苦しみ抜いた今年の23thチャレンジ富士五湖
一覧へ戻る
2013/5/16
  若林 昌二 2013.4.21
苦しみ抜いた今年の23thチャレンジ富士五湖

初ウルトラとして臨んだ20回目の記念大会(平成22年)は、何も分からず、がむしゃらに走って完走出来た。
有頂天になり無謀にも112kmにエントリーした21回大会は、本栖湖で敢え無くギブアップ。初心に戻って100kmに再挑戦した昨年の22回大会は、後半、雨に祟られながらも何とか完走。初挑戦から今日まで、磐梯高原・四万十・阿蘇カルデラ・秋田内陸とウルトラを経験し、迎えた今年、自分なりにある程度の自信をもって臨んだはずが・・・
大会前から気になるお天気。週間予報では当日のお天気は曇りか雨。前後にずれることを勝手に期待しながら前日を迎えるが生憎の雨。しかも夕方からは雪に変わり、迎えた翌朝は一面銀世界、冷たい雨が続く。
気温も零度前後で最高気温も5度前後と過去最悪のコンディションでスタートを迎えることになった。
スタート15分前になっても選手が集まらない。軒先で雨宿りをして、ぎりぎりまで出て来ないのだ。長袖・ロングタイツ・ウィンドブレーカーに雨合羽、二重三重の防寒対策を施しても結果は2〜3km走れば頭からつま先まで全身ずぶ濡れ状態。寒さから指先の感覚がなくなりトイレに駆け込んでもタイツを下せない、紐を結べない、こんな条件はランナーから瞬く間に戦意を奪っていく。
寒さからくる震えが止まらず低体温症で関門にかからなくても自らゼッケンを外すランナーが続出したらしい。第一関門27km付近でも例年以上の棄権者が出た。
私もペースは上がらず、水たまりを避けながらの足取りは必要以上に体力と神経を使い、そのうち、もうどうでもいいやと投げやりになって歩を進めました。例年より30分以上遅いペースで第一関門通過。今日は完走出来ればそれでよしと早々に気持ちを切り替えました。(当初の目標は13時間切れでした)
山中湖でも雪混じりの雨、国道での気温表示は零度でした。
手袋は絞れば水がジャバジャバと滴り落ちる程で用をなしません。尿意も頻繁に、トイレに駆け込むこと10数回。それでいて汗はしっかり掻いているようで喉も渇きます。飲めばまたトイレの悪循環です。
気持ちもブルーになりがちでしたが、“これこそ、ウルトラなんだ!”そう、ウルトラは距離と自然との闘い、最後まで走るぞ!と自分に何度も言い聞かせ折れそうな心を鼓舞します。
弱気と強気の心の葛藤を繰り返しながら河口湖(40km)まで来ると岡田さんに抜かれました。元気そうにマイペースで走り去ります。追いかける余力はありません。そういえばスタート直後御菩薩木さんに抜かれてから初めて遭遇した千代田の仲間でした。皆はどうしているのかな?兎に角マイペース、マイペース。
河口湖北岸を第二関門通過に向けて走っていると先ほど抜いて行った岡田さんが今度は失速していました。かなりきつそうでした。二言三言言葉を交わし今度は私が先行することになりました。
西湖・野鳥の森公園・うどんエイド(58km)までは上り坂が続きます。無理をせずゆっくりランと早歩きで凌ぐしかありません。
4回目ともなると過去の経験でどの程度遅れているのか、関門までの距離である程度の計算ができました。
野鳥の森公園でうどんを御馳走になり次の本栖湖までを計ると、もう余裕がないことに気づきました。
この大会は本栖湖の関門通過が完走に向けて大きな鍵となります。
精進湖に差し掛かった時、思いもかけずモリモリから声をかけて貰いました。
彼女も(食堂にて昼食中)私の姿を見て慌てて店を飛び出してきたようです。
仲間からパワーを貰い精進湖では若干ペースがあがりました。距離表示を見る度に時計を見て関門に間に合うかどうか気をもみながらのランが続きます。
気が付けば、お天気もやっと回復に向かい曇り空になっていました。
復路のランナーとは最初にりずみちゃんと擦れ違いました。こちらが先に気が付きましたが、彼女もあまり余裕がない感じでした。もっとも此方の方が時間的には全く余裕はないのですが。
次に出会ったのは大竹君です。今度は彼が先に声をかけてくれました。その頃は関門時間に間に合うかどうか、こちらが必死でした。
関門へ向かう隧道を潜り抜け時計を確認すると14:25分。あと5分。
間に合うかどうか気持ちは焦ります。結局14時28分過ぎに本栖湖通過(エイドでは何も補給出来ませんでした)
首の皮一枚繋がった感じです。
次の西湖の関門(17:00が関門時間)までは10kmを2時間30分と余裕が生まれます。しかしここに大きな落とし穴があります。額面通り余裕で走ると最終関門95km(制限時間18:30)から先は厳しくなり、逆算すると西湖は16:00から16:10分には通過しないと完走は出来ません。本栖湖からは300m走って200mは早歩きの繰り返しで歩を進めました。
復路のうどんエイドではうどんの代わりにしのぶちゃんとモリモリからパワーを頂きました。
西湖通過は16:10、最終関門が18:10分の通過でした。
各エイドは必ず立ち寄りましたが、水分の補給と小便を済ませたら直ぐに出ます。休んでいる時間は皆無です。
最終関門を出て残り5kmを約50分。単純計算なら10分/kmですがここから3kmの急坂を登らなければなりません。走る余力はもうありませんでした。それでも歩いていたら間に合いません。とにかく大股での早歩きで頂上を目指しました。
もう辺りは真っ暗です。コンタクトレンズ着用の為、時計の文字が読めません。時間が分からず、残りの下り2kmは必至で走りました。あれほど濡れていた衣類や手袋、シューズは体温で乾いていました。競技場沿いの歩道に移る際、急に体が沈みました。側溝に落ちたのです。幸い怪我はありませんでした。何とか這い上がり再び走り始めます。真っ暗な中、遠くから元気のある女性の声が聞こえます。
“頑張って、頑張って”と。最後の力を振り絞って必死にゴールを目指すランナー一人一人に声援してくれるその声に勇気と感動を頂きました。
やっと競技場の敷地に入ります。完走を確信したのはこの時が初めてです。
5分位の余裕はあるかなと思ってラストスパートしました。モリモリから“ワカバヤシさん!”と最後の気合が・・・やがて名前を呼ばれ明るいトラック内に入りました。一気に感情がこみ上げてきました。“きつかった、きつかった”と二度も口から言葉が出ます。でもやっとたどり着いたゴールです。
ゴール直前、りずみちゃんから再び“ワカバヤシさん!”と激が
ゴール直後は大谷さんから祝福の言葉を貰いました。
タイムは13時間58分10秒。制限時間に1分50秒残しての綱渡りレースでした。
過去2回の完走タイムの中でワーストタイムですが、このコンディションで完走出来た事は大きな自信になりました。 ウルトラはフルの距離は、2.5倍感動は10倍とよく口にしますが、今回の感動は20倍、いや100倍(大袈裟か)はありました。
翌朝は“また来いよ!”と富士山が顔を出してくれました。来年も挑戦します。
いつしか地力をつけて112km(チャレンジ種目)に再挑戦し、後からゴールするランナーに激を飛ばせるよう頑張りたいと思います。
追伸
6月は【いわて・銀河100kmチャレンジマラソン】に初挑戦します。
また奮戦記を書きますので宜しかったら見てやって下さい。

count: カウンター