岸田勝 萩往還リタイア記
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2008/5/3〜4
平成20年5月13日 岸田 勝

 だらだらと長くなりましたが、記録のためと思い書きました。

  5月2日18時瑠璃光寺をスタート
  350人あまりが50人づつの集団となって5分のウエーブ出発、千代田走友会の4人は5番目大谷岸田少し遅れて小山内森岡と続く、椹野川に沿って折からの夕日を眺め西へひた走り

 “瑠璃光寺出でて夕日を仰ぎ見る”

 エイド下郷駐輪場27.8k 21:36着
 「瑠璃光寺→下郷駐輪場27.8k 8分/k」
 

 これでもかなりの人に追い越された。
30k付近大谷さん腹痛を訴え小休止、ガスが抜けたとき50m後方の森岡にも聞こえたとか
「本当かな?」
  4人が順調に歩を進め豊田湖57kで夜食、おにぎりと味噌汁 この頃既に森岡は体調の異変を訴えていた。大谷が森岡をサポート、既に真夜中 岸田小山内が先行して大谷森岡と走る。小山内が北斗星を発見、ライトを消してしばし立ち止まって満点の星空を見上げる。 
  “北斗星 子供の頃を 思い出す”
  “天の川 ここだあそこだ 星ゆれる”
  小山内さんの先に言っての声に反応し快調に走る。
  後ろを振り返ると暗闇の中獣の目のようにライトだけが光る。異様な光景だ。
  一人また一人と追い抜く、気がつけば前後に誰もいなくなった。後方に見えていたライトも見えなくなり辺りは真っ暗 とたんに道を間違えたかと心配になり後続を待つが現れない。スピードを上げて先を行く人を追いかける。誰も現れない。呼吸は乱れペースも乱れる。心配は募るばかり、経験のなさが寂しい。俵山温泉の標識が見えたときほっとした。

 エイド俵山温泉65.9K 4:14着 「下郷駐輪場→俵山温泉38.1k 10分/K」約260番目

 決して早いほうではない。焦る気持ちは有ったが一人走るのは不安なので小山内さんを待って出発、砂利ケ峠を過ぎる頃 空が明るくなってきた。不思議と眠気はなかった。快調に歩を進め海湧食堂まで小山内さんと走る。

 エイド海湧食堂86k 7:30着「俵山温泉→海湧食堂19.8k 11.7分/K」

 快調のつもりが少しずつペースが落ちていた。海湧でおかゆと味噌汁を頂く 久しぶりにまずく感じた、食欲が落ちてきたのか、胃薬を飲む。着替えに靴下と軍手を用意していたが、疲れのためか面倒くさく取り替えずに出発 小山内さんの先に行っての声で一人旅が始まる。既に陽は高く油谷湾がまぶしい、これから行く俵島が遠くかすかに陽炎の中で揺れていた。“油谷湾をぐるっと回ってあそこまで行くのか?”一瞬気が遠くなる。

  90Kを過ぎ二尊院楊貴妃墓を過ぎる頃から右足踵が地面につくとき痛みだした。自然とそれをかばうように左足に負荷がかかった。俵島へ向かうこの付近が唯一先を行く人と交差するところ、約12k先を行く人たち 2時間くらい先行しているだろうか。意外と女の人も多くいる。負けてはなるものかと思うより羨望のまなざしで見送った。俵島を巡ってエイド川尻岬に着いたときはかなり足に来ていた。

  エイド川尻岬107k 10:43着「海湧食堂→川尻岬21.5k 9分/k」
  うどんが欲しかったが品切れ、カレーは消化によくないと半分残す。
 
遠くに見える俵島
  これからが、立石観音千畳敷と日本海の荒波で異様な姿を見せる海岸が続く。  立石観音 117.3k12:27通過 「川尻岬→立石観音10.1k 10分/k」

  この間の坂道は急勾配でスキーのようにハの字で下りる。足首はがたがた。体力を消耗した。十下を下りると海岸にでんと立ちはだかる立石観音が見えてくる。はどう見ても観音様に見えない、仁王様のようだ。  千畳敷124.8k 14:10到着 「立石観音→千畳敷7.5k13.分/k」
 この間は海岸から330mの山頂に千畳敷チェックポイントがあり、ながーい登り坂 頂上には風力発電の風車が回っていた。“何と意地悪なところにポイントがあるものだと“はるか上に見える風車を目指しひたすら歩く。ひたすら歩く。
 千畳敷は折からの連休で多くの観光客が訪れていた。ランナーはポツリポツリと見えるだけ。
千畳敷でへとへと、大の字になってぶっ倒れる。大谷さんから森岡のリタイアのTEL。小山内さんと一緒に走っているようだ。 
 「モリモリがリタイアかー、自分は持つかな?」ふっとリタイヤの思いが横切った。それを振り払うように立ち上がって出かけようとした時森岡が突然現れた。
 “何でここに?”リタイアバスで立ち寄ったとか 森岡は後悔の念もなくすがすがしい顔をしていた。アイスクリームを買って来てくれた。おいしかった。14:25頃別れて走り出す。
 千畳敷の山をだいぶ下りたとき携帯が鳴る。大谷さんと小山内さんが千畳敷に着いた。せっかくなので後戻りして一緒に走ることとした。今思えばいずれ追いつかれたのだから戻ることはなかったのに、結局40分近く千畳敷にとどまる。大きくタイムロス。
 小山内さんは早足で後を追いかけるというので、大谷さんと先を急ぐ。かなり走った頃振り向くと小山内さんが着いている。“なんと早足の人だろう”とびっくり。
 大谷さんと一緒のときは妙に落ち着けた。ただただ何も考えず付いて行けば良い。しかしこの気持ちが落とし穴であった。
 仙崎公園の手前に歩道橋があり、大谷さんは2段おきに駆け上がった。一段づつ駆け上がるのは面倒くさいとのこと、“恐れ入った、なんと強靭な人だろう”一歩一歩上がりながら感心した。エイドに着いたときは既に薄暗くなっていた。

 仙崎公園142.7k18:00着「千畳敷→仙崎公園17.9k12.8分/k」

 青海島の鯨墓を折り返しまた戻ってくるので荷物は残しヘッドライトと水だけを持って出発 往復20K 既に帰ってくる人とすれ違う 3時間は先行する余裕の人たち 
 足はだいぶ痛かったが青海島キャンプ場までは大谷さんと併走、食事を終えた時、小山内さんと入れ違いとなる。2日目の夜になった。海風は肌寒く応えた。私を気遣わず先に行ってと伝えたが、それでもかなり頑張り大谷さんを見失うことなくチエックポイントに到着

 鯨墓152.9k 19:48着「仙崎公園→鯨墓10.2k11分/k」
 復路は既に真っ暗闇 あっという間に大谷さんを見失う 足の痛みはますますひどく歩き出す 同じ様に歩く人がいたが、だんだん距離が開く 先に行く人の明かりが見えなくなると不安なので小走りで追いつきまた歩く 私より遅く向かってくるランナーとすれ違う時、歩道を踏み外し車道に転倒する。左足左肩を強打 ますます歩行困難となる。先達もいなくなり心細くこの頃リタイアを決意した。既に21時を過ぎていた。
 

 “次のエイド仙崎で申し出よう”何の未練もなく心に決めたとき奇妙に晴れ晴れとした。結局復路はほとんど歩いた。仙崎に着いたとき大谷さんは既に30分前に出発していた。  エイド仙崎163.1k 22:00「鯨墓→仙崎公園10.2k13分/k」

 “リタイアします”係の人に告げた。 
 “もったいない 行けるところまで行ったら まだ時間は十分あるのだから”
 という声が聞こえた。
 22:03妻にリタイアを告げる。妻には足の痛みを伝えてあったのでリタイアを聞いてほっとしたようであった。
 かくして収容者の人となる。10人くらいのマイクロバスがあっという間に一杯となった。同病相哀れむ 残り約90k 夜道と山坂を考えると リタイアやむをえなしと納得した。悔しさや無念というより妙に自己満足した
 かくして萩往還の初挑戦は163kで往還道を見ることなく終了した。
 翌日左足は、すねから足先までむくみがあり像の足のようになっていた。リタイアもやむなしと自他共に認める格好となった。これでよかったのだ。萩往還は甘くない。

 まとめ 走行距離 164K 時間28時間 10.2分/k

 敗因分析
 100Kのウルトラはマラソンの延長で何とかこなせた。早朝に出発夕方ゴール 夜中に走る不安がない またエイドが頻繁にあり 次のエイドつぎのエイドと目標を持って走れる。疲労回復もエイド任せ、ウルトラは楽しいよと人に言えた。
 さすが250Kは2番夜通し走る。遅くなれば仮眠時間もなくなる。初参加で完踏はよほど力がないとできない。強靭な肉体と強靭な精神力が必要だ!!

 1.100Kと同じようにエイドまで頑張るという走りは疲労回復にならない。エイドの間隔は平均10k場合によって14K以上 自分で目標を持って休憩をとるようにしないといけない。
 2.曲がり角は白線を引いてあるが、基本は直線がコース 交差点でも白線がなければ細い真っ直ぐが正解 夜は暗いし迷ううんだね これが ついつい大きな道を進んでしまう。
 3.坂道は体力温存のため決して走らない 疲れてからでは遅い 元気なうちに下りは走り登りは歩きに徹する。ただし早歩きを習得すること。
 4.寒さ対策に上の防寒具とカッパは必需品、下はロングタイツで十分、荷物は少なく
 5.スタンドは随所にあるので水は500cc一本で十分 食物はいらない。
 6.仮眠と入浴の出来る宗頭サービスセンターに到着する時間を設定する。作戦が大事。

 敗因
 1.100kウルトラの延長で考えていた。計画的に休養を取ること。
 2.歩くのは疲れてからと思い多少の坂道は力に任せて走ったこと。疲労を早めた。
 3.地図を持って走ったが、説明文の入っているコース案内表を忘れた事。今何処にいるのかわからなくなってしまった。通過地点(標高)や注意事項、ペースと通過時刻が記されていた。
 4.大谷さんや森岡さん、小山内さんについていけばよいといった安易な他人任せ。
 5.時間はあったのだから、足が痛いときは屈伸をして休んだりして回復を待つこと。痛いのを我慢して走らない。焦りが禁物。
 6.同じ走力の人を早く見つけ一人走行は避けること。

 なんといっても経験が一番、今年は雨も降らず走りやすかった。雨が降ったりもっと寒かったら、状況は変わるだろう。強靭な肉体と強靭な精神力を一年かけて養わなければいけないだろう。ただ寝ずに走ることはそんなに苦しくはなかった。

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