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(51)今週の出来事 2019年5月~8月

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[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと5] '19.8.20
[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと4] '19.8.18
[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと3] '19.8.15
[アケビコノハ] '19.8.13
[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと2] '19.8.8
[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと1] '19.8.1
[こんまりについて] '19.7.25
[スーパーマーケットのトイレの液体石鹸2] '19.7.18
[スーパーマーケットのトイレの液体石鹸1] '19.7.17
[ドアにちゅうしてね] '19.6.17
[軽トラと車の営業マン] '19.5.8

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[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと5] '19.8.20

7月29日、巣を見ると、不思議なことが起こっていた。なんと、離れの巣に2羽のひながいるのだ。

… どーいうこと?

羽が生え始めたところで、まだ飛べる状態ではない。足の指が枝に捕まれるだけの握力を獲得できたとも思えない。どうやって、離れの巣へ移動したのだろうか? 茶の木の、梢部の枝はだいぶ密になっているが、それでも、そこを渡って隣の巣へ移動することは、想像できない。

哺乳類だったら、親が子を移動させようとした場合、子の首根っこを咥えて、それができるのだが、


前回の書き込みで、母屋の巣に誰もいなくなった、と書いたが、そのときは、すでに離れに1羽が移って、2羽になっていたのだろう。気がつかなかったが、… もう1羽は地面に落ちている。


小動物の生態に少しばかり関心を向けただけで、驚異的な営みを見ることができる。面白かった。なお、7月30日に離れの巣も空(から)になっていた。巣立ちである。


7月24日撮影


8月の某日、伸びた枝を刈り取ったとき、
形が少し崩れてしまったが、右が離れの巣。
飛べないひなが左の巣から右の巣へ移れたとは、
どーしても思えないのだ。謎である。




[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと4] '19.8.18

次の日に行ってみた。ぼくが設置してやった巣に、ひなは元気そうにしていた。と、いっても、ひなは人影を見てまったく動かなくなっていたが、

わかったことは、… 小動物である小鳥でも、親鳥でも、環境を変えたとしても、自分の子はちゃんと認識できるということだった。当然といえば当然だが、安堵した。


そしてまた後日のことだ( 7月26日あたり)。巣へ行ってみると、また驚いたことがあった。母屋の巣に誰もいないのだ。ひなが2羽いるはずなのだが、いない。

茶の木の下をの覗き込んでみると、いた。1羽いた。

まだ、足で体を支えられないようだったが、それでも、… 

ここで説明が必要だ。「まだ、足で体を支えられないようだった」と書いたが、その足というのは「趾(あしゆび)」のことである。足の指で体を支えられないでいる、という意味である。

鳥にはふ蹠(ふしょ)という部分がある。… 人間でいえば足根骨の部分、つまり、踵(かかと)と指との間の、土踏まずなどを構成している骨のことだ。… ふ蹠は人間の足根骨に比べれば異常に長い。人間の脚(あし)でいえば脛(すね)に、一見、見えてしまう部分である。

では、話をつづける。巣から落ちたひなは、まだ、趾(あしゆび)では体を支えられないようだったが、ふ蹠の部分と腹を地面につけることによって、体を起き上がらせることが出来るようになっていた。

(ああ、心配ない。)

とぼくは思った。地面に落ちていても、親から餌はもらっているようである。仕事で目を離していて、再びひなを見ると、茶の木の根の部分に頭のみを隠して、じっとしていたのである。


さて、地面に1羽と離れの巣に1羽。その2羽は確認できたのだが、残りの1羽は確認できなかった。木の途中に引っかかって、死んでいるのかも知れない。よく探さなかったので、結局わからずじまいだった。


次回へつづく。



[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと3] '19.8.15

巣からいつ落ちたのか? 知りようもないが、元気にもがいていた。まだ、足で立つことができない。目はわずかに明き始めている。… 茶の木は東西に植えられていて、ひなはその北側に落ちていた。だから33度程度ある日差しからも守られていたようだ。

ひなを拾って巣に戻そうとしたのだが、傾いた巣にひなが入るスペースがない。落ちなかった2羽のひなでいっぱいだった。… ひどく成長が早い。

 ! 思い出したのだ。

少し離れたところの茶の木に、空(から)の巣を見つけていたことを、
その巣は、刈り取った枝の部分より下に作られていたので、無傷だし、そのままにしておいたのだ。


その巣を茶の木からはずして、… 落ちたひなの母屋の巣の隣りに設置してやった。

そして、もちろん、ひなを拾い上げて、古くて新しい巣?へ入れてやったのだった。


さて、ひな鳥を救助してやったのだが、新しい巣の中にいるひな鳥を、親鳥は、自分の子と認識するだろうか?と、心配になって来た。… 親鳥が、新しく設置した巣を異質なものと感じて、中にいるひなも突然あらわれた別個体と判断してしまわないだろうか?と、

後日わかるだろう。… 巣の中でひなが冷たくなっていれば、そういうことである。小鳥=親鳥の本能が、ひどくデリケートなものだった、ということになる。


ぼくが新しく設置してやった巣、いわば「離れ」のことだが、おそらく、この親鳥のつがいが1年以内に作ったものである。1年前にはなかったので、


ところで、この小鳥、何という鳥なのだろうか? 親鳥が近づいて来ないので、判別するのが難しいのだが、「ホオジロ」だと思われる。スズメより少し茶色に赤みがあるだろうか? 頭部の白、黒がはっきりしている。尾羽はスズメより長い。飛ぶときに、尾羽の両サイドに白い羽が、はっきり現れる。


次回につづく。



[アケビコノハ] '19.8.13

ぼく自身、だいぶ長く生きているが、いまだに、初めて目にするものがある。新しい発見は、案外、生きがいを感じるものである。わくわくする。


8月11日のこと。畑へ行くと、畑の端に黄色く発色しているものがある。見ると、蛾(が)の死骸だった。死骸の上にお茶の葉っぱがかかっているように見えた。ところがよく見ると、その葉も蛾の一部だった。翅(はね)、前翅(ぜんし)だった。

擬態をもつ昆虫。… 初めて目にする昆虫だった。


すでに蟻(あり)が群がっていて、胴体のほうは運ばれてしまい、形がくずれている部分があった。




初めて目にする蛾だったので、家に帰ると
急いで調べてみた。「アケビコノハ」という
蛾だった。残念ながら新種ではなかった。
関東にも生息しているという。

蛾の死骸があったところは、作業のために歩くところなので、拾い上げ、蟻を振るい落として、近くに土留め(どどめ)用の茶の木があったので、その根元に置いておくことにした。

数時間後にその畑へ行って、蛾の死骸を見ようとしたが、すでに消えていたのである。… 風で飛んでしまったか?、蟻が運んでしまったか? … つまり、珍しいチョウ目がぼくの目の前に突然現れ、一瞬にして消えていったのである。



[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと2] '19.8.8

巣の中や周辺に肉片などは確認できなかった。どーやら、ひなは大丈夫だったようである。

いかんせん、大胆に刈り込み機を操作していたので、鳥の巣などに気が付くはずもなく、結果、巣の周りの木や草を多く取り除いてしまった。しかも、巣が傾いてしまっている。巣の傾きに関しては、刈り込み機のせいではなく、刈り込む前には、茶の木とつる草によって、バランスを取っていたものだろう。

こまった。

とりあえず、巣を可能な限り外界から隠さなくてはならない。

近くの茶の木に、そこから飛び出して生えていた、実生(みしょう)の欅(けやき)があって、それを引っこ抜いて放ってあったので、… 根から土は振るってしまってあったが、それを茶の木の中へ植えて、巣を隠してやった。… ひどく余計な作業をしてしまった。 7月21日のことである。



後日、その畑に行ってみる。土留めの茶の木の一部が刈り残してあり、変な景色になっている。もちろん小鳥の巣のあるところだ。

そおーっと巣に近づき、見てみると、ひながいる。微動だにしない。産毛のはえた背中だけを見せている。

ぼくは、舌を使うようにして、チチチと音を出してみた。すると、ひなは一気に反応して、真っ赤な口を開いた。黄色いくちばしはハートマークになっていて、その中が真っ赤だ。ハートマークは3つあった。

1羽がすかさずフンをした。尻を外側へ向けてフンをしたのだ。もちろん小さいが、白い風船のようなフンだった。親はすぐに、巣の外の離れたところへ捨てるのだろう。… 巣の直下にはフンはない。… ぼくもフンの処理を手伝ってやってやろうとしたが、それは止めて、親に任せることにした。

遠くから、チチッ、チチッ といった鳴き声が聞こえる。親鳥の警告音である。



7月24日、再び小鳥の巣へ行ってみる。ショックな光景が目に入ってくる。ひなが地面に落ちているのだ。


次回につづく。



[ホオジロだろうか? 小鳥のひなのこと1] '19.8.1

ぼくの住んでいるところは田んぼ地帯ではない。畑作地帯だ。だから、ほ場が、けっこう傾斜になっているところがある。

畑に傾斜があると、大雨のとき表土が流出してしまう。それを防ぐために土留め(どどめ)を作っておく必要があるのだ。だだ、土留めをあまり細かく作ってしまうと、トラクターなどを使うに、作業効率が悪くなってしまう。


ぼくの家で所有している畑には、茶の木を一列に隙間なく植え、土留めにしているところがある。祖父の時代には、僅かだが、茶葉を出荷していたようである。

ぼくは、そこに武蔵野の原風景があるので、可能な限りその茶の木は残すようにしている。


年一回だが、管理のために、伸びたぶんを刈り取ることにしている。刈る道具は、刃がバリカン様になっている、2サイクルエンジンの刈り込み機である。ヘッジトリマーと呼ばれている機械だ。


今年は、茶の木にやけにつる草が繁茂してしまっていた。


刈り込み機を使った作業は、たとえば、腰に機械を当てて、そのまま平行に歩けば、きれいに刈り込みができるので、簡単といえば簡単である。

ただ、場所によって、つる草が茶の木に絡まってしまっていたので、それが厄介だった。ときに作業機を地面に置き、茶の木からつる草を引っ張って剥がしたり、それでもだめだった場合は木ばさみで切ったりしたのだった。


つる草の絡まった茶の木を刈り込み機で刈っていたときだった。

(あれっ!)

茶ノ木とつる草の中に藁(わら)が見えたのだ。すぐに作業を中断した。

( … )

調べてみると、案の定、鳥の巣だった。小鳥の巣だ。

( … ああ、巣を切断してしまったか!?)

中に、プラムの、ちょうど皮の赤いところのような色のものが、小さな固まりになってある。よく見ると、まだ羽毛のないひなだった。まったく動かない。… 一見すると生物感がない。ひなの防御姿勢であることがわかる。

( … ああ、ひなを傷つけてしまったか!?)


次回につづく。



[こんまりについて] '19.7.25

テレビのニュースを見ていると、「こんまり」について報じていた。こんまりがエミー賞にノミネートされた、というのだ。… エミー賞というのは、米国のテレビに関係する賞らしい。

知らない人はいないだろうが、こんまりとは、近藤麻理恵さんのことだ。

彼女は、どーやら、アメリカ人の心を鷲掴みにしてしまっている。


『日本人が外国人とコミュニケーションをとるには、自分の意見をはっきり言わなくてはいけない』と、外国通は教えを垂れる。その一方で、日本人のほうは、「外国人は自己主張が強すぎて付き合いずらい」と思ってきた。

そして、こんまりは、というと、… 彼女のイメージは、相手の間違っているところを指摘したり、論破するような雰囲気はまったくない。むしろ日本人的である。 礼儀正しさ、控えめ、謙虚さ、この辺のイメージが強い。… まあ、最終的には、こんまりは、自分の主張をはっきり言っているのだが、


ぼくが最近感じることは、近年、思いのほか、礼儀正しさ、控えめ、謙虚さなどの美徳を、多くの外国人が認め始めたのではないか? ということである。

だから、たとえば、大坂なおみの日本人気質が外国人からも好意をもって受け入れられたりした。



京都など、古都と呼ばれる観光地で、若い外国の女の子が和服を着て街を歩いている映像を、最近テレビでよく見るようになった。… よく似合っているし、可愛らしいと思うのである。

… 昔は、どー見ても、プロポーション的に似合わないと思っていたのだが、

… 第一義的には、外国人の和服姿が目に慣れてきた、ということだろう。また、日本人の女の子のプロポーションが外国人的になって来ているので、やはり目に慣れてきた、ということができるだろう。


… しかし、ぼくは、それだけではないだろうと思っているのだ。もっと、外国人の内部に変化が起きているのではないかと考えているのだ。

日本人の持つ価値観を、外国人が日常に取り入れはじめているのではないか、そんなふうに思えるのである。日本人的な価値観が彼らにとっても心地よいことに気が付き始めた。日本的な美意識を、然り(しかり)として、生活の中に取り入れてきている。

だから、和服を着ても、仕草自体が日本人的になっているので、違和感がなくなって来ているのではないかと、


外国人が、… では、どうして日本人の価値観、精神性を知れるようになったのか? ぼくは、漫画、とりわけアニメが大きな媒体になったと考えている。

村上春樹の小説なども海外で有名だが、読書好きなロシア人などを除けば、小説などは日常ではないだろう。アニメは外国人にとっても日常であり、特に子供は、いつの間にか日本人気質を体内に取り込んでしまっているだろう。

そんな海外の子供が大人になって、和服を着たとしても、自然に、… 似合ってしまうのだ。



ここで今回の書き込みは終わりだったのだが、… つづけて書かない訳にはいかなくなった。 7月18日に京都伏見区で発生した凄惨な事件についてだ。

「京都アニメーション」第1スタジオで起きた、放火殺人事件のことである。

新海誠監督のことばを借りるが、

「あまりに巨大な理不尽なこと」で、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りします。また、負傷された方には、一日も早い回復を願っています。



[スーパーマーケットのトイレの液体石鹸2] '19.7.18

さて、本題だ。 スーパーマーケットに入ると、ぼくは、必ず手を洗う。そのために店のトイレに行く。体育館の床、ボール、ネットやポール、それにモップ。不特定多数の人が触れる道具がたくさんあって、特に冬場などは念入りに、手を洗わない訳にはいかないのだ。

練習帰りに立ち寄れるスーパーマーケットは2店舗あるが、その内の1店舗が、手を洗うことに対して気になることがあるのである。 その部分を書きたくなったのだ。

以下がその内容。

トイレ内に洗面台があるが、当然そこに蛇口がある。そのわきに必ず手洗い用の石鹸が置いてある。手押しポンプの付いた容器に入った、緑色の液体石鹸である。… 他にも、本格的な金属部品の付いた固定式の容器のものある。容器の下に手のひらをあてて、手のひらを持ち上げると金属製の棒も上に上がり、液が手のひらに垂れてくる、そのような高級なものもある。別の1店舗がそれだ。… 気になっている店舗の容器は前者のものだ。

練習帰りのときは、ぼくは必ずその緑色の液体石鹸をつけて手を洗う。

問題にしている店舗の緑色の液体石鹸だが、気が付くと、やけにサラサラしているのである。

他の1店舗と比較して、微妙に濃度が違うのだ。… だからといって、他の1店舗の石鹸も、特別よく泡立つという訳でもないが。また、石鹸にもメーカーが複数あるだろうから、濃度に差があってもおかしくないだろう。… しかしながら、

(きっと、石鹸液を水で薄めてあるに違いない。)

と、ぼくは直感したのだった。


仮に、原液を使うべきところを薄めて使っていたとしたら、このスーパーマーケットの経営者は実に素晴らしい!と評価せざるを得ない。 ごく細部まで経費削減に気を使っているということである。見習うべきだろう。

しかし、原液を薄めて使うという経営方針は、店舗、従業員、全てに及んでいるはずである。コンプライアンス的にぎりぎりになっているのかもしれない。特に精肉や鮮魚などで事故など起きないことを祈るばかりなのである。


この店舗の石鹸の容器、ひどく汚い!
疑いたくなる要因でもある。




[スーパーマーケットのトイレの液体石鹸1] '19.7.17

現在も、女子9人制バレーボールの練習の手伝いに行っている。コーチングしている、と言いたいところだが、ぼくは、そこまではレベルが高くない。だから「手伝い」が適正な表現となる。

さて、バレーボールの練習は、毎週水曜日の夜にあるが、… ぼくにとって、バレーボールの練習と同等に重要なのが、練習が終わってから寄るスーパーマーケットである。… 酒類を買い込むのだ。

水曜日のバレーボールの練習。この日は、思いっきり汗をかけるので、帰宅するとビールを飲まないわけにはいかない。… スーパーマーケットは 22時まで営業してくれているから、ありがたい。


晩酌をするのに、最近、再び、一週間の酒量を決めている。 350mlの缶ビール6本と 500mlの日本酒1パック。それを水曜日に買い込むのだ。この酒量だと、次週の月曜日、火曜日あたりになると、家に酒が無くなってしまう。

先日の月曜の夜などは、枝豆が茹で上がったのに、しかし冷蔵庫にビールが無くなっていたのだ。… わかるだろうか! ビールなしで枝豆をつまむとう、… 虚無感を、

先日の火曜日にもあった。夕飯のおかずに刺身が出て来たのだ。ぼくはそれをおかずとしてではなく、晩酌の肴に流用するのが常なのだが、しかし、日本酒が無くなっていたのだ。… わかるだろうか? この寂寥感を、


練習が終わってからスーパーマーケットに寄るわけだが、上記のような事情により、つい、わき目もふらずに店に向かってしまうのである。そして酒類を買い込む。

さて、本題は次回で、



[ドアにちゅうしてね] '19.6.17

先日のこと、電車に乗ることがあった。通勤時間ではなく、空(す)いていたのだが、あえてぼくはドアの前に立ったのである。

ドアのアクリル製の窓を見ると、窓の下のほうにシールが貼られていた。そのシールに目を疑うような文字が書かれていたのだ。

ドアにちゅうしてね と。

… ???

ぼくは、窓に多数のキスマークが付いているのではと、目をパチパチしながら探してしまったのである。

なかった。

もう一度そのシールを見てみる。よく見ると、ぼくの読み間違えだった。

『ドアにちゅういしてね』だった。

… ひらがなで書かれた「注意してね」を、これまで目にしたことがなかったので、ぼくの脳は妄想的に読んでしまったのだ。



[軽トラと車の営業マン] '19.5.8

先日のことである。軽トラックの車検をした。

一般的には、トラック類の車検というと町の修理工場に依頼するのだろうが、我が家では、都合でディーラーに車検を依頼している。

いつもはディーラーへ自分で車を持って行き、用意してくれてある代車に乗って帰って来て、また取りに行くのだが、今回は、代車が手配できないという。そこで、車を取りに来てもらうことにしたのである。

営業の若い男の子が取りに来てくれた。

我が家の土間の部屋で簡単な紙面上の手続きをした。納税証明書などの確認である。そのときだ。彼は車検証をみるなり、その証書に顔を近づけたのだった。

「 !? 」

「私の生まれた年に製造され、お客様に届けられた軽トラックです!」 と言ったのだった。 … 感慨深げに言った。

手続きが終了すると、丁寧に車を預かる旨の挨拶をしてくれて、車に乗り込んだのだった。

農作業によって薄汚れた軽トラックに、営業の若い男の子はスーツ姿で乗り込み、我が家の庭を出て行った。
男の子は26歳という。同じ歳の人間と軽トラックが店へ帰っていく姿は、なんとも感動的なものがあったのだ。



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