「放送大学学位記授与式 学長挨拶」
…。人が学ぼうとする目的は、様々であろうと思います。そのひとつは、職業の力量を高め生活の糧を得る。業(わざ)を学ぶということであろうかと思います。多くの技術的な実学が、これに相当すると思います。もうひとつは、人の心や身体(からだ)を知る、これは個体でございます。社会の仕組みや歴史を知る、文化を知る。そして、自分たちが生きている自然を知るという、おそらく3つぐらいのカテゴリーに分けられるようなことが学ぶ対象になると思いますが、これらは、自分が生きているこの時代の位置を、歴史的に空間的に知る、定める、ということであろうと思います。これが現代の教養の本義であろうかと思っております。
人類が直面する現代の多くの問題は、人間の持つ性(さが)というのがございますが、それに根ざすことが多いということはもう間違いのないことだと思いますけれども、それが、歴史的に類を見ないほど大変な頻度で色々な困難が発生しているのが、この何年か、この十何年かのことであろうかと思います。
それらの原因を最も単純にいささか乱暴にくくってしまえば、地球の大きさに比して人間どもがいささか多くなり過ぎたのではないかということではなかろうかとも思います。
もう少し別な表現をすれば、もっともらしい言い方になるかも知れませんが、我々がここ200年ぐらい前から科学技術なるものを発明し発展させ、近代西洋型の文明人というものが中心になりまして、自由と安全を願い、安楽を願い、努力しつづけた結果、いささか成功の度合いが過ぎたのではないかと思わざるを得ません。
ま、いいことも過ぎれば、いろいろな問題が発生するだろうと思います。我々がものを考えるときに、ものの基本に立ち返って、考えなければならない時代が来つつあるような気がいたします。
そして、金を得ることを、成功の単一尺度としたともいえる状況に立ちいたっている現代を考えざるを得ません。
豊かさを求める世界の大人口の存在。ま、日本は若干減ると言いますけれども、世界は大人口を抱えております。
その結果として、水、エネルギー、原料、資源等の枯渇、環境の汚染、食料の獲得空間の不足が、現実のものとなりつつあります。
金が成長、幸福の増進の尺度であり得た、単にそれだけであり得たということから、もしかすると、淘汰、退場の尺度に使われる怖れさえ出てきたという風に、これは国際的にも個人的にも怖れざるを得ない状況が、少しづつ見えてきております。
先進国へ不法入国しても、窮乏を脱しようとして、拡散的に生じる貧窮地域からの移民型の人口大移動、これは、世界的に起こっております。
安い労働力として、第一世代の移民にきつい仕事を押し付け、自分は楽に暮らし、既存の権益を維持しつづけようとする、先進国の既成勢力がございます。
そして、ま、最近のヨーロッパに見るように、移民の、第二、第三世代の鬱屈と叛乱、文明は再び、精神的な覚醒を技術革新とともに求め始めているように思えてなりません。
時代というものが、非常に簡単な単一な時代だったということを、だんだんに過ぎ去りつつあることを、考えざるを得ません。
歴史は、円を描いて元に戻ることは多分無いと思います。二次元的に見れば、ま、上から見れば、平面の上で、円を描く復古的に見える事柄であっても、三次元的に見れば、文明は、螺旋状にスパイラルを描いて、ワンピッチ高みに上がって行く。高いか低いかは分かりませんが、けれども、違うレベルに上がって行くんだろうと思います。
もしかしますと、高度近代社会を経たうえで、人口が急減少しそうな日本が、世界に先駆けて、新文明への螺旋を最初に登って行く国になるのかも知れません。
近代化路線の一周遅れの線形的な延長線上に、いつまでも我々の未来があるとはなかなかに思えません。スパイラルを描いて、回転しつつ、新時代への創造的な展開を考える必要があろうかと思います。
本当の先駆的な思考が、今の日本に求められているのではないかと思われます。
教養を学ぶということに、実は競争はあり得ません。この大学には、競争はありません。
自身のための修練と修養があるのみです。急がずに、不必要な競争をせずに、人の存在そのものを学ぶ、この放送大学に、10万人の学生いま学んでいるということを、皆様とともに、わが国のために、喜びたいと思います。
分野性の強い科学技術が突出した、ひたすら成長を求めた近代社会。それを、調和が取れ、節制のゆき届いた、成熟した人類活動が展開するこれからの時代に導くためには、文化的素養と科学技術がともどもに、丁寧に学ばれなければなりません。その一方だけで成り立つ訳には行かないと思います。
子孫に何を残し、逆に言えば、子孫に何を残さないか、ということを適切に学び取るために、深く学び、自分以外のもの、とりわけ、自分達を継ぐ次の世代に、恥ずかしくない振る舞いができるように、たった一度しかないこの人生で、努力をしたいものだと思います。この大学が目指す教養学の真髄はそこにあると思っております。
この大学で学び進んで、今日のよき日を迎えられました皆様と、ご家族のご多幸をお祈り申し上げるとともに、同時代に生きる仲間として、新しい時代の創造に、ともに努力することを希望いたしまして、学長の告辞といたします。
平成18年3月11日 放送大学長 丹保憲仁(たんぼのりひと)
'06.H18 3.25(sat) 20:00-20:45 放送