなかった。親戚か学友かはたまた会社の人か 有難うと感謝しながら先を急ぐ。佃の大橋の坂は難関だと聞いていたが、走ってみてさほど感じなかった。日ごろ練習している坂よりずっと緩いと自分に言い聞かせた。

“ゴールは近いぞ!あと少しだ 頑張れ”の声援が飛ぶ。ビッグサイトのあの特徴あるモニュメントの塔が見えてくる。確かに近い。ゴール間際で左折する。“あれっ、ゴールはあの塔の下じゃないのか、ゴールは何処だ”今度はゴールが見えない。“ゴールは何処だ”200mほど走って右折、コーナーのSEIKO時計が3時間26分を刻んでいた。ゴールのアーチが見えた。“ヤッター、ヤッター”このとき自己新を確信した。
いつもラストスパートでギヤチェンジするのだが、さすがに足のふくらはぎが張ってきた。思うように足が上がらない。ゴールシーンはかっこよく写ろうと思い直し、両手を挙げてばんざいでゴール
グロス3時間26分27秒 ネット3時間25分00秒
走り終えた達成感と寒さで体が震えた。雨は相変わらず容赦なく降っていた。震えが止まらない。震える体を疲れた足で支えながら、バナナ、水、完走メダルと手にして、一歩一歩手荷物預かり場所へ進んだ。
 

思いもよらぬ寒さと雨の中の大会であったが、心配されたスタート直後のつまずきもなく、自分のペースで走れた。一部でトイレや荷物で混乱があったが、自分はこれに巻き込まれず幸いであった。

打ち上げのパーテーでは、懐かしい人たち大勢と歓談でき、フルマラソンの疲れはいつの間にか吹っ飛んでしまった。“有難う、千代田の仲間、有難う、また会う日まで”カラオケまで付き合ってかくして長い一日が終わった。

腰に巻いたパンツをランニングシャツで隠して走ったので、せっかくの写真がお腹が膨らんで写ってしまった。本当はスタイル良いのに・・・残念

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