第20回萩往還250kmリタイア記
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2008/5/3〜4
  森岡章子 2008.5.31

 5月2日18:13山口市瑠璃光寺、今年第20回を迎えた萩往還250kmのコースに362人のランナーが集まりました。第20回ということで例年より出走者が多いということでした。ハーフやフルと違って和気藹々、同窓会の集まりのようなスタートです。ウェーブスタートで大谷・小山内・岸田・森岡は18:13一緒にスタートを切りました。まもなく左手に山口駅、特徴ある歩道橋の宮島町交差点(18:33)。直進すると140kmのコースで防府市へ、私たちは右折して、川沿いのサイクリングロードを進みました。みなさんの進み方が速い。250kmに出る人は最初からこんなに速いのかとびっくり。川をはさんで右手にきれいな夕日が見えてきました。
 上郷駅(13.2km19:40)次第に暗くなり第1エイドの上郷駅に到着。ここでライトを頭に装着。なんとなく暗い。電池が少なくなってきたらしい。山口に来る前に確認しとかなきゃいけないですね。途中のコンビニで買い換えよう。今回はエイド滞在短く、が目標。美東町、秋芳町と続く。右手奥に秋芳洞があるのかなあと思いながら進む。秋芳町はあきよしちょう、秋芳洞はしゅうほうどうと読む。地名は難しい。空を見上げると満天の星。東京ではすぐにわかる北斗七星やオリオン座が、星が多すぎてどれだかわからない。4人いっせいに頭のライトを消して真っ暗にして見上げると降るような星空で、空全体が天の川でした。

 下郷駐輪場(27.8km21:34)このころから、前を走っている大谷さんが上体を左右にねじっているのに気がついた。どうやらガスがたまってお腹が痛いらしい。

 西寺交差点(43.9km5月3日 00:21)通過。

 ガソリンスタンドのエイド、たぶん上田代三叉路(49.6km)で小休止。少し寒いけど、腹痛の大谷さんが横になったので、私たちも横になり15分ほど寝ました。到着リストを見ると後ろから20番目くらい、焦る気持ちはあったけれど、これから長いんだから大丈夫。
 しかしこのころから私が3人に遅れ始めました。3人が心配して時々振り返ってくれます。眠気はぜんぜんないんだけど、これ以上には速く走れないよう。なんか調子がいまいちです。50m先を走っている大谷さんからぶりぶりぶりっと音が聞こえてきました。お腹治ったね。
 このころ有名なクニさんに会いました。スタート前にお蕎麦屋さんで一緒のテーブルにつかせてもらって少し話をさせていただきました。お名前は良く知っていたんですが、生でそれも走っているクニさんを見るのは初めてでした。クニさんのHPから7,8人の方の完踏記を印刷して読みました。
 そろそろ豊田湖エイドなのですが、行けども行けども右折する地点に到着せず、エイドまでずいぶん長かったのを覚えています。(反省点:勉強不足、次の目標地点を把握していなかった。)

 豊田湖(57.1km)今回はコース変更で道路から500m入ったレストランにエイドが移動となりました。レストランに入っていくと長いすに横になっている女性がいました。転倒して腕を骨折、救急車を待っているということでした。ここではうどんとおにぎりが出ました。おにぎりは塩気がなくようやく食べましたが、うどんのお汁も味がないので食べられませんでした。3人に聞いたらちょうど良い味だというのです。私の味覚がおかしくなっていたらしいです。ここでおいしくなくても無理やり食べていれば途中ばてなかったのに。(反省点:弱い胃腸)  

 ここからは小山内さん岸田さんが先行、大谷さんは私と一緒に遅れて走ってくれました。いつもながらすみません。出てほどなくすると、前を走っているクニさんに気がついた。聞けば、転倒してあばら骨を打ち痛みがあり遅れ気味になったので、豊田湖のレストランはパスしてきたとのこと。少しの間、話を聞きながら進みました。クニさんは上りは速足歩き、下りは早走り、だそうです。私は疲れてきたら歩くのだと思っていたので、速足歩きを最初から入れていくということを聞いて、目から鱗状態でした。クニさんはとても気さくな方でいろいろと話してくださいました。(来年の対策:上りは速足歩き、下りは速足走り)

 俵山温泉(65.9km04:28)豊田湖からずっと下っていくと俵山温泉。到着すると先行していた小山内さんと岸田さんが出発していきました。先ほどのガソリンスタンドのエイドで15分ほど寝たのでぜんぜん眠くないのですが、やはり疲れが出てきたし、夜の寒さでおしりから太ももにかけて冷えてきて痛くなってきました。大谷さんから痛み止めをもらい飲みました。だんだんと明るくなってきてやっと一晩目が終わりました。二晩目もあるのかと思うと気が遠くなりそうでした。きれいな赤い欄干の赤滝橋を渡りました。(05:46)過酷なコースですが、景色は抜群です。  
 大坊エイド(76.4km06:01)ずっと下りだったせいか大坊川ダムからエイドまですごく近く感じ、あれっという間に到着しました。

 海湧食堂(85.7km07:40)日本海に出て油谷大橋を渡ったことをあんまり覚えていないのですが、油谷湾を囲むようにはるか向こうにかすんで見える俵島を良く覚えています。ええ〜っ!あんな所まで行くのお?ぐるりと海沿いにまわりあの端まで行くのかと思うとまたまた気が遠くなりました。海湧食堂に到着すると小山内さん岸田さんが出発するところでした。中に入ると座敷に寝ている人もいます。ここではおかゆと味噌汁の朝ごはんです。やはり味噌汁はぜんぶいただきましたが、おかゆは一口しか食べられませんでした。居眠りしている間に大谷さんが全部食べてくれました。(反省点:食べないと走れない)
 いざ第1チェックポイントの俵島へ出発。いざと書きましたが、実際はもう疲れが出てきてやっとこさでした。これから走るコースが全部見えるというのは元気な時なら楽しいですが、疲れている時は厳しい。俵島チェックポイントを終わった森近さんに会いました。チェックポイントまで12km、かなりのアップダウンが続きました。途中、楊貴妃のお墓の案内板(90km08:46)、元気な時なら興味津々で見に行くのですが、パス。本当に楊貴妃のお墓なのかなあ。キリストのお墓も東北にあるっていうから本当かも。民家の屋根に小さいシャチホコみたいなのがついていて、所変わればいろいろだなあと思いながら俵島へ。島といっても半島の先っちょで陸伝いつながっています。俵島に入って時計周りに海を左手に見ながら進みました。島に入ってからもずっとアップダウンが続き、住んでる人たちの日常は大変だなと思いました。天気が良く、土曜日に行くマラニックだったら最高の日和です。年配の女性がひとりでやっているエイドにたどり着きました。お水をもらい、チェックポイントの場所を聞くと、100m上と聞き、登っていくとありましたありました。チェックポイントは高いところか遠いところにあるんですよ。このコースを考えた人は意地の悪い人に違いないと思いました。

 チェックポイントでカードにパンチをいれて出発(97.8km10:08)。そこからアップダウンある道を進み俵島脱出。すでに疲労困憊。行きの道に合流してからしばらくして道沿いの建物の影に座り込んでしまいました。体力なし、精神力なし、もう走りたくない。これからこんな状態が続くと大谷さんの足をひっぱることにもなるし、急にもうやめたくなりました。これからの進む距離150kmを考えると失神しそうで、もうとても無理です。もうやめたい。大谷さんにそのように告げました。ここから次のエイドまで歩いていこうと思ったとき、救護バスが通りかかり、なんの躊躇もなく乗せてもらいました。(100km10:40)  

 リタイアしたことには後悔ありませんでした。あまりにもあっさりとリタイアしてしまって自分でも驚いていますが、私の力ではここまででした。納得のリタイアです。準備不足、走りこみ不足でした。 萩往還250kmは100kmのウルトラの延長ではありませんでした。来年はしっかり準備して再挑戦しようとバスの中で自分に誓いました。  川尻岬で収容バスに乗り換え、各エイドでリタイア選手を収容しながら、宗頭文化センターへ行きました。途中、千畳敷への長い登りで小山内さんと大谷さんが元気良く走っているのを見つけました。大谷さんは小山内に追いついたんです。すごい走力です。千畳敷について、見渡していると岸田さんを発見。携帯で私のリタイアを知っていました。一緒にアイスクリームを食べて健闘を祈って別れました。
 宗頭文化センターでは数時間寝て、5月4日03時ごろまでボランティアで手伝いました。食事のお世話、選手たちの様子、など観察し勉強させてもらいました。
 岸田さんが5月3日23時ごろ到着、ビールを買ってくるというのでおかしいなと思い、受付で調べたらリタイアリストに岸田さんの名前を発見しました。私のリタイアが岸田さんの足をひっぱってしまったのじゃないかと、ここで初めて反省しました。岸田さんは千畳敷で大谷さん小山内さんと合流し、鯨墓から帰ってきて仙崎でリタイアしたそうです。岸田さんとはリタイア選手用の体育館(リタイアしない選手には部屋が用意されている)で枕を並べて討ち死にしました。
 5月4日00時ごろ大谷さんと森近さんが到着、食事をして1時間ほど仮眠して、元気に出発していきました。森近さんはちゃんとお風呂に入っていきました。小山内さんが00時半ごろ到着、やはり1時間仮眠して出発。
 宗頭文化センターは静かな野戦病院みたいで、仮眠用に部屋があるのに、廊下で走っているそのままの格好で横たわって寝ている人。足を投げ出して座って寝てる人、足踏まれたらどうすんだ。ソファで姿勢正しく座って寝てる人、まるで起きてるみたい。
 選手達が食事しているのを見ていると、皆さん良く食べる。細い女性も良く食べる。食欲なくても口の中に押し込むようにして食べる。味噌汁におにぎりを入れて流し込む。食べないと走れない。食べるから走れる。ここで食べれない人にはラップでおむすびを包んで持たせてあげました。


 反省点:
 走り込み不足。40キロのマラニックに2,3度行っただけでした。全然足りない。小山内さんは60キロx4回、40キロx6回やったそうです。
 長距離を走ると食物を受け付けなくなる。

 来年への対策:
 50キロ以上の長距離の走りこみをすること。仲間と練習するのも良いが、ひとりで30〜40キロをやってみる。
 早歩きの練習。走るのとは別にやること。
 コース地図の把握。現地の下見の代りに完踏記を再度読んでみる。
 食物を受け付けなくなる前に空腹を感じなくても少しづつ食べるようにする。
 疲れを最小限に抑えるためスタート当日の山口入りはやめ、ひとりでも前日に入り休養をとるようにする。
 萩往還前、2週間も腸に痛みがあったので、来年は4月の定期健康診断でバリウムは飲まない。

 まとめ:
 今回は小山内さんの知的な走りと大谷さんの天才的な走りの勝利でした。おふたりから多くのことを学んで行こうと思います。
 ウルトラマラソンは頭で企画し、胃腸で走る。私は今回はそのどちらも力不足でした。最後は精神力が物を言うと良く言われますが、その精神力は総合的な走力がベースになって培われるものだと思います。
 私が思うには最後は、どれほど走ることが好きか、どれほどゴールへの強い執着心を持っているか、だと思います。それを再認識するため、私はゴールしてくる選手の皆さんを目の奥に焼き付けました。元気良く入ってくる人、体がかしいでも走ってくる人、にこにこして走ってくる人、ぼろぼろ涙をこぼしているご主人に迎えられた奥さん(彼女に表情はなかった)、たんたんと走ってくる人。 とても2日前にスタートしたとは思えない、人間の無限の力を感じました。そして私は心に強く誓いました、来年は私もゴールするぞ!、と。以上

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