sumi-Cノート <excerpt> …続き
(27)今週の出来事 2011年 5月~8月
[日本史年表と龍馬] '11.8.18
[見舞いのことば] '11.8.14
[NHK G] '11.8.12
[宵山] '11.8.8
[監督と鼻毛] '11.8.4
[竜馬とロケみつとパソコン] '11.7.27
[猛暑と蚊] '11.7.20
[なでしこジャパン] '11.7.19
[木登り2] '11.7.17
[木登り1] '11.7.16
[竜馬がゆく(六)2] '11.7.5
[龍馬がゆく(六)1] '11.7.3
[世界遺産] '11.6.29
[家電量販店とうちわ] '11.6.28
[6月の最高気温] '11.6.24
[スズメ] '11.6.22
[耳毛] '11.6.17
[AKB48総選挙] '11.6.10
[反対側の登場人物] '11.5.31
[血圧と徳川幕府3] '11.5.24
[血圧と徳川幕府2] '11.5.23
[血圧と徳川幕府1] '11.5.22
[五百旗頭] '11.5.19
[麦花粉症] '11.5.10
*∞*∞*∞*∞*∞*∞*∞*∞*∞*
[日本史年表と龍馬] '11.8.18
上の写真は、普段ぼくが使っている日本史の年表である。高校生が使う教材だ。そして、下の写真は、ちょうど19世紀を開いたところである。UPした写真は細かくて、あるいはピントが合っていなくて、読めないかも知れないが、このページの一番下あたりが龍馬の活躍した時代である。19世紀-近世-江戸時代後期-孝明天皇-徳川家茂(いえもち)・徳川慶喜の部分。1850年のところに赤線が引っぱってあって、その赤い線のすぐ下に、やはり赤い文字で、「攘夷論と開港論・幕藩体制の崩壊」という括(くく)りの文字が書いてある。
年表の中に龍馬の名前を探してみた。次のページは近代-明治天皇の時代になってしまうので、次のページには、もう龍馬はいない。探すとしたら、このページの下の方なのだが、どこを探しても坂本龍馬の名前はない。この歴史年表に載っていないだけなのか? それとも、… 日本の正史?には乗せる価値のない人物ということなのか?
もっとも、この年表には西郷隆盛(吉之助)や木戸孝允(桂小五郎)、それに、近藤勇などの名前も出ていないので、龍馬の名前が無いのは、しかたのないことなのかも知れない。
明治になると、西郷や木戸や後藤象二郎、板垣退助(乾退助)などは、つまり、薩長土の幕末に活躍した人たちは、政府の要人(参議)などになったので、日本正史の要件を満たして登場してくる。
ぼくは、坂本龍馬を司馬遼太郎の作品でしか知らないので、その限りでしか言えないのだが、日本史に登場してきてもよさそうに思うのである。そして、もう少し飛躍して、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作、坂本龍馬など、このあたりの歴史上の人物を紙幣の肖像にしたらどーかと思うのである。(これまで採用していないのだから、何らかのダメな理由があるのだろうが、) 日本人が、彼らの肖像を見ながら経済活動をしたならば、勇気と元気が出てくるような気がするのである。
[見舞いのことば] '11.8.14
「竜馬がゆく」だが、8巻目、つまり最終巻に入った。 8巻目の前半はあまり面白くない。海援隊士が長崎で英国海軍の水兵二人を斬殺してしまったという事件、イカルス号事件とでもいうのだろうか? そのことに費やされてしまっている、という感じなのである。
歴史小説は、ある程度、史実に忠実でなくてはならないので、文句はいえないが、
坂本竜馬を描いてみる。
8巻目の前半、一つだけ記憶に残るエピソードがあった。 後藤象二郎はすでに竜馬に心酔しているが、「大政奉還」が土佐藩に得であることを理解すると、同藩は、竜馬に新たに官僚を接触させてきた。佐佐木三四郎という。京都大阪長崎と竜馬に付き合って移動していると、彼は病気になってしまった。肺の疾患らしい。竜馬は佐佐木に見舞いのことばを掛けたのだが、それがかっこいいのだ。
「お互い、あと五十年の寿命があっても無意味である。時勢の解決はここ一、二年のうちにつく。だからせめて二、三年生きられるように努めてくれ」
といってはげました。(古い文庫本p208)
1867年 慶応3年8月ごろの話である。この場合、上のセリフが史実か作家の創作かはどーでもよいだろう。竜馬が暗殺されるのがこの年の11月。
[NHK G] '11.8.12
上の写真は、テレビでのアナログ放送が終了となる前の晩に撮ったものである。我が家では、地デジ化に間に合わず、数日間、砂嵐のテレビを見てしまった。(アナログ放送終了日 = 7月24日)
8月になると、地デジでテレビを見ることが出来るようになった。すると、便利といえば便利で、地デジでは、テレビ画面で番組表を見ることが出来るようになっていた。
その番組表では、NHKにも局のロゴマークがあって、「NHK G」、「NHK Eテレ」などとデザインされたマークがついていた。NHKGのGとは何の意味だろうか? グレイトとかゴールドの意味だろうか? まさかNHK群馬ではあるまい。NHKEテレの方は、いいテレビ の洒落だろう。正しい意味は、あとで、NHKのホームページなりを見ておこう。
[宵山] '11.8.8
何を収録してあるのかわからないVTRテープが一本あった。再生してみると、3倍速で、今年の祇園祭の宵山が録られていた。もちろんテレビで放送したものである。NHKの生中継である。『祇園祭 宵山 ~京都が一番熱い夜~』 夢枕獏氏が丸い眼鏡をかけてゲスト出演していた。
この生放送がいつ放送されたのかわからなかったが、画面を見てすぐにわかった。『アナログ放送終了まであと8日』とあるので、だから7月16日である。
山鉾が動くのは明日だ。
(26)今週の出来事 [舞妓] '11.4.19 で少し触れたが、ちょうど池田屋の変が宵山のときだった。そんなことから、なんとなく、今回のテレビ中継のことを、出来事へUPしたくなったのである。
長州藩士も新撰組も、祭りのお囃子を聞きながら、命のやり取りに臨んだのだ。
祇園祭だが、山鉾を持っている町を「山鉾町(やまほこちょう)」というらしいが、山鉾町だけではないだろうが、住民が減少してしまって、祭りへの参加が出来なくなってしまった地区が過去にあったという。ここへ来てようやく、新しく出来たマンションの住民などの参加によって再生してきたというのである。京都でさえ、伝統文化を守るのが大変だったのである。
子供たちが大勢で口をそろえて、歌うように声をかけ、おみくじやお守り、それにチマキなどを売っているシーンが映っていたが、子供たちの多くが町内の子ではなく、ほかの地区から、知り合いなどを通じて呼んで来た子だというのである。
ちなみに、宵山は、7月の14~16日の3日間行われ、宵山が終わると、その翌日、いよいよ祭りのクライマックス、山鉾が京都市内の中心部を巡行するのである。これは毎年テレビのニュースでも取り上げられる。
[監督と鼻毛] '11.8.4
政府は、なでしこジャパンに対して、国民栄誉賞を送るそうである。
スーパーウーマン澤穂希を
描いてみた。
そこで思い出したのだが、選手はでなく、監督のことだが、
佐々木則夫監督が本を出しているようで、そのなかに書かれているのだろうか?『選手の前に出るときは「鼻毛」が出ていないようにしなさい』と奥さんに言われたそうである。
驚いた! ぼくも、6月の「出来事」で「耳毛」と題して、同じ趣旨のことを書いたばかりだったのである。女子選手に嫌悪感など持たれないための、些細な接し方についてである。
きっと、「鼻毛(耳毛も含めたいが)」に気を付けていると、女子選手を優勝に導くことができるのだ。
[竜馬とロケみつとパソコン] '11.7.27
現在「竜馬がゆく(七)」を読み進めている。この小説は再読なのだが、前回は、読んではみたものの、ちっとも内容が頭に入って来なかったのだ。 今度は読み方が違う!
たとえば、… 土佐脱藩浪士中岡慎太郎は、彼は竜馬が暗殺されたとき一緒にいて命を落とした人だが、密かに、先右近衛中将(さきのうこんえのちゅうしょう)岩倉具視と接触する機会をうかがっていた。そして実行した。現在は同志社大のキャンパスがあるのだが、そこにあった薩摩藩邸を出て、洛北岩倉村へ向かったのだった。岩倉具視は、孝明天皇に嫌われて、蟄居の身だった。洛北(京都市街をはずれた北の方)の岩倉村の百姓屋に、ほとんど軟禁状態で暮らしていた。
… たとえばこんな場面があったとき、今回はパソコンを使って、岩倉村がどこにあるかなど、いちいち調べたのである。… 意外と、それは簡単なことだった。 Map Fan や Mapion を使えば、すぐに、その村がどこにあるのか分かってしまうのである。同時に、もちろん、 Wikipedia などを使って岩倉具視のプロフィールも調べた。
ひと昔前だったら大変である。家にある地図では範囲が広すぎて用が足らない。そこで、京都市の市街図を書店へ行って買って来なくてはならなかった。しかも、せっかく買ってきても、現在では存在しない地名だったりするリスクもある。それに地図はけっこう高い。
今度は岩倉具視。このお公家さんのことを調べるには、階下に下りて百科事典を引っ張り出さなければならない。むかし、五百円札に肖像が印刷されていたのは記憶にあるが、
このように、ひとむかし前だったら、時間とカネと労力が必要だったのである。だから、ちょっとした研究になってしまった。ところが、パソコンが出現し、手に入れてからは、部屋に居ながらにして瞬時に必要な知識が入ってしまうのである。すばらしいことだ。
竜馬が長崎にいるときは、長崎の地図を調べた。当地区の、海岸線の入り組んだ地形などを始めて目にしたわけだが、ひどく面白かったのである。行ってみたくもなったのだ。
テレビの番組で、「ロケみつ」コーナー名「桜 稲垣早希の目指せ!鹿児島」というのをやっている。不定期なのか、いつ放送されるのか、わからないのだが、その番組のブログを「お気に入り」に入れてある。
5月ごろだったか?ちょうど長崎のロケで、このときは、五島列島や軍艦島(端島(はしま))などをやっていて、今の長崎を知れたのだった。
稲垣早希という女の子はブログに、『長崎駅はものすごく都会でした! しかも、他の県の大きな駅から見える景色とは少し違います。長崎は山と海がものすごく近いので、駅から広がる町はすぐそこが山になっていて、山に沿って家が建っているというかんじで、なんだか、ヨーロッパみたいなお洒落な街の形だな~と思いました。』と書いている。今は、大分県でロケをやっているようだが、これから薩摩藩の鹿児島までのロケが、また、楽しみなのである。
「ロケみつ」で脱線してしまったが、パソコンについて、上記のことを思うと、ぼくのみならず、日本人、いや、世界中のひとたちが、パソコンを手に入れたことで、何かが加速的に変化するのではないかと思うのである。現在の変化は序の口に思える。 頭がよくなるわけではない。それは別次元のことだ。しかし、人類が、パソコンがなかった時代と、ある時代とで、まったく異なる文化、経済を生み出すだろうということは、想像に難くないのである。
[猛暑と蚊] '11.7.20
今年は蚊が少ないと思っていたが、
網戸などでは防ぎきれずに部屋に入ってきてしまう蚊の数のことである。テレビでやっていたのだが、アカイエカは、高温に弱いそうなのだ。30度を超える日が続くと体力がなくなり死んでしまうというのである。蚊も35度とかの猛暑が続くと熱中症になってしまうのだろう。
お部屋に1回シュッ!効き目12時間。
という蚊の殺虫剤を買ってきてあったのだが、
今年はまだ、シュッ!を2回しかやっていない。
ちなみに今日は、台風6号(マーゴン)が太平洋にあって、この辺は、北の高気圧に覆われているので涼しい。
[なでしこジャパン] '11.7.19
ぼくがテレビでみるスポーツといったら、ゴルフぐらいなのだが、どーいうわけか、FIFA 女子ワールドカップ ドイツ 2011 決勝(フランクフルト)をみてしまった。 もちろん、日本対アメリカである。(7月17日 20:45 日本時間18日 3:45 キックオフ)
正確にいうと、寝室でテレビをつけっぱなしにして、大きな歓声があるたびに目が覚めるといった感じでの視聴だったが、
視聴した時間を理解していないが、キックオフが深夜3時45分だったから、そして延長にPKまであったので、7時ごろになっていただろう、結果が出たのは。
見てよかった! 奇跡の起こるのを目撃した感じだった。
その日、テレビのワイドショウのキャスターが、ドイツの新聞あたりを取り上げて、『日本は、まるでおとぎ話のように優勝した』と書いていると紹介していたが、まさに、ぼくもそう思ったのである。
ドイツで日本女子がメルヒェンになった。
[木登り2] '11.7.17
さて、ここからが書きたかったことである。木登りをして気がついたことがいくつかあったのだ。
ひとつは、作業中、ほとんど疲れなかったということである。上の枝に移ろうとするときなど、体の重さをまったく感じないのである。
つまり、木登り中は、神経が体の隅々まで行き届いている感じだった。
仮に、枯れ枝に足を置いてしまって、その枝が折れたとしても、おそらく大丈夫なのである。反対の足やどちらかの手が、安全な枝に乗っていたり、つかんでいたりすることを、ちゃんと感じられているからである。
『神経が体の隅々まで行き届いている感じ』は、努力しているわけではなく、無意識にそうなっている。だから、高さに対する恐怖などもない。この感覚は興味深かった。
もしかすると、疲れを感じさせない脳内物質が分泌されているのかもしれない。天然の覚醒物質である。
木登りをしている最中、恐怖を感じてしまったり、疲れを感じてしまったら大変だ。木から落ちてしまう可能性がある。つまり、生命の危険さえあるのだ。なにしろ命綱などしていないのだから、
人間が昔、樹上生活者だったころの本能が蘇っているのかもしれない。小脳あたりが活性化されているのかもしれない。久しぶりに味わった覚醒感だった。
ぼくは思った。仕事でこのような覚醒感覚を得たならば、だいぶ能率がよくなるだろうと、
とにかく、木登りは全身運動である。これは、ダイエットには最適だと思った。ちなみに、風呂上りに、どっと疲れが出てきた。
[木登り1] '11.7.16
我が家の裏手には、東西に公道がはしっている。公道の両脇には電柱が立っている。もちろん一方は東京電力のもの、もう一方はNTTのものである。その電柱から母屋に、複数本の支線が引き込まれている。その線の一本が、ひどく育ってしまった庭木の枝の中に入ってしまっていたのである。
ここ数年、北の強風が吹くと、庭木の枝の中に隠れている支線が、鞭のようにしなる枝に叩かれて、断線しないだろうかと不安だったのである。ようやく暇ができたので、その庭木の枝を下ろすことにした。
その木は「キンモクセイ」である。比較的やわらかく、育ちのよい木である。おろらく30年くらい枝下ろしをしていない。
ご存知のように、モクセイは、自らの葉によって、枝をほとんど隠してしまう。そして、その葉は、木全体を見ると、きれいに球体になる。木の幹に近づいて、下から上を覗いてみると、ようやく枝ぶりがわかる。
さて、枝おろしだが、ケヤキの場合は、葉っぱを残さずに枝だけにしてしまっても、つまり坊主にしてしまっても、切った部分から再び芽が吹き出す。このキンモクセイがそのようになるのか? 残念ながら、植木に関しては素人なので、そこまではわからない。また、今は夏である。だから、無理な枝おろしをせずに、高い位置の枝葉も残すようにカットすることにした。
我が家には、植木職人が使うような三脚があるのだが、高い位置の枝葉も残すようにしたために、三脚で届かないところをカットするために、木登りをするようになってしまった。
このキンモクセイだが、少し高いところに幹が二股になっているところがある。幹に三脚をあてがい、その二股に足が届くところまで三脚を使って登り、左右の手でそれぞれ別々の枝をつかみ、いよいよ、木の股に右足をかけて、そして一気に木登りのテイクオフをしたのだった。
ちなみに、昔、植木屋さんでバイトをしたことがあったので、それ以来、手ノコ、剪定ばさみ、木バサミの三点セットは持っている。それらは全てホルダーに収められていて、まとめてベルトに下げられるようになっている。これだけあれば、枝おろしは用が足りた。
次回へつづく。
[竜馬がゆく(六)2] '11.7.5
前回の[竜馬がゆく(六)1]のなかで、3番目に重要なエピソードは、竜馬の仲介で、薩長連合が成立したことである。と記したが、もう少しこの部分を書きたくなった。
どーやら、作者も、薩長連合成立あたりの竜馬に関する逸話を重要視していたようなのである。
どーいうことかというと。
ご存知のように、それまで、薩摩と長州は犬猿の仲だった。それを坂本龍馬が、反徳川幕府で意見を一致させて、同盟を組ませてしまったのである。
長州は幕府に反抗したことから、幕府から制裁を受けることになった。第一次長州征討では降伏させられてしまった。ひきつづき、第二次征討が行われようとしていた。長州藩は疲弊した。その一方、軍事力の増強を迫られていた。
かたや薩摩は、幕府と敵対することなく、対等に渡り合える実力を保持し続けていた。ただし、長州が滅ぼされれば、幕威は高まり、いずれ薩摩が長州と同じ憂き目に会うだろうと考えていた。
薩摩と長州は、このとき少なくとも対等ではなかったといえる。長州は卑屈になっていた。桂小五郎の態度を通して、それがよく表現されている。竜馬は、薩摩藩の代表である西郷吉之助に、同盟のためには、薩摩藩が折れるように説得したのである。
慶応2年正月21日が、薩長連合の盟約が成った日である。その前日が竜馬の活躍の日だった。上に書いたように、京都の薩摩藩邸に行って、西郷吉之助を説得したのだった。そして成功した。
ちなみに、盟約が成った場所は、薩摩藩邸ではなく、薩摩藩家老小松帯刀の京都屋敷においてである。桂などが幕府から隠れて宿泊していた。
盟約の前日のことを、作者はこのように書いている。
『(西郷が承諾したことで)これで薩長連合は成立した。歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それをいう人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。』 (古い文庫本p236)
上記の『このひとことのふしぎさ』の『ひとこと』については、ここで書いてしまうのはもったいないので、伏せておこう。
もうひとつ、『事の成るならぬは、それをいう人間による、』というくだりも、考えさせられてしまうではないか!
たとえば、『あいつが賛成するのだから、我々も賛成しよう』などと言うときの「あいつ」とは? どんな「やつ」なのだろうか? ということである。
「あいつ」は、日頃、仲間から信頼を受けるだけの言動や行動をしているのだが、それは、どーいうものなのだろうか? ということである。
[龍馬がゆく(六)1] '11.7.3
6月はちょうど、「竜馬がゆく(六)」を読むことになった。なかなか読む時間がとれないので、イライラしていたのだが、(六)は、坂本竜馬にとって、重要なエピソードが目白押しになっていた。読み出すと、一気に読んでしまった。
まず第一に重要なエピソードは、おりょうのヌードシーンである。これは、あまりにも有名なので、説明も要らないだろうが、一応すれば、
京都、伏見の船宿「寺田屋」で、深夜も3時過ぎ、おりょうは風呂に入ったのだが、湯殿の窓が開いているのに気がついて、閉めようと窓に近づくと、窓の外では、幕府の捕吏が寺田屋を目一杯取り囲んでいたのである。二階では、竜馬と長州藩士の三吉慎蔵が酒を飲んでくつろいでいた。捕殺者は100人だという。
おりょうは素っ裸で二階へ駆け上がり、竜馬たちに危険を知らせたのだった。このとき竜馬はピストルを持っていたが、結局、大怪我をしてしまった。
第二の重要なエピソードは、芸妓、お元のことである。第一のエピソードより前の話しになるが、長崎で、… すでに亀山社中を創業している … 薩摩藩士に連れられて、日本三大遊里のひとつ、丸山に行ったときのことである。丸山随一の花楼、引田屋で(現在は「花月」というらしい)、お元に出会ったのだが、竜馬はそのお元に惚れられてしまったのである。雨の降るなか、花楼の庭で、なんと、お元にキスをせがまれてしまったのだ。(う~む、うらやましい。)キスのことを「うまくち」といったらしい。NHKの「龍馬伝」では、お元を蒼井優がやっていたが、蒼井優をイメージすると、たまらないものがある。
第三の重要なエピソードは、竜馬の仲介で、薩長連合が成立したことである。
[世界遺産] '11.6.29
6月になって、ユネスコの世界遺産に、小笠原諸島と平泉が登録された、というニュースが流れた。「快挙」ということで、関係者の喜んでいる姿がテレビで映し出されていた。
ぼくには、どーも よく解らないところがある。
世界遺産とは、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」のことである。つまり、保護が目的の条約だ。つまり、「遺産のある場所が、より観光地化して、現地が経済的に潤う」というのが目的ではないのである。
保護が目的だったら、遺産のある場所は、関係者以外の立ち入りを禁じて、しかも、世界にその存在を知らせない方がよいのではないか、と思うのである? … つまり、秘境にしておいた方がよいのではないかと、
たしか、熊野古道が、世界遺産になってから荒廃してしまったと聞いたことがある。
それ以上に、たとえば、国内紛争をしている国などでは、貴重な遺産があったとしても、世界遺産への登録運動など起こるはずがない。… そんな暇はない。… 本来、そういう国こそ、国連軍など出してでも、強制的に登録してしまっほうがよいのではないか、と思うのである。
[家電量販店とうちわ] '11.6.28
電池を切らしたので、家電量販店に買いに行って来た。そしたら、おまけに うちわ をくれた。うちわといっても、取っ手までボール紙でできていて、宣伝が書かれている粗末なものだ。しかし、電気店で人力で動かすものを配るとは、なかなか面白い。
[6月の最高気温] '11.6.24
今日は暑かった。夕方のニュースだと、6月の最高気温を各地で更新したらしい。熊谷市で39.8度を観測した。鳩山町、寄居町、また、高崎市、館林市など5地点で39度以上になったという。
下の写真は、ぼくの家の二階の部屋で、一昨日の夕方撮ったものである。西日があたり、ほぼ35度を示している。この日はじめてエアコンを使ってしまった。やむを得ず。
まったく、ここ数日、梅雨だというのに、異常に暑かったので、ぼくの顔にニキビが出来てしまった。薬局へ行って、眞鍋かをりが宣伝しているプロアクティブか、クレアラシルを買ってこようかと思っている。… ぼくはおじさんなので、ニキビではないかもしれない。
[スズメ] '11.6.22
畑で仕事をしているときのことである。
農業用資材にスチールパイプがある。それを束ねて、まとめて置いてあったのだが、 よく見ると、そこにスズメが羽を広げて、動かずに、張り付くようにしていたのだ。どーしたのか?と、近寄って観察してみると、束ねたパイプの隙間に片足を挟んでいて、取れなくなってしまっていたのである。
いつからそーなっていたのか分からない。小動物は、ショックがあるとすぐに死んでしまう。すでに死んでいるかもしれないと思ったが、まだ生きていた。動かなかったが、目が生きていたのである。
スズメの体を手で包んで暴れないようにしてから、ゆっくりパイプを広げて足を抜いてやった。スズメの足は、もものあたりがだいぶ赤く腫れていたが、無事抜いてやることができた。そのときである。スズメが急に勢いよく動いたので、あっという間に逃げられてしまった。
残念! 携帯のカメラで撮影したかったのだが、
最近、ラジオ番組か何かで、「スズメが激減している」 というのをやっていた。
そういえば、ぼくの家の周囲にも、かつて、うるさいほどいたのだが、あまり見なくなったかもしれない。
しかし気が付くと、今年はぼくの家に、ひとつのツガイが子育てをしているのを確認できたのである。ぼくの家は瓦屋根である。
[耳毛] '11.6.17
ぼくの仕事には接客が無いので、「身だしなみ」にはあまり注意をはらっていない。
先日、4ヶ月ぶりにヘアサロンへ行って髪をカットしてきた。ぼくの耳は髪に隠れていたのだが、耳全体が出るまで短くカットした。だから、ヘアサロンの床に、切った髪がみるみるたまっていたのだ。
ヘアサロンへ行った翌日は、ママさんバレーのチームの練習日で、手伝いに行くことにしていた。出かける少し前、たまたま鏡を見ると、久しぶりに露出した耳から、一本だけ、ひどく徒長した耳毛が出ていたのである。
『ギネスに認定された世界最長の耳毛を持つ男』というのがインドにいるが、ぼくは競いたいとは思わない。
発見できてよかった。それは、鼻毛が出ているのと同様に恥ずかしいことに思えるのである。先ほど、『身だしなみにはあまり注意をはらっていない』と書いたが、最低限のことには注意をはらいたいのだ。
実は、長髪のときも耳毛は丁寧に取り除いていたのだが、髪に紛れて残っていた。… 結局、老化である。
[AKB48総選挙] '11.6.10
ぼくはミドルエイジ。平たく言えばおじさんである。にもかかわらず、テレビやネットを視聴ているので、若年層の音楽情報やタレント情報が入ってきてしまう。たとえば AKB48 である。
AKB48に別段、興味があるわけではないが、
あれだけメディアで露出されると、否が応にもAKBをみてしまう。最近、メンバーの名前まで覚えてきてしまった。
前田敦子は「竜馬伝」で春猪役をやっていたし、 昨年だったろうか?板野友美はイトーヨーカドーの宣伝に出ていて、茶色い水着をつけて、その上に着ていたTシャツを軽くジャンプしながら脱ぐシーンがあったが、あれは若干印象に残っている。というか、CMの演出家に興味を持った。
昨夜遅くテレビをつけると、AKB48の第3回総選挙が武道館であったと、やっていた。前田敦子が1位だったようだ。… ぼくは投票していないが、センターポジションは前田敦子が一番よいと思っていたので、少しうれしかったのである。 ともちんは、センターから少し離れた位置の方が似合っているように思うが、神7から落ちてしまったのは残念だし、可哀想に思ったのだ。
[反対側の登場人物] '11.5.31
「竜馬がゆく」を読んでいると、つい、薩長土の倒幕の志士たちを応援してしまうが、考えてみれば、ぼくは関東の人間だし、むしろ、徳川幕府の側で京都を警護していた会津藩や新撰組を応援すべきなのかも知れない。
むかし、しかも再放送だったが、シリーズものの「燃えよ剣」をテレビで視たことがあった。 よかった! 栗塚旭 扮する新撰組副長土方歳三がかっこよかったのである。たしか、大政奉還ののち、新政府軍に追われ、蝦夷地、函館の五稜郭に行ったところまで描いていた。この原作も司馬遼太郎である。
3月11日の地震の発生以来、余震が多発したが、その余震の震源地に福島県「浜通り」というのがしょっちゅうテレビの速報に出てきた。だから覚えてしまった。福島県は3つの地域に分かれているそうだ。太平洋側が浜通り。東北新幹線や東北自動車道が通っている中央部が「中通り」。それから一番西の、山々に囲まれた盆地が「会津」。
松平容保。 さて、ファーストネームの「容保」、何と読むか分かるだろうか? 「かたもり」と読む。会津藩9代目藩主。京都守護職の任に就いた。幕府軍の中心の藩の殿様である。薩長土にとっては強敵である。
大政奉還のあと戦争になるが、容保と会津藩は新政府軍に圧されて会津まで退却することになる。そして会津若松城での篭城。そのとき白虎隊などのエピソードが出てくる。
土方歳三、松平容保、それから白虎隊など、やはり、こちらも歴史上の気高い人たちと言ってよいだろう。
[血圧と徳川幕府3] '11.5.24
安倍→福田→麻生→鳩山→菅
家斉→家慶→家定→家茂→慶喜
もちろん上段は最近の総理大臣の順番である。下段は、徳川家将軍の最後の方の順番である。… ふと、意味なく並べたくなった。
現在の国政、つまり、国会や政府のやっていることをみると、なぜか、終焉まじかの幕府と同じに思えてきたのである。… 「竜馬がゆく」にだいぶかぶれている。
日本の全ての政党が、いつしか、知らず知らず、代謝することなく老化してしまっているように思えてきた。
ぼくが今、政治に求めているのは、徳川幕府を倒した、薩長土の下級武士のような、命を賭してでも出口を見つけようとする、沸々としたマグマのようなエネルギーと新しい民主的統治のイメージである。
[血圧と徳川幕府2] '11.5.23
「竜馬がゆく」だが、ようやく5巻目が読み終わった。以前、全巻読み終わるのには半年はかかりそうだ。と書いたが、それ以上かかりそうである。ひと月1冊のペースである。8巻あるから、8ヶ月だろう。
「5巻」には「蛤御門の変」のことが書いてあった。京都での長州藩の叛乱である。結果は、失敗に終わった。
失敗に終わらせたのが幕府軍なのだが、その中心である会津藩の働きの他に、明らかに佐幕派(=徳川家命)ではない薩摩藩が幕府に手を貸さなかったら、どーなっていたか分からないところがあった。
その前年、朝議によって、長州の藩主が国許へ謹慎を命じられていたのだが、「藩主の冤罪を帝に訴える」これが叛乱の目的だった。結局失敗に終わり、ふたたび京都を追われて国へ逃げ帰ることになった。間もなく、幕府は「長州征伐」を決定した。
ところが、将軍はじめ幕閣に、長州征伐の指揮を執る人間がいなかったというのである。桜田門外の変で殺害された井伊直弼あたりが、最後の実力者だったらしい。まあ、それでも結果は長州藩が降参したのだが、
つまり、結果はともあれ、幕府の屋台骨が磐石ならば、藩の叛乱などありえないのである。この時期、幕府そっちのけで、実力のある藩や志士は帝に近づきたがっていた。だから、舞台が京都だった。
[血圧と徳川幕府1] '11.5.22
家族が体調を崩したのをきっかけに、我が家に無かった血圧計を購入することにした。
その血圧計は、玄関のすぐ脇に小さな土間の部屋があるのだが、その部屋のテーブルの上に置くことにした。
家族もだが、ぼくも自分の血圧を測ってみることにした。これまで家に血圧計が無かったので、計測したことがなかったのである。
朝、寝起きで車を運転し、それから土間の部屋に入ったときに測ってみたのだが、すると、上145-下96 だった。その数値の意味が解らなかったので、ネットで調べてみると、なんと、高血圧症の範囲だったのである。1時間ぐらい経っただろうか、2回目を測ってみると、やはり同じような数値だった。… まずいことになっている!と思った。
人間、長く生きていると、血管が硬くなったり、血管内部に脂肪が付着して、血液の通り道が狭くなったりする。すると、どーしても血圧が上昇してしまうのだそうだ。つまり、ぼくも歳を取ったということである。昔は低かったのだ。
後日、同じ時間帯ではないが、血圧を測ってみると、139-89 133-85 こんな数値も出てきた。少し安心したのである。145-96 の数値が、身体安定時の血圧ではなく、たまたま高いときのだった。であることを祈るばかりだ。
上記はつまり、人間の細胞組織の老化のことを書いたわけだが、人間どうしがつくる組織にも老化はありそうである。ぼくがいま読んでいる「竜馬がゆく」では、そこに出てくる徳川幕府は、考えてみれば260年あまりも、よく持ったものである。長く続くと、どーしても硬直化が進むのである。
次回へつづく。
[五百旗頭] '11.5.19
五百旗頭 ?
君は上の漢字を読めるだろうか? 人の名前、苗字である。復興構想会議議長だそうだ。
ともかく、こんな時勢では、ほかにも、斑目だとか、小佐古だとか、普段聞きなれない苗字がマスコミに登場してくる。
[麦花粉症] '11.5.10
上の写真は、花をつけている麦(ライムギ)の写真である。このあと実が熟してくると、黄金(こがね)色になってきて、「麦秋」と呼ばれる収穫期を迎える。ご存知のように、麦は初夏に収穫する。
麦に関して、ぼくには大きな問題があった。スギ花粉は大丈夫なのだが、麦の花粉に対してひどいアレルギー症状を起こしてしまうのである。
麦花粉は、どーやら、スギ花粉のように広範囲に飛散するのではなくて、その範囲は狭いらしい。それに、ぼくの住んでいるところは、麦の穀倉地帯でない。そこは幸運の部分である。
正確にいうと、ぼくが反応してしまうのは、ライ麦に対してである。小麦や大麦でも症状が出てしまうかは、まだ試していない。
ひとつ心配なことがある。花粉症の人が、その植物由来の食品を経口摂取した場合、やはりアレルギー症状が出てしまうのだろうか?ということである。
つまり、麦花粉症の人が、パンやビールを食べたり飲んだりして大丈夫だろうか、ということだが、
ぼくなどは、生中( = 生ビールの中ジョッキ)を4~5杯飲むと、その翌日に、お腹(おなか)をこわすことがしょっちゅうあるのだが、上記のアレルギーが関係しているのかもしれない。
君は知っているだろうか? 麦は、イネ科植物である。小麦ならイネ科コムギ属になる。だから、麦の花粉症がある場合は、「イネ科花粉症」と呼ぶのが正しいだろう。