ロンメルvsパットン
結局、機甲師団率いたら、どっちのほうが優秀だったんですか?
それは同等装備、編成の仮定ですか?
師団と言っても、それは戦線内での運用によるわけだから
師団一つで戦争が出来るわけではないので、何とも難しい
ですが、ロンメルでしょう。
あと、ドイツ軍の場合、機甲師団とは言わずに、装甲師団
というのが通例となっています。
それから、キングタイガーも英語呼称なので、できれば
ケーニヒスティーゲルなんて言ってくださると、ドイツ軍
ファンのウケはバッチリです。
気を悪くなさらないでください。べつに非難しているわけ
ではないですから。
ホントは「ティーガーb」 だっけ?
>1
僕は駄目ですか?
↑あなたは赤毛のアンの作者なんで、
戦争したら子供の夢を壊すのでダメ。
だはは。ネタとは思いますが、ただしくはモントゴメリーですね。
モンティは、マーケット・ガーデン作戦の手痛い失敗もあるし、
基本的にはオーソドックスなただのイギリス将軍でしょう。
たしかに砂漠でロンメルに勝利してはいますが、彼の位置付けは、
南北戦争のリーとグラントにおける、グラントの評価に近いものが
あるとおもいます。もちろん私見ですけれど。
俺もロンメル勝利に1票。
パットンは物量を背景にした、猪突猛進なイメージがあるっす。
モントゴメリーの方は、アフリカでロンメルと同じ程の欺瞞工作やら
何やらカマしてますので、パットンよりは上かな?と。
>草壱号さん
陸のパットン、海のハルゼー。
猪突猛進の権化とまでいわれるこの二人ですが、自分が活動しやすい環境を
作り上げることと自分のイメージをうまく使うことについて、高い能力が
あったからこそ将官となったのではないでしょうか。
でも、こう書いてみるとロンメルもまた同じですね(^^;)
モンティに関しては手堅さについては凡将以上のものがあると思いますよ。
私のモンティに対するイメージは”守りは堅く、攻めが苦手”です。
>私のモンティに対するイメージは”守りは堅く、攻めが苦手”です。
そういう意味では、きわめてイギリス的な将官だったと思います。
ただ、今の観点から見ても、テレビゲーム的な発想に思えてしまう
マーケットガーデン作戦が納得いきません。実際、亡命オランダ軍
最高司令官のオランダ皇太子も「我が祖国は金輪際”モントゴメリー
の成功などという愚にもつかぬわがままを許すことが出来ない」と
明言してますし。
ロンメルに対する高評価あるいはシンパシーは、ショカツリョウ
(漢字面倒)やハンニバル、リーと同様、寡兵をもって敵軍を翻弄
し続けたところにあるのでしょう。それと悲劇的な最後も判官贔屓
な日本人好み。
も
>チェンクメイトさん
そうですね。っていうかそうでなければ将官にはなれないでしょう、たぶん。
ただ…ノルマンディ上陸以降の兵站部分の環境構築はアイゼンハワーに
負う所大ですよね。で、俺的には兵站が戦略の8割握ってる、と思ってます
のでこの点から言うと…やっぱり単に猪突猛進の戦争屋というイメージが
あるっす<パットン
>山内容堂さん
マーケット・ガーデン作戦は、偶然フランスから撤退してた第2SS装甲軍団と
第9SS装甲師団が空挺部隊を包囲する形でアンヘルム周辺に駐屯していた
ってのが、結構痛い原因ですよね。
きっとパットン、ひいてはアメリカの前進を牽制する意味で多少無茶な計画を
立てなければならない事情ってのもあったんでしょうね、きっと。
大英帝国的に。
あ、あと。
寡兵をもって敵軍を翻弄ってのは正にその通りだと思います。
>山内容堂さん
>そういう意味では、きわめてイギリス的な将官だったと思います。
”頭の固いジョンブル”のイメージからかな?
英国軍将官でも機動戦術を得意とした方も多いですよ。
↑WW1のカンブレー会戦やWW2ビルマ戦線など。
でも、確かにマーケットガーデン作戦はかなりイタい。
”人間慣れないことをするもんじゃない”のいい見本ですね。
>草壱号さん
パットンが構築した環境は戦略的なものではなく、”戦術以上戦略以下”
(ゲームでいう作戦級)のものですね。
”猪突猛進の戦争屋”というイメージも彼自らが望んで作ったものですし。
マーケットガーデン作戦についてですが・・・
独装甲師団がアルンヘムを再編の地としたのは偶然です。
連合軍はこのことを偵察でつかんでいましたが、その情報をモンティが
握り潰して作戦を強行したとされています。
まぁ、お国と私事の双方に事情があったようですが、あの作戦で彼の評判は
今でも悪いですね。
1ですが
パットンは現場の指揮官タイプとゆう気がします。ロンメルはもっと
大局的な戦略を作っていける参謀タイプだと思います。
しかしパットンはやはり単なる猪突猛進の指揮官だけではなく、
局地戦においての兵の使い方、動かし方とか非凡なものを持って
いたんじゃないでしょうか。そうじゃないと、あれだけの結果は
だせないと思いますが。兵の士気を高めることは天才的にうまかった
でしょうし。(笑)
もし同じ兵力でロンメルとパットンが戦ったら、実戦ではパットンが
勝つような気がします。
横レスで申し訳ないのですが、私はパットン将軍に
ついては「パットン大戦車軍団」という映画意外の知
識しか持っていないのですが、皆さんはどこで、どう
いう資料で研究されているのか、よろしかったら教え
てください。無知なもので、パットン将軍と聞くと
マッカーサー将軍(元帥)とイメージがだぶってしま
うんです。
アフリカ戦線で、1個師団づつ使うんだったら、ロンメルの勝ち。
ヨーロッパ戦線だったら、逆。当たり前か。
>パットンは現場の指揮官タイプとゆう気がします。ロンメルはもっと
>大局的な戦略を作っていける参謀タイプだと思います。
揚げ足取りではないことを宣言しつつ。
ロンメルの指揮方法を見ると、つねに最前線に立って、的確な指示を
出すという点において卓越した指揮官でした。アフリカの戦いのよう
な流動性がつよい戦場にあっては、後方の司令部に届く情報は、とっ
くの昔に役立たずになっていることがほとんどで、報告する士官自身
が身の回りの戦局ですらどうなっていたかほとんどわかっていないほ
どでしたから。
ロンメルは、フランス戦役の第7装甲師団長時代から常に前線にたつ
指揮官でしたし、それで成功していたことから、軍団(2−3個師団)
レベルを率いさせたら最高の将官だろうが、軍集団規模になったらど
うかというのも昔からの議論されていますが、連合軍の上陸に備えて
西方軍集団長(正式な役職は失念しました)に就任するや、みずから
現地視察に赴き、地雷の敷設方法からこまかく指示を出したりしてい
たので、OKHがバ・ド・カレー上陸を前提として沿岸防備を抱えていた
状況を加味すれば、ノルマンディーにあれだけの努力を注げたのはも
のすごい偉業だと思います。上陸に際しての装甲師団の運用予測も的
確でしたから、戦略的な着眼点を備えた、最高の現場指揮官という、
極めて希有な才能を持って時代を駆け抜けた、不世出の将星といえる
のではないでしょうか?
ロンメルのことは、知れば知るほど、畏敬の念を抱かずにはおれませ
ん。一生のうちに、これほどの人にふれあうことが出来れば、これに
まさる幸運はないような気がします。
>14さん
パットンにかぎらず、学研発行の「第2次大戦 欧州戦線シリーズ」
の購読をお勧めします。1,600円ですから、値段的にも手軽です。
1巻 ポーランド電撃戦
2巻 西方電撃戦
3巻 英独航空決戦
4巻 バルバロッサ作戦
5巻 北アフリカ戦線
6巻 大西洋戦争
7巻 クルスク機甲戦
8巻 ノルマンディー上陸作戦
9巻 アルデンヌ攻勢
10巻 ベルリン攻防戦
の10巻です。パットンについては8巻以降でしょうか。
巻末の参考文献も役に立ちます。
異常、長レスすいません。
>マーケットガーデン作戦
「遠すぎた橋」と言う映画を見ることをお薦めします。
この映画によると、イギリス第30軍団の指揮官の「ブライアン
ホロックス」中将の作戦提案をモンティは認可しただけで、戦車が
写っている偵察写真を握りつぶして作戦を強行したのは、
ブライアンホロックス中将に責任があるように描かれています。
質問の主旨が違いますが、当時アルンヘムで再編成中であった、
第2SS装甲軍団の軍団司令の名前を知っていられる方居られますか?。
確か「ヴィルヘルム・ヴットリヒ」だと思っていましたが、
「グラフィックアクション」のドイツ軍人プロファイルによると
司令官着任が、44年10月7日付になっています。
このスレッドは、めちゃくちゃ興味有りますね。
どっちにしろ、ロンメルは、アフリカから一旦休養の為にドイツ本国に
帰国して、それから又イタリア方面の司令官になる予定だった
みたいですが、空軍司令官のケッセルリンクに追い出されるような
形で、フランス方面の司令官(しかもルントシュテットの下!!)に
着任しています。
ノルマンディー防衛の任は、明らかに、上部の人間と、
装甲師団の移動権限をヒトラーに握られていたために、
効果的な反撃が出来なかったですね。
ルントシュテットと、「水際阻止」と、「内陸での阻止」と、
上陸作戦の対する対抗策で対立していたみたいです。
しかしあれですね、フランスからドイツに向かうより、
イタリアから北上する方が、地形的問題や、抵抗が大きくて、
連合軍側の死傷者がドイツ軍側を上回っています。
なんだかなぁ(^^;
>ブライアンホロックス中将
ブラウニング中将では?
結局、あの作戦の失敗は、やはりモントゴメリーに帰せられるべき
ですが、さすがにイギリスの英雄をハリウッドでけなすわけにも行
かず、スケープゴートにされていましたね。お気の毒に。
まあ、偵察写真の握りつぶしなどもありますが、一度動き始めた歯
車は、容易に停止できないですよね。「装甲部隊がいたら困る」が
「いるはずがない」になり、「いたとしても、空挺部隊が何とかす
るはずだ」にかわってゆく心理は、誰でもありますよね。
第2SS装甲軍団長はヴィットリヒSS中将ですね。グラフィック
アクション(ドイツ軍人プロファイル)はちょっと情報にむらがあ
るので、慎重に扱う必要がありそうです。
>ノルマンディー防衛の任は、明らかに、上部の人間と、
>装甲師団の移動権限をヒトラーに握られていたために、
>効果的な反撃が出来なかったですね
装甲師団の使用許可権限は、ヒトラーが一手に握っていました。
「もしも」は承知で、ロンメルがベルリンに帰還せず、第21
装甲師団が自由に動かせていたら、上陸作戦も相当の困難に見
舞われたでしょうね。
>しかしあれですね、フランスからドイツに向かうより、
>イタリアから北上する方が、地形的問題や、抵抗が大きくて、
>連合軍側の死傷者がドイツ軍側を上回っています。
イタリア戦線は山岳地帯の削りあいでしたからね。この当たりの
事情は、「アンツィオ上陸作戦」に描かれていますね。ケッセルリ
ンクはロンメルとのからみではいいように扱われませんが、防御を
主体とした指揮においては、非常に手堅く優秀な指揮官だったと思
います。
ヒトラーは、戦略的に戦争を見ることは明らかに苦手でしたね
だで、彼の玩具になるものは自分で動かさないと気が済まなか
ったようですね。
極端な例にスターリングラード戦線において、戦線図を見て
「この中隊は、ここを取れ」とベルリンから指令してた有名
な逸話があります。
さて、話を本題に戻します。
小生の意見としては、以下のようになりますね
パットン:猪突猛進タイプの指揮官で、全体の戦線等を
無視して攻め上がる指揮官
それ故、上層部の頭痛の種になる人でしたね
彼の事故死も、ほっとくとソ連相手に戦争し
かねないため、暗殺されたという説が有力で
す。
ロンメル:戦線を見渡し戦うことが出来る指揮官で
有能であるが、戦車戦で突進することが
得意
モントゴメリー:砲兵戦と戦車戦を駆使して戦うタ
イプの指揮官で、砲撃支援を重要
視する手堅い指揮官
>さすがにイギリスの英雄をハリウッドでけなすわけにも行かず
そうですかねー。ハリウッド映画でのモントゴメリーのイメージは
いつも作戦の足を引っ張る保守的な軍人。手柄を全部自分のものに
しようとする、ちんけな男といったところです。
これ見てイギリス人が怒らないのか、不思議に思うくらいです。
アメリカ人キャスト中心で、対象市場の小さい映画ならば、モントゴ
メリーがけなされるのは、アメリカでは当然でしょう。なにせ、大戦
中から自分の功績のためにアメリカ兵に無用の流血を強いる男といっ
て非難されていたくらいですから。しかし、「遠すぎた橋」は、かな
りなスケールで有名俳優などを配した国際合作なので、それなりの政
治的配慮も必要だったのではないでしょうか。モントゴメリーはNATO
の高官でもあったわけですから。
パットンは、部隊の移動速度こそが勝敗を決すると考えていたタイプ
の指揮官で、40年フランス戦役におけるグデリアンのような運用こ
そが戦車部隊の真骨頂と見ていたのではないでしょうか。実際、44
年以降のドイツ軍にとってもっとも嫌なタイプの敵将だったでしょう
ね。制空権も連合に握られていた状況では、機動反撃は困難だったは
ずですから。
ただ、パットンはチキンシットの権化というか、権威的、高圧的に兵
士に接する部分が多く、人格的にどうしても好きになれないのは確か
です。
>山内容堂さん
そうですね、あの場合は「フレデリック・ブラウニング中将」
でしたね。
>モンティ
なんせアフリカ戦線で、、地雷なんぞ、戦車で踏み潰してしまえと
言った人ですから・・・。
>アメリカ陸軍
私のアメリカ陸軍の印象というと、全ての作戦に置いて、
空軍の援護がなければ、達成し得ない陸軍だと感じています。
ですので、制空権の確保されていない戦場に置いては、
ドイツ装甲師団に突破されて、蹂躙されるのではないかと思っています。
現に、ラインの守り作戦では、ヨーヘン・パイパー率いる戦闘団に、
蹂躙された部隊もありますしね。
>私のアメリカ陸軍の印象というと、全ての作戦に置いて、
>空軍の援護がなければ、達成し得ない陸軍だと感じています。
>ですので、制空権の確保されていない戦場に置いては、
>ドイツ装甲師団に突破されて、蹂躙されるのではないかと思っています。
これは、無意味な仮定と思います。作戦は、手持ちの戦闘力を
駆使して行う戦闘行動ですので、制空権の確保も作戦の一部で
す。それ故、このような仮定は無意味です。
日本軍のガダルカナル戦のレポートで、「火力無き米兵は脆弱
なり」と言う仮定で、自軍の敗因を覆い隠したという前例があ
ります。
>空手バカボンさん
いやですね、仮定としては、空軍の影響がない戦場を
考えていたので、機甲(装甲)師団が、正面切って激突した場合に、
ドイツ軍装甲師団の優秀(訓練度・戦術面に置いて)さを考えると、
バットンと言えども、破れるのかではないかと考えているわけです。
どっちにしろ、空軍無き戦場など有り得ないでしょうが(^^;
以前ですね、軍事研究で連合軍とドイツ軍、どちらが
強いかなんてのを特集していたのを覚えています。
確か 連合軍:ドイツ軍=1:1,1 で、
ドイツ軍が強いという結果になったはずです。
又今度バックナンバーを調べておきます。
空軍不在という状況は仮定ですが、その状況を利用するために、
アルデンヌ攻勢は悪天候の時期を選んで行われたのですね。
実際、パイパー戦闘団は戦闘で頓挫することはありませんでし
た。もっとも、戦闘団と言いつつも、ほとんど装甲師団(しかも
完全機械化)でしたけどね。
アルターハーセさんは、軍事研究を購読していらっしゃるんです
ね。ちょっとあれはバタ臭くて(意味不明)、私は読んでいませ
んでした。
確かに悪天候を利用した状況の戦闘でならあり得ますね。
そう言う状況であれば、確かにドイツ装甲軍団の方が強
そうですが、ただし、重砲隊等の支援火器を考慮に入れ
るとどうなるか分かりません。確かに装甲軍団同士の戦
いなら、ゲルマン魂でドイツが勝つと思います。
>山内容堂さん
小生も一時期「軍事研究」を購読してましたが、やはり
バタ臭いので購入を辞めました。
イギリス第30軍団=ホロックス中将
ブラウニング中将=空挺(1@`82@`101)
>又今度バックナンバーを調べておきます。
そのバタ臭くて不評な軍馬研究からです(^^;
実はあんまり言えないんですよ、去年の総火演の入場券、
ここから貰いましたから・・・・。
そんな事はさておき、軍事研究98年2月号に、
「軍人の価値!?」と題した戦力研究レポートが載っています。
著者は、かの有名な松村さんです(^^;
>山内容堂さん
>ただ、パットンはチキンシットの権化というか、権威的、高圧的に兵
>士に接する部分が多く、人格的にどうしても好きになれないのは確か
>です。
パットンは他の将軍と違って、兵士とも親しく接したので人気があったと
記憶していますが・・・
ただし”チキンシット”だけあって、臆病者にはかなり厳しかったので
マスコミのスキャンダルネタにされやすかったようです。
ソ連にも有名な戦車隊長いたよね。ジューコフだったけ。
後に元帥までなったような。
>30
ジューコフってノモンハンで、後半にソ軍の司令官だった人?
この間のNHK特集でみました。
>屯田兵さん
ジューコフは開戦時すでに将軍となっていたから、別の人物では?
なんとなく記憶に引っかかる人物がいるのだけど、思い出せない〜(^^;)
>at
ジューコフ将軍はノモンハンでの日本軍殲滅作戦を成功させて
スターリンのお気に入りとなった方です。
↑
敬称付けずにすみません>atさん
今日はあやまってばかりだな(^^;)
マンシュタインでしょうね。
もし東部戦線で、ヒットラーが横槍を入れず、マンシュタインの
自由にさせていたら、ドイツはソ連に勝っていたと思う。
>ジューコフ将軍はノモンハンでの日本軍殲滅作戦を成功させて
>スターリンのお気に入りとなった方です。
戦後は冷遇され、粛正対象になったような?
違いましたか?
たしかそうですね。
スターリンをしのぐ人望と人気があったのが粛正理由だと
思われます。
スターリンにとって英雄は自分ひとりだけで、他のは地位を
奪われそうで次ぎから次へと粛正の嵐。。。こわいですねえ。
スターリン話
彼に勧められて入院検査をした幹部は、みんな病死したそうです。
全然違います。
ジューコフはスターリン派です。
彼はスターリンの死後、1951年にフルチショフによって追放されました。
東欧に出張して帰国したら席が無くなってました。
国民に人気はあったでしょうが、軍内で人気があったかどうかあやしい所です。
並外れて押しつけがましく、勝手気ままな人でした。
あとノモンハンよりもベルリン突入の方が有名です。
話をちょっと戻しますが、宮崎繁三郎はどうなんでしょう。
ノモンハンのときといい、インパールのときといい、
いい話しか聞かんのですが。
石原莞爾の陸戦能力。
今日は皆さん。
>17・18
イタリア半島の闘い
ケッセルリンクは「相当有能な人材」であると言うことになっていますね。
私は格好いい彼を見たければ「アンツィオ上陸作戦」を見な!
と言っています。そう言えばマンシュタインはそのイタリア戦を評し
「何故あんな半島に拘るのだ?私ならポーの平野で一回決戦をする。それで決まりじゃないか?」
とか言っています。
手並み拝見!といきたかった・・・(残念!)