sumi-Cノート <excerpt> あなたにとって、あるいは、人間にとって、一番大切なこと(もの)は何ですか? … 続き
(6) 今週の出来事 2004年 5月~ 8月
[デジカメ] '04.8.21
[施餓鬼] '04.8.14
[愛について3] '04.8.4
[愛について2] '04.8.2
[愛について1] '04.7.31
[大切なこと(もの)2] '04.7.24
[大切なこと(もの)1] '04.7.17
[水がめ] '04.7.10
[メガネ2] '04.7.3
[メガネ1] '04.6.26
[ダリア] '04.6.12
[首都圏日傘計画2] '04.6.5
[首都圏日傘計画1] '04.5.29
[バードビュー2] '04.5.14
[バードビュー1] '04.5.8
[記念撮影] '04.5.1
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[デジカメ] '04.8月21日
ぼくの家は北側に階段があって、上の踊り場に窓がついている。
窓からは畑と一棟の倉庫が見える。その倉庫の北側には小さい栗畑がある。その栗畑はあまり手入れがされていないようで、栗の木の下は草がぼうぼうになっていた。
一昨年のこと、ちょうど家にいたときに、雷を伴った夕立に見舞われたのである。
しばらくすると雷雲は東へと移動して、再び日が射してきた。
そこで、涼しくなった外気を室内に入れようと、閉めておいた階段の、踊り場の窓を開けたのだ。
そのとき、ふと外を見ると、虹が出ているのに気がついたのだ。 遠ざかった真っ黒い雷雲がバックなので、やけに鮮やかな虹だった。
虹の弧を下へたどっていくと、なんと虹の根元が見えるのである。栗畑から出ている。
しかも、虹の周りの草むらが金色(こんじき)に輝いている。
ぼくは(うわぁっ)と小さく声を出し、(写真を撮らねば)と思ったのだ。
しかし、写真を撮ることはできなかった。デジカメが故障していたのである。
めったに訪れない奇跡的なシーンを前にして、悔やみきれないものがあったのだ。
最近やっと新しいデジカメを手に入れることができた。
[施餓鬼] '04.8月14日
8月13日を村人は「今日はせがきの日だ」などという。その日は申し込んであった卒塔婆(そとば)をお寺に取りに行く日なのである。
お盆の支度の一環だ。
その「せがき」だが、数年前まで、ぼくは、どういう字を書くのか知らなかった。仏教徒として、あるまじき無知である。
親父が亡くなって、ぼくが初めて「せがき」の日に卒塔婆を取りに行くことになったときは、さすがに、「せがき」の意味を調べたのだった。実は、「せがき」が怖かったのである。
お寺に行くと、背中に墨汁で梵字でも書かれてしまうのではないかと思ったり、まさか背中にタトゥーを彫られることはあるまい、などと心配したりしたのだった。
調べてみると、… 「背書き」ではなく「施餓鬼」だった。
施餓鬼とは、施餓鬼会(え)を省略したもので、施餓鬼会の法要に参加したことをしるした卒塔婆を、家に持ち帰ることだったのである。… 13日にお寺で施餓鬼会の法要をやり、新盆(にいぼん)の家などは参加するが、一般は法要が終わったあと、卒塔婆を取りに行く。
施餓鬼会の意味については、… 阿難(あなん・アーナンダ)というお釈迦様の弟子がいて、彼の前に餓鬼というゾンビみたいな者が現れて悩まされていた。お釈迦さまに相談すると、その解決法を教えてくれたのである。その解決法が施餓鬼会の始まりになっているというのだ。
[愛について3] '04.8月4日
[愛について2]で、「ぼくは、愛の概念を持ち合わせていないか、希薄なのである」と書いたが、
究極の愛がどんなものなのか、知ることができればそれに越したことはない、と思い、それを知る方法を考えたことがあったのだ。 遠い昔に。
ぼくは、愛はわからないけれども、愛の反対のものはよく知っていた。
そこで、日常生活の中で、愛の反対のものを、自分や自分の周囲から取り除いていけば、最後にそれが残るのではないかと考えたのだ。
あたかも、深山幽谷の沢で砂金をとるように。器から小石や砂を取り除くと、最後にきらめくものが残るように。
ちなみに、愛の反対のものとは、憎しみであり、恨みであり、復讐心であり、嫉妬心であり、…
上記のことを実践している時には、不思議と、いい友達が次々と出現して来たことを記憶している。
[愛について2] '04.8月2日
特に、人間愛などと呼ばれるものがどーいうものなのか? 十代の頃考えたことがあるが、明確な答えは出なかったのである。
というか、どうやら、ぼくは、愛の概念を持ち合わせていないか、希薄なのである。だから、このテーマ自体が苦手なのだ。
愛について考える際、次のようではまずいだろう。
前回例に挙げた、入社したてのOLをまた登場させれば、
彼女の好きな拓哉君は愛しているけれど、正広君は嫌いである。そして、恋敵(こいがたき)の静香ちゃんは大嫌いである。憎んでさえいる。
これではいけないだろう。彼女の表現している愛は「偏愛」である。
[愛について1] '04.7月31日
ここ二週にわたって「大切なこと(もの)。」をテーマにしてきた。すると、次回のテーマが自然と決まってしまうようなものである。
「愛について。」である。
そこで君に質問する。あなたにとって愛とは何ですか?
[大切なこと(もの)2] '04.7月24日
入社したてのOLが一服しようと、一人で会社のビルの屋上へ出た。
すると、『助けてくれーっ。』という声を聞いたのである。
OLは声の出所を探した。すぐにわかった。
なんと、ビルの屋上から落ちようとしている中年男の部長がいるではないか!
部長は、ビルの壁の縁(ふち)に指を掛け、その指だけで自らの体重を受け止め、落下の恐怖と戦っていたのである。(中年男の部長がなぜそうなったかは、ここでは問題でない。)
またOLに声が聞こえてきたのである。今度は神様の声が聞こえてきたのだ。「あなたにとって一番大切なことは何ですか?」と。… 神様からの質問だった。
OLはすかさずこう答えた。「(私の彼の)拓哉君と一緒にいることで~す」と。
神様は怒って、こう言ったのである。「ばかもの!今一番大切なことは、人の命を救うことだろう」と。
つまり、ぼくは思うのである。人間にとって一番大切なこと(もの)は、その時々で変るのではないかと。
あるいは、人間にとって、一番大切、などというものは無くて、逆に、あらゆるものが大切であり、また重要なのではないかと。
[大切なこと(もの)1] '04.7月17日
ここ数ヶ月のあいだ、どういうわけか、ぼくの内部から顕在意識に向けて、こんな質問が来るのである。
「あなたにとって、あるいは、人間にとって、一番大切なこと(もの)は何ですか?」と。
君だったらどー答える?
[水がめ] '04.7月10日
現在の家は、1979年に新築したものである。ぼくは、それまではなんと、草葺屋根(くさぶきやね)の家に住んでいたのだ。
屋根を麦わらや萱(かや)で葺(ふ)いていた。もし今残っていたならば、重要文化財になっていたかも知れない。
当時、裏庭に井戸があって、その井戸水を飲料水として使っていた。だから、ぼくの水の味のスタンダードは、その井戸のものである。… 軟水だ。
その草葺屋根の家では、水を貯蔵するのに水瓶を使っていた。茶色の瓶で、口径が40センチほどある。
新築した家の装飾品にならないかと、処分しないでとってあったのだが、
先日、ちょっとしたことで、庭の野木になってしまっている植木の中へ分け入ったのだが、忘れかけていたその瓶が突然出現したのである。
すでに木製の蓋(ふた)は朽ちてしまっていて、瓶の中に雨水がたまってしまっていた。このところの猛暑でも、木陰だったために、水は蒸発しないでいた。
その瓶の中を覗き込むと、ボウフラが湧いてしまっていて、彼らの小宇宙をつくっていたのである。
そこで一句浮んだのでしたためておくことにする。なお、瓶を池に置きかえてみる。
古池に
ボーフラはみんな
生きている
[メガネ2] '04.7月3日
前回、メガネをかけたり外したりで、目が疲れてしかたないと書いた。しかし、目の疲労とは別に、メガネの脱着の仕草は、かっこいいものにしたいと思ったのだ。
そこで考えた。例えば、メガネをとったら頭にかけるのはどーかと。
しかし、実際やってみると、あまり具合がよくない。髪の毛の油分がレンズにべったりと付いてしまう。言っておくが、ぼくは脂性(あぶらしょう)ではない。
頭にかけるには、まだ問題がある。メガネのつるを折り畳む蝶番(ちょうつがい)の部分に、髪の毛が挟まってしまうことがあるのだ。かけなおそうとしたときに、引っ張られて痛い。毛が抜ける。老眼になるくらいの年齢なのだから、髪も大事にせねば。
メガネに紐をつけて胸の前へ下げておくというのも考えてみた。しかしこれは、普段はずしておいて、近くを見るときにかける老眼鏡が似合うのかも知れない。
結局、テーブルなどに置くのがベスト、ということになってしまった。
[メガネ1] '04.6月26日
最近、いやここ数年、目が疲れて仕方ない。
メガネをかけないと車の運転ができないし、逆に、たとえば銀行へ行って、住所、氏名、金額などを記入するときには、メガネを外さないと用が足せない。
[ダリア] '04.6月12日
いま仕事がピークである。もう少しで片付くのだが。
そんなおり、無理やり時間を作ってCDショップへ行って、CDを買ってしまった。
疲れを癒してくれるような曲が聞きたくなったのだ。
ぼくの関心を引く音楽はメモを取ってあるのだが、そのメモの中から一曲を選んだ。
DAHLIAの I’LL BE YOUR LOVE である。
[首都圏日傘計画2] '04.6月5日
首都圏日傘計画とは、地球の静止軌道上に首都圏がすっぽり入るぐらいの日傘を設置する計画のことである。
たとえば、首都圏の気温が33度以上になるという予報が出たならば、宇宙空間に浮かべてすぼめてある日傘を展開し、絶えず首都圏が日陰になるように移動させるのである。
地上から太陽を見れば、太陽に紗がかかったように見えるだろう。
ただし、首都圏にも夏は必要である。夏の日照と温度が必要な農作物もあるだろう。また、ビール会社なども夏がないと困るわけである。
だから異常高温が予想されたときにのみ、首都圏エリアに輻射される太陽エネルギー3%とか5%とか、必要最小限の量をカットするのである。
実をいうと、その日傘をどれ位の大きさにすればいいのか計算できていない。
ちなみに、東京を中心にヒートアイランド現象が出現するエリアといえば、半径で20キロや30キロになるだろう。
[首都圏日傘計画1] '04.5月29
今夜はソフトボールの練習があった。地元の中学校のグランドに照明設備があるのだ。そのグランドを借りられる。
それが終わって9時半ごろ帰宅したのだが、自分の部屋に入ると、むっとする温度を感じたのである。
むっと感じたのは、からだが運動のせいで火照っているのかも知れないと、部屋にある温度計を見てみたのだが、からだのせいではなかった。部屋の温度が29度もあったのである。
からだをクールダウンさせるために仕方なく、今年初めてエアコンをつけてしまったのだ。それにしてもまだ5月である。
想像するに、今年の夏もまた、昼間の気温が36度とか、あるいは39度とか、また、夜は夜で熱帯夜の連続などと、暴力的な暑さがやって来るのかと思うと、憂鬱になってしまう。
話は変わるが、ぼくは、首都圏で生活する人々を、夏の過酷な暑さから開放してあげようと、ひそかに考えていたのである。
そのアイディアを披露しよう。
少し規模が大きいので、国家プロジェクトになってしまうと思うが、… 名づけて「首都圏日傘計画」という。
次回へ続く。
[バードビュー2] '04.5月14日
…。バードビュー、日本語では鳥瞰あるいは俯瞰ということだろう。ではその反対語は何だろう?と考え込んでしまったのである。
しばらくして「仰視」という語句が浮んできたのだが、もっとふさわしい言葉があるような気がするのだ。
例えば「虫視」とか「虫眼視」のような言葉である。アリンコの目になったように細部を観(み)ることである。
家に帰ってから、洗車する前に辞書で調べてみたのだが、反対語は載っていなかった。辞書には通常「⇔」のような矢印で反対語(対義語)が載っているはずなのだが、無かったのだ。
今度時間ができたら、鳥瞰俯瞰の反対語を見つけてみようと思う。
[バードビュー1] '04.5月8日
ぼくの愛車レガシィのことだが、いまだにカーナビを付けられないでいる。
洗車のためのスポンジを買いにカーショップへ行ったとき、つい、カーナビが展示されているところへ行ってしまったのだ。
どのメーカーのカーナビを見ても、ディスプレイを分割して、その一方は3次元の画像を見せていた。いわゆるバードビューである。
「バードビュー」、ぼくはこの語句に囚われてしまった。いや、正確に言うと、その反対の言葉にである。
バードビュー、日本語では鳥瞰(図)あるいは俯瞰(図)だ。ではいったい、その反対の語句は何だろうか?と。どーいう訳かそれが知りたくなってしまったのである。
たしか、「虫瞰」という言葉があったような気がするのだが、
これからは自宅に戻ってからのことだが、… 国語辞書で調べてみたのだが、「虫瞰」という言葉は出て来なかったのである。あとは「仰視」などという言葉か?
文が長くなってしまった。次回へ続くとする。
[記念撮影] '04.5月1日
日本人には、記念撮影をするときに「チーズ」という慣わしがある。そのために、出来上がった写真を見ると、みんな口を突き出した顔になってしまっているのだ。
残念なことである。
君もやってみればいい。「チーズ」のズと発音したときに、口がタコのようになってしまうのに気づくだろう。
ぼくは、せっかくの思い出の写真に、笑顔が写っているようにしてあげたいと、常々考えていた。
そこで考案したのだ。「チーズ」のあとに「ケーキ」とつけ加えることを。
「チーズケーキ」と言うのだ。
撮影時、みんなで声を合わせて「チーズケーキ」と発声すれば、きっとよい写真が撮れるはずである。