軍事には常識の集積と言う側面がある/1
反軍事なんて言ってる人は軍事って当たり前の事を突き合わせて
考えている事を知らないようなのでお約束系スレッドを立てて見ました。
その1 同じ道具で程度の同じ兵隊同士でやりあったら
人数の多い方が勝つ
続けてどうぞ。
しかし、なんとか魂が入ると小人数で勝つことがある。
飛び道具がある方が強い。
武器が無いと戦えない
武器を調達するには金がかかる。資産を持つ方が有利。
武器は性能よりも扱いやすさ。
攻撃側は3倍の戦力が無いと防御側に勝つことはできない。
陸軍は空・海軍に較べて人数が多い
戦争は平和よりも費用がかかる。しかし、歴史的に見て平和は軍事力
の均衡からしか生まれない。
すでに『気合いと根性』じゃダメ?
どんなにすごい武器があっても気合と根性が無ければ戦えない
同じように、どんなに気合と根性があっても武器が無ければ戦えない。
>11
『真理』ですな!
良兵即良民、逆もまたしかり。国民の教育レベル、モラル、経済力を向上させることが国防にも重要
情報は常日頃から収集分析を継続して実施しないとすぐに役立つというものではない。
軍隊の強さの源泉は武器でも経済力でもない。
輝かしい「栄光(GLORY)」だ。
知らないより知っているほうが勝つ可能性が高い。
ネタがあってもどういう意味なのかわからなければ無意味。
現代の戦争は軍人だけの仕事ではない。
どんな強い相手でも補給さえ絶てればちょろいもんだ。
日本の場合は『守らなければならないもの』教育からか?
『家族』とか、その大集合体である『国』とか・・・
『愛国心』って言うと微妙だけど、結局『国家』って、親子、
兄弟、親戚、恋人の集合体だからね。
『水と安全はタダじゃない!』って認識はっきりさせないと、
日本の国防に『明日』はないぞ・・・。
>19
同意。
「自由と平和とは何か?」あるいは「自由と責任とは?」
を教える事も重要である。
また隣国の『日本の軍備アレルギー』の人たちが色々言うだろ
うけど、義務教育レベルで『国家理念』くらいはもう少し触れ
た方がいいとおもう。
日本人、『国』って意識なさすぎ。
戦争とは政治以外の手段を以って行う政治の延長に他ならない。
>22
そうあってほしいね。いいことではないけど・・・。
でも某隣国なんか、『意地』と『ヤケ』でおっぱじめそう・・。
方針・計画(戦略)が誤っていたら如何に現場(戦術)が頑張っても
取返しがつかない。
おわかりかな、営業の尻ばかり叩いて何もしない重役方。
いや、某隣国も勝てないとわかっている戦争はしないでしょう。
イラクにしてもクウェートには侵攻しても米軍には勝てないと
わかっていたから自分からは仕掛けなかったし。
・・・あっ、例外があった・・
優れた戦略があっても、技術が伴わなければ何の意味もない。
わかってんのかマイクロソフト!
>25
もしかしてスッゴク身近なトコ?
ピンポーン♪
私達の住んでいるこの国です。
なにを考えて開戦したんだろ?
大東亜共栄圏を構築したい。
神国で強いと思ってた。
「窮鼠猫をかむ」
です。
>29
米国の宣伝を鵜呑みにしないことです。
はじめから勝てるとは思ってなかったでしょう。
私の祖父の弟は当時、外務省に勤務していましたが、真珠湾攻撃当日、自宅へ
帰ってきて、家族の前で開口一番「この戦争は負けるよ」と言ったそうですが・・・。
まともにやり合って最終的にアメリカを叩きつぶす、なんて無理だという事くらい
軍も解っていたと思います。
でも、ミッドウェーでも本来なら勝っていたはずだし、「1、2年は持ちこたえられる。
その後講和を持ちかけて日本に有利な協定を結んで終わり。」
というのが、軍の上層部の目論見ではなかったんでしょうか。
御疲れのご様子、同情申し上げる。
営業戦略の上程はないんですか?
>32
当時の軍上層部でアメリカの『潜在国力』を割と正確に把握し
てて、
「長期戦になると不利だから、1〜2年持ちこたえてる内に和
平条約を・・・」
なんて考えてたのは、山本五十六大将だけですよ、実際。
当時の日本軍『負け知らず』だったから。
どのみち某隣国は、現在の国内事情から民衆の不満が高まり、
『現政権&権力』の維持に某君が不安を覚えた時、どんな手段
に打って出るかが恐い。
そういう時にあの手の国家が民衆の目をごまかす為にとる道は、
『外に打って出る』という形が多いのは歴史的事実。
その場合『勝てるかどうか』とかは考えてないんだよね、TOP
は。
今あんな事してる以上、権力の座から追い落とされた時、次政
権からどんな弾劾を受けるか位知ってるだろうから。
だから最後の最後になにやらかすか判ったもんじゃない。
>26
良し、この話からもう一つ。
アルゼンチンのマルビナス紛争もそうだけど。
国内の人気が下がった政権の人気取りには戦争も有力な
手段として選択される事が多い。
>33
あの手の話は良く聞きますね。
重役といえども凡人では戦略など立てられないんですよ。
軍人も同じ。世の中大部分は凡人です。
方法論として
>「長期戦になると不利だから、1〜2年持ちこたえてる内に和平条約を・・・」
って考えていたのは山本五十六ぐらいでしょうけど、
アメリカとやりあいたがらなかった将官クラスの軍人なら結構いますよ。
先ず目的を明確化し、次にその目的をもっとも効率良く遂行出来る方
法を考えるべし。
>38
それが出来ないと泥沼化するのは歴史の教えるところだね。
もう一つ
民族自決の大原則を無視した戦争(支配)は何れ失敗する。
前の戦争に至る道の一時期までは、軍事官僚の明確な目的は
己の立身出世だったからな。幕僚教育に問題があったんだろうな。
>41
常識ではなく単なる知識で止まっていたわけね。
>37
ですね。
あのときTOPの方がもう少し『見極め』てれば・・・。
いやいや、戦争で亡くなった方々には申し訳ないですが、やは
りあそこで負けて強引に『民主主義』持ち込まれて結果的には
良かったのか・・・?
もしあのまま『天皇制』とか『軍国主義』だったらどうなって
た?
まるで今の北朝鮮?
>43
どうでしょうか、正気では相手に出来ない相手と戦うために
一時的に狂わざるを得なかったように感じます。
戦前の雑誌や歌謡曲にも親しんでる物ですから。
少なくとも昭和11年頃まではまともな感じです。
必死になった日露戦争の後にも大正民主主義がやってきたのですから。
あ、年よりじゃないですよ。
>44
『年寄り』じゃ無いこと了解!( ̄^ ̄)>
あの『大戦』無かったら、日本はどんな形で存続してるんでし
ょうね。
あの時の列国の『日本包囲網』を『戦争』なしで切り抜ける方
法あったのかな・・・?
>45
ただ、広島や長崎の人体実験(大虐殺)が無かったから
第3次世界大戦が起きていたかもしれない。
ついでにいうとまだ植民地もかなり残っているだろう。
おっと少々訂正
第3次世界大戦→SFやなんかで想像した核の全面戦争
恐ろしすぎる兵器を相手に遣わせない為にはこちらで持つか
同盟国に遣わせるよう仕向ける体制が必要である。
予防例 1 ナチスでさえ連合国の報復を恐れBC兵器を
使う事はなかった。
2 冷戦は冷たいまま終わらせる事が出来た。
おっと、重箱の隅を突つきたがる輩がいるので予防例1については
あくまでも戦場での話ね。
逆に対抗手段を持たない相手には平気で使っていたよね。
>もしあのまま『天皇制』とか『軍国主義』だったらどうなってた?
>まるで今の北朝鮮?
結局民主化。何だかんだいっても、国の状況が安定してしまえば
陸軍も海軍も無茶な事は出来なくなってしまう筈。
韓国の軍事政権だって、結局学生に負けちゃったし。
でも実際今でも中国や北朝鮮は存続してるぞ?
ここいら辺と『同盟』組んでるのかな?
>51
いえいえ、そうなってはいないでしょう。
毛沢東中国となる前の中国は蒋介石中国だったのだから、敗戦してい
ないという前提であるのなら、必ずしも中国が国共内線の結果、共産
側勝利となっていたかどうか不明。
同様、朝鮮半島が南北分断されたのは敗戦時の国際政治の投影であり
日本敗戦による連合軍の国際信託統治がなかったとしたら、これまた
どうなったか不明。
敵の敵は味方
>52
そうか、あの『大戦』以前に日本は朝鮮半島や中国にすでに進
行してたんだったね。 そりゃ『同盟』の組みようないよね。
日本が『日本包囲網』ひいてた列国に対して、『日本固有の領
土』まで引き下がることを条件に出してても結果は一緒かな?
でもそうなると、『領土内』にひき篭って『何か』のチャンス
を狙いながら、貧乏に苦しみつつ悶々と・・・
あれ? どっかの某隣国とそっくり・・・。
太平洋戦争後、インドネシアではオランダからの独立戦争があったよう
に、白人支配の世から民族独立の気運が高まり、実際に植民地はなくな
りシンドシナ各国は独立した民族独立の世となった。
疲弊した日本であっては表立った支援は出来なくても白人支配からの脱
却に何らかの支援をするのでは?
54のような設定だったら『天皇制&軍事政権』のまま存続す
ることになるけど、その後どうなった?
>56
うちの祖父など、旧軍の人の話を聞いている限りでは、
多分天皇制は続いても軍事政権は持たなかったと思う。
大蔵とかに予算潰されたらそれまでだし、そこで、「俺
達は不満ジャー」って叛乱起こしても、国民の支持が得ら
れないと(515とか226とかがある程度の影響力を持ってい
たのは、社会が不安定だったから)結局失敗して、軍組織
の大規模な改革、ってことになってしまうと思う。
で、いつまでも仲が悪いままで行くわけには行かないか
ら国際社会に復帰。アメリカも、共産主義に対する防壁と
しての価値を西独逸統治で痛感する筈だし。
結局、今よりずっと男らしい国になる筈。腐ったピザは、
良い所で衆院議員が精一杯でしょう(笑)
一つだけ確実な事。
共産党は未だに非合法政党であろう。
うちの一族なんか、未だに「共産主義は悪である!!」
って子供に教育するし。
追加>
陸海軍は、少なくとも指導者級の人間は、
「英霊達の死を無駄にした」と言う理由で
一生ヒカゲモノ扱いでしょう……。
戦前体制では、女性に参政権はなかったが、少なくとも複数候補が
立つ選挙制度はあった。2000年の現在に於いてもそういう選挙
制度がない国があることを考えれば、かなりまともと思われる。
確かに。
「大正デモクラシー」は存在したのだから、そういう推測も妥当といえる
かもしれない。
>57
うちでは、創価学会(公明党)も入るぜ!
井上成美は
「共産党を非合法化したのは失敗だった」
って言ってたと思う。ちがったかもしれないけど。
共産主義って悪口言う奴が多いけど、ホントはすばらしいんだぜ。
ソ連、中国も真の共産主義を達成できなかったのだ。
共産主義
各人の能力に応じて精一杯働き、得られた生産物・富は誰もが自由に必要なだけ使えるのだ。
そのため、私有したいという欲望がなくなるのだ。
現実の人間は、他人のために働くのを嫌がり、他人にものを与えるのを嫌がるので、強制して
働かせ分配する必要がでてきた。これで共産主義を嫌う人が多いのだろう。
人は他人のために働かないを前提とした資本主義の方が現実に即していたのだ。
つまり共産主義は究極の理想主義やったわけやね。
人間ってもんを買い被り過ぎだよ。
なるほど。
みんな多彩な意見ありがとうm(_ _)m
『共産主義』が究極の『平等社会』であることは解る。
でもそこに『人の欲』が介在する限り、『机上の空論』って訳
ね。
政治スレッドじゃ無いのに悪いけど、ついでにもう一つ教えて
くれ!
『共産主義』と『社会主義』の違いは?
『社会主義』は『共産主義』へ行き着くまでの
過程社会だと聞いたことがありますけど。
どうなんでしょう
>ソ連、中国も真の共産主義を達成できなかったのだ。
ソ連70年、中国50年かけて達成できない制度っていったい
誰が達成できるん?
そういう空想論はもうやめたらいかがでしょうか。
もっと現実に立脚したところから議論しましょう。
誤った前提からは誤った結論しか出てきません。
軍事は空想論ではありません。
資本主義
労働者は資本家に搾取されているので、働いた成果を正当に受けとることはできない。
社会主義
労働者は働いた分だけ報酬を受けとることができる。
共産主義
労働者は特に働かなくても、必要なだけ生産物を受け取る事が出来る。
マルクス主義の観点から言えば、各企業の生産手段が統合されれば、生産コストは下がりますね。
全てが労働者の共有物になり、機械が導入されればそのコストはゼロに近づくはずです。
従って無理して働かなくても、十分な生活が送れるというわけです。
ロシアはヨーロッパでも最も工業化が遅れた国だったので、革命が起こるなどとは考えられていなかったのです。
むしろ最初に革命が起こると思われていたのは、当時最も近代化が進んだイギリスでした。
それでもあと50年はかかると見られていたので、誰にとっても非常な衝撃だったのです。
レーニンにとってみてもロシア革命は偶然の要素が強いと言えるでしょう。
>共産主義
>労働者は特に働かなくても、必要なだけ生産物を受け取る事が出来る。
じゃぁ、誰が働くの?誰が生産物を作るの?みんな貴族?
生産・流通ナシに、消費だけがあるなんて事は無い。・・・となります。
労働は人間の本能なので搾取がなくなれば働きたい人が働く。
とマルクスは言ってます。
ははは
そう言えば、共産主義国って「笑顔」が無いよね。
イデオロギーについてはここ面白いので見てみてね。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/view/maru.htm
ははは、オカシかったです。
で、なんだっけ、、、
孫子は「兵は国の大事なり」と言ってます。
戦争はしないに越した事は無い!だそうです。
勝てる時だけやれとも言っています。
>72
おもしろかったです。ありがと。
『東京日日新聞』報道記事 1937年11月30日付朝刊(第1報)
(見出し)百人斬り競争! 両少尉、早くも八十人
(本文)[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発] 常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある、無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。
向井少尉 この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ
野田少尉 僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ
こんなことしてると、後の世代が苦労する。ていう常識ですな。
↑皇軍の常識と言ってるが軍事上の非常識をやってしまっただけのこと。
で何が言いたいのかな75さんは?
中国兵は弱い。トーチカに籠もった兵隊は、ろくな反撃も
できず切り捨てられ、陣地に突入されると55人も斬り(刺し)殺される。
席の孫六はすごい。56人斬っても刃こぼれが一つしかない。
この勢いで南京もやってしもうた
>75、78
君等はミュンヒハウゼン男爵の冒険談も史実だと信じているだろう。
シモダ先生の本や霧島センセの本は、フィクションではなく
ノンフィクションだと信じられる幸せな人だろうよ
ご紹介いただいた百人切り競争は朝日新聞の捏造記事だという常識の
紹介ですか?
戦前と戦後の朝日新聞の豹変振りには驚かされる。
ろくな記事を書かないという点では同じだが。
「戦中は検閲が入って自由に記事が書けなかった」だぁ?
ふざけんな!テメェらには信条ってものがねぇのか!
そんなに書きたくなければ、書かなきゃ済んだ事だろ!
特高が怖かったか?
特高に殺されても自分の信条を貫いたアカだっているんだぞ!
単にライバル新聞に負けたくなかったから、
刺激的な見出しとデッチ上げ記事書いてたんだろ!
てめぇらこそ、死の商人じゃねぇか!
「今は中国の手先なので・・・」ってか!
そーか、だから雅子さんを流産に追い込んだのか。
宮内庁にも朝日アカの手先がいるようだ。
皆さん、アカすりをしましょう!
>ご紹介いただいた百人切り競争は朝日新聞の捏造記事だという常識の
>紹介ですか?
朝日ではありません。毎日です。
真相は2人による捕虜の大量虐殺です。
自分の母校の講演で内一人が真相を打ち明けました。
しかし「百人切り」の新聞報道をネタに自分の「武勇伝」を
書いた本が戦後中国側の目にとまり、
裁判で突き付けられると反論できず死刑になりました。
>83
朝日はマヌケだから毎日に出しぬかれたのか。
マスコミの戦争犯罪を追求!
1937年の東京日々新聞がこの記事を出したことはわかっている。
この捏造記事を戦後になりあらためて「真実だ」と紹介したのが朝日新聞である。
(昭和46年朝日新聞「中国の旅」書いたのはアノ本多勝一)
>自分の母校の講演で内一人が真相を打ち明けました。
>しかし「百人切り」の新聞報道をネタに自分の「武勇伝」を
>書いた本が戦後中国側の目にとまり、
>裁判で突き付けられると反論できず死刑になりました
おいおい、こういう嘘は困るなぁ。
83の嘘の書き込みの出典は「南京事件を考える」って本だろ。
因みに、嘘だって証拠を一つあげましょう。 ↓
83さん自身が書いてあることだけど「「武勇伝」を書いた本」という
のが存在しているんでしょ、もし本当なら。
その武勇伝の本の題名とかを紹介してごらんなさいよ。
「南京事件を考える」って本に書いてあることは嘘。そんな武勇伝の本は
存在しません。
大量虐殺も嘘。
東京日々新聞の記事に出てくるM少尉は砲車小隊長であり、N少尉は
部下を持たない大隊副官。
勝手に砲車や大隊長のそばを離れて敵陣を襲ったり出来る立場ではな
い。手垢がついた嘘をあらためてここに書かないこと。
だから常識の無い御左さんは軍事が嫌いなんだね。
その通り。
嘘がばれるとダンマリかいな。
ばれたのが恥ずかしくて発言できないんでしょ。
中共の手下さん♪(笑)
中国で多大な戦果を上げた松井大将の功績は無視するのか
>91
題と関係無いゴミを撒き散らすお前を
無視するんだよ。
この米津さんの説明に関連する資料として、「南京事件を考える」(大月書店)を最近入手
することが出来ましたので、この資料をもとに南京裁判について考えて見ました。
この本には、「鈴木明氏の『取材』を取材する」という章に、100人斬りの向井および野田
両少尉の判決について、南京裁判の5人の裁判官のうちの一人(石 美瑜裁判官)のインタビ
ュ−の要約が掲載されています。この章の著者は、和多田 進さんです。
つぎに、このインタビュ−の要約の全文を引用します。
1. 私はいま65歳ですが、南京裁判の際、私は5人の裁判官のうちの一人
でした。27歳当時、私は上海裁判所の判事でもありました。
2. 私は1948年に蒋介石から私がやった裁判の功績をたたえられて表彰さ
れました。
3. 南京裁判は、裁かれる人間の地位・懐旧には関係なく、事実によって
処理されました。確証に重点をおき、証拠があって逃れようのない者
だけを有罪にしました。
4. 死体を埋めた「万人塚」という場所を私自身が現場検証もしました。
5. 鈴木明という日本人を私は知りません。『「南京大虐殺」のまぼろし』
という本も私は読んでいません。
6. 昨年(1972年)、向井か町田の息子の友人だという人物か、息子本人
か、詳しいことは忘れたが、そういう日本人が私を訪ねてきたことは
記憶しています。
7. 野田と向井のことについていえば、罪のないものはすべて帰して、こ
の二人が残ったということです。二人は自分たちの手柄について本を
書き、その本に写真も載せていた。戦時中に書いたこの本が東京で発
見され、マッカ−サ−司令部に駐在していた中国人がそれを報告して
きたのです。
8. 証拠がなければ無罪にしたが、証拠は十分であった。日本は、一度復
員して帰国していた野田、向井の二人をわれわれに引き渡したのだと
いうことを忘れないでください。
9. 裁判の際、私は彼らの本に載っていた写真を示して、「これはおまえ
か」と聞きました。彼らはこの問いを否定できなかったのです。
10. 殺人については彼らは否定しました。戦争だから人を殺すのは仕方な
いのだと二人は主張しました。
11. 二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが、これ
は明らかに戦争の範囲を逸脱していました。
12. 裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、
二人はブランデ−を賭けていたということです。
13. 二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそ
らく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても
処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなけ
ればならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義
はとらなかったということです。
14. 昨年私を訪ねてきた息子の友人だという日本人は、「二人は無実だ」
と言った。しかし、証拠はあったのだ。南京裁判の全記録をまとめる
ことになっていたが、共産軍の反乱があってそれをまとめることがで
きなかった。
In article <...>
| 『南京への道』からの孫引きですが、月刊誌「中国」(徳間書店) 1971年12
| 月号でのN少尉の言葉を以下に引用します。
| 「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私
| のことだ......実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人し
| かいない......
| 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵は
| バカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて
| 片っぱしから斬る......
| 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆どだ......
| 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何
| ともない......」
|
| これは志々目氏の回想だから、記憶違いも混じっているかもしれませんが、
| 据えもの斬りであるという大筋は正しいと思います。
また、向井少尉の方も、据え物斬りという実態はともかく百人斬りの行
為そのものは認めており、敗戦前まではむしろそれを周囲に誇っていた
ことが知られています。[1]
これらが事実なら東京日日新聞の一連の記事はまったくの虚報というこ
とになるわけですが、実はこれらの証言に対しては反証が多数存在する
のです。
第一は、野田少尉の後輩同窓生である志々目彰氏の証言です。詳しい内
容は既に<T-TAKAHA.96Sep10174654@...>で紹介
済みなのでここでは省略しますが、野田氏自身が百人斬り競争の実行と
その実態(白兵戦中の行為ではなく捕虜の据え物斬りだったこと)を認
めた決定的なものです。鈴木明氏がこの証言を知らなかったはずはない
[3]のですが、意図的に無視しています。
第二は、第4報に掲載されている両少尉の写真を撮影した佐藤振寿カメ
ラマンの証言[4]です。
| とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとっ
| た。(略)そこに私がいた時、浅海さんが“撮ってほしい写真がある”
| と飛び込んで来たんですね。私が“なんだ、どんな写真だ”と聞くと、
| 外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているん
| だ。一枚頼む”という。“へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、
| いわれるまま撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は
| 城門のそばで撮りました。(略)私が写真を撮っている前後、浅海さん
| は二人の話をメモにとっていた。だから、あの記事はあくまで聞いた話
| なんですよ。
第三は、第4報の共同執筆者である鈴木二郎氏の証言[5]です。
| そして記事にあるように、紫金山麓で二人の少尉に会ったんですよ。浅
| 海さんと一緒になり、結局、その場には向井少尉、野田少尉、浅海さん、
| ぼくの四人がいたことになりますな。あの紫金山はかなりの激戦でした
| よ。その敵の抵抗もだんだん弱まって、頂上へと追い詰められていった
| んですよ。最後に一種の毒ガスである“赤筒”でいぶり出された敵を掃
| 討していた時ですよ、二人の少尉に会ったのは…。そこで、あの記事の
| 次第を話してくれたんです。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/nangjin/hyakunin/hyaku.htm
まちがえた
おいおい、メールグループの過去ログをカットアンドペーストするな。
資源の無駄だよ。
嘘証言だってことがわかっていることを2チャンネルで蒸し返すな。
これの何処が軍事だ? 歴史板か政治思想板へいけ。
相手の戦闘能力さえ奪えれば殺す必要は無い。
死人はある程度ほったらかしでも良いが生きている怪我人は
兵站能力を圧迫する事が出来る。
というわけで非致死性兵器も主要な研究題材の一つになっている。
100番ゲット!
>99
それを「ヒューマニズム」という奴もいるんだろうね。