これが本当の大江戸泣いたラン
一覧へ戻る
2017年3月4-5日
  若林 昌二
2度目の挑戦で何とかゴールにたどり着きました。

一昨年、走り込みも十分で挑んだ大江戸ナイトラン(113km)初挑戦でしたが、胃腸系トラブルで後半は大失速、残り20kmあたりから冷たい雨にも打たれ、最終エイド98km(残り15km弱)で制限時間を3時間残したまま自ら棄権しました。この時の辛さと悔しさ情けなさは今でも鮮明に心に残ります。

そして迎えた再挑戦ですが、今年に入って出張が月に3回、4回と増え、近々の二か月間、累計でも合計100km足らずしか走れず、体は重く、全く完走の自信がありませんでした。
10中8、9いやそれ以上に完走は難しい。結果、スタート地点には帰りの荷物は一切残さずスタートしました。背水の陣ではなく、最初から完走を諦めたスタートだったのです。

実はこの大会、コースの途中(76km地点)我が家の前を通ります。前回も立ち寄り風呂に入って、ウェアを全て着替え再スタートしました。ですから今回は自宅がゴールと鼻から決めていました。
それでも、万が一自宅までたどり着き元気だったらと、帰りの着替えと、後半のウェア一式も用意してスタート会場に向かいました。

蓮馨寺 スタート前
前回と比べ気持ちが楽です。76km走ったら終わり。風呂に入れる、そこでおしまいと決めていましたから・・・
もし走り込み不足で都心(50km位)までも戻って来られなかったら途中電車に乗ればいいや、なんて、本当に安易で申し訳ない気構えでした。結果格好もトランプ大統領のマスクを後ろに付け、星条旗をマント代わりに半ば仮装ランナーです。
3月4日午後10時に川越をスタートして最初のエイド成願寺(東中野・5日の3時17分到着)は前回より10分遅れ、それ以降も前回よりもチェックポイントに5分(都庁前)、10分(六本木)15分(東京タワー)と遅れます。準備不足ですから自然の成り行きですね。それでも最初から76km走れればそれで良い、と決めていましたから気持ちは楽でした。そんな中、知り合いのウルトラランナーが再三コースに出没し、“しょうちゃん、がんばれ”と応援してくれます。早朝から夜遅くまで、いや昼夜を徹して準備支援してくれるボランティアスタッフの姿を見るたびに申し訳ないと心が動きます。何より"おしなりエイド"では大谷さん、モリモリ、じゅんぺいが今年もスタッフで頑張ってくれている。
皇居で偶然千代田の佐藤(千)さんに遭遇、彼から、“何キロの大会?”との問いかけに、まだ前半で(その時は55km地点)これから後半戦ですと自然に答える自分がいました。そう113kmを目指すウルトラランナーの復活ですね。

おしなりエイドにて
おしなりエイド(4日7時54分到着)では大谷さんが父親の如く温かく迎えて下さり、モリモリからは、おふくろの如く、“おにぎり二つ持っていけ”と、じゅんぺいからは小うるさい妹の如く“こんな所で、もたもたしてないで、早く行きなさい”と。その後は浅草寺、鳥越神社、本郷へと進みます。
暫く走ると前方に見慣れたランナーを発見、小林さんでした。速報を見て朝食もそこそこに家を飛び出て迎えに来てくれていたのです。
涙が出るほど嬉しかったです。この上は1分でも早く自宅に立ち寄り、着替えて再スタートしたいのですが、気持ちがあっても、ここまで70km以上走ってきました。足も大分疲れが蓄積し、なかなか前に進みません。信号での足止めは嬉しくもあり、また時間を取られる気持ちで複雑でした。 自宅での着替えを終え気分一新、赤羽へ向かいます。王子を過ぎるといつも応援してくれる町工場の前を通ります。今回もいらっしゃいました。
記念写真を撮り、また北へと進みます、赤羽ではこちらが走っているのに歩いている若いOLに抜かれます・・・そろそろ内臓(胃腸系)がおかしくなり、物が入らなくなってきました。

↑ゴールまで34キロ  ↓荒川河川敷
北赤羽〜浮間公園と進み、高島平のエイドには11時57分到着。ここでもウルトラ仲間のサプライズ応援に遭遇です。この先はしばらく(10km位)補給の出来ない荒川の土手に上がります。
無理やりフルーツポンチを口に含みましたが、これがこの大会で食べられた最後の補給となりました。
それでも水分だけはと、500mlペットボトルを持って土手に上がり10キロ先の最終エイドを目指します。日差しが強く気温が上がり、マントは風の影響を受け、マスクは蒸れ大量の汗をかきます。
前回は冷たい雨の洗礼、今回は厳しい暑さの洗礼です。それでも秋ヶ瀬の最終エイドに辿り着いたのは14時1分(前回は14時丁度)。制限時間は17時です。
残り約15kmを約3時間(180分)キロ当たり12分でゴール出来る計算ですね。楽勝?とんでもない。これからの15kmが地獄でした。
川越バイパスが延々と続きます。意識が遠のきます。脱水症状?ガス欠?寝不足からの睡魔?兎に角まっすぐ歩けません時々ガードレールにぶつかりフェンスに倒れかけ、生け垣に倒れます。1キロが長いことなかなか進みません。
そんな姿を後続の(204km出場の)女性ランナー(愛知から参加のO沢さん)が見てくれていました。
私の様子を心配して下さり、並走(歩く)してくれたのです。聞けば彼女は最終関門の制限時間に間に合わず、更に足首を痛め、走れず歩くのが精いっぱいとの事でした。
こちらは早歩きとトロトロランの組み合わせならまだ間に合う時間です。
時間内ゴールを!と励ましてくれますが、ふらふら状態で期待に応えられません。彼女には先に行って貰うよう話しましたが、彼女もほっておけないと付き合ってくれます。歩いても千鳥足でキロ20分位かっていたでしょうか。このままではいけない・・・
最後の力?いや気力しか残っていませんが、心配してくれる見ず知らずのランナーの気持ちに応えるべく“行けるところまで頑張ります”と言葉を残し、また走り始めました。脱水症状の為か唇が渇きペットボトルの水を入れては吐き、時には喉に指を突っ込んで胃液を吐き出します。
やがて彼女の姿が後方の視界から見えなくなる頃、やっと目印のケーズ電機の看板が見えてきました。
あの交差点を曲がればあと2kmです。いつしか走るリズムが少し戻ってきました。
残り2kmで残り時間は25分。歩いたら厳しい、とにかく遅くても走る格好で・・・
最後の曲がり角を右に、ゴールの蓮馨寺(れんけいじ)が見えました。止めどもなく涙がこぼれます。
2年前の自分の弱さに勝てた喜び、家族、スタッフ、走友からの支えに感謝、そして見ず知らずの女性ランナーからのサポート、兎に角複雑な感情が一気にこみあげ号泣しながらのゴールとなりました。
制限時間を10分残したフィニッシュとなりました。
ゴール直後、主催者がすっ飛んできました。完走証も持ってきて下さり至れり尽くせりです。
先の女性ランナーにゴール出来たらそのまま倒れ込むかも知れないと話していた内容が主催者側に伝わっていたようです。間違いなくそこにヘタレこみました。
文字通り大江戸泣いたランの終焉となりました。
駄文にお付き合い頂き有難うございました。


追伸
翌日体重計に乗れば体重は5kg減、体脂肪も5%減少、内臓脂肪レベルは3.5ポイントも低下、食べられず体内の脂肪を燃焼して走った結果と思います。翌日の昼めしからやっと食事が出来るようになりました。5月は萩往還、7月は日光ウルトラが控えます。しっかり走り込んで次戦に臨みたいと思います。

count: カウンター