片山範子 萩往還リタイア記
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2008/5/3〜4
 萩往還、皆さんから沢山の応援頂きまして、有り難うございました。 片山 範子
2008.5.8

 3度目の挑戦、140キロの部 背水の陣で臨みましたが 120キロ余り走って、ゴールの14キロ手前で関門アウト、夫婦共々撃沈しました。

 横で娘が 「背水の陣って、誰か戦う敵がいるの?」 と素朴な質問。

 ここで まだ一度も完踏できてない 私が語る資格はないかもしれないですが、それは


 「自己との戦い」なのです。

 初めて参加した4年前、単純に100キロ+40キロで24時間なら何とかなるだろう、と甘い計算で臨みましたが、このコースは何しろ、真夜中、高尾から陣馬山みたいな石畳、砂利道、全く走れない所が多く、萩往還道往復70キロ+さらに70キロ走も平坦ではない鯖山峠、萩笠山登りあり。半端じゃない・・

 単純140キロ走 ではなかったのです。

 今年、三度目のスタートラインに立ち、緊張の瞬間。

 今年こそ完踏(この大会では完走とは言わない)しようと通算300キロ近くマラニックに出掛けたし、監督(旦那)だって3キロも痩せたし、ありとあらゆる対策をしたつもりでした。

 スタート前、上村さん作成の千代田の参加者全員の名前入り横断幕を持って記念撮影。そして、少しすると岸田さんの奥様とご子息が見送りに来て下さいました。本当に山口では、二年連続すっかりお世話になりました。お二人の笑顔に勇気付けられ、中村さんと一緒にスタート。今年は迷惑かけないようにバラバラでマイペースで走る事にしました。
 

 スタートから15キロ程で鯖山峠越え。暗くなり火葬場横を通過、22キロの防府折り返し迄行くと、手に持っていたライトを落としてしまいバラバラに分解!「わ〜どうしよう。」ここでライトが壊れては致命的! 前を走る監督に助けを求めました。 幸い球切れはしていなくて元に戻ったので一安心でした。折り返して程なくすると中村さんとすれ違うが、マイペースで元気そうでした。帰りの鯖山峠「しゃもじ」というエイドでは又2年連続、京都のラジオ局KBS ワカチャンのインタビューを受け、今年こそ完踏したいと話しました。(以前、皇居にもインタビューにみえた方です。) 少しずつ疲れはじめましたが、43キロ、何とか昨年より30分速く山口福祉センターに到着。

 そこからいよいよ萩往還道の闇夜の山越え。昨年は小山内さんや中村さんに一緒に走って頂き、ペース配分等、ご迷惑おかけしてしまいましたが、今年は、奮起した監督に 終始、先導され、引っ張ってもらいました。

 この大会の良さは、前後して走るランナーと会話し、励まされ、辛さと同時に何か心が温かくなれる事です。闇夜の萩往還道、見上げれば、降ってきそうな程、沢山の星空。綺麗でしたが、見ていると足をとられ危ないので、ひたすら前へ・・・でも、後から検証してみると、この歩きが遅かったらしいのです。山歩きを速くするのが課題です。

 80キロ萩には今までの参加の中では一番早く7時に着いたのですが、そこで、毎年ご夫婦で参加されている地元の水津さんご夫婦から「ここにこの時間で来られたなら完踏出来ますよ。ただし、虎ヶ崎まで走ってね。」と嬉しい言葉をかけて頂きました。でも、そこから徐々にペースダウン。暑さを少しでも避けようと日陰を選び進むと 笠山帰りの大谷さんに会いましたが 200キロ近く走って来たとは思えない程、元気そうでした。ゴール写真とってもらう約束をして、再び走り、笠山頂上を目指しました。坂は急で辛いのですが、そこからの海の眺めは絶景でした。

 虎ヶ崎に9時30分、ちょっと遅いかな?と不安でしたが、カレーを食べて、、盛り返そうと走りましたが、思うように走れず、監督が、しばしば振り返っては「早くしろ!」という顔をしていました。

 東光寺近く迄行くと、昨日250キロの部をリタイアした森岡さんが並走してくれました。リタイアのショックから立ち直り、聞けば、大会ボランティアとして仮眠所の宗頭でお手伝いまでしていたとか・・・あまりにもかいがいしく働くので、ランナーには大会スタッフと間違われ、「宗頭のお姉さん」と呼ばれたとか・・鉄の女(失礼)と同時に心優しき、素晴らしきランナーである森岡さんには脱帽です。さて、東光寺の門前では岸田さんと山本さんが、応援に駆けつけてくれていました。岸田さんも160キロも走った後、足を引きずり?手負いの身なのに、本当に有難い、心強い千代田の仲間です。山本さんは昨年少しご一緒に走らせて頂きましたが、優しい俊足ランナーでした。今年も私達の為に応援に駆けつけて下さったばかりか、千代田掲示板に経過報告までして下さっていたのですね。さて、そこで、岸田さんより、「タイム的に後6時間半で急がないと厳しい、7時間無いと無理かも」と聞いてかなり焦りましたが、「もう破れかぶれ、行くしかない!」 気持ちとは反対に 100キロを超えた長い走りで 足が段々限界に・・・

 昨年リタイアした萩有料道路には1時少し前  ますます情勢は悪化。でも、今年の決意は固く、「制限時間いっぱい迄コース上にいる!止めさせられるまで走る!諦めない!」

 途中、限界の足の痛みと戦いつつ、夫婦の会話、私「先に言って」、監督「え〜〜愛しているからとても置いて行く訳には行かないよ」と冗談を言っていたら抜いていくランナーに吹きだして笑われ、それでも 千代田の「のり子大好き」は私を置いていかず、憎たらしいぐらい、叱咤激励ではなく、叱咤、叱咤、叱咤 「モット速く走れないの?」と呆れ顔!私、内心「だったらさっさと先に行け〜本当に愛していたら一人にして〜」とジタバタしているうちに二人とも足の痛みでヨタヨタに・・

 もはや、愛し合うランナー夫婦ではなく、手を取り合う要介護老夫婦のようでした。
 

 監督 「もう、来年は来るって言うなよ! 萩往還道は見納めだな」  

 私、「そうね。もう三回もやってだめなんだから、私達には無理なのかも。それに、楽しくない・・痛いだけだね。何でこんな辛いこと忘れて、三回も来ちゃったんだろう・・・私達バカよね」 

 何故こんなに足の裏が痛いのか? あ〜きっと安い靴だからいけないのだ!・・と全く自分の性ではなく靴のせいにしている自分がいました。往還道の石畳が一歩毎に踵に刺さるような痛み、どこを選んで着地しても、痛い・・監督も足の甲が痛くてたまらないらしい・・、2時に明木、それからは恐怖の上り下りの繰り返し、3時半、 佐々並の近くまで来たとき、大会役員に「佐々並まで行ったら止めてください。」山の中のコースの為、以降の走行は危険とのこと。後14キロ。無念の終了でしたが、これが実力でした。

 4時、佐々並で22時間の旅は終わりました。

 参加結果
 1回目 80キロ、 2回目 107キロ  3回目 120キロ

 リタイアに変わりないけれど少しずつ努力の結果は更新されました。

 リタイア後は、収容車もなかなか来ないので岸田さんに車で迎えに来て頂きました。

 その後、ホテルでは入浴、食事後、水ぶくれとなった足首の手当てに包帯を買ったのですが、巻くことも出来ず、飲もうと思って買った缶チューハイを冷蔵庫に入れることさえも出来ず・・監督と共に、バタンキュー!着替えもしないで、Gパン姿でベッドカバーの上に、朝まで倒れるように寝込んでしまいました。皆と250キロ完踏のお祝い宴会に出ることも出来ず・・情けないです。

 大会翌日

 今年は中村さんは転倒というアクシデントに見舞われ、苦戦して80キロ迄頑張って、燃え尽きたとの事でした。私達と中村さんの会話、中村「懲りたよ。もう来ることは無いね。」私「そうですよね。私達も無理です。」と、妙な連帯感がありました。

 その時は、本当にもう未練はなかったのです。・・・

 監督「中村さん、80キロリタイアなんてだらしないな〜今度、鍛えてやるよ」と冗談を言うと、中村さん「佐々並まで走れるようにでしょ?」この切り替えしに大爆笑。五十歩百歩の3人、傷を舐めあうのではなく、つつき合っていました。

 でも、大谷さん、小山内さんの見事な250キロの完踏! 素晴らしい!!

 やはり、私達も味わいたい感動のゴール・・・そんな気持ちがジワジワ

 特に、小山内さんの完踏は 昨年140キロで、私達のせいでに完踏出来なかったというご迷惑をおかけしていただけに、本当に嬉しかったです。その上、昨年完踏出来なくて落ち込む私達に、「ウルトラは完走だけではないですよ。」それは、「もっとそれ以上に大事なことがある。」という意味だと思いました。それは小山内さんの私達に対する優しさ、負い目を感じないように言ってくれた温かい言葉でした。そして、そんな仲間に守られて走れる私達は幸せだと思いました。

 そう言えば、高橋勇市さんの奥様が以前教えてくれました。「ウルトラはスタートラインに立てることが一番なんだよ。スタートに立てることが幸せなんだよ。家族に何かがあっても立てなくなる、全ての環境がそろって初めて叶うんだ!」そんな言葉を海宝さんかどなたかが、話してくれたそうです。

 さて、東京に帰り着いた今、監督と中村さんの電話では、大会翌日のあの言葉は何処へ行ったやら・・早くも来年のリベンジ話がチラホラ・・・エッ、??  懲りたと言っていた中村さんも、もう熱くリベンジですか? 何か構想はすでに始まっているようでした。

 監督といえば、今日は  反省しきり?  原因追求?  挙句の果てに、言った言葉は

 「あの時、やっぱり のり子を置いて行けば良かった」

 全く 千代田の「のり子大好き」 は 大ウソつき!!!

 物忘れの良さだけは自信がある監督

 さあ、来年、どうするかは・・・お楽しみ。  

 早くも、「秩父札所巡り」で山の特訓を考えているようです・・・

 私は、監督(旦那)の愛が信じられなくなったので、「自己との戦い」である萩往還から、「監督との戦い」に変えるぞ〜!!

 そして最後に、もう一度

 離れた東京から応援して下さった皆さん・・・

 山荘にて癒しの一時を過ごさせて頂いたり、至れり尽くせりの歓待をして下さった山口の岸田さんご夫妻、山本さん・・・

 本当に有り難うございました。

 一人では走れない萩往還、皆さんの力と共に、いつの日か夢の完踏を・・・・

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