第23回秋田内陸100kmウルトラマラソン
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2013/9/22
  若林 昌二 2013.10.14
二年越しの悲願達成に向かって

お彼岸候の東北・秋田の夕暮れは早い。
気が付けば陽が西に傾きノスタルジックな空気に包まれるトワイライトタイム。
制限時間が迫ってくる・・・
今年もダメか?不安がよぎる。
いや、行けるところまで行くと誓った今回のリベンジ。
そう簡単に諦めるわけにはいかない。
何時しか記憶の底から小さな太鼓の音が聞こえてくる。
意識が朦朧とする中、聞き覚えのある音色。
魂を揺さぶり鼓舞するその音色、そう、鮮明に記憶に残るこの響きこそ
ランナーを迎える日本一大きい鷹巣自慢綴子(つづれこ)大太鼓の音だ。
もう少し、あとちょっとガンバレ、諦めるな!
ドンドンドンという音が、励ましてくれる。
最後の力を振り絞ってゴールを目指した。
果たして時間内ゴールが出来るか否か?

【2度目の挑戦に向けて】
この大会は昨年初めて参加しました。
4月に富士五湖、6月に阿蘇を走ってその年3度目の100km挑戦でした。
難コース阿蘇で13時間を切り、秋田には自信を持って臨みましたが
結果は50kmを過ぎてから急失速。60km前後までフラフラ歩き
関門時間にはまだ十分余裕がありましたが気持ちが切れて
敢え無く、自らゼッケンを外しました。
時間の経過と共にこみ上げてくる悔しさ。
翌朝、泊まったホテルを再予約して帰京しました。

【背水の陣で挑む今年】
昨年は家内と旅行を兼ね、大会前日は男鹿半島を観光。
当日、家内は角館市内を見て、内陸鉄道にて一足先に鷹巣へ
ゴールで迎えてくれる予定でしたが、結果はこちらが収容バスで先に
到着、家内を迎える事となりました。
今年は単身で乗り込み、前泊も他人と相部屋で、前日から臨戦態勢
観光は一切なし、走ることだけを目的に乗り込んだのです。
ただ今回は千代田の仲間が一緒に走ります。これは万人の援軍を
得た感じでした。勿論一度スタートすれば殆ど会えないことになりますが
同じロードを同じゴール目指している仲間がいるだけで心強いものです。

【前日のハプニング
今回参加するにあたり一つ不安がありました。
お世話になった叔母が9月に入り大分様態が悪く、いつどうなってもという病状でした。
こればかりは如何ともしがたく訃報が大会と重ならなければと身勝手に考えておりました。
21日(大会前日)泊まった石川旅館では、秋田、宮城、埼玉のランナーと私4人相部屋です。
夕食を終え早々に寝る準備をしていると家内から電話が入りました。
不安が的中しました。その日夕方叔母が他界したという知らせです。場合によっては明日大会をキャンセルして帰京する覚悟を決めます。先方の親族と葬儀の打ち合わせをメールでやりとりしますが、相部屋のランナーを気遣い、部屋の外での応対となります。
目はすっかり覚め、とても寝られる状況ではなくなりました。
結局火葬場の都合等で25日26日の葬儀となり、妙に安堵して床についたのは11時を回っていました。タイミングが悪くその頃から俄かに外が騒々しくなります。バケツをひっくり返したような大雨です。
うそー!天気予報と全然違う、明日も大雨?周りのランナーは高いびきで寝ています。焦る気持ちを抑え、もうなるようになれと横になりました。

【大会・当日スタート前】
朝2時起床。私が最初に目覚めました。それでも2時間ちょっとは寝られたのか?
気にしていた雨は止んでいました。用意してくれたおにぎり二つをほう張り準備を終え、3時には旅館を後にしました。
外はまだ真っ暗です。スタート会場までは歩いて10分かかります。ランニングシャツでもあまり寒さを感じません。むしろ心地よい感じです。
会場に着くと既に大勢のランナーでごったがえしています。荷物を預けスタート準備をしていると何人かのランナーからYoutubeに動画をアップされている方ですよね!と声をかけられます。また6月の『いわて銀河』で知り合ったランナーやFB(フェースブック)で交流のあるランナーと出会い親交を深めます。やがて千代田の仲間も続々と現れます。
さぁ後はゴール目指して走るのみだ!号砲が待たれます。

【大会当日・スタート後〜50kmまで】
4時30分スタート、気温20.3度、湿度93%。
真っ暗の中、武家屋敷通りを駆け抜けます。早朝から町の方々が応援に出てくれています。
有難いですね。5kmを過ぎたあたりから空がうっすらと明るくなります。
8kmあたりでは地元の野球少年から声援とハイタッチ、ここでは本当に力を頂けます。

10km、20km、30kmと設定したタイム通りに走れます。途中動画や写真を撮っていると“Youtube、見ましたよ!”という方から何度も声をかけられます。今年は何が何でもゴールまで写さねばと変に気合が入ります。30kmを過ぎたあたりから徐々に勾配がきつくなります。
これからこの大会一番の難所である大覚野峠を越えなければなりません。
35km付近から身体が大分きつくなって来た頃、あれ、あの人千代田の大谷さんに似ている!沿道で待ち構える男性、近づけばご本人でした。どうして?と思いつつ、元気の出るドリンクを御馳走になりました。本当に感謝致します。

何とか40kmポイントも設定タイムで通過、これからは下りに入ります。昨年とほぼ同じタイムですが今回は足がよく動きます。前半最後の比立内トンネルを抜け、中間地点(49.7km)のエイドには昨年より15分早く10:20分頃到着出来ました。よし!今年は完走出来るぞと、その時は思いました。その時は・・・

【中間エイドから70kmまで】
昨年はここを出発してから全く足が動かず、意識朦朧、途中何度もしゃがみこみ何とか十数キロ歩きました。北緯40°で写真を撮られた記憶もなく、収容巡回車に乗せられたような記憶も。今年もその悪夢が現実のものになり始めました。それまで千代田ではトップを走っていましたが、柴田フーチャンに抜かれ、付いていく気力・余力がありません。やがて内陸鉄道の赤い鉄橋が見えました。ここは昨年通った記憶がありません。今年も歩いたり走ったりの時間帯が続きます。そんな時、過ぎゆくランナーから、“Youtube の動画参考になりましたよ!”と。そうだ今年は何が何でもゴールまで・・・と思いますが体が付いていきません。64.43kmの第12エイド到着。記憶が蘇りました。昨年はここから収容バスに乗りゴールまで行ったのです。
昨年と同じブルーシートが悪魔の誘いを・・・さぁここで大の字で寝なさい!と。
今年も誘惑にのってしまいました。 昨年と同じ場所に大の字に仰向けになります。
青空に、まばらな白い雲が身を任せ風に流されていきます。何とも気持ちの良い。
そして1、2、3、4・・・と10まで数えます。今年は10秒数えたら起きると心に決め、昨年のトラウマを払拭しました。それでも70kmまでは本当に苦しみました。後半の5km毎の時間設定は多少余裕を持たせていましたが、70km通過時点で初めて遅れ始めました。
あ〜今回もやはり時間内はおろか、完走もダメかなと思った頃です。

【70km〜95km】
しかし、少し休んだのが功を奏したのか足が復活しました。一日で一番暑い時間帯で快晴。日向でのランは必要以上に体力を奪います。日向は極力走ります。日陰でペースを落とし、日向はまたペースを上げるといった具合です。暫くするとフーチャンを見かけました。
彼女も必死にもがいています。
かといって人を気遣うだけの余裕もなく、足が動ける時に距離を稼ごうと彼女を抜き去りました。フーチャンごめんね。
70km通過で5分遅れていたタイムはいつしか90km辺りでは10分の貯金に変わっていました。ただウルトラは何が起こるかわかりません。歩いたらキロ10分〜15分は直ぐに要します。走り続けるしかないのです。気が付けば陽は西に傾き、秋田内陸部の田園を容赦なく照らします。いつまでも続く真っ直ぐな道。
稲刈りを終えた田んぼ道の中、暑さとの戦いが続きました。
やがて眼前に大きな台地が現れます。大館能代空港の滑走路です。
その下のトンネルをくぐり抜ければ残りは5km。

【95km〜ゴール】
残り5kmで(16:30頃)制限時間まで60分ありました。キロ12分でいける。やっと完走の確信が湧いてきました。以前掲示板に書き込みましたが、今回私には秘密兵器がありました。
この春から母方の実家山形県酒田市に移り住んだ唯一の孫(6才)がゴール会場に来てくれる算段になっていたのです。家内が秋田空港に飛び2時間かけて南の酒田へ、孫を連れて折返し3時間かけて北秋田市鷹ノ巣に、ゴール後はトンボ返りに秋田に戻り1泊(私は鷹巣に泊まりますが)の予定を立てくれました。鷹巣の滞在時間は16時48分に着いて17時39分の電車で出発します。この間僅か51分です。
久しぶりに孫に会える。この一念こそ私のモチベーションを保つ秘密兵器でした。
収容バスに乗れば何時に着けるか?何としてでもこの間に。足に一層力がこもります。

残り5kmは33分で駆け抜けることが出来ました。最後の交差点(駅前)を曲がる時、家内が声をかけてくれました。孫も“ジージ”と一言。会えたのは1秒にも満たない瞬間でしたが、この為に13時間近くも頑張れたのかも知れませんね。
最後は感動のゴールシーンを動画に写しているつもりでしたが、静止画モードになっていて鷹巣の綴子大太鼓が遠景で1枚写っているだけでした。それでも私の心にはこの1年、この日の為に、いやこの瞬間の為に走ってきた感動のゴールシーンが鮮明に刻まれました。
ゴール後大谷さんから祝福され、記念写真を一枚。本当に申し訳ないやら頭が下がります。 【ゴール後は】
やがて家内と孫がやって来ました。数分言葉を交わし家内等は再び駅へ。
私は預けた荷物を受け取りましたが、体が動きません。
精根尽き果てた状態です。
タイルの上に横たわり、しばし休憩。
遅れてモリモリがやって来ました。
彼女を見送りやっと後片付けをしながら、もうウルトラは当分いいかなと思い、
重い足を引きづってそのまま一人宿に向かいました。
途中忘れ物に気づきました。秋田杉で出来た完走証です。
あわてて取りに戻りましたが、ちゃんとそこに置いてありました。
例によって何も食べられず、炭酸飲料2本をごまかし飲んでその日は爆睡です。
翌朝起きたら、やはりウルトラっていいな、また走りたいと。
優柔不断な私ですが今回秋田内陸リゾート100kmチャレンジマラソン
何とか昨年のリベンジを果たすことが出来ました。
応援して下さった仲間、家族、そして大会運営に携わった大勢の皆様に
そして地元で一日中応援して下さった秋田の皆様に心より感謝申し上げます。
駄文に最後までお付き合い頂き有難うございました。

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