sumi-Cノート <excerpt> ぼくの母校の中学校でも、「ヤシマ作戦」を実行している。 … 続き
(26)今週の出来事 2011年 1月~4月
[ヤシマ作戦2] '11.4.30
[舞妓] '11.4.19
[余震頻発時の外出] '11.4.15
[新幹線] '11.4.14
[PTSD] '11.4.11
[ヤシマ作戦] '11.4.7
[買い占め・買いだめ(2)] '11.3.28
[計画停電] '11.3.22
[買い占め・買いだめ(1)] '11.3.17
[2011.3.11-14:46] '11.3.15
[葬式まんじゅう] '11.3.10
[ご愁傷様] '11.3.4
[龍馬8] '11.2.27
[竜馬7] '11.2.26
[竜馬6] '11.2.25
[旅行に いびき] '11.2.17
[礼服] '11.2.6
[VTRテープ] '11.1.26
[カーボンコピー] '11.1.18
[竜馬5] '11.1.11
[携帯の電池について] '11.1.8
[年末年始の気象] '11.1.4
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[ヤシマ作戦2] '11.4.30
少し前、出来事に[ヤシマ作戦]を書いたが、内容は、村人に開放されている中学校の体育館が、節電のために夜間使えなくなってしまったというものだった。その後の経過を記しておくことにする。
使用禁止の時期は案外短かった。4月の13日には、バレーボールのチームから体育館が使えるようになったとメールが来た。東北地方太平洋沖地震からおよそ1ケ月である。
… よいことだ。バレーボールの練習に関しては、終わったあとにみんなで飲みに行く、などの習慣はないが、しかし、みんな家に帰ると、ビールなり酎ハイなりを飲むだろう。飲む量は大幅に増える。そのために、酒の肴も余計に買うことになる。つまり、夜間、体育館が使えることになって、消費が増えるのだ。ひいては日本経済が潤うことになる。
[舞妓] '11.4.19
「竜馬がゆく」は、いよいよ、「池田屋ノ変」に入ってきた。ご存知のように、「池田屋ノ変」は、長州の尊皇攘夷の過激派浪士が、京都でクーデターを起こそうとして、旅籠池田屋で決起集会を開いていたところを、それを察知した新撰組が、襲撃し、潰滅させてしまったという事件である。過激派浪士は長州だけでなく、土州や肥後などの浪士が参加していた。
上記の事件では、主役は、過激派浪士ではなく、むしろ新撰組になる。新撰組には、近藤勇、土方歳三、沖田総氏などがいる。佐幕派(徳川家=命)の新撰組からすれば、過激派浪士たちは、幕府の転覆を謀り、市井(しせい)の平和を乱す悪党一味なのである。長州の桂小五郎や土州の坂本竜馬などは、その一味の頭目である。ちなみに、この頭目二人は池田屋にはいなかった。
この事件があった日、京都では、祇園会(=祇園祭=現在は7月)の宵山だったという。メインイベントの山鉾巡行の日をひかえ、深夜まで出店が出て賑わう。
… 祇園会(ぎおんえ) … 祇園というと、…
ぼくは、池田屋ノ変のくだりを読みながら、意識はいつしか池田屋から離れて、当時の祇園の花街の方へ移ってしまっていた。
祇園は、南北に流れる鴨川を挟んで、池田屋からそう遠くないところにある。
祇園会は八坂神社のお祭りである。そして祇園は八坂神社の門前町だ。お祭りは、京都の街中で行われる。
男は誰でも、一度は、京都へ行って、お茶屋でも料亭でもよいが、舞妓さんを呼んで宴を開いてみたいと思っているだろう。
しかし、竜馬の時代の舞妓はイメージが違ってくるかもしれない。江戸末期では、まだ、舞妓は9歳から12歳ぐらいの、芸妓(げいぎ・げいこ)見習いの、幼い少女だったのである。今でこそ二十歳すぎの舞妓さんがいるみたいだが、昔の舞妓は子供だった。日本髪、花かんざし、振袖、だらりの帯、履物の「おこぼ」、どれも子供の衣装である。
芸妓遊びをすると、舞妓はセットで付いてくるような存在だったのだろう。宴席の周囲に小さい女の子がいる。可愛かっただろうが、現代では考えられない世界だ。
話は変わるが、芸妓も舞妓も、顔を真っ白に、ペースト状のおしろいで塗っている。考えてみれば不自然な化粧である。どーしてなのか?
昔は、置き行燈(あんどん)が照明器具だった。相当暗い。電球の50分の1程度の照度といわれている。だから、芸妓や舞妓は少しでも顔を目立つようにしなければならなかったのである。それが現在でも「なごり=伝統」になっている。
[余震頻発時の外出] '11.4.15
4月になっても強い余震は続くし(4/7.11)、弱い地震は頻発している。すでに1ヶ月がたったが、東北地方太平洋沖地震(M9.0)が、いかに大きな地震だったかわかる。西暦869年に、貞観(じょうかん)地震というのが発生しているが、それが今回の地震と同じものと考えれば、千年ぶりの地震という。
先日、ちょっとした用事があって、昼過ぎから電車で都心まで行ってきた。
久しぶりに村から出たが、地元の駅はだいぶ様子が変わっていた。2階の改札口へ行くためのエスカレータは止まっているし、改札口付近も、ホームも、照明が消されていてやけに暗かった。
この日の気温は20度以上あったが、出かけるときに、リュックサックに防寒用のジャンパーを入れていった。都心で大きな地震に見舞われたときの備えである。電車が長時間止まったりすると、帰宅難民になってしまう。夜の寒さに耐えられるようにだ。 … ちょっと外出するだけなのに、サバイバルを意識しなくてはならないとは、… (若干わくわくする気持ちもあるが、) … これまでが平穏すぎたのであり、この状態が、人間にとって、案外『本来的』なのかも知れない。
帰る途中、池袋で下車した。池袋駅東口のヤマダ電機(LABI1総本店)などに入ってみると、店内のエアコンが、若干汗ばむ程度の温度に設定されていた。別に、非常時でなくても、この温度設定は、なにか『本来的』なものに感じられて、うれしくなったのである。
ちなみに、有感地震は起きなかったし、ぶじ帰宅できた。
[新幹線] '11.4.14
原発の安全神話は崩れ去ったが、新幹線は、安全性を証明したようである。3月11日、本震が発生したときも、きっと、高速走行をしていた車両があったはずである。普通に考えれば、脱線して、大事故を起こしていてもおかしくはない。それが皆無だったという。すごいことである。
[PTSD] '11.4.11
あぐらを掻いて座ると、尻やハムストリングス(大腿二等筋)が床面に触れることになる。その部分は触れるだけでなく、自分の体重を受けることにもなる。そして、尻やハムストリングスには動脈がはしっている。
部屋であぐらを掻いて、たとえば新聞を読むなりして、じっとしていると、尻にある動脈の脈動によって、体が揺さぶられるのを感じるときがある。
最近、その、わずかな体の揺れを、地震と感じてしまってしかたがない。
あるいは、体が揺れるのを、脈動のいたずらだと思っていたら、本当の地震の始まりだったりする。これらのことは、きっと、軽度のPTSDに違いない。
PTSD = 心的外傷後ストレス障害 Post-traumatic stress disorder
[ヤシマ作戦] '11.4.7
ぼくは、週一で、ママさんバレーの練習の手伝いをしている。体育館を使えるということは、コーチングもだが、それ以上に、ぼく自身の体調管理に役立っている。自分のペースでストレッチをしたり、心拍数を上げたりできる。
使わしてもらっている体育館は、地元中学校のものである。もちろん練習は夜間にやる。その体育館だが、震災以来、使えなくなってしまった。もっともこの時期は、卒業式があるので、そのために使えなくなるのだが、
3月11日の海溝型地震。ぼくの村での揺れは震度5弱だったが、体育館が使えなくなったのは、破損したなどの理由ではなく、「東電」エリアの節電のために照明が使えなくなったのである。
ぼくの母校の中学校でも、「ヤシマ作戦」を実行している。
バレーボールの練習が中止になって、すでに4週になるが、さて よわった! ママさんバレーの方は、ぼくはコーチであり、監督ではないので、チームのことは考えなくてもよいのだが、問題は、ぼく自身のことである。身体(からだ)が鈍(なま)ってしまいそうである。なにか考えなくてはならない!
もちろん、同時に、節電のことも考えなくてはならない!
[買い占め・買いだめ(2)] '11.3.28
これから書く文章は長くなってしまうかもしれない。しかもおそらく、面白くない。 無理に読まないでもらいたい。
前々回の出来事、[買い占め・買いだめ(1)]で、そのような行為をしている人たちのことを、『欲望とエゴと無知に支配されている人々』と書いたが、市民というか庶民というか、彼らを(もちろんぼくも含まれるが)、欲望とエゴと無知に支配されている人々と決めつけてしまうのは、かわいそうというか、どことなく、恣意的になってしまうかもしれない。同情的に解釈すれば、つまり、民衆がパニックを起こして、『不安解消行動』をしているということなのだろう。
『欲望とエゴと無知に支配されている人々』と表現したくなったのは、「竜馬がゆく」を読んでいて、それに影響されたからである。
竜馬は、勝海舟に紹介されて、勝と同じく幕臣の、大久保一翁と会うことになった。江戸の一翁の屋敷においてである。
竜馬は下級武士であり、ときに脱藩浪人なのだが、大久保一翁のほうは、いわば高級官僚である。そんな立場の人と、竜馬は会って話をしている。信じられないことである。
たとえば、テレビドラマの浅見光彦シリーズでいえば、毎回、浅見光彦は犯人と間違えられて、地方の警察署に連行されてしまう。その際、地方警察の警部が、身元確認のために光彦の兄の陽一郎に電話するのである。警部は、光彦の兄がどんな人間だか知らないので、ひどく横柄な態度を取る。しかし、電話の途中で、陽一郎が警察庁の刑事局長だと分かってくると、そのとたん、警部は、ほとんど卒倒してしまうのである。竜馬と一翁の関係は、それ以上、階級に隔たりがあるかもしれない。 にもかかわらず、竜馬は一翁に対して、ため口をきいている。
一翁を訪ねた目的を書くと文が長くなるので省略するが、
(以下、ぼくの要約で書く)
竜馬が一翁に突拍子もない質問をした。
「もし、ロシアが北海道(えぞち)に攻めてきたらどーしますか?」と。
一翁は答えた。
「それはやばいです。オランダ、フランス、イギリス、アメリカに牽制してもらうように頼み込みます。もちろん、日本も戦わねばなりませんが」
竜馬。
「戦うのは旗本八万旗ですか?」
一翁。
「いや、ものの役に立たないでしょう。平和が長すぎました」
「では、百姓、町人がいいですかね?」
「いけませんな」
(さて、ここからは本を写させてもらう。)
『 なぜなら、百姓、町人という階級は、徳川の政策で、自分の階級に矜(ほこ)りをもてないように訓練されている。
それに、欲望があって教養がない。さらに、徳川政策である「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という方針のおかげで、税金をとりたてられるだけの被支配階級になっており、ことばをいいかえれば、社会に対する一種の「無責任階級」になっている。そういう階級からは、私欲を無視して公共のために働こうという物好きが出にくい。 ← (一翁の考えを、作家が代弁している)
「こんな妙な階級をつくったのは、大久保さん、徳川家の罪ですよ」 』
ぼくが思ったのは、「買い占め・買いだめ」を平気でやっている人たちは、上記の、江戸時代からの被支配階級的性向を、いまだに引きずっているのではなかろうか?ということだ。
日本人は、封建的な武家政権から、君主制?の明治政府になったわけだが、明治の途中からは大日本帝国憲法が発布されて、選挙権は制限されていたものの、国民が政治に参加できるようになった(立憲君主制)。国民にとっての前進だが、その、明治維新を起こしたのは、百姓、町民だろうか? いや違う。下級武士である。
その後日本人は、太平洋戦争で敗戦し、占領軍によって民主主義を手に入れることができた。
べつに、改めてここで書くこともないが、… 結局、日本の、市民というか庶民というか、その階級?は、欧米のように、自らの戦いによって民主主義を勝ち取ったわけではないのである。だから、市民としてプライドがもてない。
たとえば、親は子に、市民の権利とか義務とかを伝えたいのだが、残念なことに、市民自ら名誉な歴史をつくったわけではないので、伝えようとしても熱弁できないのである。
個々人の高いモラルが必要なのが民主主義のはずだが、その体制になって長い時間が経っているにもかかわらず、依然、「買い占め・買いだめ」などの行為があるということは、上記のことなどが影響しているのではないかと考えたのだ。
[計画停電] '11.3.22
先週、ぼくの村では午後の4時50分から8時30分まで停電になった。「計画停電」である。その時間帯、ロウソクの灯ですごした。
よりによって寒かった。僕の部屋は普段石油ファンヒーターで暖をとっているが、電気が使えないので、役に立たなかった。
3時間は長い。読書をしてみようと思った。もちろん「竜馬がゆく」である。
部屋にあったロウソクは、小さいやつだったので光量が足りなかった。そこで、仏壇の下に大きいロウソクがあるので、それを自分の部屋に持ち込んだ。小さいロウソク は、灰皿にロウを垂らすことにより、ロウを糊にして立てることができたのだが、大きいロウソクはそれができず、再び仏壇 から蜀台を持ってきて使った。その蜀台は、いくらか線香のにおいがした。自分がホトケ様になった気分だった。
「竜馬がゆく」の方は、竜馬が操艦する、蒸気機関付きスクーナー(縦帆の帆船)が、肥前伊万里湾に滑り込んできたところだった。
船の名は観光丸。このとき、船には勝海舟も乗っていた。伊万里湾に錨を下ろすと、竜馬と勝は、陸路長崎に向かったのである。竜馬にとっては初めての長崎だった。竜馬は長崎が気に入ったようである。
ふと気がつくと、小さいほうのロウソクの台に使った灰皿は、長崎の土産だった。きれいな色を使ったガラスだったので部屋に置いてあったのだ。竜馬も、ビードロだとかガラス細工だとかに興味をもったかも知れない。
[買い占め・買いだめ(1)] '11.3.17
東北地方太平洋沖地震、その直後の話だが、関東エリアでは、買い占め・買いだめが横行しているという。
実際に影響が出ているのだから、やはり、少数ではなく、大勢の人がやっているのだろう。
欲望とエゴと無知に支配されている人々。
欲望とエゴと無知に支配されている人々が大勢いるということは、… 社会を牽引するような仕事をしている人たちが、彼らに足を引っ張られてしまうことを意味する。
たとえば、テレビ局である。視聴率をよくするには、欲望とエゴと無知に支配されている人々、彼らを満足させる番組を作らなくてはならない。結果、番組の質がどうのなるか、知れたものである。
たとえば、議員である。中央でも地方でも、欲望とエゴと無知に支配されている人々、彼らの価値観によって議員は選ばれる。結果、議員の質がどうなるのか、知れたものである。
[葬式まんじゅう] '11.3.10
親戚のおじいさんが1月に亡くなったのだが、ここで四十九日の法要があった。親戚の家で、ご住職によりお経が上げられたあと墓へ行き、納骨が行われる。これで忌明けとなる。
場所を移して会食が用意されていたのだが、それが捌けるとき引出物を戴いた。
引出物の中に『葬式饅頭(まんじゅう)』があった。
最近ではめずらしいことである。葬式の喪主をした親戚の長男の方は還暦に近い。それより喪主が若いひとになると、引き出物に葬式饅頭を加えるというイメージは湧かないかもしれない。
この葬式饅頭は小ぶりだが、昔は
より小判型で、もっと大きいのもあった。
饅頭の表面に焼き付けられている模様は
何か? 檜葉(ひば)の葉を模したものという。
夕方、腹が減っているときなど食べると、
けっこう うまい! コーヒーなどにも合う。
[ご愁傷様] '11.3.4
まったく厭になる。今年に入って、すでに3回も葬儀に参列している。そういえば、出来事に、[礼服] '11.2.6 と題して書いたっけ。
先日、友人の親父さんが亡くなり、その葬式に行くときなどは、礼服を着るに、クリーニングをしてなかったので、その前の葬式の焼香のにおいがまだ染み付いていた。
ぼくには、葬式に出るのに、ひとつ、障害というか、悩みがある。
斎場で、悲しむ、あるいは気丈に振舞う家族に対して、もっとも適切と思われる言葉をかけてあげたいのだが、どうしてもその言葉を使うことができないのである。… その言葉とは、『ご愁傷様です』だ。
残された家族に『このたびは、ご愁傷様です』と言えたらどんなによいだろうか。
なぜ言えないのか? … 咬みそうなのである。 コノタビハ ゴシュウショウシャマデシュ みたいになってしまうのだ。絶対に咬んではいけない場面である。だからぼくは、『このたびは、ご…ふにゃふにゃ』と最後まで言わないで、語尾を濁す感じにしてしまうのである。
[龍馬8] '11.2.27
一昨年のことだが、京都へ旅行をしたことがあった。旅行へ行く前に、ぼくは、京都の地図を広げ、そして調べて、京都を目に焼き付けてから旅行に臨んだ。
なぜそのようなことをしたのかわからないのだが、坂本龍馬と関係した場所を調べたくなったのである。池田屋、寺田屋、近江屋などがあった場所を調べたのである。実際旅行に行って、直接見ることができたのは、伏見の寺田屋だけだったが、… もちろん、龍馬に関係しないところでも、京都を調べてから行ったおかげで、地理的な平衡感覚があったので、十分楽しむことができたのである。
そして昨年になって放映されたのが、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」である。京都旅行をしたときには、もちろん、次年度に坂本龍馬をやるなど、知るよしもなかったが、2年連続で坂本龍馬では、自動的に「竜馬がゆく」を読みたくなってしまったのである。 なんだか、何者かに、『坂本龍馬を知りなさい』と指示されているような感じだった。
それにしても面白い。「龍馬がゆく」のことだ。今回の面白いは、興味深いという意味での面白いだが、一行一行面白いのである。ストーリー展開と同時に、作家の意識もまた頭の中に響いてくる。無意識は記憶しているのだろうか? 一度読んだことを、それである程度深読みできるのかも知れない。
出来事に「竜馬がゆく」のあらすじを書こうとは思わない。感想文もだ。それは恥ずかしい。これで[竜馬]シリーズはお終いにする。これから読み進むにつれて、何か触発されたことがあったら、このシリーズとしてではなく、書くことにしよう。
[竜馬7] '11.2.26
「竜馬がゆく」の最初「巻」あたりは、竜馬がまだ下級武士だったころの話が書かれている。もっとも、彼は、最後まで下級武士なり浪人だった。 そこをむかし読んだときは、ちっとも面白くなかったのである。
竜馬は剣術修行に江戸に赴くのだが、その辺は、あたかも時代劇を読んでいるようで、英雄伝説としては期待はずれで、ちっとも面白くなかったのである。… そんな印象もあって、記憶にも残っていなかった。
ところが、『再読』してみると、作品の内容が変わってしまったのかと思えるほど、『おもしろい』のである。興味深いことだ。
君は経験ないだろうか? 例えば、専門書を読んでみたのだが、難しくてまったく理解できなかった。ところが、数年経って、再びそれを読んでみると、意外とよく分かった、という経験である。そのとき思うのである。いつの間に、自分は頭が良くなったのだろうかと。
再読の効用である。
ぼくは、小説に関しては再読をしたことが、かつてなかったのだが、いいもんである。そうめったに再読をする機会もないだろうが、それができるということは、結局、「贅沢な時間を享受している」いうことである。
[竜馬6] '11.2.25
おもしろい! 実におもしろい!
ぼくが『おもしろい』という場合、通常は、興味深いという意味である。しかし、「竜馬がゆく」を読み始めてみて、『おもしろい』と思ったのであるが、それは、文字通り、おもしろい、おかしかったのである。
そうだっけ? こんなにおかしかったっけ? 「竜馬がゆく」にはふんだんにお笑いが含まれている。文章の3割方は笑わせてくれるのではないだろうか。
大真面目な長州藩士・桂小五郎なども、竜馬と相対していると、
例えば、マンガで、だいの大人が、パニクって頭の中が壊れると、急に幼稚園児に変身しまう表現があるが、… ワンピースというマンガでは、トニートニー・チョッパーという子供が登場するが、彼の場合はその逆で、危機が迫ると、反対に、子供から大人に変身する。
大真面目な桂小五郎なども、竜馬と相対して話していると、妙な理屈の世界に引き込まれてしまい、結果パニクって、子供に変身してしまうのである。それがひどくおもしろい。そのほかの幕末の志士たちも、竜馬と話すと、ほとんどのやつが目が点になってしまうのである。
寝待の藤兵衛(ねまちのとうべえ)なども、シェイクスピアの作品に登場する道化師とはまた違うだろが、いい道化役として登場している。寝待の藤兵衛は盗賊(普段は薬の行商をしている)なのだが、竜馬の子分にしてくれと頼み込んで子分にしてもらっている。人通りの多い往来で、「あなたは泥棒を家業としている訳ですが、… 」などと竜馬は大声で藤兵衛に話しかけるのである。藤兵衛はきょろきょろしてしまう。こんなシーンが繰り返し出てくるのである。
[旅行といびき] '11.2.17
先日、村主催の旅行があって、それに参加してきた。昔は、村の班長のことを「伍長」と呼んでいたようだが、ぼくはその伍長だったので、やむをえず?参加したのである。どーも団体旅行は苦手なのだ。
行き先は、伊豆だった。西伊豆の堂ヶ島で一泊した。旅館は「堂ヶ島ニュー銀水」。テレビで21時から2時間かけてやる、サスペンスやミステリードラマの舞台になりそうな旅館だった。浅見光彦シリーズのように、旅館の近くの岸壁あたりで、殺人事件でも起こりそうなロケーションだった。そして、そこには必ず美女が登場する。 … 現実は、事件は起こらなかったし、美女も出現しなかった。しいていえば、仲居さんは若くてきれいだった。
その苦手な団体旅行だが、結果は、意外なことに、すばらしいものになった! ぼくの部屋は5人部屋だったが、宴会や二次会が終わって寝たときに、なんと、誰も鼾(いびき)をかく人がいなかったのである!
先輩の中に二人ばかり、それはそれはすごい鼾(いびき)をかく方がいるのだ。
ひとりのそれは、旅館の部屋の窓ガラスや照明を破壊してしまうのではないかと思うほど、強烈なものである。もうひとりのほうは、つい、耳をそばだててしまうような鼾のかきかたなのである。
グオーグオーとしばらくやっているのだが、そのうちカッカッカッと詰まるような鼾になったかと思うと、それからしばらく無音になってしまうのである。いつになったらグオーグオーを再開するのだろうか?と気になってしまうのである。とんでもなく待たされてから再開する。ほっとする?というか、寝ていてひどく疲労するのである。
ぼくはどちらの先輩の鼾にも、数え切れないくらい寝返りを打つことになる。そういえば、以前の旅行で、二人の先輩と同部屋になったことがあった。その夜は阿鼻叫喚! 海兵隊の夜間発着訓練の真っ只中に布団を敷いて寝たようなものだった。
就寝時間帯のこの苦難について、ぼくもいけないのである。寝つきが早ければこの災難?を被ることがないのだ。しかし、なかなか、早く寝付くように体質改善ができない。
今回の村の旅行は違った! ひとりの先輩は別の部屋割りになっているし、もうひとりの先輩は参加していなかった。
[礼服] '11.2.6
1月のことだが、親戚のおじいさんが亡くなった。85歳だった。悲しみもだが、むしろ全うできた人生にリスペクトである。いい往生だったと。
もちろん、葬式には出席させてもらう。出席にあたって問題が出て来てしまった。… 礼服のことである。
礼服のズボンが穿(は)けるだろうか? と不安になったのだ。
礼服はずいぶん前につくったものだ。たまに機会があって着るのだが、そのたびにウエストがきつくなっている。
ズボンはノータックのやつである。ズボンをスラックスと呼んでいた時代のものだ。… 試着してみる。
穿けた! 今回は穿くことができ、セーフだった。
一刻もはやく仕立て直しをしなくてはならない。服を着るたびに不安を感じるのはたまらない。
そう考えたが、ところが、その判断にストップをかける意識が頭をもたげてきた。
サイズアップをせずに このままにして、腹がこれ以上膨れないようにすべきではないか! というものである。
つまり、肉体の方をズボンに合わせるのである。しかし、この決断は、それほど生易しいことではない。ぼくは、すでに、腹が出やすい年頃になっているからである。
う~む。仕立て直しをするか、しないか、人生最大の決断が迫られている!
[VTRテープ] '11.1.26
VTRテープを切らしてしまったので、一番近くの、いつも行く家電量販店へ買いに行った。
ぼくは、VTRテープを買い求めるのに、メーカーとグレードを、いつも同じものにしている。テープの性能の問題ではなく、ただ単に、収録済みのテープを棚に並べたときに、背表紙に書いたタイトルが見やすくなるからである。
つまり、買いたいテープは決まっているのである。
店に入ってテープの置いてある棚のところに行って、目的のものを探した。
… ない!
それに、なんだかVTRテープの置き場が縮小されているようである。
しかたない、別の量販店に行くことにした。5~6キロ離れている。
あった。 しかし、やっぱり、売り場が小さくなっている。VTRの時代は終ったのかも知れない。
買ったテープを店のレジ袋に入れて、手にさげて店を出たのだが、なんだか恥ずかしい気分になった。『いまごろVTRテープを買っているやつがいるぞ』と、客や店員に思われていそうで、
[カーボンコピー] '11.1.18
ここ数年間で、知り合いがずいぶんと増えた。それにともない、携帯でのメール交換もかなり増えた。
メールのやり取りのことだが、最近、ほとんどのやつが Cc を使うようになった。Cc というのは、もちろんカーボンコピーのことである。
送信者が、from to (私からあなたへ)ということで、宛先の相手にメールをするわけだが、ほかの仲間にもその内容を知らせたいとき、仲間のアドレスをCcとして宛先に追加して一緒に送信するのだ。 from to のやり取りを傍観していてください、みたいな意味になるだろう。
第三者が覗き見れるので、いろいろと役に立つ。第三者になった仲間がそのメールに意見することもできるだろう。たとえば、「お二人が計画しているその日は都合悪いです」などとだ。
ぼくは今のところ Cc を使ったことがない。複数の人間に一斉にメールを送るときには、すべて to (あなたへ)で送っている。みな to の内容のものだったからだ。 ともかく Cc はたいへん便利である。
それはよいのだが、新年早々、ぼくに届いた年賀のメールに Cc 扱いで来たのが二件もあった。あまり気分のよいものではない。こればっかりは、一斉に送信するにしろ、できれば from to でもらいたかったのだ。
[竜馬5] '11.1.11
先日、先日といっても昨年のことだが、 テレビにワタミの社長の渡邉美樹氏が出ていて、土佐の方で中学生に授業をしていた。坂本龍馬についてである。彼も「竜馬がゆく」を、授業をするにあたって再読したという。
司馬遼太郎のこの小説は、多くの企業のトップが愛読している。
なかでも有名なのは、ソフトバンク社長の孫正義氏のエピソードである。「竜馬がゆく」を読んで、ひどく感動し、あるいは影響されて、彼はそれを高校生のときに読んで、渡米を決意し実行してしまった、という。そのことが、現在の彼の地位を決定づけている。
ぼくの場合はどうかというと、むかし、「竜馬がゆく」を読むには読んだのだが、しかし、内容をほとんど憶えていなかったのである。そのくらいだから、それほど感動もしなかった。つまり、この作品の肝心なところを読み取ることができなかったのだ。だからぼくは、大企業の社長にはなれなかった。
そういえば、20年前、この作品を読んだときには、『「竜馬がゆく」を読むことは、一般教養のうちだから読んでおこう。』ぐらいの気持ちからだった。ぼくがちゃんと本を読むときは、読めない漢字があったら、自分でルビを書き込むなりするのだが、それがしていない。流して読んでしまったのだ。
さあ、今回の再読で、この小説の、ベストセラーな訳が解るだろうか?
[携帯の電池について] '11.1.8
お昼のワイドショー? 4チャンネルの「DON!」という番組で、… DON!という番組は、中山秀征(ひでゆき)氏と馬場典子アナウンサーがMCをやっている。 … この番組で重要な情報を流していた。
クイズ形式で進めていて、
携帯電話の電池は、 使い切ってから充電した方が長持ちする。 ウソ? ホント? というものだ。
番組が答えを出す前に、ぼくはこのように考えた。『もちろん「ホント」が正解だ。ぼくは、「メモリー効果」などという用語を知っているし、デジカメなどは、充電量が少なくなったら、スライドショーを強制的に行うなどして、使い切ってしまったほうがよい。と、デジカメのトリセツにも書いてあった』と。
ところが正解は「ウソ」だった。 つまり、電池の無くなり方が途中のとき、そのとき充電しても、電池の放電時間や寿命には影響しないというのだ。
以下、番組での説明だ。
確かに、昔の電池は使いきらないと、電池の放電できる量が、どんどん減ってしまった。ところが最近出ている「リチウムイオン電池」は、そういう現象がない。安心して継ぎ足し充電ができる。
今から15年ほど前に使われていた携帯電話の電池には、ある欠点があった。
たとえば電池を50パーセントまでしか使わずに充電を繰り返していると、電池がまだ残っていても50パーセント以上放電しなくなるという現象が起きた。
つまり、この都市伝説は、昔はホントだった。現在はその欠点を改善したリチウムイオン電池が使われている機種がほとんど。使い切る前に充電を繰り返しても電池にはほとんど影響が出なくなっている。
ただし、電池の寿命を決めるものがある。
それは、充電回数だ。それが300回から500回といわれている。一日に、たとえば何度も心配だからといって小まめに充電してしまうと、頻繁に充電の回数がかさんでしまうので、寿命が短くなる可能性がある。
その他の都市伝説?
携帯電話を充電したまま、100%(フル充電)になっても、コンセントをさしたまま放っておくと、電池が劣化する。 ウソ? ホント?
正解は ウソ。
夜 寝ている間くらいなら問題ない。
現在、最近の機種というのは、100%充電できると、それ以上充電しないような仕組みになっているので、ほとんど影響はない。
ただし、2~3日以上つなぎっぱなしというような場合は、劣化を早める可能性があるので避けた方がよい。
やってはいけないこと!
充電したまま通話やメールをしてはダメ!
充電したままの方が、電池が減らなくてよさそうだが?
電池にとっては、電気を使うということ、それから、電気を貯めるということを同時に行うというのが、非常に大きな負担になってしまう。
よく、つなげたまま(充電中)電話をすると電池が熱くなることがある。その高温の状態が電池の劣化をさせる最大の原因だそうである。つまり、充電と放電を同時に行うと、電池に大きな負荷がかかる。電池が熱を持つような場合は要注意だ! 劣化させる最大の原因である。
この日(6日木曜日)の番組には、土田晃之(てるゆき)氏が出演していた。埼玉育ちの家電芸人ツッチーがいたので、上記の情報はほぼ間違いないだろう。
[年末年始の気象] '11.1.4
ぼくの住んでいる関東の平野部では、おだやかな年末年始を迎えることができた。
元日の午後、畑を見回ってみる。
2月に収穫を予定しているホウレンソウ。
ところが、関東以外では、強い寒波に見舞われたようである。ニュースは大雪の被害を伝えていた。
福島の西会津町では25日夜、国道49号線でスリップ事故が起こり、300台が立ち往生したという。全車両が救出されたのが26日深夜。車の中に閉じ込められた人はたまったものではなかったろう。 まあ、できるだけ、こんなときは外出すべきではない。
大晦日になると、こんどは鳥取で、タンクローリーのスリップ事故をきっかけに、大雪の中、25キロの区間、1千台の車が立ち往生したというのをやていた。国道9号線というから、山沿いではなく海沿いの道である。
鳥取地方気象台によると、鳥取県米子市では、1日午前5時の積雪が1940年からの観測史上最高の89センチ(1hで)を記録したという。
同地域の港湾の話だが、その記録的な大雪のために、雪の重みで、停泊していた漁船が転覆、沈没してしまったそうである。境港などだが、そんなニュースは聞いたことがない。鳥取島根両県で380隻とからしい。イカ釣りやカレイ漁の漁船だ。農業被害もけっこうあっただろう。
エネルギーは普遍なので、いま穏やかな関東平野でも、そのうち、「ゆりもどし」のように、暴力的な天候になるかも知れない。そのときの為に備えておかなくてはならないだろう。