映像の世紀を見て



[1] 投稿者:Onihei 投稿日:1999/12/25(土) 20:55
B29が都市を爆撃する映像がありましたが、
当時の日本軍にはそれに対抗する術はなかったのでしょうか?
(竹ヤリで突っつくとかそんなんじゃなくて..)


*特攻隊の出撃シーンや航空母艦に突入するシーンを見て、
涙してしまいました....。



[2] 投稿者:名無しさん 投稿日:1999/12/25(土) 20:58
飛んでるB29に竹やりで「えい!えい!」やってたら、
エンジントラブルで落ちた、という話があったぞ。
#精神力も馬鹿にできない



[3] 投稿者:名無しさん 投稿日:1999/12/25(土) 23:18
>当時の日本軍にはそれに対抗する術はなかったのでしょうか?
飛燕で体当たり



[4] 投稿者:>1 投稿日:1999/12/26(日) 02:54
久我山の5式15糎高射砲。



[5] 投稿者:>1 投稿日:1999/12/26(日) 02:59
東京久我山にはいい高射砲があったが如何せん数がすくなかった。
したがい、戦闘機による迎撃しかないのだが、これまた燃料がすくなく
加えて1万メートルの高空では性能が落ちる機体が多く無力に近かった
らしい。



[6] 投稿者:>4@`5 投稿日:1999/12/26(日) 03:17
久我山の高射砲って効果あったんですか?
10Km先を500Km/hで飛ぶ物体をレーダーもVT信管もなしで撃墜せよと
いうのは途方もなく困難だと思うのですが。
数も少なかったし。



[7] 投稿者:一二三太郎 投稿日:1999/12/26(日) 04:46
たしか、終戦間際に1機だけB29撃ち落したんだよ。



[8] 投稿者:このスレッドと余り関係有りませんが 投稿日:1999/12/26(日) 23:03
「勝者の世界分割」録画するの忘れた〜!
畜生、あの洋画さえ見ていなければ!ああ悔しい〜



[9] 投稿者:>6 投稿日:1999/12/27(月) 03:43
昔(たぶん10年以上前だったと思う)NHK特集で久我山の
高射砲の番組を見た覚えがあります。うろ覚えなのですが、
ドイツ人技術者に依頼して、レーダーと連動した防空システムを
作ろうとしたようです。実際にドイツ人を日本に招いたのか
どうだったか忘れましたが、そのドイツ人が番組の中で、
当時の日本人技術者の物作りに対する計画性の無さや理論性の欠如
等を痛烈に批判してたのは印象に残っています。
結局、レーダーシステムは完成しなかったようでしたが。
それに、実際に稼動できた15センチ高射砲は3門だけだったそうです。



[10] 投稿者:>6 投稿日:1999/12/27(月) 10:34
高射砲の所在が判った米軍は即ルート変更して射程範囲に来なくなったとさ(笑)



[11] 投稿者:>10 投稿日:1999/12/27(月) 11:09
隙間無く帝都の周囲に15センチ高角砲をならべれば?



[12] 投稿者:>11 投稿日:1999/12/27(月) 11:24
88mmで似たような事やって、ゲーリングはベルリンを
守れなかったです〜



[13] 投稿者:>11 投稿日:1999/12/27(月) 11:25
当時の日本には無理。スレッドの意向にあわない。



[14] 投稿者:>9 投稿日:1999/12/27(月) 11:31
審査飛行試験部の4機のキー61タイプ2を単縦陣編隊で1機のB-29を斜め前方から攻撃して撃墜させていたそうですが、被弾による損害も
馬鹿にならなかったようです。だいたい8000m以上でろくに編隊も組めないような戦闘機しかなかったし(キー61は例外)



[15] 投稿者:ひょっとして 投稿日:1999/12/27(月) 12:21
ユーゴスラビア(セルビア)軍と同程度の戦績?



[16] 投稿者:>15 投稿日:1999/12/27(月) 12:28
それでもステルス落としたんだから、凄いと思うよ。

イラクの砲による防空密度は、ヨーロッパより高いらしい。



[17] 投稿者:名無しさん 投稿日:1999/12/27(月) 12:32
久我山は「ヘルポイント・クガヤマ」としてB29パイロットに
恐れられたらしい。
(ほんとかどうかはしらん)



[18] 投稿者:みりたおたく 投稿日:1999/12/27(月) 13:20
児島譲の本によれば、フィリッピンやインパールでは38式小銃による連合軍機の1発撃墜記録が報告されています。
方や米軍のM1ガーランドではそういうのはないそうです。>16



[19] 投稿者:>1 投稿日:1999/12/27(月) 13:24
ようするに、危機管理が必要だったが、日本人はそういうのが苦手と
いうことだと思う。
「首都爆撃に対する防御」を検討し対策実行するためには、
議論の前提として「首都が爆撃される」ことを考えなければ
ならないが、そういうことを言うと「貴様は帝都が爆撃され
ることを望んでいるのか!非国民め」という反応が返ってき
て、まともな議論が出来なかった。

これは、危機管理の視点からは「自国防衛の為の自衛隊のあ
り方」とか「緊急大規模災害時の対応」という議論が必要な
のだが、自衛隊とか軍備という話になると「憲法9条違反の
自衛隊に関する論議などもってのほか」という反応をする人
がいまだにいるのと同じこと。
昔軍隊今総評と同じ。

帝都防空の準備をしてこなかったのだから、泥縄ではどうし
ようもない。



[20] 投稿者:みりたおたく 投稿日:1999/12/27(月) 13:27
>19

ドーリットル空襲でそれなりに目覚めたし、B-29の概要は昭和18年末にはつかんでいたけど、すべて遅すぎた。、、、ちゅうことでは?
99式88mm高射砲とか帝都方面に重点配備とかしてたし、キー44とか南方から呼び返してはいたよね?



[21] 投稿者:>20 投稿日:1999/12/27(月) 13:32
そうそう、ドーリットルでびっくらこいた。
しかし、それ以前は19の通りで、結局は泥縄で間に合わなかった。

防空だとかである程度の効果を望むなら、準備構築維持に地道な努力
が必要ってこと。
地道な努力は片手間では出来ない。



[22] 投稿者:>19 投稿日:1999/12/27(月) 13:38
言霊だね。井沢元彦だったけ?



[23] 投稿者:>22 投稿日:1999/12/27(月) 14:23

この話は別に井沢の発見だとは思わない。
むしろ自分は言霊というより「ダチョウの平和」だと思っている。

ダチョウの平和 = ダチョウは危険が迫ったときに頭を地面に突っ込み
          危険が見えないようにして、精神の安定を求める。
          危険が見えない=認識外とすることで主観として危
          険がなくなったと自己欺瞞するが、客観的情勢には
          何も変化がない。現実逃避は危険が増大こそすれ減
          少することはない。



[24] 投稿者:映像の性器 投稿日:1999/12/27(月) 14:45
NHKがTV業界のタブーに自ら挑んだ野心作。



[25] 投稿者:みりたおたく 投稿日:1999/12/27(月) 22:13
宮崎駿「最貧前線」のような漁船改造監視船による太平洋上にピケットラインを構成したB-29監視網とは本当にあったのでしょうか?
マリアナ海戦後、いくら必要があるからとはいっても八丈島より南にぼろ船を組織的に送り出すのは無茶だと思いますが?



[26] 投稿者:オ−プエンド 投稿日:1999/12/27(月) 22:17
>25
ド−リットルのときは確実にあった。



[27] 投稿者:>26 投稿日:1999/12/27(月) 22:23
ドーリットル攻撃隊のレーダーには木更津か鹿島を出撃した1式陸攻らしい反射波が感知されていたけれど、悪天候で目標を発見できず引き返したのだな。
おしぃ、、。やはり索敵はレーダーに限る。



[28] 投稿者:B-29発見 投稿日:1999/12/28(火) 10:29
B-29編隊が集合のためマリアナ上空で出すコールサインを傍受する事で
規模とおおざっぱな目標は分かったそうだよ.
空襲警報はそれをベースに出していたそうな.
実際に担当した堀参謀の本が出ていたな.
潜水艦の脅威が増大したので漁船の索敵網は機能しなくなったんでしょう.
(浮上されて砲撃されたら終わりだもの)



[29] 投稿者:>28 投稿日:1999/12/28(火) 10:32
Qーシップみたいな感じに、浮上潜水艦に逆襲できないかな?



[30] 投稿者:>28.29 投稿日:1999/12/28(火) 18:27
ピケ船から連絡が途切れた、というのが重要かつ唯一の情報で
要は鳴子と変わんないです



[31] 投稿者:みりたおたく 投稿日:1999/12/29(水) 01:42
大戦後期の1式陸上攻撃機や2式大艇による扇上3段索敵って
「あの機から連絡が途絶えたから、機動部隊がうろついているな」って感じだったみたいですな。