sumi-Cノート <excerpt> 読むのを躊躇(ためら)っていた書籍があった。養老孟司氏の『バカの壁』である。読むことによって自分が『馬鹿』であることを再認識させられてしまっても、バカらしいからだ。 … 続き

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(21)今週の出来事 2009年5月~8月

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[台所用洗剤の恐怖] '09.8.31
[魔法入門の書4] '09.8.18
[魔法入門の書3] '09.8.16
[長ぐつ] '09.8.12
[魔法入門の書2] '09.8.11
[魔法入門の書1] '09.8.10
[中国・九州北部豪雨] '09.7.31
[クリーニング店] '09.7.23
[粉末ジュース2] '09.7.20
[粉末ジュース1] '09.7.18
[U.S.Women's Open] '09.7.16
[フリスク] '09.7.7
[ワインの夜2-2] '09.6.30
[ワインの夜2-1] '09.6.28
[ワインの夜1] '06.6.26
[カースト制度] '09.6.21
[貧乏封じ] '09.6.20
[ズボンのチャック2] '09.6.4
[ズボンのチャック1] '09.6.2
[swatch] '09.5.25
[黄金比5] '09.5.13
[黄金比4] '09.5.11
[黄金比3] '09.5.9
[黄金比2] '09.5.7
[黄金比1] '09.5.3

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[台所用洗剤の恐怖] '09.8.31

昼食のことだが、仕事の関係で、なかなか家族と一緒に食事を摂ることができない。ぼくだけ遅くなることが多い。

家族と別の時間に食事を摂ったときは、使った食器は自分で洗うことになる。使った食器を夕方まで流しの中に入れっぱなしにしておくと、食器の汚れが固まって、落ちにくくなってしまう。


先日のことである。食事を終えたぼくは、使った食器を流しの中に入れた。そして、台所用洗剤を手に持ち、洗剤液をサッとかけた。

いや。サッとかけようとした。ところが、

容器を軽く圧迫したのだが、出てきたのは洗剤液ではなく、『プスッ』という音だった。容器が空だったのだ。

容器が空といっても、容器の内側には、まだ、粘度のある液体が残っている。それを完全に出し切らなければ空になったとは言えないし、容器の処分もできない。

そこで、容器を逆さにし、プカッ プカッ プカッ と何度も圧(お)し続けたのである。内容物を完全に出し切るべく。

30回、いや、50回以上やっただろうか。そのプカプカを、

ぼくは几帳面な人間である。

これ以上やっても意味がないだろうと思えるまでやった。そして得心し、その容器を流しの傍らにあるゴミ箱へ捨てた。

さっき流しの中に置いた食器類は、極限まで搾り出した洗剤で十分洗うことができた。


食器を洗い終えたぼくは、流しから離れるために体を反転させた。

そのとき初めて気が付いたのだが、ダイニングルームが大変なことになっていた。驚きのあまり、ぼくは思わず後ずさりし、流しのふちに腰を打ち付けてしまったのだ。

『何かが部屋に横溢(おおいつ)している!』

『???』

『小さなシャボン玉?』

部屋が、何千、何万もの小さなシャボン玉で充満していたのである。直径1~3mmのシャボン玉だ。それがすぐに割れることなく浮遊しているのだ。

流しでプカプカをやっているときは、照明の加減だろう。その作業から夥(おびただ)しいシャボン玉が発生しているとは、まったく気が付かなかったのだ。

ひとつのシャボンが消えるまで、3分は要しただろう。


君も、台所用洗剤でプカプカをやるときは十分に注意してくれたまえ。



[魔法入門の書4] '09.8.18

ハリー・ポッター。本もだが、日本では映画はもっとヒットしていた。第一作目は『賢者の石』だったろうか? ぼくはテレビでやったのを視た。たしか2004年頃。

主人公のハリー・ポッターを見て、奇妙な感覚があったのを思い出す。

魔法入門の書を神田の古本屋で手に入れたと書いたが、当時、ぼくも丸いレンズのメガネを掛けていたのである。

映画の主人公は黒っぽい縁(ふち)のメガネだが、ぼくのは、彼と同じ大きさの銀ぶちのメガネだった。若干の違いはあるものの、しかし、… 可笑(おか)しくなってしまった。

これは、魔法とは関係なく、原作者J・K・ローリング女氏のセンスと、ぼくの当時の外見とが偶然一致してしまっていた、ということである。

10代のときは、視力が1.5だったが、急に視力が弱くなってしまった。映画館で洋画を観ても、字幕がぼやけて読めなくなってしまった

ただ、当時、車の運転をする訳でもなかったし、自分のメガネをつくるほどではなかった。そんなとき、ちょうど、祖父が若い頃使っていて、現在使っていない眼鏡が実家にあるのを見つけて、それを掛けてみると、ちょうど度が合った。そこで拝借したのだった。しかし、ちょっとレトロすぎた。銀ぶちの、しかもいぶし銀の、丸いレンズのメガネは、

ただ、ガールフレンドに逢うときに、丸いレンズのメガネを掛けて行ったのだが、『メガネ掛けたんだ!?』とか、まったく言われなかった。きっと違和感がなかったのだろう。


話しは変わるが、当時(1980年ごろ)、ぼくは、雑司が谷霊園に住んでいた。?? 説明を はしょり 過ぎた。『墓場の鬼太郎』ではあるまいし、霊園に住んでいるはずがない。霊園の近くのアパートに住んでいたのだ。池袋に近いところである。

そういえば、雑司が谷霊園には小泉八雲の墓がある。

すでに池袋には、オープンしてから数年が経ったサンシャイン60の威容があった。

また、当時、街を歩くと、久保田早紀の「異邦人」や竹内まりやの「不思議なピーチパイ」、五輪真弓「恋人よ」、八神純子「パープル・タウン」などが流れていた。ピンクレディーのブームは去り、キャンディーズも引退していた。アイドルの楽曲の他に、シンガーソングライター的な楽曲が増えていた。それは耳に心地よかった。この年の秋には、たしか、山口百恵が引退した。

[魔法入門の書4]では、上記の頃の日常を書きたくなったのだ。なつかしい限り。



[魔法入門の書3] '09.8.16

これから書こうとしているのは、ずいぶんと昔のことである。1980年ごろのことだ。あれこれ30年近く前になる。魔法入門の書を手に入れたときのことを、薄っすらと思い出したので記しておく。


ぼくは、真夏の昼過ぎに、明大前を通って駿河台下の交差点まで歩いて来ていた。そこには三省堂書店があるが、そこから書泉グランデの方へ再び歩き始めていた。靖国通りの神保町の交差点の方を見ると、ゆらゆらと陽炎(かげろう)が立っていた。

考えてみれば、当時も貧乏だった。本を探すにも、つい古本屋に行ってしまうのだ。当時、岩波文庫など読んでいたので、やけに難訓が出てきていた。そこで、難訓辞典なるものがあればいいと、探していたのだった。もちろん古本で。

途中路地に入った。どこを歩いているのか分からなかったが、すると、黒猫がぼくの方を見ながら古本屋に入っていくのが見えた。つい、猫につられて? ぼくもその店に入ってしまったのだ。

… 店に猫の姿はなかった。

店の本棚と本棚の間は、客どうし擦れ違うのがやっとの狭さだった。もっとも、客はいなかったが。奥の方に、横積みされた本に隠れて店主がいた。身動きせずに背中を見せている。黒っぽい服を着て椅子に腰掛けていた。

あった! 探していた難訓辞典。

その辞典の近くに、奇妙な本があった。シンプルな黒色の本である。黒色といっても、褪(さ)めて、なじんだ色になっている。背表紙に小さく『魔法入門』と書いてあった。

そのときだ。突然、店の外から風が入ってきた。
チリン チリリン
店先に風鈴があったようで、一瞬風に反応した。

なぜか、目的の辞書の他に、『魔法入門』と書かれた本も買ってしまったのである。もっとも、どちらの本も、それほど高価ではなかった。



[長ぐつ] '09.8.12

昔は、大雨の予報などが出ると、長ぐつを履いて外出したものだが、最近は、危険なので長ぐつは履くべきでないとされている。

長ぐつの上から水が入ってしまうと、抵抗があり過ぎて、身動きが出来なくなってしまうというのだ。

時代は変わったものだ。



[魔法入門の書2] '09.8.11

どこへ消えてしまったのだろう?

魔法入門の書には、魔法使いになる訓練のことが、いたって普通に書かれていた。

初めは自己催眠の練習からだった。身体を軽くしたり重くしたり、冷やしたり、熱くしたり、そんな練習だ。マスターしてくると、感情と色彩を同期させる練習などに移る。… その先の細部のことは(ああ、)忘れてしまった。

ぼくが、なぜ、魔法の本を持っているのか? 魔法使いになりたかった訳ではない。ただ偶然、スピリチュアルな世界を覗いて見たかっただけなのだ。

が、しかし、魔法使いになって、鉛(なまり)を金に変えたり出来たらいいと思う。大金持ちになりそうだ。ぼくは農家なので、椎茸(シイタケ)を松茸に変える、そんな魔法でもいよい。

ぼくのIQが200とかあったなら、本当に魔法使いになって、今頃、ホムンクルスを誕生させるべく、実験などしていたかも知れない。



[魔法入門の書1] '09.8.10

ぼくの家の敷地内には、物置兼作業場がある。その物置兼作業場の上には、屋根裏部屋がある。梯子(はしご)で上がるようになっている。
その部屋には、我が家で普段使わないものが置いてある。親戚のお祝い事などで贈られた引き出物類。毛布だとか、『開運なんでも鑑定団』には出せそうもない 壷だとか、

その部屋の片隅に、ぼく用の本棚がある。本棚といってもスチールラックだが、それが三つ並べてあって、むかし読んだ本や、むかし聴いたレコード盤などが収(おさ)めてある。

ちょっとした用事で屋根裏部屋へ上がったのだが、その本棚が目に入った。

並べてある本の一箇所に、小さな異変があるのに気が付いた。

フロイトやユングの本の隣に、『魔法入門』が置いてあったはずなのだが、無くなっているのだ。

魔法入門の書

文学全集などと同じように、厚手の装丁(そうてい)になっている。それはアラベスク模様などで飾られることもなく、五芒星なども描かれていない。シンプルな黒色の本である。黒色といっても、褪(さ)めてなじんだ色になっているが、その表紙に、人に読まれるのを避けてでもいるかのように、横書きに、銀色の文字で、小さく『魔法入門』と書いてあるのだ。そんな本があったはずなのだが、無くなっている。



[中国・九州北部豪雨] '09.7.31

今月19日から26日にかけて、中国地方と九州北部地方で発生した豪雨。防府市の老人ホームなどで、惨(むごい)被害が出た。この豪雨、「平成21年7月中国・九州北部豪雨」と命名されたようだが、
この間、北日本でもぐずついた天気だった。日本列島を弓にたとえれば、前線が弦のように日本海側に位置する形である。

見方を変えれば、太平洋高気圧が張り出さない形。 『もしや』 と思った。

気象庁のホームページを見てみると、やはり発生していた。『エルニーニョ』である。直接的な影響かどーかは分からないが、7月下旬は、典型的だった。


気象庁のホームページに、『季節予報』というのがある。下記のようになっていた。

関東甲信地方 1か月予報 (7月25日から8月24日までの天候見通し)

<特に注意を要する事項>

期間の前半を中心に、日照時間が少なく、気温が低い見込みです。

<予想される向こう1か月の天候>

天気は、平年に比べ晴れの日が少ないでしょう。

向こう1か月の平均気温は、低い確率50%です。降水量は、平年並または多い確率ともに40%です。日照時間は、少ない確率50%です。
週別の気温は、1週目は低い確率60%です。2週目は低い確率50%です。



[自動ドアーのセンサー] '09.7.23

昨日、行き付けのクリーニング店に行った。

衣類を抱えて店の前に立ったのだが、自動ドアーが開かない。体を前後左右に移動したのだがダメである。

店の中に店の奥さんがいて、ぼくの不審な動きに気が付いて、あわててドアーに近づき、中からセンサーに手をかざして開けてくれた。

ぼくは思った。

センサーが反応するような、存在感のある人間になりたいと。



[粉末ジュース2] '09.7.20

数日後、ゴルフコンペがあった。ゴルフバックに、この粉末ジュースを入れて行った。

ゴルフ場で500ccのミネラルウォーターを買って、キャップを開け、少し飲んで、ペットボトル内に粉末ジュースを入れるスペースを確保し、そして、小袋に入っているそれを流し入れた。

何年かぶりに100を切ることができたが、

まさか、この粉末ジュースが効果を発揮してしまったのか?



[粉末ジュース1] '09.7.18

先日のことだが、ちょっとした用事で駅の近へ行った。用事が済んだあとに、ドラッグストアーに寄った。買いたい日用品があったのだ。

店内の陳列棚をみていると、突然、綺麗な女性がぼくの目の前に現れた。

その女性は手に小さなコップを持っていた。透明なコップの中には黄色い液体が入っている。

「これ飲んでみて」

その女性は、バレーボールなどでしょっちゅう会う、顔見知りのひとだった。

彼女は、ドラッグストアのなかに化粧品売り場があって、そこで売り子をしているようだった。だから、それなりの化粧を自らに施していた。

『普段より奇麗になっている』

化粧品売り場に客が途絶えたのだろう。そこで彼女は、隣でやっているサプリメントの試飲コーナーの販促を手伝っていた。
そこへ、ぼくがぶらぶらやって来たという訳である。

その黄色い液体を飲んでみた。

「すっぱ過ぎます?」

女性が尋ねてきた。
たしかに大分すっぱい。濃い目のレモン水を飲んだ感じだ。ただぼくはレモンを丸かじりしても大丈夫なくらいなので、
「それほどでもないです」と答えた。

「疲れている人は、ひどくすっぱく感じるんですよね。あなたは、違うようです」
もうひとりの女の子が解説してくれた。
「ふぅむ」

「このサプリ、石川遼が宣伝しているんですよ!」

顔見知りの女性がそう言った。 ほんとだろうか? テレビや新聞で見たことがない。

『シトリックアミノ』という商品だった。粉状になっていて、6g分が小袋に入っている。500ccの水に溶かして飲んでもいいし、その粉末を口の中に直接放り込み、そのあと水を飲んでもよい。

シトリックとはクエン酸(Citric acid)のことである。

どこかなつかしさがあった。子供のころは、ジュースといえば粉末ジュースだった。あわててジュースをつくって飲むと、口の中に溶けきれない、きつい味の粒子が残って、それが逆にうまかったりした。この商品、同じ感じがある。

ビタミン、アミノ酸類を初め、クエン酸とかコエンザイムQ10とかが配合されている。

なんとも、信頼するには情報の希薄な商品だが、このような状況では、

しかたない。

愛想に、

買わざるを得ないだろう。もちろん小さい箱の方だが、

それでも800円近くする。



[U.S.Women's Open]  '09.7.16

7月9日から12日、全米女子オープンが行われた。ゴルフのことである。早朝にテレビで放映されていたのだが、視られなかったので、最終日だけ録画して見た。

宮里藍が今期調子を上げていたので、見てみたかったのである。やはり、彼女、いいリズムでゴルフをしていた。最終日の結果は、6位対だった。ちなみに優勝は、韓国籍の ジ・ウンヒ だった。初めって知った名前だ。

以下、成績表である。

優勝  ジ・ウンヒ          韓国
 2位 キャンディー・クン     台湾
 3位 キム・インキョン       韓国
     クリスティー・カー     米国
 5位 ブリタニー・リンシカム   米国
 6位 ポーラ・クリーマー     米国
     宮里藍           日本
     スーザン・ペーターセン  NOR(ノルウェイ)
 9位 チェ・ナヨン         韓国
     ペ・キョオン         韓国
     パク・ヒョンヒ        韓国
12位 キム・ソンヒ         韓国
13位 シン・ジエ          韓国
     ジェニファー・ソン(アマ)  韓国
    アン・スジュ          韓国
    モーガン・プレッセル    米国
 ・
 ・
 ・
自分の娘をプロゴルファーにしたかったら、国内のスクールより、韓国のスクールに入れた方がよいかも知れない。

まあ、韓国の選手たちが、早い時期から米国に渡っている可能性もあるが、



[フリスク] '09.7.7

フリスク。 錠剤状の清涼菓子の商品名だ。テレビを見ていると、最近、CMを刷新したようである。

これまでは、ユーモアオンリーのものだったが、若干無理のある内容の作品もあったようだ。それが逆に印象に残ったりもしたものだった。新しいCMは、知的で音楽からして優しい感じになった。

新旧どちらのCMにも、同じナレーションが入っている。『フリスク シャーペンジョラー』このように聞こえるやつである。

そのナレーション。なんと言っているか分かるだろうか? 感じはわかるが、ちゃんと知りたかったので調べてみた。

FRISK SHARPENS YOU UP

直訳すると、「あなたを上へ鋭くします」になる。だから、あなたをより鋭敏にします。みたいな意味だろう。



[ワインの夜2-2] '09.6.30

今回飲んだ南アのワインだが、はじめてブレンドされたワインがあることを知った。カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シラーズ、ルビー・カベルネなどをブレンドしたものだった。フルボディー。
味覚や嗅覚を十分楽しむことができたが、ぼくには若干酸味が強すぎたかもしれない。あえて、商品名は伏せておく。


ワインを飲むたびに気になっていたことがあった。

ボトルの裏ラベルに書いてあること。

『ボディー』のことは以前理解したのだが、もうひとつ解らないことがあった。酸化防止剤 『亜硫酸塩』のことである。なんだか毒っぽい。酸化防止剤に使われている亜硫酸塩て、なんだろうか?

調べてみた。

亜硫酸は硫黄(いおう)を燃やすと出てくるガスのことだそうだ。ますます危険ぽい! それには殺菌作用がある。当然 臭いもある。だだし、臭いについては、大幅に希釈されるので無臭になるという。

調べてみると、亜硫酸塩は近年になって使用されだした酸化防止剤ではなく、紀元前から使われているものらしい。だから、その安全性は、歴史が証明している。

添加されると、ワインの中の酸化しやすい物質と結びついて(化学変化して)、残留する量は僅かになる。
『酸化防止剤』というと、変色や風味の低下を防いだりするのが目的のイメージがあるが、もっと肝心な、ワインを腐らせない、防腐剤の役割があるようである。上記の「酸化しやすい物質と結びついて」というのは、そういう意味もある。

発酵段階で出てくる不快なアルデヒドの臭いなども亜硫酸塩と結びついて無くなるという。
つまり、ワインが完成してから添加する薬剤ではなく、製造過程から使われるものらしい。

解ってくると、ワインの存在そのものが、亜硫酸塩によって支えられている感じになってくる。年代物のワインを飲めることについて、『亜硫酸塩をワインに入れる方法を発明した醸造家に感謝!!です』と書かれているホームページもあった。

ワインのみならず酒類は、ビン詰めされると長持ちするイメージがあるが、そーではないらしい。亜硫酸塩の助けを借りないと、牛乳のような扱いをしなくてはならないそうである。



[ワインの夜2-1] '09.6.28

二日目の夜も、ワインを楽しむことができた。どーやら、昨夜のぼくに理性があったらしい、ワインを半分残してあったのだ。

問題があった。つまみのゴルゴンゾーラを、昨夜、食べ尽くしてしまったのである。家にあった酒のつまみといえば、豆腐のみだった。…。 しかたなく、冷奴(ひややっこ)を肴に、南ア産ワインを飲んだ。
 
… あまり、奴(やっこ)とワインは合わないようだ。醤油とワインが合わないのかも知れない。火を通して化学変化を起こした醤油ならまだしも、生醤油だと、両者が口の中でまったくハーモニーを奏でない。リッチな時間は、昨夜のみだったようだ。



[ワインの夜1] '06.6.26

たまには、食生活において、贅沢もするべきであろう。でないと、舌の味覚センサーが鈍ってしまう。

今年の3月で、村のスポーツ部の役員が終わった。5月になって、歓送迎会を開いてもらったのだが、そのときに、記念品として、スーパーマーケットの商品券をもらったのだ。それを、使うことにしたのである。

商品券が使えるスーパーマーケットに行って、久しぶりにワインを買うことにした。以前飲んだ南アフリカの赤ワインがうまかったので、もう一度飲んでみることにした。KWV(*1)というやつである。前回のKWVの赤ワインは千円程度のだったが、このスーパーには同じものは無かったし、今回は奮発して1,500円のものにした。

ワインを買うと、条件反射的にチーズが欲しくなった。普段手が出ないチーズ、ゴルゴンゾーラ(*2)を買うことにした。いわゆるブルーチーズだが、小さく切り分けられたもので、700円近くする。こんなときしか口にできないので買った。

ビールも切らしていたので、買った。なんだかんだで、あっというまに商品券を使い果たしてしまった。


その夜、チーズを肴にワインを飲んだのだが、ワイン一本を、一晩で飲み干してしまってはもったいないので、我慢して、飲むのを半分に留めておくことにした。至福の時間が二夜つづくように。


(*1)KWVについては、興味があればご自分で調べてみて欲しい。コーヒーベルトと同じように『ワインベルト』などという言葉が出てくるかも知れない。

(*2)ゴルゴンゾーラはイタリアの地名で、世界三大ブルーチーズのひとつである。買ったチーズには、「ピカンテ」と書いてあった。辛いという意味だ。甘いのはドルチェ。つまり、辛さはアオカビの量で決まる。



[カースト制度] '09.6.21

読むのを躊躇(ためら)っていた書籍があった。養老孟司氏の『バカの壁』である。読むことによって、自分が『馬鹿』であることを再認識させられてしまっても、バカらしいからだ。

最近読んでみたが、そういう内容でもなかった。安心した。


面白い話はいろいろ書いてあったが、なかでも印象に残ったのは、カースト制度のことを書いた件(くだり)だった。

民主主義の世界にとっては、職業選択の自由や男女の雇用機会均等は当然のことである。我々にとって、身分制度を残す国家があること自体信じ難い。カースト制度がそれだ。

しかし、養老氏の本に 「カーストはワークシェアリング」と書かれた小見出しがある。… 鉛筆を落としても落とした人は拾わない。別にそれを拾う階層がいる。… つまり、ある意味、失業者をつくらないシステムになっているというのだ。



[貧乏封じ] '09.6.20

5月28日のことだが、日帰りで、青梅のみたけ山に行ってきた。みたけ神社への参拝である。

個人で行ったのではなく、村の参拝旅行の企画に参加したのだ。毎年の行事。

みたけ山は、標高1,000m 足らずの山である。だからといって、ぼくが住んでいる都会の温度とはだいぶ違う。上着を一枚余計に持っていかなくてはならない。
ケーブルカーの上の駅を出ると、そこには展望台があるのだが、天気が良いと副都心のビルなどが見える。今日はあいにくの雨だった。しかし、たまには、ガスのかかった雨の参道も悪くない。


神社の参拝のなかには、通りすがりに、ちょっと参拝する程度の簡易なものもあるだろうが、ぼくが参加したこの参拝旅行は、もう少しちゃんとしている。
神社へ登る前に、御師さん(*)のお宅、宿坊のことだが、そこへ寄って休憩をとらせてもらう。それから御師さんと一緒に神社の鎮座する山頂へ登り、社殿の中に入れてもらい、祈願するのである。
祈願する内容は、家内安全、五穀豊穣つまり商売繁盛。


五穀豊穣、商売繁盛を祈願してもらったわけだが、… ぼくがクリアすべきは、その前の段階、… 貧乏からの脱出かも知れなかった。… 祈祷が終わって傘を差し境内にいるときに、そんな気分になったのだ。

そのときである、おみくじの販売所が目に入ったのは。みると、『貧乏封じ』のお守りが売られているではないか! あまりの偶然に、小規模の奇跡が起きたかと思ってしまった。

当然、そのお守りを手に入れたのである。これでぼくに、貧乏封じの結界が張られることになった!


天然石に「貧乏封じ」と彫ってある。
巾着には「武蔵御嶽神社」と、

祈祷してもらってから、再び宿坊に戻り、直会(なおらい)を行った。宴会のことだ。御師さんだけでなく、御師さんの奥さんも和服姿で顔を出してくれて、なごやかな宴会である。ちなみに、お燗した日本酒が出てくるのだが、これでもかという本数である。もちろん日本酒の銘柄は『澤乃井』だ。
鮎の塩焼きを頂くのも楽しみである。奥多摩漁業組合は、5月だと、まだ鮎釣りを解禁していないかも知れないが、ともかくうまい。


(*)御師(おし)は、ご祈祷師のこと。信者のために祈祷や太太神楽(だいだいかぐら)を行ったりする。



[ズボンのチャック2] '09.6.4

なぜ、[ズボンのチャック1] 的な想いに至ったのか? そういえば、少し前に、『女性の品格』という本を読んだのだった。その影響かも知れない。

ぼくは男だし、品格は普段から備わっているし、読む必要はないな と思ったのだが、念のために、坂東眞理子著 女性の品格(*) を読んでみたのである。案の定、ぼくが毎日行っている所作(しょさ)のことが列記してあった。

女性の品格。 ベストセラーになっただけのことはあった。ほとんどの部分が、男にも通用する『人の品格』のことが書いてあった。面白かったのは、本の中の雰囲気だった。坂東眞理子氏の上流階級に生きている人間の、生活感がよく出ていた。この部分だけは、下層に生きている ぼくとは違っていた。


(*) ちなみに『女性の品格』の中に、「正しく美しいオシッコのしかた」などという記述はない。誤解のないように。



[ズボンのチャック1] '09.6.2

農家には、母屋の外にも、仕事で使うトイレがある。

ある日のこと。家の敷地内には ぼくしか居なかった。そのとき、オシッコがしたくなったのである。自動的に外のトイレに向かった。

ふと気がつくと、トイレの便器の数メートル先から、作業ズボンのチャックを下ろそうとしている自分がいたのである。

『 … 』

『年をとったか!?』と思った。

尿意が逼迫していた訳ではない。つまり、なんとも緊張感の無い、怠惰な行動をとっていたのだ。
実際、こんなことを習慣にしたら大変である。いつの間にか、

込み合う公衆便所などで、便器のはるか離れたところから、がに股になり、股間をまさぐるようにしてズボンのチャックを下ろし、体をゆすりながら便器の前に立ち、そして用を足す。そんな、人目を気にしない『おじさん』になってしまいそうである。

つまり、人生の、安住の地を見つけてしまった人間の、陥りやすい習慣的行為のことである。



[swatch] '09.5.25

女性タレントのブログをみると、タレント自らがお買い物などして手に入れた品々を、頻繁に、写真付きで紹介している。… なんだか、今回の書き込みは そんな感じになってしまいそうだ。

腕時計のバンド部分が壊れてしまった。大事に使っていたのだが、金属製のバンドが壊れてしまったのである。

その腕時計とはスウォッチである。メーカーの名前だ。安価な割には精巧につくられている。スイスのブランド。ただ、修理が利かないという残念なところがある。

修理が利かないといっても、バンドは交換できる。壊れたのをしばらくそのままにしていたのだが、ようやくバンドを交換して、また使えるようにした。
こんどのバンドは皮製である。なかなかいい。純正バンドより良くなってしまった。つまり、オリジナルの腕時計が出来上がったわけだ。

この腕時計、6年前に購入したものだが、腕に装着してながめていると、けっこう思い入れがあったことに気がついた。それは、④今週の出来事 '03年9月~12月 [柱時計2]'03.10.11 それと、 [柱時計3]'03.10.17 に書いてある。



[黄金比5] '09.5.13

[黄金比5] を書く前に、ここで補足しておきたいことがある。 身長÷へそ下 で計算すると、へそ下が短いほど、つまり 足=脚 が短いほど、数値(比率)は大きくなるのである。… 逆に数値が小さいほど 足=脚 は長いことになる。

彫刻家が、183cm(6ft)の人型をつくろうとするときは、183÷1.618 = へそ下の長さ 113.1cm と計算すると、足=脚の長さの当たりがつく。


タツヤの家で、そして最近では ダ・ヴィンチ・コード を読むことによって、『黄金比』のことがマイ・ブームになっていたのだが、机上のことだけでは面白くないので、実証してみようと思ったのである。人類の代表である?ぼくの身体が、本当に神聖化比率、黄金比で作られているのだろうか?ということである。

フィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像などは、身長をへそ下で割ると、1.618 になっているに違いない。うまくすれば、ぼくの身体も同じ比率になっているはずである!(*)

そこで、出来事 [黄金比1] の、へそを出し、苦労して巻尺を伸ばしたシーンになるのだが、

すでに [黄金比1] で、計測したことは記しておいたが、身長 171cm へそ下 101cm 。つまり、171÷101 = 1.693 。

残念な結果が出てしまったのである。黄金比 = 1.618 自分 = 1.693 ほぼ 1.7

身長が 171cm だったら、へそ下は 105.68cm なければならなかったのである。

美の法則は、易々と理想的なものを万人には与えないのだろう。でなければ真の美しさは引き立たなくなってしまう。

だからと言って、めげる必要もないと思う、 自分。

黄金比になっている身体や、8頭身のプロポーションが、すべて有利に働くとは限らないからである。
相撲や柔道などは、できるだけ下半身が短いほど有利だろう。スポーツだけでなく、舞台や映画の俳優もそうである。美しいプロポーションは若干犠牲になるが、特に主役は顔が大きい方がよい。多羅尾伴内シリーズの片岡知恵蔵。旗本退屈男の市川歌右衛門。最近では、オセロやハムレットで有名な舞台俳優の江守徹。テレビでは、桃太郎侍の高橋英樹。暴れん坊将軍の松平健。etc


話は変わるが、こんどテレビで、ダ・ヴィンチ・コード をやるらしい。まだ視ていないので、たのしみである。

(*)ミケランジェロのダビデ像が、黄金比のプロポーションを持っているか、実は疑問だ。この像は、5.17m ある。下から見上げたときに自然な体型に見せるには、胸部や頭部を若干大きくつくらないといけない。その計算がされているかも知れない。



[黄金比4] '09.5.11

[黄金比2]、[黄金比3] ではダ・ヴィンチ・コード を取り上げたが、だからといって、この[黄金比]シリーズは、ダ・ヴィンチ・コードを紹介したり批評したりすることを目的としていない。テーマはあくまで黄金比である。だから、ダ・ヴィンチ・コードのコメントは最小限にしておく。

最近になってようやく ダ・ヴィンチ・コード を読んだわけだが、ほぼ、一気に読んでしまった。つまり面白かったのだ。

ダ・ヴィンチ・コード。 傑作と評するのは、自分の比較の中ではやめておくが、秀作であることは間違いない。独創的な題材といい、推理小説としても、まったく破綻のない。よい作品だった。


さて。 ようやく [黄金比1] の直接的な つづき を書くことができそうだ。


その前に、『黄金比』のことを知らない人のために、説明をさせてもらう。

黄金比、それは、世の中で最も美しい比率だと言われている。図形でいえば、ちょうど名刺がその比率になっているという。短辺と長辺の比のことだ。短辺を1とすると、長辺は 1.618 になる(正確には少数がずっと続く)。

1:( 1+√5 )/ 2 = 1.618

名刺は人間が作ったものだが、自然界にも存在している。ダ・ヴィンチ・コードの中の説明を借りれば、ミツバチの群れにおける雄と雌の個体数の関係も、雌の数はつねに雄を上まわっていて、雌がつまり 1.618 倍いるというのである。
オウムガイのことも例に書いている。殻の螺旋形の直径は、それより90度内側の直径の、やはり 1.618 倍になるという。
渦上に並んだ松かさの燐片、植物の茎に葉がつく配列、昆虫の体の分節 … すべてが驚くほど忠実に黄金比を示していた、と書いている。

そして、人体についてもだ、もう少しダ・ヴィンチ・コードの説明を借りるが、まず頭のてっぺんから床までの長さを測る。つぎにそれを、へそから床までの長さで割る。… 黄金比だ。
肩から指先までの長さを測り、それをひじから指先までの長さで割る。黄金比。手の指、足の指、背骨の区切り目。黄金比。


ぼくの買った ダ・ヴィンチ・コード は文庫本で、上中下巻あるのだが、『黄金比』のことは上巻の中ほどに出てくる。


昔の人は、黄金比のことを神聖化比率と呼んだそうだ。宇宙創造神の秘密の数字なのだろう。そういえば、昔読んだ本には、銀河にも黄金比を見つけることができると書いてあった。

人間の作った建造物、パルテノン神殿やピラミッドにもそれは意識されている。芸術作品はもちろんである。ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品のみならず、多くの芸術家の彫刻の比率や絵画の構図などに使われている。
ただし、『私は作品の中で黄金比を使いました。』と説明してはいないので、つまり、作家の多くが無意識にそれを用いている可能性はある。


次回へつづく。



[黄金比3] '09.5.9

タツヤの家にお邪魔してご馳走になった日から間もなくのこと、テレビのニュースで、『ダ・ヴィンチ・コード』のことが取り上げられていた。『取り上げる』といっても、ベストセラーになっているというニュースではない。小説の内容が、キリスト教の教義に反していて、各国のカトリック協会や信者が、抗議運動をしているというものだった。

当時思ったのである。『カトリック教会などが、発刊禁止を求めて裁判でも起こしたら(たしかそんなニュースを聞いた記憶がある。)、そして勝訴でもしてしまったら、この小説が手に入らなくなってしまうのではないか』早めに購入しておいた方がよさそうだと。

ところが、仕事が忙しくなってしまい、ダ・ヴィンチ・コードのことは、すっかり忘れてしまったのである。

しかし、心配は要らなかった。発禁どころか、いつの間にか、文庫本まで出版されていた。そして最近になって、その文庫本を買ったのである。


次回へつづく。



[黄金比2] '09.5.7

ずいぶん前のことだが、同級生のケイスケと二人で、同じく同級生のタツヤの家にお邪魔したことがあった。

タツヤとタツヤの奥さんは、手料理と酒でぼくらを持てなしてくれた。さっそく4人でグラスにビールを注ぎ、乾杯をした。

取り留めのない話の途中でのことだが、奥さんが、興奮した感じで、あるいは嬉々とした感じで、おそろしく唐突な話題をぼくらに振ってきたのである。

「この世界には、『黄金比』という比率があるんですよね!」 と。

黄金比? ケイスケは「ハトが豆鉄砲」の状態だった。体育会系のケイスケには、まったく理解できなかった。亭主のタツヤは『黄金比』のことを理解しているらしかった。奥さんと顔を向き合わせて、得意そうにうなずいていた。

タツヤも、彼の奥さんも、ぼくらの仲間内では幅広く教養のある方である。だからといって、この夫婦から『黄金比』の話が出てくるとは思わなかった。黄金比という言葉を知っているのは、美術や建築、どうかして解剖学でもやっている人間に限られるからである。

日常生活では、美術の話しをする機会などほとんどなく、ましてや『黄金比』などという用語は、まず使うことは無いだろうと思っていたのだが、しかし、意外なところで出くわすことになった。

当然、タツヤ夫婦が、どのようにしてその知識を入手したのか、興味が沸いて来たのだが、こちらから尋ねる前に、夫婦で口を揃えるようにして教えてくれた。

『ダ・ヴィンチ・コード』

ダン・ブラウンという作家が書いた推理小説のことである。その中に出てきたと言うのだ、黄金比という言葉が。
このときは、まだ、ぼくはその小説を知らなかったのだが、本の概要を聞いているうちに、『これは面白そうだ』と思ったのである。 


次回へつづく。



[黄金比1] '09.5.3

風呂に入っていて思い出したことがあった。

へそ のまわりを洗っているときに思い出したのだ。
風呂から上がると、忘れないうちにと、自分の部屋へ急いだ。

本棚の片隅に2mを測れるスチール製の巻尺が置いてある。それを手に取った。そして、パジャマのズボンを少し下ろし、丸首シャツの裾を捲り上げ、自分のへそを出した。

巻尺を伸ばすには苦労した。へそを出すのに片手が塞がっていたからだ。しかも、巻尺のバネが強力で、油断すると、スチールテープ(メージャー部分)が巻き戻ってしまうのである。
手間取ったが、どうにか、テープの先を床(畳)に付けることができた。その状態を維持したまま、手元の部分をへそに当てた。

そう。 風呂に入っていて思い出したことがあったとは、下半身の長さを測ることだったのだ。足からへそまでの距離である。

計測結果への期待と不安。わずかに鼓動が早くなる。

自分のへそに当てた巻尺のメモリを、自分で測るのだから、メモリを真正面から見ることができず、だから数値はだいぶアバウトになるが、床からへそまでの長さは、101cm だった。 

そしてぼくの身長は 171cm 。



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(最下)