sumi-Cノート <excerpt> そこで君に質問です。あなたにとって、あるいは人間にとって、生きるとはどういうことですか? … 続き
(7) 今週の出来事 2004年 9月~ 10月
[お歳暮] '04.12.31
[しわす] '04.12.25
[パジャマ] '04.12.18
[キウイ] '04.12.8
[新渡戸稲造] '04.12.4
[秋のゴルフ] '04.11.19
[再び小鳥の話] '04.11.13
[生きるということ3] '04.10.22
[生きるということ2] '04.10.16
[生きるということ1] '04.10.9
[コーンポタージュスープ] '04.10.2
[ソーセージ] '04.9.25
[中国茶] '04.9.18
[タイムマシン] '04.9.11
[浅間山の噴火] '04.9.2
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[お歳暮] '04.12月31日
しまったぁ! …
近所のカネダさん宅へお歳暮を届けたのだ。お歳暮といってもかしこまったものではなく、500mlの缶ビールを6本、レジ袋に入れただけの贈り物だ。
そのレジ袋の中へレシートを入れておいたのだが、うっかり取り出すのを忘れてしまったのである。
あ"あ"。新年の挨拶を赤面してするようだ。
[しわす] '04.12月25日
今日のこと、仕事で「しわす」と書く必要にせまられた。ところが漢字を思い出せない。 度忘れだ。ついにボケが始まってしまったか!
ところで君はすぐに書けるかな?「しわす」と。もし思い出せなかったらぼくの友達だ。
わす?ワス?wasu?「師」は初めから書けたのだが、「わす」が思い出せない。悔しかったが、辞書で調べてしまったのである。
わかると、どーということもない。
しかし、よくよく考えてみると、「走」を「わす」と読ませるのは、かなり無理があるのではないだろうか。連想が出来ない。
「子どもが元気にわすり回っている。」などと人が話すのをのを聞いたことがない!今でいう、サバギャルとかバリサンとかと同じだ!
*ちなみに、サバギャルとは 、ラメの服や化粧をした女の子。バリサンとは 、携帯電話で電波表示が3本立っていて、電波の繋がりが良いこと。
[パジャマ] '04.12月18日
夕方の6時頃、友達がぼくの家を訪ねて来て、玄関のチャイムを鳴らした。ちょっとした用事だった。
なかから出てきたぼくの格好を見て、彼は驚いたようだった。パジャマを着ていたからである。病気かと思ったらしい。
実は、ぼくは家にいるとき、すぐにパジャマに着替えてしまう習慣があるのだ。風呂など入る前からである。
パジャマが一番リラックスできるのだ。逆に、ジャージやトレーナーを部屋着にするのはどうも好きになれない。落ち着かない。
ジャージやトレーナーは、軽いスポーツをするためのウエアーである。それを着るということは、「スポーツをやるぞ」というスイッチを入れることになるのだ。たぶん血圧も軽く上がるのだろう。だから落ち着かないのである。
ぼくは、ソフトボールのチームに入っている。当然ユニフォームを着るのだが、ユニフォームを身に纏(まと)うと、その瞬間から、スポーツモードどころか、かなりの戦闘モードになる。
つまり、衣類も自己暗示や自己催眠を掛けるための重要な道具になるということである。
そう言えば、巷(ちまた)では、女性が「勝負服」なるものを着ることがあると聞く。戦闘モードということか?それもまたこわいことである。
[キウイ] '04.12月8日
昨日、近所の家の奥さんからキウイを頂いた。20コもである。
朝になって、キウイを入れておいた箱を覗いて見ると、17コしかなかった。
3コは夜のうちに逃げてしまったようだ。
[新渡戸稲造] '04.12月4日
11月1日から新紙幣になった。20年ぶりの一新という。
ここで話題にしたいのは新札ではなく、旧紙幣のことである。5千円札の登場人物、新渡戸稲造(にとべいなぞう)についてだ。
結局、新渡戸稲造という歴史上の人物が、誰だったのかよく解らないで過ぎ去ってしまった。うっかりするとマギー司郎かと思ってしまうくらいである。それに比べ、さすが今度の樋口一葉は存在感がある。
ところで不思議なことだが、だんだん新渡戸稲造がいなくなると、寂しい感情が湧いて来たのである。
ここへ来てぼくの中では、旧紙幣の中で一番希少価値が出てきてしまったようだ。
[秋のゴルフ] '04.11月19日
秋になると、ゴルフコンペが2回ある。同級生が中心になっているやつと、自治区の名前がついているコンペである。どちらも必ず参加することにしているのだが、今年は二日連続になってしまった。
二日連続でゴルフをすると、いかにも第二日目は、前日の反省を基に、よいスコアが出せそうである。
しかし、そんなことはない。過去に1回経験しているのだが、筋肉痛や疲れきってしまったりで、なかなかうまくいかないのだ。実は今回も両日ともほぼ同じスコアだった。
ゴルフ場には浴場があって、プレーが終わると、気持ちよく汗を流せるのだが、今回は、よほど疲れていたみたいである。備え付けのボディーシャンプーを使うつもりだったのだが、誤って、シャンプーANDリンスをつかって身体を洗ってしまったのだ。おかげでからだがやけにつるつるしてしまった。
[再び小鳥の話] '04.11月13日
昨年の今頃、[小鳥]というテーマで書いたことがあるが、
今年に関しては、10月31日の朝のことだった。窓の外からキーキーという金属音に近い鳴き声がする。「また来た」と思ったのである。
11月2日、久々に晴れたので、レガシーを庭に置くと、さっそくだった。サイドミラーにたっぷりとフンを掛けられてしまったのである。
しかも次の日など、車を車庫の中に入れておいたのだが、シャッターを閉めないでいたら、その小鳥は中まで入って来て、ミラー攻撃、つまりフン攻撃をしてきたのである。
大陸からはるばる小さい身体で、ぼくの家を忘れないで帰ってくるのだから、それに対しては敬意を表さなければならない。だがしかし、冬のワンシーズン、頭を痛めなければならないのだ。
[生きるということ3] '04.10月22日
前回、「生きるとは」の答えは二つあると書いた。一つは、最も基本的な手段であるという認識だった。もう一つの答えは …
その答えは、「わからない」 である。
我々の住んでいる世界が、青い光で満たされていたとする。すると、その色が普通なので、「青」が認識できないのである。ある日突然、宇宙から赤い光が射して来たとする。そのとき初めて、自分たちが青い光の世界に住んでいたことに気づくのである。
つまり、「生きている」ということも同じことで、それ自体単体のものなので、比較が出来ないのである。
生きるの反対といえば「死」だろう。その「死の世界」がどんなものなのかわかれば、「生」がわるだろう。でも死んだ後に生き返って、死というものを客観的に報告した人はいない。つまり、生は「わからない」のである。
[生きるということ2] '04.10月16日
「生きるとは」その答えは二つあると思う。その一つは、「最も基本的な手段である」ということだ。
つまり、死んでしまったら何にも出来なくなる、ということである。
生きていることは、つまり手段、道具なのである。
だから、「生きるってすばらしい!」などと、ただ生存していることに価値を見出したくはない。
「生きて、何かを作り出してなんぼ」としたい。つまり、生きて、活動して、それによって作り出されたものに、初めて価値が生まれる。そのように考えたいのである。
[生きるということ1] '04.10月9日
以前、「愛」について書いたことがある。その続きだ。
こんどは「生きるとは」についてである。
そこで君に質問です。あなたにとって、あるいは人間にとって、生きるとはどういうことですか?
[コーンポタージュスープ] '04.10月2日
お彼岸には、親戚回りをするのだが、大概はお年寄りの話し相手をして帰ってくる。
ある親戚へ行ったときのことである。
じいさんがいて、その日は肌寒かったのだが、「こんなものしか無いが」と言って、お茶ではなく、ギンギンに冷えた缶入りのコーンポタージュスープを出してくれたのである。
ぼくは軽い恐怖を感じた。
( じいさん、これは暖めて飲むものじゃ 、 )と言いたかったのだが、… もしや、このじいさん、家族に火を使うのを禁じられているのかもしれない。だからそう指摘するのは控えたのである。
仕方なくプルタブに指を掛け、いただくことにしたのだ。ぼくの消化器官はあきらかに収縮した。
それはいいのだが、じいさんもその冷えた缶入りスープを煽るように飲んでいた。じいさんの食事からの健康管理が密かに気になってしまったのだ。
[ソーセージ] '04.9月25日
ビールのつまみの話だ。
いま、お魚ソーセージにはまっている。ソーセージを2本程度用意し、数多く口に運べるように、包丁を直角に当てて、1センチ厚ぐらいの輪切りにする。
フライパンにはバターと、これがミソなのだが、オリーブオイルを入れて炒める。ソーセージにオリーブオイルがよく合うのだ。あとは塩とコショウを使うだけ。
先日も、そのつまみを作ろうとしたのだが、まな板を不安定なところに置いて作業したのがいけなかった!
ほんのちょっとだが、まな板をたたいてしまったのである。まな板が少し飛び上がった。
まな板の上にはすでに包丁を入れて、立った状態のソーセージが乗っていたのだが、タイヤの形をしたソーセージはみんな転がって、流しの中や床に落ちてしまったのである。
悲しい瞬間だった。
でもぼくはめげなかった。床に落ちたものにはゴミとか付いていたのだが、よく洗って、よく炒めて、食べちゃったのだ。
[中国茶] '04.9月18日
最近、近所のディーンさんから中国茶を頂いた。ディーンさんはここ3ヶ月のあいだ上海(シャンハイ)に出張していたのである。
茶筒には福州なにがし雪峰村と製造元が書いてあった。地図を見てみると、福州というのは福建省の中にあった。上海の南である。
高山茶だそうだが、さっそく頂いてみた。
ぼくは中国人ではないので、中国茶を喫するための茶器は持っていなかった。だから、日本茶の急須を使って茶を入れるしか選択肢はなかった。
飲んでみた。… うまい、うまいあるよ!
ディーンさんとぼくの関係からして、最上級の代物を頂いたとも思えないのだが、
日本茶は昔、気つけ薬に用いたと言う。それに対し中国茶は、どちらかというと、リラクゼーションに寄与する飲み物のようである。
[タイムマシン] '04.9月11日
子供の頃、H・Gウエルズのタイムマシンを読んだことがあるが、
それにしても、いまだに、「時間を旅する」という題材は、映画などで頻繁に使われている。
このあいだも、テレビの深夜放送で、「リターナー」という映画を観てしまった。金城武と鈴木杏が出ているやつである。
有名なところでは、ターミネーターやバックトゥザフューチャーだろう。
さて今回は、タイムマシンについて考えてみようと思う。
ぼくは、タイムマシンというのは結局、宇宙船でなければならないと考えている。どういうことかと言えば、…
タイムマシンがあって、半年前へ帰ろうとした場合、そのタイムマシンが、絶対的な同じ場所(座標)で時間をさかのぼるとするならば、それを実行した場合、そのタイムマシンは、宇宙の虚空へと放り出されてしまうことになるのである。
なぜならば、半年前の地球は、太陽を中心として、まだ、その反対側にあるからである。
[浅間山の噴火] '04.9月2日
浅間山が噴火したとのニュースがテレビから流れた。
テレビのキャスターが、現地の村役場の人と電話でやり取りをしていた。それがやけに印象に残ったので、記しておくことにする。
キャスター 「どんな音がしましたか?」
村役場の人 「工事現場で発破(はっぱ)を爆発させたような音がしました!」
キャスター 「???」
発破の音を、村役場の人以外誰も聞いたことがなかったのだ。
現地で降灰の被害を受けたキャベツ農家などは、冗談ではないが。