2009年山口100萩往還マラニック大会250km完踏記
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2009/5/3〜4
平成21年6月28日 森岡章子

5月1日から5日の日程で、第21回萩往還に参加してきました。
羽田で上村さんに見送っていただき、ひとり大谷さんより早めに出発しました。上村さんには応援の旗を作っていただきました。5月2日スタートで1日に東京を出発したのは去年の寝不足問題を解消するためです。

去年は俵島100km付近でリタイアしてしまいましたので、今回は去年のことを参考にして準備しました。
(1)去年の小山内さんの練習を参考に50km以上3回やること
2/15:青梅マラソンの日に自宅から河辺まで、52km
3/30:稲城市の妹の家へ、昼食後、多摩川沿いに二子玉川まで、54km
4/11:高尾山、陣馬山往復、30km
4/18:小田原チャレンジ完走、60km
(2)スタート前日の5/1に山口入り、睡眠を十分にとり、疲れを出来るだけ取りました。当日はチェックアウトまで休み、午後は日帰り温泉で仮眠をとりました。
(3)去年のリタイアの主な原因であるお腹のむかむかを防ぐため、スタート前日よりガスター10を服用、当日も服用しました。
(4)地図とコース案内をヒマがあれば見ました。

瑠璃光寺前で
筋トレ不足、走りこみはこれで良かったのか、疲れは取れたのか、お腹は大丈夫か、どこまで足がもつか、などなど、いろいろな不安を抱えながら、瑠璃光寺のスタートラインに並びました。
ここまできたなら、早くスタートしてしまいたい、不安の中待っているのはとてもイヤでした。
スタートしてしまえば、心配してもあとのまつり、あとはもう、ひたすら前へ進むだけです。


5/1 午後早い飛行機で宇部山口飛行場に到着。岸田さんの奥様忍さんが出迎えてくれました。ひとりでしたので、心強かったです。夕方岸田さんと合流、大谷さんの分もいっしょにゼッケン交換。その後、菜香亭でのセミナーに参加しました。

5/2 18:15 瑠璃光寺
ウェーブスタート3番目で18:15分頃にスタート。
山口市の街中から応援をしてもらい元気に進みました。とうとう始まりました。
スタート後1km地点で交差点を渡っている時に男性の選手がひとり転倒しました。痛そうにしてなかなか起き上がれません。5,6人の選手で体を持ち上げ歩道に運びました。まだ始まったばかりなのに大丈夫でしょうか。私もこれから2日間転倒に気をつけましょう。
橋を渡り、椹野川沿いのサイクリングロード、去年は良いお天気で右手にきれいな夕焼けが見えたのに、今年は曇り。夜は寒くなるかもしれないと思いましたが、実際は曇りでかえって寒くはありませんでした。

5/2 13.2km上郷駅エイド到着。
これから250km2日間走るんだと考えると背中がぞーっとするので(去年の敗因、精神に押しつぶされてしまって100kmでてリタイア)、まずは次のポイント下郷駐輪場のことだけを考えるようにしました。
去年の秋田でエイド滞在時間短縮を心がけて効果があったので、今回も同じように極力短縮しよう。
水分を補給して、アンパンをつかんですぐに出ました。今回は空腹でなくても最初から少しづつ食べる、というのも課題のひとつです。(去年の敗因、お腹のむかむか感で食べられなかった)
ここから徐々に登りが始まりました。すでに暗くなったので下郷でライトを装着しました。

5/2 19.8km二本木峠到着。
私設エイド(どこかの走友会かな、感謝)があり、ここが頂上だと教えてくれました。
車道はびゅんびゅん車が走っています。

5/2 21.8km湯ノ口交差点エイド
5/2 21:20 27.8km下郷駐輪場エイド到着
5/2 21:54 32km 国道435線下エイド

5/2 23:33 44km 西寺エイド
ここのエイドは飲み物だけで、食事のある次の豊田湖まで約15km、空腹を感じて隣のコンビ二で買い物をしている間に、岸田さんは私と大谷さんが出発してしまったと思い、先に出発してしまったようでした。途中工事中の赤いライトを見て、先を走るランナーと見間違えました。全員赤いライトをリュックにつけています。同じ間隔でライトが見えたので、おかしいと思っていました。
豊田湖エイド直前でダムを見ることができました。曇りでよく見えませんが、音をたてて水が落ちているのがわかりました。日中に見たらさぞ雄大な眺めでしょう。

5/3 1:46 58.7km 豊田湖畔食堂チェックポイント1&食事
岸田さんと合流しました。広い駐車場にテントが張ってあり、その中に座って食事をいただきました。去年と違って食べられました。ガスター10のおかげか、食べられました。去年はうどんのおつゆの味が全然わからなくて食べませんでした。食べられることがうれしかった。食べてすぐに出発。夜中の山道を1時間ほど走っていくと俵山温泉が下のほうに見えてきました。

5/3 3:04 67.1km 俵山温泉エイド
山口県では有名な温泉なのだけれど、夜中なので誰もいません。エイドによって、飲み物をいただき、おトイレを済ませ、出発。

5/3 70.7km 砂利ヶ峠(260m)

5/3 79.9km 新大坊エイド 
去年よりタイム的には1時間くらい早めで、新大坊ダムへ下っていくころにはすっかり明るくなってきました。去年は新大坊ダムから少し先にエイドがありました、今年はずっと先の学校の校庭に移されていました。そこから出るとなんだか遠回りしたような感じがしました。油谷(ゆや)湾が見えてきました。日本海です。でもとても体調が悪い。全然前へ進めません。大谷さんから、1歩の長さをもう5センチ延ばせないかな、と言われましたが、限界です。今年はもうここでだめなのか、去年より20kmも早くだめなのか、今年もリタイアなのか、と不安がつのりました。歩き始めてしまって、やっと、海湧(うみわき)食堂に到着しました。

5/3 5:01 6:13〜7:00 86.7km 海湧食堂 食事
体調は悪いのにお粥はおいしく食べられました。このままでは進めません。大谷さんに10分寝ます、と言って、奥の座敷に座布団をしいてぐっすり寝入ってしまいました。大谷さんに起こされたのはなんと30分後、その間に岸田さんは先に出発したということでした。大谷さんは待っていてくれたのでした。この30分仮眠が私にとって良かったのですが、大谷さんは体を冷やしてしまって体調を崩してしまったようです。荷物預けの川尻中学校には最初から荷物は預けていなかったので、寄らずに出発。

5/3 8:00 92.3km 農協東三叉路
スタート前日の説明会で俵島チェックポイントまでのコースが変更となり、地図とおりに進むよう(当たり前)にということで、地図とおりに行きました。だんだん調子が良くなってきて、すみません、海湧食堂の30分仮眠の効果が出てきたようでした。
このあたりからゴールまでほぼ同じランナー達が前後して進むようになってきました。最近のウルトラマラソンは若い女性が増えました。たのもしい。

5/3 9:00 98.8km 俵島チェックポイント2
去年はもうこのあたりでへろへろでしたが、今年はあっという間に1周して元の道に戻ることができました。俵島といっても半島の先につきでている部分で島ではありません。去年リタイアした地点を見つけました。去年は道路わきの建物の軒先に座り込んで、もうだめだという私の前に、ちょうど大会のバスが通りがかりなんの躊躇もなく乗ってしまいました。でも今年は違います。ここから先150km、謙虚に、しかし自分を信じて前へ進もう、ここからは未知の世界だ、楽しんで行こうと気持ちを新たにしました。
川尻岬の沖田食堂まで登りに登って、降ります。あ〜あ〜、もったいないなあ。

5/3 10:30 107.2km 川尻岬(沖田食堂)チェックポイント3&食事
ここでクニさんがあとから到着、そして食べたらすぐに出発してしまいました。クニさんはウルトラの極意が走っているような方です。ここではカレーライス、ここのカレーは甘かった。調子良いし、食べられる、それでこんなわがままを言っています。なるべく早く出発。
川尻漁協まで一気に降ります。クニさんの完踏記に海湧食堂から川尻漁協までの半島を向津具半島と書いてありました。読み方は“むかつくはんとう”。むかつくほどのアップダウンが続きます。
次のチェックポイントは立石観音。立石観音は海辺にたつ大岩で、山から海までぐんぐん降ります。下に見えるのは美しい風景の棚田。初めて見ました。途中暑くて雑貨屋でアイスキャンデーを買おうとしたら、前のランナーに買い占められ売り切れでした。

5/3 12:11 117.1km 立石観音チェックポイント4
立石観音はでっかい羊羹を海に縦に立てたような岩です。上から3分の1のところにある何か白い部分がきれいに見えます。チェックポイントはほったて小屋のようなバス停で無人でした。無事に4つ目のチェックをシートに入れました。
ここからまた千畳敷に向かって登りが始まります。海抜0mから330mへ。千畳敷にたっている風力発電の風車が見えます。去年収容バスの中から元気に走っている小山内さんと大谷さんを見た急坂です。登りは歩きました。

5/3 13:50 124.7km 千畳敷(330m)チェックポイント5
広い千畳敷に到着。去年萩の翌日秋芳洞観光の際にお会いした夢舞マラソン大会スタッフの方に偶然会いました。大谷さんとアイスクリームを食べ、写真をとってもらい、階段を使って一気に降りました。遠くの景色まで見えて、これから向かう青海島(おうみしま)まで見えたようでしたが、今後のためにあまり先を考えず(考えるとぞ〜っとするので)、先へ進みました。

5/3 14:43黄波戸

5/3 130.2km 堀田T字路エイド
地元の元気な日置(へき)中学校の生徒さんに出迎えられました。インスタントヌードルはなにが良いかひとりひとりから注文きいて手厚く接待してくれました。以前ウルトラマラソンのエイドで手伝いをしている中学生に大人になったらウルトラを走りたいかと聞きましたら、いやだと言われたことがありました。ここではそんなことはなそうで、元気をたくさんもらい、出発しました。お土産にコスモスの種をいただきました。種の袋の中に応援レターが入っていました。ありがとう。秋に咲かせるように家の前にまきます。

少ししてから、突然、大谷さんがなんだか熱があるようで、リタイアすると言い出しました。ええ〜っ、どうしましょう、きっと海湧食堂で30分も待たせたから、その時に風をひいてしまったのかもしれない。大変なことをしてしまった!私もリタイアしよう。病人をひとりではほっとけない。でもでも、計画的に練習し、お腹も調子いいし、どうしよう、私は続けたい。ひとりで行かれるのか?行かれるところまで行こうか。いいや、師匠の分も走らなければならない。ひとりでもゴールしなければならない。短時間にそんなことが頭の中で考えました。通りがかりの若夫婦に、近くのドラッグストアまでの道案内を託し、私は一人で旅を続けることを決心しました。ウルトラは長い、何が起こるのかわからない。まるで人生のようです。
ひとりになって次のエイドの仙崎公園まで、一直線の道で、前にちらほらとランナーの姿が見えて安心しました。

5/3 142.6km 仙崎公園エイド
到着すると、大谷さんがすでにいました。話を聞くと親切な観光客に車に乗せてもらったとのことでした。そして、私が鯨墓に出発する前に、大谷さんはバスに乗り出発していきました。
ちょっと一安心して、リュックを預け出発。すでに夕闇、ライトを装着しました。青海大橋を渡り、登り降りを何回かくりかえして走っているうちに、岸田さんが向こうから走ってくるところに出会いました。大谷さんのリタイアを伝え、別れました。次のエイドで食事は、行きに食べて行ったほうが良いと聞いてたので、食べてから鯨墓へ向かうことにしました。

5/3 18:00 148.7km 青海島食堂(静ヶ浦キャンプ場)食事
ここでもカレーライスをいただきました。トイレに行き、なるべく早く出発しました。
ここからは海岸沿いにいくつもの入り江を通り過ぎ、どこだどこだと暗い中をさがして走りました。やっとチェックポイントのテントが見えてきました。

5/3 19:00 153.1km 鯨墓チェックポイント6
無事チェックシートにパンチして、トイレを借り、すぐに出発しました。同じ道を引き返します。行きのランナーに声をかけながら帰ってきました。帰りのほうが長く感じました。やっと、青海大橋まできました。

5/2 163.2km 仙崎公園エイド
なんと岸田さんが待っていてくれました。うれしかった。岸田さんが途中知り合ったというベテランの勝又さんと西田さんという方々も待っていてくれました。公園から大きな道に出るまでちょっとややこしいということなので、いっしょに連れて行ってもらうことにしました。
最初歩きました。ずっと歩いてついていきました。かなりの速さで歩きました。私は疲れていたのでちょうど良かったと思いました。結局、宗頭まで12km3時間で歩きました。夜半の人影のない国道をもくもくと歩くグループをもし人が見たら怪しいと思ったでしょう。

5/3 23:00 175.2km 宗頭文化センター食事
スタートして二晩目、約30時間後、ここで仮眠を取ることができます。リタイア組は体育館、続行組は畳の部屋で布団で寝ます。到着後預けた荷物を受け取りながら、体育館で寝ているはずの大谷さんを探しました。みんな寝ているのでみつからずに、出ようとしたら大谷さんがむっくり起き上がり、会うことができました。思ったより元気そうで安心しました。去年は私が体育館で、今年は大谷さん。人生と同じようでなかなかうまくいきません。仮眠所に戻り食事をしました。上だけ着替えをして、岸田さんと1時30分出発と約束をして布団にもぐりこみました。2時間ほどぐっすり寝ることができました。去年は食堂でボランティアとして働き、続行組の力強さをまのあたり見て、リベンジを誓ったのです。

5/4 1:30 175.2km 宗頭文化センター出発
真っ暗中人通りが途絶えた町の中、3日目が始まりました。先崎公園から引っ張っていただいた勝又さんと一緒に出発しました。ベテランということで安心です。
まずは今日も歩きから始まりました。最初の15分くらいは歩いたほうが体が暖まってよいので、好都合です。30分ほどで藤井商店に到着。

5/4 2:00 178.5km 藤井商店チェックポイント7
ここから左に入って登りが始まります。
去年、私は回収バスに乗り左折せずに直進し山口へ向かいました。その時に藤井商店の場所を確認しました。チェックのパンチが自動販売機に隠れていてわかりづらいところにぶら下がっていました。無事に7番目のチェックポイントもやり、出発。歩いて登り始めました。そろそろ走り始めませんか、という岸田さん投げかけに、勝又さんは、暗いうちは歩いて、明るくなってから走り始めるとの返事でした。このペースでも十分完走できるということだったので、岸田さんも私も初心者であることもあって、このままついていくことにしました。歩いていると睡魔に襲われます。私は岸田さんのリュックのポケットにつかまって目をつぶって寝ながら歩きました。このときに私があまりひっぱったので、これが原因で岸田さんは左に傾いて走ることになったのでしょうか。
やがて町に出て、三見川沿いにさらに海に向かって降っていくと駅に出ました。

5/4 3:30 178.6km 三見駅チェックポイント8
チェックシートにパンチを入れました。駅のホームのほうから若い男性のランナーが現れて、具合が悪いと言うので、岸田さんが大会本部の電話番号を教えてあげて別れました。
玉江駅に向かって歩きで出発しました。海沿いのマラニックには最高の道で、こんな夜中ではなく日中に千代田のお友達と一緒にマラニックしたらさぞかし最高だろうと思いました。日本海が下に見え、雑木林の中を進むくねくねとした道でした。

5/4 5:00 194.3km 玉江駅
玉江駅は2年前に140kmに参加した時に通っているので、ここからは知っている道なので、安心しました。ここまで連れてきていただいた勝叉さんにお礼を言い先に行っていただきました。勝又さんはさすが速いランナーで、2度とコース上でお会いすることはなかったです。岸田さんはお腹の調子が悪いとおトイレに入りました。別れる際にこのペースで行けば東光寺には8時に到着、従って完踏間違いとお墨付きをいただき、完踏できるというかすかな確信が出てきました。ここを出発した頃から140km参加のランナーと並走するようになりました。萩焼会館の先が200kmで、虎ヶ崎の突端のつばきの館をめざして、早朝の萩市内を進みました。
今回は笠山頂上がチェックポイントではなくなったので登らずに済みました。
時計回りに海岸沿いに走っていきつばきの館へ向かいました。

5/4 7:01 206.3km 虎が崎チェックポイント9&食事(カレーライス)
チェックシートにパンチ入れて、カレーライスをいただきました。ここのカレーライスはスパイスが効いていてとても美味でした。帰り道は自然探索路を走って明神池へ戻りました。これからつばきの館に向かうランナーと出会いました。
もと来た道を戻り、東光寺へ向かうため萩焼会館前を左折、一直線の道を走っていくと、なんと山本ファミリー(山本さん、お嬢さんのみほさん、お孫さんのこうき君)と大谷さんに出会いました。ずっと私たちを待っていてくれたのでした。大谷さんが元気なので一安心しました。しかし、あの時一緒にしばらく歩いて回復を待ちましょうと、なぜ言えなかったのかと非常に後悔しました。
山本ファミリーは応援旗を用意してくれてました。大谷さんは写真を撮ってくれました。応援は本当にありがたいです。たくさんの力をいただきました。
大谷さんは宗頭からバスで萩へ向かい、萩で偶然山本ファミリーに会ったということでした。

5/4 8:48 214.6km 東光寺チェックポイント10
勝又さんの予想より48分遅くなりましたが、無事に最終チェックポイントに到着しました。チェックシートにずらり10個のパンチが並び、宝物のようです。なくさないようにしっかりリュックにしまいました。
萩市内は道路に書いてあるとおりに進みました。もうここまで走ってきたのだから、少しくらい近道して早く進んでも全然うれしくないと感じました。250km中2〜3kmほど短くなってもどうということはありません。途中の川沿い道で山本ファミリーと大谷さんから応援され、夏みかんをいただきました。疲労回復にはクエン酸が効果あるのですが、それだけじゃなく山本さんがむいてくれた夏みかんなので疲労回復に抜群の効果があって、力をいただきました。
ランナーが増えてきました。140km、70km、35kmのランナーの方々から拍手の応援をもらい、涙で目がうるうるしてきました。2年前140kmを走ったときの事を思い出しました。250kmのランナーを見て、一昨日の夕方スタートして走り続けているんだと、尊敬のまなざしでランナーを見たことを思い出しました。今、岸田さんと私はそのランナーになっているのです。最後まで一生懸命に走り続けようと思いました。

5/4 10:20 222.2km 萩往還公園
ここから急階段を登って萩往還に入っていきます。最後の難関です。

5/4 11:04 225.9km 明木市
あきらぎいちと読みます。ちょうど街中は陶器市でにぎわっていました。レース中でなければゆっくりみたいところです。エイドに掲示板があって、山本さんのお孫さんこうき君が応援メッセージを書き込んでくれていました。とてもうれしかった、感謝感謝です。街中を楽しく走りぬけ次のエイド佐々並へ向かいました。山本さんのお嬢さんみほさんとこうき君が佐々並までいっしょに走ってくれることになりました。こうき君は学校で一番の俊足だそうです。みほさんもフルを走るランナーです。ランナーふたりに応援
4人の豪華なレースです。

5/4 13:30 242.8km 佐々並エイド
ここのお豆腐を楽しみに走ってきました。冷奴にしてあり、お醤油と甘めのお豆腐が絶妙の味でした。食べて元気をいただき、出発しました。もうここまできたらリタイアなんて考えられません。瑠璃光寺にどんどん向かっていることがうれしくてたまりません。
町を出てしばらく行くと右側に草もちを振舞ってくれる農家があります。ここも萩往還の名物のひとつです。大きな草もちをぱくっといただき、これでゴールまで大丈夫。長居は無用と草もちをもらって、食べながら歩き出しました。このころから一緒に走っていた岸田さんが遅れ始めました。
次のポイントの夏木原キャンプ場までは石畳の往還道とアスファルトの道をかわるがわる走りました。

5/4 242.8km 夏木原キャンプ場
ここから急坂になり萩往還最高地点の板堂峠545mへ向かいます。途中、往還道がとぎれた所で、大谷さんと岸田さんご家族総出(奥様、ご子息夫妻、ご子息の奥様のご実家のお父様お母様)
のお迎えを受けました。岸田さんが急に元気になってきました。私まで熱烈な応援を受け元気百倍をもらい最後の急坂の頂上を目指しました。私の師匠の大谷さんはすでにいつもの元気を取りし、忍者のごとく急な往還道をぴょんぴょんと飛び跳ねて行き、写真をとってくれました。私と岸田さんは登りも降りも歩きました。もうこの頃から雨が降り始め石畳は滑るようになっていました。こんなところで滑って転んではいられません。ここを降ってアスファルトの道へ出れば、後4kmでゴールの瑠璃光寺です。時間はあります。気をつけて降りていきました。ランナーは一列になって降りていきましたが、行けども行けどもアスファルトの道になかなか出られません。ようやくアスファルトの道に出ました。岸田さんが描いて送ってくれた水彩画の場所です。この水彩画を毎日毎日見ました。そして必ずゴールすると誓ったのです。
アスファルトの道に出て道なりに降っていくと天花畑、右手に湖が見えてきました。遠く前方に山口市の町並み。やっと帰ってきました。と思っているうちに急に岸田さんがスピードを上げ始めました。行くぞ〜と、雄叫びを上げ、すごい速さで天花橋を渡って行きました。なんだなんだ、ゴール用に力を残しておいたのね、よ〜し、私もゴールまでの花道を楽しもう!50m先のランナーが右に曲がりました。ああ〜っ!あそこを曲がれば瑠璃光寺に続くゆるい坂道です。早くゴールしたい、でももう少しこのゴール前の興奮を味わっていたい。私たちも並んで右に曲がりました。雨にもかかわらず両沿道に応援の人たちがいっぱいです。去年私はゴールするランナーを見て力をもらい、今年のゴールを誓ったのでした。

5/4 16:30 250km 瑠璃光寺
瑠璃光寺の門を入り左に入って、岸田さんと手をつないでゴールしました。ゴールには大谷さん、岸田ファミリーが総出で出迎えてくださいました。ありがとう、ありがとう!
雨で濡れた手でリュックからチェックシートをやっと出して大会本部に提出し、抜けや間違いがないか見てもらいました。結果、合格で完走賞の萩往還の石柱の模した木の置物と記録証をいただきました。雨の中でしたので、急いでリュックの中のビニールの袋にしまおうとしましたが、手が言うことをきかず、大会本部のスタッフの方が手伝ってくれました。
ゴール後すぐには終わったんだという思いしかなく、ゴールの感激はすぐには出てきませんでした。大谷さんがどのあたりが苦しかった?と聞いてくれて、とても喜んでくださいました。


あとがき
ゴール後大谷さんがどのあたりが苦しかった?と聞いてくれました。その場ではどこも苦しい所はなかったと答えました。でも後で考えると一番苦しかったのは、スタート後24時間たったころ、海湧食堂の直前、眠くて走れなかった時でした。二番目はなんといっても、大谷さんがリタイアしてから岸田さんと合流するまでです。急にひとりになり知らない道を走っていかなければならなかったからです。でもそれも25kmくらいでしたので、ひとりで参加なさってる方から見ればなんと甘えてることかと言われると思います。
あともうひとつ思うことは、宗頭文化センター前後、先崎公園〜玉江駅30kmを歩いたことです。歩いたことで疲労せずにゴールまで元気にたどり着けたと思いますが、果たしてよかったのかどうか。登りは歩きでよかったと思いますが、平坦なところは走るべきだったのではなかったのかと思います。次回もし参加することがあるのなら、なるべく走れるところは走ろうと思います。
今回はガスター10のおかげかお腹のむかむかもなく食事をちゃんと食べられたのが、ゴールできた一因と思います。それからたくさんの応援がもうひとつの勝因であることは間違いありません。
最後に大谷さんも一緒に3人でゴールしたかったです。
みなさん、本当にありがとうございました。

以上、森岡章子
2009年6月
count: カウンター