初マラソン完走記(東京マラソン2007)
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2007/2/18
渋谷 恵子(2007.4.10)

 大会前日、朝の犬の散歩を済ませ、他には走らなかった。とにかく初レースの為、何も分からない私は、柴田さんに連絡し、明日の待ち合わせ場所と打ち上げの事、カロリーメート等と携帯電話持参等のアドバイスを頂いた。柴田さんは「今まで何回もフルマラソンを走ったけれども、今回はものすごく緊張しちゃって、足も痛いし完走できるかわからない。」と言われ、私は、東京マラソン2007が特別なものに思えてきて、極度の緊張のせいか、体中が痛くなってきた。
愛ちゃんにメールをし、当日、応援に来てくれる事とレースのアドバイスをしてもらい、それを何度も読返す事で心を落ち着かせた。
 大会当日、目覚めたら6時過ぎ。あわてて焼餅一枚、バナナ1本とスポーツドリンク250mlを胃に流し込み家を出た。外はやっぱり大雨。(すみません。私、雨女なんです。)
 土砂降りの日曜の朝早くから出かける人はいないよなと1人で歩いていると、私と同じ様に大きな東京マラソンバッグを抱えたおじ様を発見。心細い私は迷わず「おはようございます。」と声をかけた。彼も気さくに返事をしてくれた。さすが、スポーツマンは清々しい。会場までは、彼に付いて行こうと決め、RCチップと言うものの取り付け方等を教わったりした。
 千代田走友会の待ち合わせ付近でおじ様とは別れ、千代田の方達を探したけれど誰とも会えず、時間も迫っていたので待ち合わせを諦め、早々に着替えをして時間ぎりぎりで荷物を預け、どうにか列に辿り着く事ができた。最後尾Kブロックとあって、ビニール傘をさしている人も沢山いたしゴム手袋をしている人もいたそうだ。自分は荷物渡しの際に既に軍手がびしょびしょに濡れていたため、ゴム手には笑えるけど賢いと思った。スタートまではまだ40分以上もあるのに、雨に打たれているうちに体がだんだん冷えてきた。後でこの時の気温は4℃位だったと聞かされた。後ろから歓声と共に人間ウェーブがやって来たので便乗した。そう言えば準備体操などする余裕は全く無く、身体が固まっていたのでほぐすのに調度良かった。
 いよいよ、スタート時刻となった。と言ってもKブロックは全く動く気配すらない。少しずつ前進を始めると目の前に「増田明美の夫」のゼッケンが現れた。増田明美のファンである私は、すかさづ「本物ですか?冗談ですか?」と質問した。「本当に本物です。サンプラーザ中野さんも一緒です。自分は4時間30分から5時間30分の間で走るつもりですが、彼はすごーく遅いんです。彼は10Kmエントリーなのでそこまでは彼と一緒に走ります。」
 スタートから17分以上過ぎて、やっとスタート地点を通過。生の石原都知事を初めて見て感激、手を振った。スタート地点から2〜3分過ぎた所でおばさんから「あのー、スタートはどこですか?」と聞かれた。「もう過ぎましたよ。」と答えた。(私より分かってない人がいる。笑。)その後、サンプラーザ中野さんと合流。腕組みして「一緒に走りましょう。」とは言ったものの、本当に遅い。(焦り。)ゆっくりにも程がある。前日、走友会の伝言板の「抽選に漏れた人の分まで頑張って下さい。」と言う言葉を思い出し、申し訳ないが先に進んだ。  
全身フリルでバッグとぬいぐるみを持った如何にも走り難そうなコスプレ少女を抜いた。後に、フルマラソン完走とテレビで知ってびっくり。コスプレ少女も根性あって信念持ってるんだと感心した。
 東京理科大卒の亡き父が学生の頃、走ったであろう四谷から市ヶ谷辺りに近づくと、何だか篤いものが込み上げてきた。最愛なる父の一周忌にフルマラソンを完走できたら一番の供養になると思い、今、現実に走る事ができている幸せで涙が溢れた。
 5Km地点ではボランティアで交通整備をしているはずの友人を探したが見つからず。竹橋の何時も使用しているトイレに入っておこうと列に並び、10分近く待ったが一向にドアが開かない為、諦めて、皇居前のトイレに向かった。ここは、トイレまでの距離が長すぎると思った。気を取り直し、愛ちゃん達の待つ10Km地点へ行くが探せず。対向車線の品川から折り返して来たランナーの中に知った人はいないか眺めたがこれもだめ。寒くて水を欲しなかったが、給水初体験を試みた。給水したせいか、品川を過ぎた辺りから本当にトイレに行きたくなり仮設トイレに並んだ。ついでに持参したアミノ酸ゼリーを摂取した。この辺から風がだんだん強くなり、横に流されながら走っていると腰の曲がったお婆さんが私より前に走っていたのでびっくり。しかも、最後尾の伴走車とすれ違い、これはまずいと少しスピードを上げ20Kmポイントへ向かった。片山さんが「まだ20Km以上もあると思わず、もう半分も走ったと思うんだよ。」と言われたのを思い出し、千代田走友会の警備割り当て区域の浅草橋を目指した。が、ここでも誰も見つからなかった。喉の渇きと空腹でアミノバリューを飲みたかったが水しか残っていない。
おまけに、何やら甘い匂いがしてきた。ビニール袋に入った大量のバナナの皮と積み上げられた第一パンの空ケースが目に入って来た途端に、空腹はピークに達し、急にガス欠みたいになってしまった。この様な状況に於いて、第一パンの文字は本当に目に毒だ。片山さんが何時もガス欠にならない様に黒糖飴を1つ持っていると言っていたので、私も真似て持参していたので助かった。更に、復路の浅草橋を過ぎた辺りの沿道で飴を配っている見ず知らずの女性がいて、私は生まれて初めて物乞いをしてしまった。恥も外聞も無く2回も大粒の北海道キャラメルを戴いた。  
  30Kmポイントを過ぎた辺りにようやくアミノバリューの給水所を発見。コップ2杯を飲み干し生き返った感じ。と思いきや、今度は靴擦れで左足首が痛くなってしまい、何度も靴紐を縛り直さなければならなかった。35Km過ぎは私にとって未知の世界だ。菊原さんの「20Km走れれば絶対にフルマラソンは完走できる。」と言われた言葉を信じ、マラソンはここからが本番と気を引き締め直し、足の痛みに堪え、走った。
 沿道から見ず知らずのおじさんが「パワーあげるよ。」と手を出したので、遠慮なく「ありがとー」とパワーをたぶん貰った。タイムトライアルの時に森山さんから「三段階にギアを上げる事。」と「手を前に出しなさい。」と言われた事を思い出し、体勢を立て直して、愛ちゃん達の最後の応援ポイントである40Kmポイントへ向かった。が、やはり会えなかった。でも、これが終われば打ち上げで皆に会えるんだという思いでゴールへ向かった。佃大橋からのアップダウンは、全く気にならなかった。千代田の人にとってみれば、皇居の坂を走っているので平地も同然です。  
 最後の直線は、最後の力を振り絞り全力で走り、感動のゴール。電光掲示板は5:17を示していたのでもしかしたら5時間をきれたかもしれない。と思ったが、後に正式タイムが届けられ4時間代ギリギリアウトだった。
 後に、千代田のホームページで自分の走る姿を始めて見たが、ランナーと言うには程遠く、どう見ても近所のおばさん風だった。「少しでもランナー風の走りが出来るように近づきたい、
そして、次は絶対にあんぱん食べてやる。」と誓ったのでした。
 こうして、私は、こんなにも皆様の御力をお借りし、無事、初マラソンを完走する事ができました。心から感謝の気持ちで一杯です。御指導下さった方々、応援して下さった方々、ボランティアで参加下さった方々、本当にありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
 東京マラソンから2週後の日曜日は、朝から大雨と強風でした。私は、こんな天気でも
練習に来る人いるのかなと半信半疑で皇居へ向かい走り始めると、ずぶ濡れになりながら
花見をしている怪しい集団に遭遇。「渋谷さん」と声をかけられてびっくり。なんと、怪しいと思っていたのは大谷さん、森岡さん、柴田さん、中川さんだった。森岡さんに「こんな天気で練習に来るのはバカだけだよ。」と言われた。後から山岸さんもやって来た。山岸さんもランニングバカなのですね(山岸さんすみません)。そして、私もランニングバカの仲間入りをさせて頂いた様に感じた。これが初マラソン完走の素晴らしい報酬に思えた。

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