sumi-Cノート <excerpt> 君は辰砂(しんしゃ)だとか、表題には書かなかったが丹生(にう)だとか、そういう言葉を知っているだろうか? … 続き

標題indexへもどる

(48)今週の出来事 2018年 5月~8月

ページ最下へ

[ノコギリクワガタの死骸] '18.8.29
[担々麺とチャーハン] '18.8.23
[暑さから解放される] '18.8.7
[部屋のエアコンがこわれてしまう3] '18.7.31
[部屋のエアコンがこわれてしまう2] '18.7.30
[部屋のエアコンがこわれてしまう] '18.7.29
[マララ・ユスフザイさん] '18.6.17
[秦氏について2の補足] '18.6.15
[秦氏について2] '18.6.12
[秦氏について1] '18.6.10
[5月の空のきれいな分かれ目] '18.6.7
[青森のキリストの墓] '18.5.25
[イエスの墓] '18.5.22
[いったい、この人は誰? Ans] '18.5.13
[辰砂と空海] '18.5.9

〓∞*∞〓∞*∞〓∞*∞〓∞*∞〓∞*∞〓


[ノコギリクワガタの死骸] '18.8.29

8月23日、台風20号は四国へ上陸した。それから真北へ進み、近畿地方に強風と大雨をもたらして日本海へ抜けた。

これまでの経験では、台風が西日本にあるときは、関東ではそれほど影響は出ないのだが、今回の台風では、10メートル以上の風が吹き続けたのだった。

その翌日だった。玄関先にクワガタの死骸が落ちていた。その死骸はだいぶ傷んでいた。玄関先まで強風に流されて飛んできて、息絶えた、というのではなく、すでにずいぶん前に死んでいたようだった。それを鳥か何かが運んできたのだろう。

ともかく、久しぶりに「ノコギリクワガタ」を目にしたのだった。UPしておくことにする。






[担々麺とチャーハン] '18.8.23

人づき合いをしていると、たまに、どーしようもなく相性の悪い人間が出現してくる。その相性の悪い人間が攻撃的な人だったりしたら、… そのような人には、決して「借り」をつくりたくない。後輩ならまだしも、先輩だと特にそーである。攻撃される材料を、可能な限り提供したくないのである。それを避けるべく、緊張感をもって接するのだ。


先日、えらい失敗をしてしまった。

中華料理係のファミリーレストランで会議をした。会議が終わると、食事をして解散することになった。車で来ていない者は、食前酒を注文した。みんなビールを注文した。

ぼくと数人は、ビールのつぎに紹興酒を注文した。… 夕方ですきっ腹だったので、酔いが回ったかもしれなかった。

本膳を注文した。

ぼくの前に担々麺が来た。やけに真っ赤なスープだった。うまいと思いながら食べ始めたのだ。

テーブルは円卓なのだが、離れたところから 「担々麺を注文したのだが、まだ来てない!」 と、抗議があがった。

「?!」

しまった! ぼくが注文したのはチャーハンだった。人の注文したものを食べてしまったのである。… 紹興酒のせいである! … ああ、この店に紹興酒が置いてなかったなら、 … 注文ぬしに謝ったのは言うまでもない。

担々麺は先輩が注文したものだった。 「いいよ、いいよ」 先輩は、怒ることもなく、注文し直すこともなく、不敵な笑みを浮かべながらチャーハンを食べ始めたのだった。



[暑さから解放される] '18.8.7

8月7日、今日は朝から雨が降っていた。しかも涼しい。久しぶりに暑さから解放される。

昨夜から北東の風が吹いて、涼しくなった。夜の部屋の温度は 32度程度。暑さからも解放されたが、敷布団を業務用冷蔵庫で冷やすなど、余計な作業からも解放されることになった。そして、次の朝は 27度、涼しささえ感じた。

ただ、台風13号が関東地方に迫っている。気は休まらない。



[部屋のエアコンがこわれてしまう3] '18.7.31

エアコンがこわれた2日目は、寝不足もあったのだろう、なんとなく頭が痛かった。熱中症に罹ってしまったのかもしれない。… (ああ、体をクールダウンしたい!)


ひきづづき、この部屋での夜の過ごし方、就寝について書く。

よいアイディアが浮かんだ。… 作業場には業務用冷蔵庫がある。敷布団と枕をその業務用冷蔵庫に入れて冷やすことである。

その結果だが、よく冷えた敷布団を敷いて、よく冷えた枕をかかえて寝そべってみたのである。想像どおり気持ちよかった! … ところがである。

その冷たさは 15分ほどしか持続しなかった。すぐに、体温と同じ温度に、熱くなってしまった。それでも、成功だったと言えるだろう。一瞬でも気持ちよかったので、… 枕は、ひっくり返してみると、反対側はまだ冷たさを保っていた。


依然、扇風機は窓の外にあって外気を取り込んでいる。… 2日目の夜はもっと工夫して、小さなベランダに打ち水をしてやった。バケツに水を汲んで来て、一面にまいてやったのだ。… もちろん、濡れたベランダの上に電化製品の扇風機を置くわけにはいかないので、板を探して来て置いて、その上に扇風機を設置した。… 当然だが効果は大きかった。部屋の温度は 33度になった。


33度。もうひと下がり。夜の室温が 32度だと、不快感はもちろんあるが、どーにか眠りに就けそうである。もちろん、扇風機の稼働は必要だ。… 扇風機をベランダに置くのは、眠る前までである。降雨のことを考えないといけないからだ。


また、こんな環境でテレビを見るのだったら、NHKの百名山「八ヶ岳」などがよい。 You Tube が見られるのだったら、怖い話、怖い映像などがよい。脳内が涼しくなる。



[部屋のエアコンがこわれてしまう2] '18.7.30

エアコンがこわれた日の夜は、熱中症どころか、生命の危険さえ感じたのだった。


幸い、扇風機が数年前に買ってあった。当然強めに送風する。しかし、そこから出る風は、35度の温風だった。汗を掻いているあいだは冷たくてよかったのだが、すぐに温風に変ってしまった。

部屋の壁等に蓄えられてしまっている熱は冷ましようがない。頭がもうろうとする中で対処法を考えたのである。

部屋の外には、出窓のような小さいベランダがついている。そこへ扇風機を置いてみることにしたのである。網戸の外から扇風機を使って外気を入れようと、

成功した。外の温度は 33度程度だったが、それでも扇風機が起こす風を涼しく感じたのである。部屋の温度も 1度程度下がったようだった。34度程度になった。


この部屋は寝室にもなっている。布団を敷いてみると、敷布団は、体温より温度が高かった、もちろん枕も。… 鹿児島、指宿(いぶすき)の砂蒸し風呂や、都会には岩盤浴と呼ばれる入浴施設があると聞くが、それらに近いのかも知れない。よかった。いや、ちっともよくない! この状態で朝まで寝たら、干からびて死んでしまう。

… 「霧吹き」があるのを思い出したので、それを持ち込んで、畳や布団、それに体にも吹きかけてみた。扇風機の風が当たると、これも一瞬冷たく感じて、気持ちよかった。だから、頻繁に霧を掛けることになった。

ともかく、どーにか朝方には眠ることができた。 つづく。



[部屋のエアコンがこわれてしまう1] '18.7.29

暑さはまだ進行中だが、… 今年の夏は暑かった。7月23日など、気温が東京都の青梅市で 40度を超えた。熊谷では41.1度だった。これは国内観測史上最高だそうである。

テレビをつけると、ニュース番組をやっていて、連日のように異常高温のことを報じていた。『エアコンの風が嫌いな方もいるようですが、夜間でも、躊躇しないでエアコンをつけっぱなしにしてください。』みたいに、キャスターは訴えかけている。全国で熱中症患者数が2万人を超えている。死者数も65人とかになっている。

よりによってそんなとき、ぼくの部屋のエアコンがこわれてしまった。

ぼくの部屋は二階にある。家自体少し西を向いて建っているので、だから西陽(にしび)によって、特に二階の部屋は暖められる。夜には熱がこもってしまって大変なのである。

夕方の部屋の温度は 37~38度はあった。深夜になっても35~36度である。部屋に長くいることは、好んで熱中症になるようなものである。 熱中症? … ぼくの場合、古い世代なので、罹るのは熱中症ではなく「熱射病」かもしれないが、

… この出来事が興味深かったので、少し記録しておくことにする。 つづく。



[マララ・ユスフザイさん] '18.6.17

マララ・ユスフザイさんは、2013年 7月12日に国連でスピーチを行った。世界中の人間が聴いたはずで、そして、感動しなかった者はいなかったはずである。


話は変わるが、先の「出来事」で、10年前のテレビ番組、『新説!? みのもんたの日本ミステリー!』を取り上げたわけである。その番組の中に、久保有政という人が出演していた。牧師で、ヘブライ語に詳しい聖書解説家だそうである。

最近、久保氏の出演している、You Tube をみる機会があったのだが、その中で、マララ・ユスフザイさんのことに触れていたのである。マララ・ユスフザイさんが、失われた10支族の末裔だというのである。彼女自身が語っていると、 … マララさんの著書、「わたしはマララ」に書かれているかもしれない。


--------------
久保氏。 彼の話を聞いていると、さすがクリスチャンだけあって、あたかも、(日本の)神道が、ユダヤ教あるいはキリスト教から分派した宗教であるかのように語っている印象があった。その辺は、どーも共感できなかったのだが、

ともかく、現実が証明していることは、… 秦氏(はたうじ)がユダヤ教かキリスト教を信仰していたのなら、その、秦氏の実力からして、日本人を、すべてユダヤ教かキリスト教に改宗させるぐらいの力や知力があったはずである。ところが、それは出来なかった。あるいは、しなかった。
神道の中に彼らの宗教観を注入したに留めたのである。ユダヤ教寺院ではなく、伏見稲荷大社を創建した。

秦氏が日本に入植したときには、すでに天皇家が長くあり、神道が日本人の心の核心になっていたからなのかもしれない。
--------------


久保氏の You Tube での録画を正確に覚えていないが、マララ・ユスフザイのユスフはヨセフのことで、ザイは、「息子たち」のような意味があるというのである。ヨセフの息子たち。… 消えた支族にヨセフ族がある。


さて、「失われた10支族」のことである。もちろん、ぼくが詳しく知っているはずはなく、聞きかじりだが、

古代イスラエルは、ダビデ王、その息子のソロモン王の時代は、ひどく栄えた。余談だが、ソロモン王とシバの女王(エチオピア)との逸話は有名だ。その後、イスラエルは南北で分裂することになる。それから、アッシリアや新バビロニアなどによって滅ぼされてしまう。そのとき、イスラエルには12部族、あるいは、12支族があったのだが、そのうち10の支族の消息がわからなくなってしまったというのである。

多くは東方へ散ったのではないか?と言われている。東方にはシルクロードがある。日本にもその支族が渡って来ているのではないかという説がある。秦氏がそうではないか?とも。久保氏によると、古代イスラエル人と日本人に共通するDNAがあるという。

それが事実で、秦氏が古代イスラエル人だったとすると、秦氏は、前回書いた中央アジア系の人ではなく、中近東、西アジア系の人ということになる。紀元前の時代に中近東、西アジア系の部族であった秦氏は、国を追われて、中央アジアへ部族ごと移住して行った。そして弓月国をつくった。 … それから日本へ来た。秦氏は、我々とおなじ東洋人、モンゴロイドではないが、同じアジア系人種なので、日本の原住民にもあまり抵抗なく受け入れられ、入植することができた。もちろん、高い技術力を持っていたので必要ともされた。… その可能性はある。あとのことは、今後の学術的調査を待つしかないということである。



迫害されながらも集団とユダヤ教をつないできた、「消えなかった支族」ユダ族であるが、そのユダ族からイエス・キリストは出ている。また、イエスはダビデの血を引く者とされている。

マララさんが10支族の末裔だとは、驚きだったが、… ご存知のように、マララさんはパキスタン人である。また、イスラム教徒でもある。 しかし、 … ぼくは思ったのだ。もしかすると、イエス・キリストは、マララ・ユスフザイさんを男にしたみたいな風貌だったのではないかと。… イエスがアジア人だったという最新の情報と、マララさんのカリスマ性とが、やけに親和性を持ってせまってくるのである。



[秦氏について2 の補足] '18.6.15

[秦氏について2] の一番最後に、『イエスキリストは、西欧人ではなく中近東、西アジア系の人だった。秦氏も西欧人ではなく中近東、西アジア系の人だった、ということではないか。』と書いた。

この書き込みをUPしたあとに、また新しい知識?が入って来たので、補足しておくことにする。

その前に、… 最近のシリーズでの書き込みでは「人種」的な用語を多用してしまっている。… 人類にとって、人種的に多様性があることは有益なことである。 逆に、人間の優劣を判断するのに「人種」は、まったく関係ないことは、理解しているつもりだ。 

… このシリーズでは、たとえば、イエスキリストがどんな風貌の人だったのか? 新約聖書に書かれたこと以外の、… イエスは、人間として哲学をしたはずで、そのときはどんな感じの人だったのか? その辺を少し探ってみたい、というのが、人種的な用語を多様してしまっている理由なのである。


補足の話にもどるが、新しく、「ダッタン人」という人の分類が出てきた。「だったんそば」などという食べ物がある。『モンゴルに住む遊牧民族の古い呼び名のひとつであるタタール人のことである。』とウイキペディアに書いてある。

再びウイキペディアの情報を写させてもらうと、『タタール(Tatar)は、北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系およびサモエード系とフィン=ウゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族総称である。日本では、中国から伝わった韃靼(だったん)という表記も用いてきた。』

中央アジアを中心に、かなりの広域に、「ダッタン人」=「タタール人」と呼ばれる人たちがいたという。しかし、ウイキペディアをみると、「タタール」という呼び名が出てくるのが、「突厥(とっけつ)帝国」をタタルと呼んだみたいで、中国の隋のころである。だから6世紀ごろ。秦氏が日本に来たのは4世紀ごろである。まだ、タタールはなかった?

秦氏はそのプレ・タタール人だったのかもしれない。そうなると、肌が白く髪が金髪やブロンズで、瞳の色がブルーだったりグレーだったりする、西欧人のような人がいてもおかしくはない。東ヨーロッパあたりまで含むからである。

秦氏のルーツは、中近東、西アジア系の人というより、中央アジア系の人というのが正しいのかもしれない。ぼくには、中近東、西アジア系の人と中央アジア系の人との違いはよくわからないが、


しかし、京都あたりに西洋人とのハーフが多くないという現実はある、ということである。



[秦氏について2] '18.6.12

[秦氏について1] は予備知識だった。さて、本題に入ろう。

すでに10年前のテレビ番組になるが、『新説!? みのもんたの日本ミステリー!』というのがあった。日本のルーツは古代イスラエルにあった? などというのを検証しようというものだ。日ユ同祖論的なものだが、当時その番組を見ていて、ぼくは、あり得ると思ったのだった。

兵庫県赤穂市に大避神社(おおさけじんじゃ)というのがある。そこの宮司さんが、番組の中で、本邦初公開的に「お面」を出してきて見せたのである。

宮司さんの話である。『大変古いもんですからね。1300年も昔のものですから、こういうお面なんです。西洋人の顔ですから鼻の高い、お顔ですから、イスラエルかユダヤの神様、ダビデの、という話も出てくるわけなんです。』

それはあたかも、天狗の面だった。

今度はナレーションである。『秦河勝は鼻がスーと高く、西洋人顔であったと宮司は言う。アジアのいずくから来た秦氏は日本人離れした鼻の高さと数々の伝説を持っていた。』


ぼくは、この番組を10年前に視聴して、秦氏は西洋人だったと思い込んだのだった。しかし、大きな疑問を持ちながらである。… 

1万8千人以上もの大集団で日本にやってきた秦氏の部族が、みんな西洋人だったなら、時代の下った日本に、もっとハーフの顔をした日本人がいっぱいいてもよさそうではないか? という疑問である。 … 番組では、19万人の大集団でやってきたと言っている。…
関西方面では、滝川クリステルさん、ホラン千秋さん、トリンドル玲奈さん、春香クリスティーンさん、ベッキーさんみたいなハーフの女の子が、ぎょうさん街を闊歩していてもよいはずではおまへんか!? … 皆無である。 … 皆無は言いすぎか、

秦氏は西欧人ではなかったと、結論付けてよいだろう。秦氏が活躍した関西に、西洋人とのハーフ美人が特別多いわけではない、という理由からである。(ここで言う西欧人とは、白人、北欧人のような人のこと。 )


大避神社に伝わっているお面は、たぶん、神社に持ち込まれた後に、… 神社に祀られている人=秦河勝に似せて作られたマスク、… だと根拠なしに決めつけたものではないだろうか? しかし、それでも、秦氏は我々と同じ東アジア系ではなく、一般的にいえばペルシャ人的な風貌だったのかもしれない。それは [秦氏について1] からも推測できる。つまり、中近東、西アジア系の人だった。


イエスキリストは、西欧人ではなく中近東、西アジア系の人だった。秦氏も西欧人ではなく中近東、西アジア系の人だった、ということではないか。



[秦氏について1] '18.6.10

山陰本線のレイアウトは、京都駅を出ると、京都市街の西を北上して、それから終着駅のある下関へと、向きを西へ変える。線路が西へ向かい始めてから少し行くと「太秦」という駅が出てくる。誰でも知っている有名な地名だ。しかし、案外「太秦」を何て読むのかわからない人もいるかもしれない。この地には「東映太秦映画村」がある。

また、古代のこの地には「秦氏(はたうじ)」の拠点があった。氏(うじ)、氏族(しぞく、うじぞく)とは、血縁関係を持つ集団のことである。

秦氏は渡来人である。渡来人であることは判っているのだが、それから先の出自については、諸説あるようである。


一説によると秦氏は、1万8千人以上の大集団で日本にやってきたという。氏族の定義に血縁関係があるが、こうなると、一族どころか「部族」と呼ぶべき単位である。

秦氏は仁徳天皇の時代に、仁徳天皇に召されたという。絹織物を献上して喜ばれた。

また、のちに秦河勝(はたかわかつ)という人が出て、聖徳太子の腹心になったという。

秦氏は、技術集団で、治水を行い農業を発展させた。赤穂では製塩を行った。伏見稲荷大社も彼らが創建した。雅楽など芸術も発展させた。

東儀秀樹という雅楽の奏者がいる。篳篥(ひちりき)を吹く人である。この人の「東儀」は、遠い先祖に秦河勝がいるというのである。


秦氏がどこから来たのか? 弓月国(ゆづきこく、ゆつきこく)から、王様と一緒に来たという説がある。王様の名前は弓月君(ゆづきのきみ)。弓月国は今のカザフスタンあたりにあった。… 秦氏は、また、秦の始皇帝の末裔だという説もある。

秦の始皇帝の末裔のことに関しては、… 国名の秦(しん)と秦氏の秦(はた)と同じ漢字である。また、太秦(うずまさ)と大秦(だいしん)と漢字が似ている。大秦はローマ帝国のことだそうだ。



なぜここで秦氏を「出来事」に登場させたかというと、前回の「景教」のづづきである。弓月国と景教の中心地が同じようなところなので、関係があるかもれも知れないと思ったのだ。

もちろん、ぼくにわかるはずはないが、

景教=キリスト教である。しかし、調べてみると、秦氏が日本に入植したのは西暦372年、景教が中央アジア・モンゴル・中国へと伝わったのは 7世紀の頃だという。つまり、景教が盛んになったころにはすでに秦氏は日本に移住してしまっている。だから、秦氏が弓月国で信仰を持っていたとすれば、… 原始キリスト教はあり得るが、景教はないのかもしれない。むしろ、秦氏の信仰は、旧約聖書の世界、ユダヤ教だろう。

ともかく、秦氏が、古代イスラエルの文化や宗教観を日本に持って来たのは事実である。日本の宗教に、つまり、神道に多大な影響を与えた。そのことに関しては、ご自身で調べてみてもらいたい。古代イスラエルと古代日本とか、ヘブライ語と日本語の共通点とか、調べてみると興味深いものが出てくるはずである。



[5月の空のきれいな分かれ目] '18.6.7


5月21日のことだが、雲と空がきれいにセパレートしていた。
北を向いて撮った写真だ。大気の温度差?気圧差?




[青森のキリストの墓] '18.5.25

キリストの墓が青森にあるという。

写真でしか見たことはないし、あまり詳しくもない。「ムー」という雑誌があるが、これまでは、そのキリストの墓を、ムー的な人工物だと思っていた。

仏教では、仏舎利といって、釈迦牟尼の遺骨を舎利容器に入れて、それを分けて配り祀っている。同じような墓がキリスト教にあってもおかしくない。青森のキリストの墓が、そのようなものなら、あり得るだろうと思っていたが、… もっとも、キリストは復活してしまったので遺骨はない。あるとすると、遺品になるが、


まだ国家に中央集権の体制が整っていなかったころ、西洋人が青森の村にやって来て、… その西洋人はクリスチャンで、キリストのモニュメントをつくりたいと村人に懇願した。村人はそれを受け入れて墓をつくってあげた。

上記のようなことがあった場合、日本の正史には残らなくても、村には必ずその記録や、あるいは伝承が、証拠を伴って残っているはずである。あまりにも大きな出来事だったはずだからだ。しかし、そのような証拠は残っていないようである。だから、ムー的だと言ったのだ。



上記に「西洋人」と書いたが、キリスト教にも、『原始キリスト教』はあっただろう。その信者を、ぼくは、西洋人だとばかり思っていたのである。(ここで言う西欧人とは、白人、北欧人のようなイメージのこと。 )もちろん、イエスキリスト自身も西洋人だと、


ところがだ、

前回、前々回の「出来事」で、 [いったい、この人は誰?Ans]、[イエスの墓] を書いたが、そこで結論を出したように、イエスはアジア系の人だった。そーなると、話は変わってくる。

初期キリスト教徒の中近東、西アジア系の人が青森に来た可能性がある。顔立ちが西洋人ほど違わないので、… 巨漢な西欧人が酒を飲んだり怒ったりしたら、顔が真っ赤になり、それこそ赤鬼になってしまう。それに比べたら中近東、西アジア系の人は、それぼど違わないだろうという意味である。… その渡来人が、異教徒だったとしても、それほど違和感なく村人に受け入れられたかも知れない。逆に、証拠は曖昧になってしまった。


ここまでで書き込みを終了したかったが、もう少し書くようである。


中国が唐の時代、中央アジア・モンゴル・中国に「景教」という宗教があって、多くの信者がいた。キリスト教の一派だそうである。弾圧され衰退したというが、その景教の信者が青森に来たのかも知れない。そうなると、おそらくその渡来人は日本人と同じ東アジア系の人、モンゴロイドの可能性もある。青森の村人と初めから馴染んで、村人はキリスト教の墓をつくってあげたのかも知れない。



[イエスの墓] '18.5.22

トランプ大統領は、商都テルアビブにあった米国大使館をエルサレムに移すのを強行してしまった。イスラム教圏のみならず国際社会の反発を買うだろう。

その話、つまり国際政治の話とはまったく違うところで、今回、イスラエルを取り上げることになる。


前回の [いったい、この人は誰?Ans ] のソースは古い新聞からのものだった。しかし今回は違う。だいぶ新しいニュースになる。日経電子版で読んだのだが、『日経ナショナル ジオグラフィック社 2017/12/9』からの話題だ。


エルサレム旧市街に聖墳墓教会というのがある。その建物=聖堂をエディクラと呼ぶ。あえて説明することもなさそうだが、その中にイエスキリストの墓がある。逆に言えば、墓を取り囲むように聖堂が建てられている。


さて、そのイエスの墓だが、今まで、本当にイエスの墓かどうか判らなかったというのである。記事にはこんな風に書かれている。『新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、…』

もう一度記事を引用させてもらう。ここへ来て、… 『2016年10月、墓を取り囲むようにして建設されたエディクラと呼ばれる聖堂の大々的な修復工事を行うため、墓は数世紀ぶりに開かれた。』

墓を開いたとき、そこから採取された「漆喰」を用いて年代測定が行なわれた。その結果、伝承と年代が合致したというのである。だから、イエスの墓の可能性が高まった。


イエスの墓は、岩をくり抜いたような構造、つまり、石墓である。その墓の中で、復活までの間、横たわっていた人物はアジア系の人だった、ということなのである。



[いったい、この人は誰? Ans] '18.5.13

2月5日に出した問題の解答です。この肖像画は、なんと、イエスキリストです。


2001年 平成13年3月29日、日本農業新聞に載っていた記事である。 BBC(英国)が、イエスキリストの特集番組を作って、「神の子」という題名だったそうだが、そこで作成したコンピュータ画像だそうである。 … そのイラストをぼくが写し取ったものだ。

分野の違う農業新聞で取り上げるくらいだから、よほど農業新聞の記者も驚いたのだろう。


誰もがイエスキリストは西欧人だと思っていたのではないだろうか? (ここで言う西欧人とは、白人、北欧人のようなイメージのことだ。 ) 髭をはやし、鼻筋の通った細身の顔で、長い金髪の髪を真ん中からわけている。瞳はプルー。ところが、実際は西欧人ではなかったというレポートなのである。

正確に言うと、肖像画の人物はイエスではない。、イエスの属していた部族の、代表的な顔がこんな感じだった、というのである。だから、イエスもこんな顔だったろうと、

つまり、イエスは昔の中近東あたりに住んでいた人だった。イエスは古代イスラエル人で、ユダ族に属している。

古代イスラエル人はアジア系の人たち。

イスラエル人の他にユダヤ人というのが出てくるのでややこしいが、白系ユダヤ人というのが、歴史が少し進んでから出てくる。「アシュケナージ」と呼ばれている。

ぼくが、『古代イスラエル人はアジア系の人たち。』と断定する立場にはないが、アシュケナージに対して「セファルディ」という人の系統が古くからある。彼らがアジア系だというのだ。

イエスが西洋人になったのは、アシュケナージの関係や、もちろんクリスチャンの西洋人が多くなったので、必然だったろう。



[辰砂と空海] '18.5.9

君は辰砂(しんしゃ)だとか、表題には書かなかったが丹生(にう)だとか、そういう言葉を知っているだろうか?

鉱石=鉱物質の名前である。

中国由来の名前らしいが、日本でも産出される。邪馬台国の時代から採られているという。三重県多気町(たきちょう)、奈良県宇陀市(うだし)菟田野(うたの)、四国になるが吉野川上流などで採れたし、現在では大分、熊本、奈良、徳島などで産出している。

多気町や宇陀市、それに吉野川上流などというと、すぐに思い浮かぶのが中央構造線である。九州、四国、紀伊半島、中部、関東と日本列島を貫いている大断層である。多気町や宇陀市はその周辺にある。吉野川などは、中央構造線の真上だ。


「辰砂」とは、どんな鉱石かというと、

赤い石である。その赤が顔料にもなるし、(たぶん今は使われないだろうが)漢方薬の原料にもなる。それだけではなく、水銀の原料になるのだ。この石に熱を加えると水銀を抽出できる。水銀自体、昔、不老不死や防腐剤にもなっていた。


さて、空海である。空海も辰砂=水銀の鉱脈を探し求めたという。見つけて採掘すると、それを売ったらしい。売った相手は中国である。つまり空海は「山師」だった、ということが出来るのである。意外な発見だった。少し空海に対する印象が変わった。

空海の時代の前も、山岳宗教はあった。修験道である。役小角(えんのおづぬ)など有名だが、修験道も、上記で書いたことを思えば、やはり、山師=鉱山技師のプロフェッショナル集団だったのかも知れない。山岳修行と同じ情熱を持って金の鉱脈などを探し求めていた可能性はある。

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)というのが、高野山からみれば北西に、紀の川まで行かないところにある。「丹」は朱砂(辰砂)のことで、その鉱石の採掘に携わった人々によって祭られた神社だというのだ。高野山や空海と関係がある。

空海が開いたという高野山も、地下には辰砂の鉱脈があるのかも知れない。

四国も「辰砂」の鉱脈がいっぱいありそうである。空海率いる山師集団は、吉野川や石鎚山あたりを中心に四国中を探索しまくったに違いない。



※ 以下の記述は、'18.7.30のものである。
空海が持っている「鈷杵」は、
てっきり三鈷杵だとばかり思っていた。
三鈷杵の伝説があるからである。
ここでぼくが描いた鈷杵は、三鈷杵だ。
ところが、「根本御影(こんぽんみえい)」に
描かれている鈷杵は、五鈷杵だった。
今から訂正もできないので、あえて、
このままにしておくことにする。悪しからず。

さて、「辰砂」、「丹生」などという、これまで知らなかった言葉を提供してくれたのは、テレビ番組である。TBS 世界ふしぎ発見  2018年 2月24日放送 「超人 空海 唐留学の謎に迫る!」。 番組の内容が衝撃的だったので、少し調べさせてもらったということだ。



  ページトップへもどる

(最下)