sumi-Cノート <excerpt> 「維新」の「維」の意味がわからなかった。 そこで調べてみた。 … 続き
(29)今週の出来事 2012年 1月~4月
[アバター4] '12.4.27
[ライ麦] '12.4.22
[カヴァレリア・ルスティカーナ] '12.4.19
[Jまのポッチ] '12.4.11
[最近の日本経済] '12.4.5
[ジェームズ・キャメロン監督] '12.3.31
[アバター3] '12.3.29
[アバター2] '12.3.24
[アバター1] '12.3.22
[ねりからし] '12.3.14
[花粉] '12.3.9
[畑から湯気が、] '12.3.6
[風は吹いている] '12.3.1
[真冬の空腹感2] '12.2.24
[真冬の空腹感] '12.2.20
[桐谷美玲] '12.2.14
[忽那汐里] '12.2.12
[絶対領域2 - ヒッグス粒子] '12.2.6
[絶対領域] '12.2.2
[寒中ゴルフ] '12.1.25
[AKB劇場] '12.1.15
[ Judas ] '12.1.9
[維新の「維」の意味] '12.1.6
[久米水天宮初大祭] '12.1.5
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[アバター4] '12.4.27
「アバター」についての最後の考察だ。最後は、ストーリーの良かった点について書くことにする。
「さり気なさ」が気に入ってしまった。
ぼくは、特にSF映画では、二つの要素がストーリーに書き込まれていると、感動してしまうのだ。 「アバター」では、それがさり気なく描かれていて、良かったのである。
二つの要素とは、そのひとつは『英雄伝説』である。とりわけ西洋人は英雄伝説が好きなようである。エクスカリバーを帯刀するアーサー王。このあたりもひとつのルーツだろう。しかし、英雄はなかなか出現しない。ナポレオンも英雄になろうとしたが、うまくいかなかった。
いま西洋人と書いたが、東洋人のぼくも英雄伝説は好きである。本物の英雄を見てみたい。その欲求は、せめて、フィクションでいいから見てみたい。に、なるのかも知れない。
もうひとつは、『予言の成就』である。「風の谷のナウシカ」のラストシーンに感動しない者はいないだろう。盲目の大ババ様が、『おお!古きいい伝えは まことであった』と叫ぶのだが、これは、予言の成就のセリフである。
正確には、「風の谷のナウシカ」には、英雄伝説と予言の成就、両方の要素が入っている。
ぼくの、最も好きなSF映画かもしれないが、「デューン/砂の惑星」というのがある。デヴィッド・リンチ監督、カイル・マクラクラン主演である。この作品は、英雄伝説と予言の成就を「これでもか!」というぐらいに描いている。またそれがいいのだ。 かたや「アバター」は、それをさりげなく描いていて、好感が持るのである。
[ライ麦] '12.4.22
丈のある草の中にトラクターが置いてある。草と書いたが、麦。 ライ麦である。
写真でわかると思うが、麦から実を収穫するのではない。穂が出る前に畑のなかにすき込んでしまうのだ。… 麦には可哀想である。つまり、実をつける前に、生命活動を奪ってしまうのだから、
すき込む植物は、麦だけでなく色々あるが、それらを畑にすき込むと、有機物が入るので土が良くなる。いわゆる緑肥だ。
それだけではない。冬から春にかけてひどく乾燥する。そのとき猛烈な季節風が吹いたりすると、畑の表土が少なからず飛ばされてしまう。ぼくの住んでいるところは都会なのだが、巻き上がった土ぼこりで、辺りが真っ赤になることがよくあるのだ。
ライ麦は秋に蒔く。生育途中の麦が冬の北風、春の南風から土を守ってくれる。
今回写真をUPしたのは、上記のことを説明するためではない。実は、麦をすき込むときの、草の匂いを伝えたかったのである。… 無理な話だが、
トラクターに装着してある耕運用の刃で、麦をなぎ倒し、切断しながらすき込んでいくのだが、そのときの『草の匂い』が、なんとも、いい匂いなのである。それを、みんなに伝えたいと思ったのである。
まだ麦を知らなかった初期の人類が、この匂いを嗅いだならば、絶対、食用にできる植物だと確信したに違いない。そのような、安心のできるよい匂いなのである。
余談だが、ライ麦をすき込むのは、この時期しかない。早いうちでは、植物体がまだ小さいので、すき込む量が少なくなってしまうし、また、この次期を過ぎると、もっと問題が出てくる。… ゴールデンウイークあたりから穂が出始めるのだが、5月になってしまうと、栄養成長から生殖成長に変わり、麦の、いわゆるストローの部分が硬くなってしまって、トラクターの耕運用の刃では茎を切断することができなくなってしまうのである。刃の軸に茎が絡まってしまい、すき込めなくなってしまうのだ。「麦秋」にでもなると、もう、我が家にはない、別の作業機械を用意するようになってしまう。
[カヴァレリア・ルスティカーナ] '12.4.19
好きな曲や気になる曲があるのだが、ところが、その曲が何という題名の曲か分からない。調べようにも、その術(すべ)がない。 誰でも、そのような経験はあるだろう。もちろん、ぼくにもある。
最近知ったのだが、iphone のアプリに 「midomi」というのがあるらしい。midomi を起動して、iphone に向かって鼻歌でも歌えば、それがなんという曲であるのか推測してくれるというのである。
ぼくが気になっていて、題名の分からない曲は、クラシックである。残念ながら、鼻歌は歌いづらい。と言う前に、ぼくは iphone を持っていないし、友達で、iphone を持っていて「midomi」をインストールしているやつは、まずいないだろう。
先日のことだが、もしかしたら「卒業式 入学式 BGM」、この辺で検索したら出てこないだろうか?と、パソコンに向かって、ネットで調べたのだった。
(めっかった!)
長年、分からなかったその曲は、『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』だった。
見つかったうれしさのあまり、毎夜 you tube で聴いている。ノートパソコンのスピーカーからだから、音質はひどいものだが、
… UPされている中では、やはり、マゼールのオーケストラがいい。
[Jまのポッチ] '12.4.11
パソコンのキーボードの、「Jま」のキーのことだが、それにいているポッチ(突起)が擦り減ってしまった。
正確にいうと、はじめからそのポッチは頼りない大きさのものだったのだが、ともかく、右手人差し指を置いても、そのポッチを感じることが出来なくなってしまったのである。
「Jま」のキーのポッチが無いと、ひどく不便である。右手人差し指の置き場所がわからないので、指が迷走してしまう。考えていることを即座にパソコンへ打ち込むことが出来なくなってしまうのだ。
ずいぶん前から、「Jま」のキーをメーカーへ注文しようと考えていた。 注文?といっても、メーカーは、キーを単品で売ってくれるのだろうか? それに、キーボードのキーって、簡単にパソコンから引っこ抜いたり出来るのだろうか? 考えているうちに面倒になってしまって、メーカーへの問い合わせも、先のばしにしてしまった。
その、先のばしにしているある日のこと、別のよいアイディアが浮かんで来たのだった。
少し厚手の、しかも粘着力の強いテープを貼れば、ポッチの代わりになるのではないかと。… 探してみると、思い通りのものが運よく家に置いてあった。「製本テープ」といって、ハードカバーなどの本の傷んだのを直せるやつである。セロテープより2~3倍厚みがあって、しかも粘着力が強い。
テープのなかには、高温になると、接着剤が溶け出して、指がベトベトするのがありそうだが、このテープはそれもなさそうである。
「Fは」のポッチの方は、まだ
突起を感じることが出来る。
すばらしい! 完璧に、純正のポッチの役目をしてくれた。 当分、メーカーへ注文をしなくても済みそうである。
これで、考えていることを即座にパソコンへ打ち込むことが出来る。… そうなると、これから書くぼくの文章は、より調子が出てきて、哲学的であり、詩的であり、音楽的であり、研究者的であり、官能的であり、独創的なものになるかも知れない!
[最近の日本経済] '12.4.5
最近の日本経済のことを、備忘録的に書いておこう。
3月14日、日経平均株価が昨年の7月27日以来、1万円台になったとニュースでやっていた。同時に、為替も1ドル80円台と円安になったと、
これは、EUとIMFがギリシャに対して、追加融資を決めたことで、同国のデフォルトの危機が回避されたことや、日本の、日銀と白川総裁が、インフレ目標を導入して、追加金融緩和10兆円と、大胆な増額を決定したことなどによる。もちろん、米国の景気が良くなったこともあるだろう。 (ちなみに現在の首相=野田佳彦氏、米国大統領=バラク・オバマ氏、FRB議長=ベン・バーナンキ氏)
このまま1万円を切ることなく推移するに違いない!と書いている4月5日だが、しかし、すでに、株価は9千円台に戻ってしまっていた。ああ、あっけない。これから先、1万円以上が基調になるだろうと期待していたのだが、… 農業も、やはり、景気が良くなると、収入も上がるのである。
もうひとつ、ガソリン価格のことを書いておこう。先日、軽トラックにガソリンを入れに行ったのだが、レギュラーで、なんと、リッター156円もしていた。30リットル入れたので、4,680円も支払ってしまった。まるでハイオクガソリンである。
ガソリン価格の高騰は、イラン情勢の悪化が原因である。欧米は、イランの核開発疑惑に対して制裁措置を講じようとしている。イラン産石油の禁輸である。日本は削減措置をとる。
イランは、おそらく、疑惑でなく核開発をしているので、米国やイスラエルは、空爆をしかねない。すると、イランは、ホルムズ海峡に機雷をばら撒くなどして、封鎖を謀るかも知れない。
[ジェームズ・キャメロン監督] '12.3.31
アバターのことを書いている間に、ジェームズ・キャメロン氏のニュースが入ってきた。彼が、世界で最も深いマリアナ海溝チャレンジャー海淵へ、一人乗りの潜水艇で潜って、戻ってきたというのである。水深1万898メートルだそうだ。時差があるので日付は曖昧だが、3月25or26日のことだそうである。深海魚に演技指導をしてきたのだろう。
[アバター3] '12.3.29
ジェームズ・キャメロン。名前は知っていたのだが、どんな作品をつくっているのか、まったく知らなかった。しかし、今回は記憶に残りそうである。 キャメロン氏が「アバター」の監督、脚本をやったというのである。原作者であるのかも知れない。
アバター。 よかった。 よかった、というのは、見せ方(映像)とストーリー両方よかったということである。
「見せ方」については、特にCGがよかった。 ぼくは、CG映画に「諦め感」を持っているのである。
たとえば、クリーチャーが出てくるような作品で、 … クリーチャーを登場させるような作品はB級映画なのだろうが、 … クライマックスになって、ものすごく凶暴なクリーチャーが出現するのだが、それが、稚拙なCGで出来ていたりすると、案の定、迫力がなく、ちっとも面白くないのである。
クライマックスにいくまでを実写で描いているので、CGがその実写の強さに負けてしまうのである。 あるいは、視聴者の目は、CGであることを容易に見破ってしまう。 そして、『ああ、見るんじゃなかった』と後悔するのである。それが「諦め感」になっている。
「アバター」は、ぼくの、その「諦め感」を払拭してくれた。適切にCGで統一されているので、違和感を感じることがない。つまり、実写の映画のように、迫力のグラフの曲線とクライマックスのグラフの曲線が同じ山になることに成功している。
また、人間(実写)も登場するのだが、コマ割のバランスがちょうどいい。
思い返せば、手塚治虫氏が「バンパイヤ」というマンガを描いた。それをテレビ番組化したのだが(1968年~)、それは、実写とアニメとを合体させたものだった。アニメでありCGではないのだが、初期の特撮といっていい。主演は水谷豊だった。
この作品は、シナリオの質と視聴者の想像力によって、かなり面白くなったのだが、相当、不自然さのあるものだった。バンパイヤの部分のみアニメだったので、それを実写の中へはめ込んでいるので、おのずと無理が生じていた。
その初期の特殊撮影の製作者の挑戦が、スターウォーズあたりから実を結びはじめて、ジュラシックパークとかアバターへ至った。そんな感じに、ぼくには思えるのである。
CGで出来た背景については、視聴者が見破れなくなってきている、といっていいかも知れない。「タイタニック」や、けっこう「三丁目の夕日」などにも使われているだろう。
[アバター2] '12.3.24
前回、[アバター1]で、アバターの例として、パーマンのコピーロボットを取り上げたのだが、若干、あとになって違和感を感じはじめてしまった。
思い出したのだが、たしか、パーマンのコピーロボットは、ロボット自体、自律した意思を持っていた。つまり、コピーロボットは、変身した人物をそれらしく演技している、ということなのである。それだと、だいぶんニュアンスが違ってくる。
アバターとは、本人と離れていても、その躯体の中身は本人そのものでなくてはならない。意識がシンクロしていなくてはならないのである。そーいう意味では、正しい例とは言えなかった。
[アバター1] '12.3.22
先日、テレビで、ジェームズ・キャメロン監督による「アバター」をみた。その感想を書こうと思うのだが、その前に、
アバターというと、「痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)」の「あばた」を思い浮かべてしまうのは、ぼくだけだろうか?
ネット空間でコミュニケーションをしている人や、コンピューターでゲームをしている人には、すでに馴染みだろうが、「アバター」、目新しい言葉である。
さて、アバターとは?
ちゃんと辞書で意味を調べれば、avatar = [インド神話]権化、化身とある。ネットで使われているアバターの意味は、簡単にいえば、自分の身代わり、分身みたいな意味である。
わかりやすい例をあげれば、パーマンである。パーマン1号や3号は、事件が起こると、胸にバッヂをつけ、マスクをかぶり、マントを羽織って、現場まで飛んでいく。しかし、まだ子供なので、無断で家を出ていくわけにはいかない。その問題を解決するために、部屋にコピーロボットが置いてある。そのロボットは、黒い鼻を押すと、押した者そっくりに変身する。そしてロボットは本人に成りすますのである。つまり、分身だ。 今でいえば、そのコピーロボットはアバターということになる。
[ねりからし] '12.3.14
ひとときほどのひどい空腹感はなくなったものの、夕方になると、やはり腹が減ってくる。
仕事を終えて台所へ行くと、食卓の上に食パンが置いてあった。
冷蔵庫を開けると、メーカーによって薄くスライスされ包装されたロースハムが買ってあった。
食パンを2枚トーストして、ハムはやっかいなので焼いたりせずにそのまま使って、ハムサンドをつくることにした。
あと用意するものは、バターとマヨネーズと、ねりからしである。
ハムサンドは完成目前だったのだが、重大な問題が発生してしまったのだ!
ねりからしが残り少なかったのである。ねりからしは、チューブに入っているやつだが、ほぼ絞りきってしまっていた。
ぼくは、どんなに質素な食材を使った料理であっても、その味のバランスは完璧でなくてはならないと思っている。調味料などは特にそうである。
ああ、なぜ、新しいねりからしを補充しておかなかったのか? 危機管理のあまさを露呈してしまったのだ!
この状況を、どう乗り越えたらよいのだろうか?
急いで、山を越え谷を渡り、… コンビニまで『ハウス[無着色]ねりからし<きれのある辛さ>』を買いに行ってくるか? いや、それでは、せっかく焼いた食パンが冷めてしまう!
しかたなく、その絞りきったチューブをもう一度、徹底的に絞りきることにしたのである。 それはあたかも、チューブ入りの商品を、麺棒などを用いて、最後の最後まで使おうとする、ドモホルンリンクルのCMのようにだった。
[花粉] '12.3.9
3月8日。自宅の庭に愛車レガシィーが出してある。紺色の車なのだが、よく見ると、だいぶ埃が積もっている。春めいた薄い日差しの中で、埃がやけに目立つのだ。 … 埃? … ちがう … ほこりではないようだ。よく見ると、車のボディーに積もっているのは、薄緑色の粒子だった。 花粉だ! それを見ていたら、花粉症でないぼくでも、何だか鼻がムズムズしてきた。
[風は吹いている] '12.3.1
1月の[出来事]で、AKB48のことを書いたが、今回も少し書くことにする。
2011年10月にリリースされた「風は吹いている」だが、この曲は、ぼくの好みの作品だった。曲的には特別な新鮮さは感じなかったが、しかし、少女たちの合唱と相まって、聞く耳に心地よかったのである。それ以上によかったのは、PV(プロモーション・ビデオ)での振り付けの衣装だった。
アクアマリンを薄くしたような色の、ワンピースのドレス。それに黒のストッキング。アップにした髪と、黒いメッシュのリボンの髪飾り。舞台で施すようなアイメイク。
この衣装、誰が考案し、つくったのだろうか? スタッフの合議で決めたのだろか? それとも、特定の誰かがアイディアを出したのだろうか? はじめてこのPVをみたとき、その衣装について、気に入ったというよりも、ショックを受けたのだった。
まるで、女子大生や女子高生のダンス部が、コンサートホールのステージで、発表会をするときのような衣装だった。 … 美しいが、ある意味地味である。特に、黒のストッキングなどは、アイドルグループが履いているのを、かつて見たことがない。
この衣装を、もし、無名なアイドルグループが用いたのなら、きっと、垢抜けのしないイメージになってしまったのに違いない。
新人女性歌手グループなどを売り出す際に、その衣装において、「絶対領域」などを駆使して、できるだけ露出度を多くしていく。そのような安易な手法は、すでにめずらしくないので、ちっとも面白くない。本当の勇気ある企画とは、「風は吹いている」のPVで用いた衣装のようなものを、大胆に提示していくことだと思うのである。あまり派手には出来ない、「震災復興応援ソング」という制約があったとしてもだ。
PV=MVの監督は黒田秀樹氏だそうだ。振り付けは、おそらく牧野アンナ氏。
[真冬の空腹感2] '12.2.24
以下の書き込みは、人に読んでもらうのを目的としていない。今年の冬の寒さのことを少し、メモっておきたかったのだ。
今週あたりから、ようやく春を感じるようになってきた。だから、これから書くことは、タイムリーな話題ではない。でも、一応書いておくことにする。
今年の冬は寒かった! 夕方の畑での作業など、北風が吹き、地面が凍結し始めると、いつも羽織っている防寒着では、寒さを防ぎきれず、たまらなく寒かった。
しかし、今年の為だけに、新しい防寒着を購入しようとは、まったく思わなかった。体が、きっと慣れてくれるだろうと考えたのである。貧乏なのでつい、妙なところで楽観的になってしまうのだ。
足元は、… しかし、地下足袋(じかたび)では、足の指に霜焼けが出来てしまった。しかたなく、長ぐつを履くことにしたのである。今年初めてのことだった。… もちろん、霜解けでぬかるんでいるときなどは、毎年長靴を履くが、上記は、乾いた土の上での話だ。
自分の部屋の温度のことだが、特に夜の温度は、ファンヒーターに付いている温度調節で20度にした。すると、部屋の温度は20度にはならず、17~19度あたりである。やはり、かなりの寒さだった。
快適な温度を得られるファンヒーターの設定温度は、ぼくにとっては、21度だった。その温度に上げたかったのだが、灯油の消費のことなどを考えると、なかなか勇気が出なかったのである。 … つまり、たった1度の差のために、苛烈な精神的攻防をしていたのである。
自分の部屋で、どーしても寒さに耐えられないときは、靴下を履いた。例年だと、靴下を履くのは、数日なのだが、今年は、けっこうな日数にのぼった。
夜、就寝時はストーブを消すが、寝るときの布団の話だ。冬用の掛け布団に毛布2枚で就寝する。これは、例年通りの仕様である。それだと、今年はひどく寒かった!
シーツと毛布の間から、いや応なしに冷気が忍び込んできた。例年には無いことである。
布団の中で、寒くない体勢を求めて、寝付くまでに、何ども寝返りを打つことになった。部屋の温度が4~5度を下回ると、そのようになるのである。室内でも、吐く息は白い。 日の出ごろの部屋の温度は、1~2度近くになっていたに違いない。
何回も寝返りを打ったせいだろうか? 首を寝違えてしまった。何日も首が痛かった。
だからといって、もう一枚、毛布を増やそうとは考えなかった。汗を掻く温度になると、逆に、寝付けなくなるからである。
つまり、このように寒さに耐えたので、体温調節のためにエネルギーを使い、体重が増えなかったのである。
[真冬の空腹感] '12.2.20
2月のことだ。風呂に入る前、脱衣所にある体重計に乗った。体重が気になったのである。 … 69kgだった。
むしろ、冬場の体重としては軽い方だった。 よかった。
なぜ、体重が気になったかというと、食欲である。今年に入ってからというもの、腹が減って仕方がないのである。昼前、夕方、就寝前と、ひどい空腹感に襲われるのだ。結局、食事のときには、ご飯をおかわりして余計に食べてしまうのである。
もしかすると、今年の例年にない寒さが原因かもしれない。
どーやら、体は、寒さに耐えるために、想像以上のエネルギーを使っているのである。つまり、脂肪を燃やしている。
[桐谷美玲] '12.2.14
桐谷美玲さんの演技での表情が面白いので、それに似せて描いてみようとしたのだが、パソコンのお絵かきセットでは、なかなか難しい。うまく表現できなかったのだが、UPしておく。
[忽那汐里] '12.2.12
テレビドラマで「家政婦のミタ」というのをやっていた。ぼくがみたのは2時間枠のスペシャル番組だったようである。
阿須田結役をやっていた若い女優さんがいた。名前を「忽那汐里」という。この、スタイルがよくて可愛らしい女優さんは、また、ポッキーのCMにも出ていた。赤いワンピースを着て躍動していたやつである。
とくべつ忽那汐里のファンというわけではないが、なぜ「出来事」に取り上げたかというと、ぼくが「忽那」という苗字が読めなかったからである。
君は読めるだろうか? 「コツ」とは読めるのだが、「コツナ」ではないだろう。人名はむずかしいのである。… あえて回答はしないでおく。
[絶対領域2 - ヒッグス粒子] '12.2.6
ボーカル・アンドロイド=VOCALOID(ボーカロイド)の「初音ミク」は、そのコスチュームにおいて、いかんなく絶対領域を使用している。サンプルとして、ここで描いてみたいのだが、著作権の問題などありそうなので、それはよす。
「絶対領域」おもしろい表現だが、それにぼくの連想がはたらいて「究極の領域」などという語句が頭に浮かんできた。究極の領域といえば、… そう、「素粒子」のことである。
昨年の暮れあたりだったろうか? 『ヒッグス粒子』が見つかりそうだ。というニュースが流れた。君は知っていただろうか? 『ヒッグス粒子』。
ぼくは初めて聞く言葉だった。なにやら「神の粒子」だそうである。
ぼくの知っている素粒子物理の知識といえば、湯川秀樹、朝永(ともなが)振一郎、南部陽一郎氏あたりの時代のものである。現在のそれが、どんなになっているのか、さっぱり解らないのだ。
たしかに、昔の物理学者も「重力子」の存在は予言していた。おそらくそのことだと思うのだが、… ともかく、ヒッグス粒子が見つかれば、つまり、その存在が確認されれば、大変なことになるのである。 今年の夏、あるいは今年の終わりには答えが出るだろうという話である。
[絶対領域] '12.2.2
昨年暮れに、ファッションモデルであり女優でもある桐谷美玲の全身のイラストを描(か)いてみたのである。写真から写し取ったものだが、
桐谷美玲のファッションセンスが、ことのほかすぐれているので、それをイラストに描くのは、つまり、それを上まわって描くのは困難であるとコメントしたのだった。
たとえば、彼女は、ヒザが隠れてしまうロングブーツを履いていて、そして、ショートパンツをはいている。つまり、ブーツとショートパンツの間から露出する太ももの部分が、一番肝心なところなのだが、そこのバランスが絶妙で、イラストに描くのは難しかったということである。
上記のことに関連して、… 最近入った情報だが、…
桐谷美玲の場合はブーツにショートパンツだったが、ニーソ(*) とスカートによって露出する太ももの部分のことを、オタクの世界では、『絶対領域』というそうである。
『絶対領域』 これは憶えておこう! すでにオタクも市民権を得ている時勢なので、会社の会議や、学校の授業に出てくるかもしれない。
(*) 解説しよう。 ニーソとは? ニーソックスのこと。正確には、オーバーニー(レングス)ソックスかも知れない。あるいは、太ももまで届くソックスなので、サイハイソックス(thigh-high=ツイハイ?)が正しいのかもしれない。
[寒中ゴルフ] '12.1.25
24日にゴルフがあった。いわば寒中ゴルフである。この時期は格安にプレーすることができるので、好んでゴルフの計画を立ててしまう。
ところが、23日の夜に雪が降り出して、しかも、けっこう積もってしまった。 残念ながら中止になった。
ゴルフ場はプレーが可能だったそうである。しかし、我々プレーヤーのほうの問題で、車でゴルフ場へ行けそうになかったのである。幹事がキャンセルしたかっこうだった。
だから、24日は朝からポカンと時間が空いてしまった。 そこで、写真など撮ってみたのだ。
枝に雪をくっつけているケヤキが、
まるで桜を咲かせたみたいになっていた。
[AKB劇場] '12.1.15
先日、テレビで「中井正広のキンスマ」という番組があった。その番組では、AKB48の発足当時の苦労話をやっていた。AKB48がパフォーマンスをするAKB劇場が、秋葉原のドン・キホーテ8階にあるのは周知のことだが、2005年12月8日に柿落とし(こけらおとし)をし、オープンしたそうである。
たまたまその放送をテレビでみていたのだが、ぼくは、ふと、『ケイスケとフユミとぼくとで、秋葉原のメイド喫茶に行ったのはいつだっけ?』と思ったのだった。自分の作ったホームページに書いてあるので、さっそく調べてみた。すると、2006年1月8日のことだった。
その日我々は、まずはドン・キホーテ5階にある @home cafe というメイド喫茶に行ってみたのである。しかし、店に入るまで1時間待ちだったので、あきらめて、ほかの店を探すことにしたのだった。
つまり、そのとき、すでにAKB劇場は、オープンしていたのである。 … AKB48を知っていて、しかも、AKB48が成功するのを予知していたのならば、絶対に、5階から8階へ行ってみたところである。 … 板野友美、小嶋陽菜、高橋みなみ、前田敦子、峯岸みなみなど、一期生の公演をみられたはずである。おそらく、当日券で入場できただろう。
結局、 … 海の物とも山の物ともつかぬものを、はじめから押していた者だけが味わえる果実のことだから、ドン・キホーテの5階以上の階は、ぼくには存在していなかったのである。
[ Judas ] '12.1.9
Judas (ジュダス)
君はこの英語の意味がわかるだろうか?
最近、You Tube で初めて聞いた、レディー・ガガの曲の題名である。どことなく過去に聞いたことのあるメロディーラインだが、PV画面といい、やはり引きつけられるものがあったのだ。
Judas ? どーいう意味だろう? 気になったので調べてみた。
なんと、キリストを裏切った12使徒のユダのことだった。PVをみると、そういえば、イバラを頭につけた人物などが登場していた。 … まあ、Judas の意味がわからなくても、英語の歌詞の意味さえわかれば、察しがつくというものだが、 … いかんせん、ジュダスとユダではまったく発音が違うので、わかるはずがなかったのだ。
[維新の「維」の意味] '12.1.6
「維新」の「維」の意味がわからなかった。 そこで調べてみた。 「これ」という意味だった。 つまり、維新は、「これ新たなり」ということだった。
[久米水天宮初大祭] '12.1.5
1月5日の午前中、久米水天宮の初大祭に行ってきた。
だるま市が立つ。小ぢんまりとした神社だが、信心する者は膨大な数にのぼる。お犬様、安産祈願で知られている。
ぼくの村には、水天宮様の講がある。ぼくはその世話人になっていて、ほかの世話人の人と一緒に行ってきたのだ。講に入っている村人の御神札を、代参してもらいうけてくる。
いつか、貧乏から開放されたら、
だるまを買って帰ることにしよう。
この初大祭に行き始めて、もう10年になる。最初は親父の代わりだったので、いやいやだったが、いつの間にか、一年の一番初めの行事にとして、馴染んできてしまった。