sumi-Cノート <excerpt> 野良猫が車に轢かれてしまっていた。車に轢かれ、頭部を砕かれてしまったようで、即死だった。 … 続き
(16)今週の出来事 2007年 9月~12月
[Xmas ケーキ2] '07.12.24
[Xmas ケーキ1] '07.12.23
[クリスマスのキムチ] '07.12.22
[ふたご座流星群2] '07.12.18
[ふたご座流星群1] '07.12.16
[インジェクションコイル] '07.12.7
[親父への通知] '07.11.29
[宇多田ヒカル] '07.11.17
[文化祭] '07.11.9
[マタンゴ] '07.11.1
[戸隠] '07.10.23
[最強の孤独] '07.10.14
[幼虫] '07.10.7
[野良猫へのレクイエム2] '07.10.4
[野良猫へのレクイエム1] '07.10.3
[灰皿] '07.9.23
[T・Rex] '07.9.14
[目] '07.9.14
[東北三大祭5] '07.9.2
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[Xmas ケーキ2] '07.12.24
クリスマスになると、分別(ふんべつ)のつき始めた子どもを持つ、クリスチャンでない親は大変そうである。
クリスマスイヴに家族団らんでケーキをカットして食べようとするときなど、親は、相当の理論武装をして臨まないといけないだろうからだ。
こどもに、『クリスマスケーキってなぜ食べるの?』とか『クリスマスイヴのイヴってなに?』とか『 Xmas のXってなに?』とか『ナザレのイエスってどんな人?』とか聞かれたら、説明してあげないといけないからだ。
宗教のことは、公立の学校では教えないし、
[Xmas ケーキ1] '07.12.23
ぼくは、クリスマスケーキを食べるとき、どうも、躊躇する感覚に襲われてしまう。
小学校に上がる前のこと、ぼくが初めてクリスマスケーキを食べたときのことである。
そのケーキは、生クリームでなく、カスタードクリームのやつだった。
ケーキの上にサンタクロースのかたちをした砂糖菓子が載っていたのだが、その菓子をぼくは家族の中でひとり占めしてしまったのである。
家族から文句が出ないうちに早く食べてしまおうと、活きよいよくかじりついたのだった。… 変な食感! 実は、砂糖菓子ではなく蝋燭(ろうそく)だった。… あの味というか、食感は忘れられない。いまだにトラウマなのである。
『三丁目の夕日』で、ろくちゃんという女の子が腐ったシュークリームを食べてしまったシーンがあるが、気持ちはよくわかる。時代背景が同じだからだ。
[クリスマスのキムチ] '07.12.22
クリスマスといえばキムチだ。
ずいぶん前のことだが、クリスマスのミサに参加したことがある。
友人の奥さんがクリスチャンだったのだ。その関係で、友人に『クリスマスのミサに参加してみないか』と誘われたのだった。めったに体験できることではないので、つき合わせてもらうことにした。友人と友人の奥さん、それにぼくの3人でミサに出かけた。
イタリア・ルネサンス時代の絵画とかを理解しようとすると、どうしてもキリスト教の理解が必要になってくる。ラファエロやダ・ビンチである。今回の冒険が、その足しになればと思ったのである。
ミサと言っても規模の大きいもので、教会ではなく、公会堂のようなところで行われた。友人の車でたしか小岩の方へ行った。そして、その公会堂のようなところで司教様の教えを聴き、ステージでやる寸劇を観(み)、ゴスペルを聴き、自分たちも客席から参加して合唱した。外国人も多くステージ立っていた。
ミサも終わって帰ることになったのだが、途中で食事をして帰ろうということになった。友人夫婦は、食事する場所をすでに決めていたようで、板橋あたりの焼肉店へ直行した。
その焼肉店へ入ってみると、店主もお将さんもクリスチャンだった。客もみんなクリスチャンだった。
店内で再びクリスマスのお祝いが始まった。公会堂のときは、ぼくは不特定多数の中に紛れて、安穏としていたが、さすがにこの小さな焼肉店の中では、意に反して目立ってしまった。なにしろぼくだけ異教徒だったのだ。
店内にいる敬虔なクリスチャンたちは、主、イエス・キリストへ祈りを捧(ささ)げた。牧師みたいな人がいて、祈りの言葉をリードした。両手を胸の高さへ持って行き、てのひらを上に向け、そこの空間を持ち上げるようにした。顔も天井に向けた。そして声を合わせてとなえた『ハレルヤ』。
ぼくも同じ格好をすべきか葛藤したのだが、たしか、下を向いていた。いや。誤解しないでもらいたい。ぼくは、けっこう異教徒の立場を楽しんだのである。海外旅行でもしているみたいに。
ギターなどの楽器も用意されていて、賛美歌などが歌われた。ぼくにとっても楽しいパーティーになった。文字通り ”Merry Christmas!” だった。たしか、ビールとかアルコール類は店の中すべてで出ていなかった気がする。
焼肉店のご主人とお将さんは、在日韓国の人だった。そこで初めて知ったのだ。韓国人、あるいは韓国を祖国に持つ人たちは、意外とクリスチャンが多いということを。
日本の地で生活する外国籍の人などは、宗教が大きな心の支えになっているに違いない。宗教上の祭りをするにも、その意義がリアルである。
焼肉といい、韓国テイストの料理といい、うまかった。
パーティーも食事も終わって店を出ようとすると、店の人が、ビニール袋に入れたキムチを手に持たせてくれた。そのキムチを家に帰ってからご馳走になったのだが、絶品だった。以来、それに匹敵するキムチを食べたことがない。この記憶だけは鮮明だ。 この文章の冒頭で、クリスマスといえばキムチ と書いた所以(ゆえん)である。
[ふたご座流星群2] '07.12.18
[ふたご座流星群1] の続きだが、せっかくデジカメを持って出たのだからと、星を撮ってみることにした。思いっきりズームにしたら、星がディスプレイに入ってきた。オプションの望遠レンズとか装着しなくても捕らえられるのだからたいしたものだ。
撮影した星は火星である。あまり天文の知識はないのだが、夜空の真上で赤く光っている星が火星であろうことは推測できた。
今夜の火星はやけに大きい。地球、火星、それぞれの公転軌道を、おそらく併走するように回っているに違いない。惑星同士が接近しているのだ。きっと。
火星に向かってフラッシュを焚いてシャッターを切ってみた。
地球と火星との距離は、おそらく 90,000,000km程度だろう。光の速度は秒速300,000kmだから、90,000,000÷300,000=300 つまり、ぼくのデジカメから放たれたフラッシュの光は 300秒かかって、つまり、300÷60=5 5分かかって火星に届くことになる。
それから、そのフラッシュの光が火星で反射し、ぼくのカメラのレンズに届くまでは、また5分かかることになる。つまり、10分間はカメラの絞りを開けておかなくてはならないのだ。(あるいは、10分くらい経過したら絞りをひらけばいい)
残念ながら、まだ、カメラの絞りをひらきっぱなしにしておく操作を知らなかった。だから、フラッシュは役に立たなかったのである。
フラッシュ無しで数枚撮ってみたが、どれも見事に手振れしていた。手で持って撮影したのだが、やはり、星の撮影は固定すべきである。
写真を見ると、火星は赤い星なのに、あまり赤く写っていない。ぼくのデジカメの赤目軽減機能が働いてしまったのかも知れない?
'07.12.15 3:32
↑これでも天体写真だ。
[ふたご座流星群1] '07.12.16 sun
15日の午前3時30分過ぎに庭に出た。農家には、屋外にもトイレがあるのだが、決しておしっこをするために庭に出たわけではない。そう。今夜はふたご座流星群を見るために庭に出たのである。
長時間観察しようとは思っていなかったので、パジャマの上にボアコートを羽織っただけの簡単な格好で庭に出た。強い寒波は来ていなかったのだが、やはり12月の深夜は冷える。
カメラも持って出た。もし、地上を照らしながら全天空を横切って行くような、そんな巨大な流れ星が出現したならば、撮影しようと思ったのである。残念ながら、そういうのは無かった。
20分以上晴れた夜空を眺めていただろうか。 5~6個はちゃんとした流れ星を見ることが出来た。西の高いところにふたご座はある。その位置から放射状に星が流れるのだ。その星座の近くだけを見ていてもだめだ。流星は全天空で出現する。
ぼくはバレーボールをやっているので、天井を見上げるのは苦にならない。顔を上に向けて静止し続けた。
流れ星のなかには、それまで同じ位置で瞬いていた星が、急に動いて落ちて行くように見えるのがある。そんなのは、ちょっとメルヘンチックだ。
日ごろ、星空をじっくり見る機会などほとんどない。たまには眺めて、宇宙に思いを馳せるのも悪くないだろう。宇宙の壮大さを実感できるというものだ。また、こんなときは、神様は存在するのだろうか?などと考えてみるのも悪くないだろう。
とにかく、天体物理学者などが宇宙の仕組みをどんどん解明しているので、だから、リアリティーをもって宇宙に思いを馳せることが出来るのだ。そーいう意味では、人類も偉大だ。
ところで、肝心の僕自身は、宇宙の、どこの座標にいるのだろうか?
… ビックバーン。宇宙の地平。ブラックホール。 … シリウスは、冬の大三角形の頂点としてひときわ輝く。もうひとつの頂点をなすベテルギウスは、オリオンの恒星だ。 オリオンの三ツ星近くの暗黒星雲は、星の誕生を準備しているという。
… そういえばこのあいだ、故障してえらく修理代が掛かってしまった車のメーカーも星団の名前だ。スバル(昴)。プレアデス星団の和名である。… しかし、あの修理代は痛かった。未だにスタッドレスタイヤを買えないでいる。 … 宇宙に思いを馳せているつもりが、いつの間にか日常に思いを馳せてしまっていた。
天球の低い位置で星が流れた。それを見て、ふと、ユニセフから募金のDM(direct mail)が届いていたのを思い出した。忙しくてすっかり忘れていたのだが、
『貧困の中でなすすべもなく、ほとんど誰にも気付かれないまま栄養不足や感染症、不衛生な飲み水などが原因で死んでいく子どもの数は1日に29,000人にものぼります』ユニセフ事務局長 アン・M・ベネマン氏の印刷された手紙からである。
人類は物理学などでは偉大な業績を上げているのに、地上で太陽をつくる実験さえできるのに、同じ惑星上で、栄養不足で死んでいく数多くの子どもがいるのを放置している。大きな矛盾だ。
クリスマスも近いことだし、世界の子供たちのために、募金をしてあげよう。懐が寂しいので3千円以内でだが、
[インジェクションコイル] '07.12.7
レガシィが故障してしまった。
先月のこと、地元のゴルフコンペがあって、順番でぼくが車を出した。
コンペは終了し、その帰り道のことである。東京方面に帰るために本庄児玉インターから関越道に乗ろうとしていた。すると突然、アイドリング時にレガシィのボディーが異常に震え出してしまったのである。
レガシィは4気筒エンジンなのだが、ひとつの燃焼室の点火時期がずれたか、爆発が弱くなってしまったようだった。
当然同乗者がいたのだが、なにしろ高速へ乗る前である、みんなは恐怖を感じたに違いない。ぼくとしては、運転席にあるエンジンの警告灯が点いていないし、気にしないで高速に乗ってしまったのである。
後日修理に出すと、インジェクションコイルが劣化して、漏電していたことが解る。そのため、プラグの発火が弱くなってしまっていたのだ。
修理代だが 痛い! 49,000円。その部品は、4つあるシリンダーに1個ずつ付いていて、全部取り替えるようだったのだ。今冬は、スタッドレスタイヤも買わなくてはならないし、非常に痛い。
ぼくのレガシィは、新車で購入してから12年経つ。故障などあると、そろそろ新しい車が欲しくもなる。しかし、ローンを組むにしろ、まったく資金繰りの目処(めど)が立たない。 悲しい。
地球上の石油が枯渇して来ているという? また、温暖化対策が人類の課題になっている。
もしかすると、間もなく、純粋にガソリンで動く車は無くなってしまうかも知れない。こんど手に入れる車がその最後になってしまう可能性もある。
もう一度、最新のガソリン車に乗ってみたい。
どこかの新聞で養老猛司(ようろうたけし)が、『どうせなら石油を使い切ってしまえばいい。日本がいくら省エネを努力しても、結局得をするのは、エクソン・モービルとか米国なのだから』と書いていたが、
ヤケッパチな思想にも思えるが、案外その通りかも知れない。石油を使い切ってしまえば、それ以上の温暖化も無くなるし、オイルメジャーや投機筋に振り回されることもなくなる。それに、人類は、否が応でも新しいエネルギー文明へ移行せざるを得なくなる。
レガシィの修理にディーラーへ行ったとき、つい、最近発売されたインプレッサ WRX STI のカタログをもらってきてしまった。300馬力の高性能マシーンである。もし、車を購入する資金があったなら、そういう意味では、そんなのを買って乗り回すのもいいのかも知れない。GT-Rとか、なおよいことになる。そういう意味では、
[親父への通知] '07.11.29
すでに他界している親父だが、その死んでいる親父に手紙が届いた。水色の封筒だ。農協からだった。開封してみると、健康診断の通知だった。
そういえば今ごろ、親父、天国で健康に暮らしているだろうか。
[宇多田ヒカル] '07.11.17
近くにショッピングモールがあるのだが、そこに買い物があった。
用事を済ませたあと、ふらっと、モール内のレコード店に入った。
宇多田ヒカルのアルバムを宣伝しているのが目に入った。しばらく自分にとっての新曲を聴いていないので、手に入れたくなった。
音楽は、仕事や付き合いに忙殺されているときなど、この上なく癒しになってくれる。
宇多田ヒカルは『Automatic』のシングルを買って以来である。アルバムは値が張るので、やはりシングルを買うことにした。『Beautiful World』だ。
昼休みに買い物に行ったのだが、家に帰ってから、仕事をする前に、CDをパソコンに入れて聴いてしまった。
Automatic 以降の宇多田は、声は魅力的なのだが、ぼくの好みと音楽の方向性が違っていた。だからこれまで、CDを買うまでには至らなかったのだ。それに反し、今回手に入れた Beautiful World は、ネット等で試聴もしていたのだが、やはりよかった。宇多田が艶やかに歌っている。
また、Beautiful World は『ヱヴァンゲリヲン』のテーマ曲でもある。ぼくは別段、ヱヴァンゲリヲンには興味はない。初号機や綾波レイのフィギャーを欲しいとも思わないし、
[文化祭] '07.11.9
'07.11.4 sun
日本大学芸術学部の文化祭に行ってきた。
日本大学芸術学部(日芸)の場合は、文化祭でなく「芸術祭」と呼ぶが、その芸術祭は所沢校舎で開催される。
所沢校舎の近くは、車でしょっちゅう通るので、機会があったら中に入ってみたいと思っていた。
ちなみに、日芸の学生は、1・2年生が所沢校舎。3年生からは江古田校舎で学ぶ。
もちろん一人では学内に入りにくいので、ケイスケを誘った。そしたら、クリヤマも来るという。あと他校 の大学生も一人、ケイスケについて来た。かわいそうに、彼はケイスケのパシリをやらされる。
3時過ぎに学内に入った。
正門付近にあまり人気(ひとけ)が無い。だから、学内もガラガラかと思っていたら、中はかなり賑(にぎ)やかだった。所沢校舎は駅から離れているため、学生や来訪者をバスでシャトル送迎する。正門に人気が無いのはそのためだ。
中央の広場では、学生がたこ焼きとか、屋台をたくさん出している。
ケイスケは、学内にあるコンビニの前に、白いテーブルと椅子のあるのを見つけて 、そこに陣取り、生ビールを飲みだしてしまった。クリヤマは、腹が減ったといって、焼きうどんなど喰い始めた。
コンビニの前にいると、学生の野外コンサートの歌声と伴奏がよく聞こえてきた。飾り気なく正確に歌うので、気持ちがいい。
そうこうしているうちに、ぼくらのグループに、もう一人の学生が参加してきた。所沢校舎に通っている、写真学科の男の子である。
彼にキャンパスを案内してもらおうと考えていたのだが、しかし、ケイスケとクリヤマに付き合っていたら、あたりが薄暗くなってきてしまった。絵画の展示など、簡単に見ただけになってしまった。
中年男3人と、男子学生2人。この5人には、実は、今日の芸祭に、別の目的があった。… ミスコンへの投票とその発表を見に来たのである。
顔見知りの女の子が、『ミス日芸コンテスト』にエントリーしていたのだ。もちろん、その女の子は日芸の学生である。
数日前ケイスケからネットで彼女に投票するように頼まれていた。だったら、ミスコンを見に行こうと誘ったのは、ぼくだったのである。
直接投票は、今日の12時で終わってしまっていた。写真学科の男の子以外みんな知らなかった。ミスコンの発表は18時からだった。それは調べておいた。
ミスコンの発表は体育館で行われた。若干の演出を伴って、エントリーした7人の女の子が、ステージにみんな白いドレスを着て登場してきた。
さすが大学である。そのようなイベントには企業が協賛していた。プロにヘアメイクなどしてもらって登場してきた。
残念ながら、ぼくらが応援した女の子は、ミス日芸にはなれなかった。
ぼくはネットで投票したが、ケイスケとクリヤマはパソコンをやらないので、投票できなかった。もしかすると、2ポイント足らなかったのかも知れない。
安藤ゆみさん(1年生)がミス日芸になった。ステージに立った安藤ゆみさんは、やっぱりきれいだった。ぼくらが応援した女の子も、もちろんきれいだった。
「日本大学芸術学部 安藤ゆみ」「大学生ミスコンテスト」この辺で検索すればエントリーしている女の子を見れる。
ミスコンの発表会は、撮影禁止だった。だから出来事にUPできない。
[マタンゴ] '07.11.1
松茸(まつたけ)。今年は不作だという。輸入量の減少とあいまって、価格が高騰している。庶民の口には高嶺の花と化している。
ともかく、秋になると、季節の食材として、松茸のニュースが流れるわけである。
すると、ぼくは、なぜか思い出してしまうものがあるのだ。…
『マタンゴ』である。 怖い映画だ!
あまりにも昔に見た映画で、(映画といっても、テレビで視たのだが、)ストーリーすらよく覚えていない。ただ、怖さだけが脳裏に焼きついている。あるいは、断片的なシーンだけが、フラッシュバックしてくる。
こんな話だ。10名足らずの人間が漂流してしまい、無人島にたどり着く。その無人島には、食べるものが無かった。いや、ひとつあった。キノコである。
ところが、そのキノコは毒キノコだった。なんと。そのキノコを食すと、喰った人間は、キノコ人間になってしまうのだ!
自分がその中にいたら、どうなってしまっていただろ? と、つい考えてしまうのである。
たぶん、それほど食に貪欲である方ではないので、一番最初にそのキノコを喰うことはないだろう。だだ、最後まで空腹に耐えて、食べないでいられる自信はない。つまり、ぼくも最終的にはキノコ人間になってしまうのだ。
[戸隠] '07.10.23
戸隠神社へ行ってきた。
ぼくはかつて一度も戸隠へ行ったことがなかった。毎年届けられる御神札(ごしんぷ・おみふだ)や、よく当たるといわれる御神籤(おみくじ)を戴くたびに思っていたのだ。一度は行ってみたいと。
(14)今週の出来事 '07.1月~4月で、戸隠講の「おひまち」について長々と書いたが、それにしても、ぼくの村にどうして、信州などと、遥か彼方にある神社への信仰が始まり、それがどうして、未だに存続しているのか? それらを感覚的にでもよいから、現地へ行って実感して来たいと思っていたのだ。
10月11日~12日、それが実現したのである。
戸隠神社の参拝旅行に加わったのだ。村人20名が参加していた。
戸隠へ行く前は、ぼくが期待するその精神性が、ダイレクトに伝わってくることをあまり期待していなかった。
(どうせ神社は、俗っぽい土産店や飲食店などに取り囲まれ、観光地然としていて、そのお決まりの空気を吸わなくてはならないだろう)と、覚悟していたのである。
ところが違っていた! そこは、山岳信仰の聖地だった。
奥社に向かう参道。
車の乗り入れ禁止で、2キロほどある。
ゆるやかで真っ直ぐな上り坂が続く。
最後になって急な上り坂になるが、
(上の写真は、参道入り口の方を
振り返って撮っている。)
参道は、巨木の林立する森の中にある。
[最強の孤独] '07.10.14
近年、10代前後の若者が、みんな携帯でメールを打っている。
それをみて、ぼくはつくづくと思った。今の時代に10代でなくてよかったと。
どう考えても、ぼくの若いとき、ぼくには、常時メールを打つような友達が存在しないのだ。
案外、 今の時代、 送信することのない携帯を持っていたり、着信の来ることのない携帯を持っていたりすることは、耐え難い、最強の孤独になってしまうのかも知れない。
[幼虫] '07.10.7
みどりの、ちっこいのが庭を歩いていた。
これから蛹(さなぎ)になって越冬するのだろう。
[野良猫へのレクイエム2] '07.10.4
[野良猫へのレクイエム1] で書いたことに対して、もう少し精度を高めたくなった。そこで今日、市の清掃工場へ問い合わせてみた。ペットが死んでしまって、その飼い主が清掃工場へ処分を依頼した場合どんなイメージになるのか?という質問である。
清掃工場へ持ち込まれたペットは、一度冷凍保存されるという。
(そんな施設があるとは、初めて知った)
そして、冷凍庫内が一定の頭数になったなら、それ用の焼却炉があって、そこで焼却するというのだ。つまり、生ごみと一緒にぽいと焼却炉へ投げ入れるという訳ではなかったのである。
[野良猫へのレクイエム1]では、『無慈悲』と書いたが、イメージは若干違っていたようだ。ペットの葬儀のサービスまでは無いそうだが、
[野良猫へのレクイエム1] '07.10.3
それは8月の暑い日の出来事だった。
野良猫が車に轢かれてしまっていた。車に轢かれ、頭部を砕かれてしまったようで、即死だった。目撃した訳ではないが、
かわいそうに。
うちの畑に面した、狭い道にその死骸はあった。つめたい表現だが、片付けなければならなかった。そこで、どう処置してよいのか市役所へ電話してみた。
返答は、市の清掃工場へ電話してくれだった。市役所へ電話したのが土曜日だったのだが、ダンボールなどに入れておき、月曜になってから清掃工場へ連絡を取ってくれというのである。
ひどく暑い夏だった。日を置いたために腐敗臭を嗅ぐのもいやだし、他の野生動物にいたずらされるのもいやである。そこで、その生後一年ぐらいだろうか、白にちょっと黒の斑点のある美しい猫を、土葬にしてやることにした。
ちなみに、飼い主を知らせる認識票のようなもはない。だから野良猫と判断した。
近くの雑木林の、楢(なら)の木の根元へ埋葬してやった。いずれ死骸は、土中に棲む膨大な数の微生物によって分解され、楢の木の新芽やどんぐりのための養分になるだろう。野良猫にとっては一番落ち着くところに思えたのである。
道路上で小動物が死んでいたら、通常、片付けるのを市の道路維持課や市の清掃工場へ依頼する。清掃工場へ運ばれた死骸は、焼却処分される。しかしその焼却は、荼毘(だび)に付すという意味ではない。一般廃棄物、燃えるゴミとして焼却されるという意味だ。
今回埋葬してやった野良猫も、無慈悲とわかっていても、平日だったら迷わず清掃工場へ電話していただろう。気分は複雑なのだ。
[灰皿] '07.9.23
先日のことだ。地元のラーメン屋で、生ビールを飲みながら会議をした。ぼくも含めて3人でだ。
テーブルの斜め向こうに座っているやつがうまそうにタバコを吸っていた。ぼくも吸いたくなった。ラーメン屋の中にタバコの自販機があるので、ひと箱買った。
灰皿をテーブルの中央に置くと、つまみに注文した餃子と豚キムチ炒めに灰が入ってしまいそうだ。そこで、自分の前に置いた。
話をしながら、タバコに火をつけた。そして、灰が1cm程度に生長したので、それを灰皿に落とそうとしたのである。そのときだ、異変が起きたのは。あるはずの灰皿が無い。??? 見ると、30cmも離れたところにある。むむっ!
『面妖な』
灰皿を元の位置に戻した。そして今度は灰皿を注視した。すると、なんと灰皿が勝手に動き出したのである。不規則な動きをしながらぼくから遠ざかって行く。???
原因はすぐに解った。灰皿を置いた位置には、さっき生ビールのジョッキが置いてあった。ジョッキの外側についた結露、水滴がテーブルをかなり濡らしていたのだ。そこへ灰皿を置いたものだから、灰皿の裏底に空気が閉じ込められて、ホバークラフト状態になったのである。
まったく、一瞬 、灰皿が嫌煙権を主張したのかと思ってしまったのだ。
[T・Rex] '07.9.14
台風9号の影響で、6日は、どしゃ降りの雨だった。ために仕事が出来なかった。
そこで、部屋に閉じこもり、撮り溜めておいたVTRテープの整理をした。
ケースに何も書いていないテープが、つまり、何を収録したのか分からないテープが10本以上あった。昨年からまったく整理をしていなかったのだ。ちなみに全部テレビ番組を録画したものだ。予約録画して、視ずじまいの番組もある。
一々テープをVTRデッキに入れ、頭出しをしながら、ケースへ録画内容を書き込んでいった。
つい、作業を忘れて、全編通して視てしまった番組がいくつかあった。
そのひとつが、NHKの『サイエンスZERO』だった。眞鍋かをりさんが出ているやつだ(今は安めぐみさん)。 恐竜について特集していた。
なかでもティラノサウルスの最新の研究が面白かったのだ。
ティラノサウルスは、大人になり巨大化すると、相対的に足が短くなり、ジープを追いかけるほど速くは走れなかったという。
短足だったらしい。
驚くことはまだある。ティラノサウルスは、羽毛恐竜ということで、毛が生えていたというのだ。そうなると、だいぶイメージが変わってしまう。
↑ 想像で描いてみる。
[目] '07.9.14
ぼくの家の近くを台風の目が通過して行ったので、記念に、テレビの台風情報をUPしておく。
'07.9.7 台風9号
[東北三大祭5] '07.9.2
[東北三大祭4] のつづきである。
ぼくはあわてた。すかさず、老舗(しにせ)で買った牛タンを手に取った。… 和牛ではない! オーストラリアと書いてある。不幸中の幸い? 塩味に味付けされた生肉の牛タンの方は、オージー・タン塩?だった。 土産にはなる。
牛タンは仙台の名物だ。扱われる牛肉は「仙台牛」でなくとも和牛とばかり思っていたが、違っていた。考えてみれば、和牛のみで需要を賄(まかな)える筈がない。逆に、米国産牛肉の輸入が止まってから、きっと業者は、吉野家と同様の危機を味わったに違いない。
しかしながら、牛肉が中国からも輸入されているとは。まったく知らなかった。牛と中国。イメージに無い。
中国産と記してあるスモーク・タンの方は、土産には適さないだろうと、ぼくは感じた。
理由は以下のとおりである。不信感を持たざるを得ないのだ。
野菜からは危険な殺虫剤。魚介類からは抗菌剤。虚偽だったという情報もあるが、ダンボールの具入り肉まん。玩具からは重金属。医薬品や歯磨き粉、土鍋からも有害物質が出る。中国からの輸入品にひどいニュースが続いている。
どこの国に対しても偏見は持ちたくないのだが、しかたない、中国産スモーク・タンは自家消費することにした。
仙台にとって、牛タンはブランドである。どこから輸入しようが、そのブランドイメージを地に落とことはしないだろう。その限りでは、安全性の確保については相当の努力をしているはずだ。
旅行から帰って来て二日後、ぼくの同級生が夕方に尋ねてきた。そこで、缶ビールでもてなしたのだが、例のスモークタンも出した。冷凍物を自然解凍するような感じで持ち帰ったので、一応火を通した。
ぼくはちゃんと産地を告げた。同級生がどのような気分になったかは表情では伺えなかったが、肉の周りに粗引き胡椒(こしょう)がまぶしてあるスモーク・タンを『うまい、うまい』と言って食べてくれた。もちろんぼくも食べたが、うまかった。
タンtongue。つまり舌だが、BSEに関しては、舌部も危険性があるようだ。
舌の根元のその奥に扁桃部があって、そこには異常プリオンが溜まるらしい。誤って扁桃部を傷つけ、同部の液が舌部にかかると、危ないものになる。つまり、精度の高い処理が必要なのだ。
上記のBSEの話は余談で、中国産牛肉と関連づけてはいけないことだ。中国で口蹄疫のニュースはあったが、BSE発生のニュースは聞かない。清浄国のはずだ。
しかし、ヨーロッパうなぎを中国が輸入して、養殖し、また加工して、日本に輸出している例があるように、例えば、米国産牛肉を中国が輸入し、中国産と称して、日本に輸出しているとしたら、怖い話しになる。
「怖い話し」というのは、BSEそのものよりも、日本政府が安全を担保するために、米国まで出向いて牛肉処理施設を査察しても、資金洗浄的なことを多国間でされたりしたら、ただの気休めになってしまう怖さがあるのだ。
実際のニュースでは、たしか、中国もBSEを嫌って、米国産牛肉の輸入を禁止したはずである。