岸田勝 萩往還250km完踏記
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2009/5/3〜4
平成21年5月31日 岸田 勝

 山口に住む身にとって萩往還は避けて通れないイベントとなったようだ。
 早々と大谷、森岡両氏が参加を表明、高桑さん、伊藤さんも出るらしいと聞いて、迎え撃つ山口県民として、昨年のリベンジでもあり迷わず手を上げた。私の参加を聞きつけて、もっとも私が吹聴したのだが、1月末に結婚した息子夫婦や嫁さんのご両親が応援に来るとのことで、いつも以上のプレッシャーと気合が入った。「二度とリタイアできないぞ!」

 昨年は仙崎公園163kで無念のリタイア、時間的にはまだ余裕はあったが、左足前脛骨筋の炎症が血流を阻害し、足首から先が痛みを伴ってむくみ、転倒も重なって走る意欲がなくなった。また残り90k、それも未経験の夜道と坂道 リタイアを告げて妙に安堵したことを覚えている。

 昨年の失敗は繰り返すまいと、一年間トレーニングジムで下肢を鍛えた。
午前は平均20kのランニング、夕方はジムで筋トレ、主にバーベル30kを背負ってスクワット50回、片足20kのレッグエクステンション(膝関節の強化、10回×3セット)、30kのつま先上げ下ろし(足首の強化、20回×3セット)、最後に100w負荷30分の自転車をセットに週4回を日課とした。今年4月までの年間ランニング総距離は3500k 自分としては大きな怪我もなく順調に萩往還が迎えられると確信、勢いに乗って3月に阿蘇カルデラスーパーマラソン100k(6月6日)にもエントリーした。

 しかし何時何が起こるかわからない。4月15日萩まであと2週間というとき、朝錬で突然左膝前部皿付近に違和感を覚え走行不能となった。左足で体重を支えられない。屈伸は出来るのに走れない。2年前に経験した膝の異常と同じか?イヤーな思い出が頭をよぎる。  
 脱臼した様な感じ。この日は芝生で足慣らしをして仲間に悟られないように朝錬に戻った。この日から寝てもさめても膝のことだけが心配。階段の上り下り、特に下りるとき、朝起きて布団の中での足の上げ下げ、ある角度のとき痛みが走る。
 “骨に異常はないようだ、筋がおかしいかな?”と勝手に判断 夜中に目覚めて 
 “こんな状態で250kなどとても走れない、昨日のジムが負荷のかけすぎか キャンセルか い や待てよ 息子夫婦や応援団のことが・・・”と頭の中で堂々巡り。
 原因不明で悶々とした日を過ごし、一週間走るのをやめて歩きに徹した。
 間じかに迫った23日リュックを背負って25kの試走、24日足の確認で23kを走る。翌日痛みを覚える。走らないほうが良かったかと反省と後悔がつづく
 20k程度で痛くなるようでは250kはとても無理、何もしないでは体力が落ちるとジムは続けたが、大事を取ってスクワットのみにした。
 “行くところまで行こう まな板の鯉だ 何とかなるさ 神様仏様・・・”と腹をくくる。

5月1日
 もりもり 山口宇部国際空港15時45分到着 急の用で私に変わって家内が出迎える。
 18時 もりもりとウルトラセミナーに参加 
 22時頃 大谷さん山口到着 

  セミナーは“萩往還250k完踏の秘策”と題して行われた。
 幸い天気はよさそうなので雨や寒さ対策は二の次 どうすれば完踏出来るかの一点に絞って聞き入る。

このセミナーで得たことは
 1. エイドステーションでの時間短縮 12箇所で10分を4分に短縮で48分 4.8kは先行
 2. 食事時間 20分を10分に出来るかな? 5回で50分短縮 5.0k先行 
 3. 宗頭仮眠所でこの時間を仮眠に当てる
 4. 完踏のためには早く走る必要はない。計算上は11.5分/Kmで完踏ペース
 5. 前へ前へ進むのみ。あきらめないこと。
 6. 装備は最小限に。「あったら便利、使うかもしれない」は持たない。
 昨年の反省点は必要以上にエイドステーションで時間をとったこと、坂道も頑張って走ったこと、なんと言っても足の鍛えが足りなかった。

5月2日
 午前はゆっくりと宿を出て3人で雪舟庭を見学し、必勝祈願で裏山の毘沙門天を参る。 午後はかんぽの宿で入浴と仮眠
 説明会参加 15:00〜16:00 注意事項とコース説明 
瑠璃光寺前で上村さん手製の横断幕で記念写真
今年から実行委員会代表が小野幹夫さんから木原秀明氏に変更 
スタートまで時間が有るので
このとき階段の上がり降りで膝の違和感があり、途中で私だけ引き返す。

18時 スタート
 50人ずつのウエーブスタート 3組目でスタート 今年から発信タグを付けての計測
ひざのことは大谷さんにも森岡さんにも言ってなかった。
今までこんなに不安なスタートはあっただろうか
 “明日の朝まで持つだろうか?いや10kも行かないうちに・・・”
 家内が言うにはスタート直後は緊張のあまり顔面蒼白だったとのこと 
人には言えぬ悩みを抱えてのスタートでした。
スタートはゆっくりムード 足をかばっている私には幸いでした。昨年は“瑠璃光寺出でて夕日を仰ぎ見る”という句を読んだが、今年はそんな余裕はなし 
“ゆっくり ゆっくり 段差に気をつけて”

第3エイド下郷駐輪場27.8K 21:20(21:36)( )内は昨年の到着時間 
 スタート→ 下郷駐輪場(13.2Km) 区間ペース 7.2分/Km
快調なペース 膝の違和感もなく まずは一安心 油断は禁物何時爆発するかわからない。昨年は満点の星月夜 今年は薄曇りで星は見えず ただカエルの鳴き声は昨年と同じ
“ゲロゲロげろげろ”時折“モウモウ”と牛に似た声も。 わずかな月明かりで田圃がぼんやり明るく見える漆黒の道、ヘッドライトと反射板の光だけが頼り、3人が黙々と前後になって走る。

第7エイド俵山温泉67.1K 3:03(4:14)昨年より1時間11分早い 区間8.0分/Km
砂利が峠、大坊ダムを抜ける頃 東の空が明るくなる。昨年は小山内さんと併走した。
今年は3人揃って快調。膝もあまり気にならなくなったが、“ゆっくりゆっくり気をつけて”つぶやきながらひた走る。

朝食 海湧食堂 3日6:13(7:30) 区間9.7分/Km
徐々にペースは落ちているが、昨年より1時間17分早い、エイドでの休憩時間短縮の効果が出ているか。おかゆを頂く。
海湧食堂につく頃 ここでもりもりが睡魔に襲われ私と大谷さんに大きく遅れをとって歩き始めた。歩くとあっという間に差が開く。とうとう振り向いても姿が見えなくなった。5分ほど遅れて食堂に到着 先に行ってくれと言って食堂の畳の上で横になる。
“もりもりは後で追いかけると言っているが、あの様子ではリタイヤするかも知れない、
私が引っ張って行くからキッシーは先に行ってくれ”と大谷さんが言うので、膝に不安を抱え実力のない私は先に出発、とにかく前へ前へ前進あるのみ。
ここから昨年と同じく一人旅が始まる。(昨年はここで小山内さんと別れた)
油谷湾が一望に望める海岸コース 遠くこれから行く俵島がかすんで見える。昨年は“あそこまで行くのか?”と一瞬気が遠くなったが、今年は特別の感傷もなく淡々と前へ前へ歩を進めた。
昨年はこの頃右足踵が痛み出し、自然と左に負担をかけた走りとなった。今年は今のところ大丈夫、あの膝は何処へ行ったのだろうか。悩んだことがうそのように感じられた。

チェックポイント川尻岬 9:34(10:43)  区間9.6分/Km
昨年は残したカレーを今年はしっかり頂く。
ここで100マイルレースに参加しているという60歳くらいの関西の猛者と知り合い、暫く話しながら走る。関西地区では300K以上の超ウルトラがあって大坂→兵庫→京都→滋賀→奈良と渡って走るレース 手作りレースで50人くらいとか言っていた。萩往還が最長かと思ったら大間違い 世の中広いなーと感心感心 猛者はあっと今に先に行ってしまった。

 チェックポイント立石観音117K 11:26(12:27) 区間11.3分/Km
 観音様の見える海岸でアイスクリームを食べる。(昨年も食べた)
 だいぶ疲れが出てきた。ちょっとした坂道でも歩きだす。下りも膝を気遣い歩く。だんだんと時間がかかってきた。

 チェックポイント千畳敷124.8K 13:02(14:10)12.6分/Kmペースは落ちたが昨年より1時間8分早い
 昨年はここで収容車で先回りしたモリモリにばったり会う、大谷さん小山内さんを待って出発 大きく時間をロスした。 
今年は?大谷さんに電話しても返事がない。モリモリは呼び出しても出ない。どうしたのかなと心配しながら、休憩約6分で先を急ぐ。
ここから暫くくだり いつもなら駆け下りるのだが、膝を心配して歩いて下りる。
 ここでかなりの人に追い越される。“ゆっくりゆっくり 歩いても間に合う”

第16エイド仙崎公園 到着時間不明 まだ明るくライトを持たないで出発する人もいた。(昨年18:00)1時間半くらい早いか。
 仙崎公園に着く頃、幸運の女神(男だが)勝又道雄さん(神奈川県)と出会う。
完踏3回目?で今年が4回目の挑戦とか 
“昨年無念のリタイアをして今年はリベンジだ!” 
“息子夫婦やその両親が応援に来ているのでなんとしても完踏したい” 
 などと身の上話をしているうちに、勝又さんが完踏請負人を買って出てくれた。
 この調子なら完踏間違いなしです。と事もなく言う。本当かいな?と疑いながら 完踏話を聞く 明るいうちに仙崎に戻れるから、宗頭でしっかり仮眠を取って1時の出発で間に合う 残りは80K弱 10分/Kmで800分 14時間弱でゴール 1時出発で15時にはゴールできる計算 と言う。走りながらぽいぽいと数字が出てくる。またまた“ほんまかいなと” 計算するが 答えが出ない まあいいや 兎に角この人についていこう と決心
する。
 チェックポイント鯨墓153.1K 18:11(19:48)昨年より1時間30分早い 区間12.7分/Km
 鯨墓から折り返して青海島に近づく頃、鯨墓へ向かうもりもりとばったり ここで大谷さんのリタイアを知る。意外と元気なもりもりを見てホッとする。一緒に後戻りは出来ない。頑張ってと声を残して先を急ぐ、もりもりとの時間差を縮めるため、青海島付近から走ったり歩いたりした。いつしか夕闇が迫り第17エイドの仙崎公園(復路)に帰ったときはすっかり日も暮れていた。もりもりの到着を待った。待つときは長く感じる。勝又さんも一緒に待ってくれているので申し訳ないので先に行ってくれといったが、請負人になったんだから一緒に行きましょう。と30分くらいこのエイドで時間を費やした。
 ここでもう一人の完踏請負人と知り合う。西田浩一さん(10回完踏 表彰される)
私より小柄だが歩く早さはものすごい。この人が先頭に立ち勝又さんが最後尾 もりもりと他の女の人と私が間に入って一列で歩く歩く 走らないのかな ともりもりと話しながらひたすら宗頭に向けて歩く。 しかし自然と間が開く 走っては追いつきまた歩くを繰り返す。これが完踏の秘訣か 妙に感心する。宗頭までの約12Kが約3時間くらいかかった。始めての道 案内人がいることはこんなにも心強いことか 人の後をついてゆくだけ 道も国道をただ真っ直ぐ わかり易い。
 宗頭文化センター175.2K 23:00 区間13.1分/Km
リタイアした人と継続する人で寝る棟が違う 別棟で大谷さんは睡眠中 モリモリが着いたことを報告する。
 約2時間の仮眠で1:30出発とする。仮眠室は既に到着した人がぐーぐーといびきをかいて寝ていた。音を立てずに気を遣って11:30横になる。午前0時目覚ましがあちこちで鳴る かなりの人がこの時間に出発した。我々の起床は1時、請負人まかせだ。
 
仙崎公園を通過して鯨墓へ向かう途中からだの異変に気づく
 おしっこが赤く色づいている。“何?何?な、なんだ これは”
 1kくらい走ってまたおしっこを見る “赤い 確かに赤い”疲労のせいだろう 今度は膝よりおしっこが気になった。“心なしか ちんちんの先が痛い”
 宗頭で下着とパンツを着替える。食欲はあったが気がつけば朝から便秘だ。おなかが張り出したので、おにぎりものど通りが悪い。宗頭でトイレに入ったが、トイレを独占するわけにもいかないので、落ち着かない。二日分を背負っての出発となった。

 宗頭センターから西田さんと別れ、請負人の勝又さんの先導でもりもりと3人で午前1時半出発
 長門市から萩市に至る漆黒の山道 鎖峠 いかにも恐ろしげな所 何人かの人が追い抜いてゆく 勝又さんは決して走らない ただひたすら歩く 
 “あのーだいぶ体も温まり走る準備は出来たのですが・・・”と声をかけたとき
 “くらい夜道は足元も悪いし走る必要はない、明るくなればいくらでも走れる このペースなら 東光寺には午前8時に着ける”と自信たっぷり “ええーツ”ともりもりと顔を見合わせ驚くばかり ヘッドライトに浮かぶ夜道はモンスターがあちこちに出没、一人ではとても走れない。恐ろしげな影 また影 光のない昔、狐や狸にだまされて道に迷う、妖怪が出る、わかる気がした。

 チェックポイント 三見駅187.6k 3:30 区間12.1分/Km 平均ペース10.7分/Km
宗頭で仮眠を取ったので平均ペースが落ちる。ここでリタイア希望の病人と遭遇 本部と連絡を取って欲しいと頼まれる。病人を残して立ち去ることも出来ないので、本部に連絡を取ったが、真夜中のこと なかなか通じない。電話番号を残して非情にも先を急ぐ 三見駅までくればだんだんと明るくなり鏡の様に波静かな日本海が見えてきた。白みかけてから走り出す。とたんにおなかがごろごろと鳴り出す。「催してきたかなと期待半分、こんなところでと迷惑半分」 トイレのある玉江駅まではまだだいぶある 明るくなっては恥ずかしいので暗いうちにと 草むらに駆け込みしゃがむ 勝又さんやモリモリを待たしているので落ち着かない ごろごろ言ってたおなかが音沙汰なし 時間の無駄とばかり またまたお荷物を背負って走り出す 体が重くて調子が出ない 萩に近づき道もわかったので勝又さんに先に行くようお願いして もりもりとの2人旅となる。指月山が見え出した頃140kのランナーと遭遇
 140kランナーと一部コースがダブっている。お互いの健闘を励ましあい挨拶を交わす。
 ここまでくれば眠いのおなかが張るのといってられない。ただ次のエイド虎が崎を目指すのみ 不思議なものでごろごろもおなかの張りも膝の痛みもおしっこの色づきも皆忘れて約12k休まず走った。
第9チェックポイント虎が崎206k 7:01  区間11.3分/Km
ここは萩笠山の先端、天然の椿の自然林で有名
またまたカレーを食す。なりふりかまわずカレーを食べた。ところてん式に出す以外にない。もりもりには待たして悪かったが、和式トイレで10分ほどの悪戦苦闘 ころころとしたものが漸く出た。心なしか体が軽くなったが今度は思うようにトイレから立てない。和式トイレはこれだから始末が悪い。
自然探勝路を走って笠山を抜ける。140kのウルトラの人とすれ違う。越ヶ浜を過ぎ萩焼会館を通って東光寺へ向かう。東光寺まで後2kくらいのところで、走友の山本さんとそのお孫さんお母さんの出迎えを受ける。手作りの名前入り応援幕を見て、感激する。「頑張れ 岸田勝、頑張れ 森岡章子」と書かれていた。差し入れのコーラ、冷たいトマト おいしかった。特にトマトの冷たい喉通りは忘れられない。
 この頃「キッシー ちょっと左肩が下がっているよ!」と森岡に注意される。自分では気がつかなかったが、山本さんは10度左に傾いていると後で教えてくれた。どうも腰から上が傾いているようだ。自分では気がつかないがなんとなくひだり腰に違和感が有った。
 第10チェックポイント 東光寺 215k 8:48 区間12.9分/Km
 予定の8時より48分遅れているが、このペースなら完踏間違いなしと確信した。
 東光寺で大谷さんの出迎えを受ける。体調を崩しているかなと心配していたが、いたって元気、例によって後先になって沢山写真を撮ってもらった。左肩下がりの記念の写真も多くあった。写真で始めて自分でも驚いた。
 松陰神社を通過、萩の街を走る。この頃はモリモリのほうが快調、何時も自分が20〜30m後においていかれる。

エイド萩往還公園 222k 10:30到着 区間13.3分/Km平均ペース10.9分/Km
 ここから萩往還道の始まり
 この頃から140kコースの人と併走、70kコースの人 35kコースのウオーキングの人等とすれ違う。皆一応に我々白ゼッケンに気づくと、
“ご苦労さん 大変でしたねー、”と羨望をこめた尊敬のまなざしで挨拶を受けた。
合掌して拝んでくれる人もいた。始めて250kを走る白ぜっけんの別世界を感じた。
 萩往還道はほとんど上り下りの山道 走ったり歩いたり 時間を稼ぐわけには行かない。

エイド明木市 226k 11:07到着 区間10.0分/Km平均ペース10.9分/Km
 明木は丁度陶器祭りの最中、沢山の人でにぎわっていた ここで山本さんや大谷さんの応援を受ける 夏みかんの差し入れ 昔懐かしいすっぱい味とみずみずしさが眠気を覚ます 山本さんのお孫さんの寄せ書きに感謝 「ここからが勝負 あきらめるな」
 ここからお孫さんとお母さんが2kほどを伴走してくれた。お孫さんはもりもりと お母さんは私と一緒に お母さんに「無理しなくてもいいですよ」といったら「次の出合いまで走らないと車がないのです」と 歩くことも出来ず引っ張られた。遠く国道からは山本さんの「頑張れ 頑張れ」の応援 いやおうなく走らされた。「友は嬉しい」
山本さんと大谷さんは先回りして佐々並エイドで再会
 家内も車で応援に駆けつけたらしい。珍しいこともあるものだ、明木で待ったけど会えなかっとメールが入る。予定より早く明木を通過したようだ。
 エイド佐々並236k 時間不明
 名物佐々並豆腐を食す これがうわさの豆腐か 少し硬くて歯ごたえがある 二個頂く
 山本さんもおいしそうに食す 応援の人にも振舞ってくれる心が嬉しい
 佐々並を出て1kほど 名物の草饅頭を農家のおばさんが娘さん等総出で振舞っているた。蓬餅 餡の甘さも適当 手にひら一杯の大きさ これを食べて元気百倍 “また来年食べに来ますー”といってゴールへ向う。ここまで来れば後は約15k 快調に走れるかと思いきやここからの国道の坂道が半端じゃない 約7k下って登りの国道 相変わらずもりもりの後20〜30mを左に傾きながら“とっこん とっこん”と走る。時折立ち止まってトイレ休憩 赤色は消えていた。歳のせいかトイレが近い。トイレのたびに後れを取る。
板堂峠(萩往還最高点545m)243k付近で家族の出迎えを受ける。息子夫婦、嫁さんの両親、家内の顔も見える。全員総出だ。このときだけ姿勢を正して走ったつもり。嫁さんの父が駆け寄ってきて「ご苦労さん 頑張って」と声かけられた。ここから天花畑の2kの山くだり 急な石畳、折から雨も降り始め、滑りやすくなり足元もおぼつかなくなって大きく時間をロス 16時到着が大きくずれ込んだ。
 山道では草木の陰で気がつかなかったが、天花畑に出たとき雨は強くなっていた。
ここからは後3.8k アスファルトのくだり、ここまで来ればもう心配ない。力を残すこともない。もりもりに「行くぞ」と声をかけてピッチを上げる。ダムの脇を通って一の坂川橋を渡って左折 後は直線 飛ばした飛ばした 初めて多くの人を抜いた。
  瑠璃光寺へ後300mで右折、急に応援の人ごみが多くなった 折からの雨で家族の応援団は車の中で待機していた 予定より早くついたので出迎えで来たのは義理の父のみ 大谷さんは大慌てでゴールへ急行 何とかゴール写真には間に合った。「ばんざーい ばんざーい」自分よりもりもりの完踏が嬉しく手を握って持ち上げた もりもりは両手をばんざい 私は肩のせいか右手のみのばんざい ちょっと残念 
かくして250kは終了した。折から雨は激しくなり記念写真は嬉し涙を雨が洗ってくれてさわやかな写真となった。
終わったらビールで乾杯と楽しみにしていたが、疲れのため祝宴もほどほどにして眠りについた。

あとがき
リベンジを誓って一年間下肢の強化を図ったが、正直大谷、森岡の両氏が出場しなければ自分も見送っていたかもしれない。大会直前の膝痛は本当にびっくり 2年前に痛めているのでまたかと一時はあきらめたが、家族の応援、山本さんや千代田の仲間の期待をプレッシャーとして開き直った。原因は何かわからないけど奇跡としか言いようがない“神様仏様 神仏のごりやくがあったか”ただいえることは一年間のジム通いは無駄ではなかった。左肩の傾きも3日後には元に戻り一安心 大勢の人の助けで完踏が出来た。来年のことはまだわからないが、請負人なしで再挑戦してみたい気がする今日この頃である。

count: カウンター