川の道フットレース2018 リタイア記
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2018年4月30日-5月3日
森岡 章子
4/30(月)、暑い中たくさんの応援ありがとうございました。(全員で29名の応援ラン)
133人出走した中でこんなにたくさんの応援は私達3人だけでした。
9:00に集合写真を撮影し、葛西臨海公園をスタート致しました。荒川河川敷走行は信号なし・コンビニなし・ずっと同じ景色が続く、等で修行のようで、皆さんの応援で無事に乗り越えられました。もし応援なくひとりで黙々とアスファルトとにらめっこしながらのランニングは厳しかったでしょう。笹目橋で東京下町応援団と大宮応援団が交替し、ホンダエアポートまで応援していただきました。皆様本当にありがとうございました。何となく体調も良いしこのまま何事もなく進めば完走できそうだと思いました。
戸田市彩湖(39km 4/30 15:00)→さいたま市新上江橋(51km 17:00)→吉見町桜堤公園(67km 20:00)→鴻巣市大芦橋(76km 22:00)→熊谷警察署前(89km 5/1 02:30)→寄居町波久礼駅前(110km 07:30)→秩父市上野交差点(132km 13:00)
 秩父を過ぎたあたりで大谷さんが胸の動悸を訴えられました。暑いのでコンビニでアイスキャンデーを買って食べました。そのアイスキャンデーが食道を冷やし横にある心臓の血管に影響を与えたのではないかと言っていました。
 小鹿野町両神荘(第1レストポイント、151km)へ通ずる右折地点を地元の方に聞き、145km過ぎを右折、そこから両神荘まで長かったです。5/1 午後5時到着、3時間半滞在同日午後8時半に出ました。ここまでで、大谷さんの一昨年のタイムよりかなり遅れていました。
 長野県への山越えはその年の道路の状況により通れる峠が違うのです。今年は小鹿野町志賀坂トンネル(174km 5/2 02:30)を経由して、ぶどう(武道)峠を通りました。ぶどう峠へは30kmの登りでほとんどを歩きました。峠近くなり、眠くなって歩けなくなった大谷さんの手を引っ張り、一緒に歩きました。ぶどう峠(207km 12:30)到着。
 ここから小海大橋まで20kmを降りました。小海町小海大橋交差点(17:00)通過、小海大橋の下は千曲川が流れています。新潟県に入ると信濃川に名前を変え日本海に出ます。そこが川の道のゴールです。ゆっくりでも前進しよう!
 CP12佐久市長戸呂南交差点251.7kmの数キロ手前で、急に私は何がなんだかわからなくなったのです。ここがどこなのか、今、何をやっているのか、頭の中にそれらの情報がひとかけらも見つからない状態におちいりました。目が覚めて、知らない場所に立っている、という感じでした。
 近くに大谷さんがいて、もう少しでチェックポイントだから、通過時間を記録しようと言っているのですが、でも、私にはどうしてそんなことするのか理由がわからなかった、なんで通過時間なの?交差点で何かの仕事があるの?と。
 大谷さんは走り始めました。後に続いて行かなければならないのに、体は動きませんでした。その瞬間にまた同じ思い、どうしてここにいて今、何をやっているのか、わからなくなったのでした。
  大谷さんと一緒にいた事を思い出し、携帯で大谷さんに電話、同じ道の前方にいるよ、と言ってもらい、暗い中、リュックに着けた赤灯をたよりに、歩き始めました。数分後に(携帯電話の履歴から)また同じ状態に襲われ、大谷さん電話して、前へ進む、こんなことを数回繰り返しました。理由はわからないけど、佐久市長戸呂南交差点に行かなければならないことを、やっと理解しました。
 大谷さんは今日の昼頃から走行中、身体が左に折れ曲がり強い腰痛を訴えていました。小雨が降り、長戸呂交差点が遠く、徐々に頭の中に周辺の情報が入ってくるようになりました。でも、このままでのレース続行は危険だと思いました。
 タクシーを呼び、CP13小諸グランドキャッスルへ向いました。グランドキャッスル5/2午後10時過ぎに到着。大会へリタイアしたことを報告致しました。
 大会参加に向けて、自分ができることを実行し準備してきましたので、今回のリタイアは自分の力及ばずと理解し、ここまで走れたことでよしとし納得致しました。
 このような苛酷なレースに参加できたことに感謝し、次回は将来ある後輩達の応援にまわりたいと思います。
ありがとうございました。
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