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(8) 今週の出来事 2005年 1月~ 4月

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[超能力1] '05.4.23
[新紙幣] '05.4.16
[CDショップ] '05.4.9
[もったいない。] '05.4.2
[逆立ち] '05.3.26
[空中に浮く夢] '05.3.19
[財布] '05.3.12
[財閥] '05.3.4
[シャープペンシル] '05.2.26
[花粉症2] '05.2.19
[花粉症] '05.2.12
[余寒見舞い] '05.2.5
[74円] '05.1.29
[準備体操] '05.1.22
[初詣2] '05.1.15
[初詣] '05.1.6

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[超能力]  '05.4.23

最近のぼくは、超常現象や超能力にはあまり関心が無いのだが、テレビを見ていると、霊能者だとか占い師だとか、けっこう頻繁に登場しているのに気づく。

司会者やタレントが、霊能者にひれ伏している様子を見ていると、きっと、多くの視聴者が、「自分にもあのような超能力があったらいいのにな」と思うに違いない。

しかし、超能力など、人間に無い方がよいのだ。
 
仮に、こんな薬が発明されたとする。その薬を飲むと、超能力が発現し、空中を浮遊することが出来るようになる。つまり空を飛ぶことが出来るようになるのだ。

ところが残念なことに、その薬が効いたのは、人口の4分の1ぐらいだけだった。

そこで、会社に出勤するのに、4分の1のサラリーマンは、あたかもジョギングをするように、空を飛んで行けた。あとの4分の3の人間は、やはり満員電車での通勤を強(し)いられることになった。

さて、空を飛べないサラリーマン達は、どう思うだろうか。この現状は絶対に許されるものではない。最悪な差別である。憎悪がどんどん溜まっていく。

暴動が起るに違いない。世界はアナーキー状態になってしまう。

つまり、超能力など無い方がよいのである。



[手のりワニ] '05.4.22


↑4月20日、暑い日だったので、手のりワニ?が出て来た。



[新紙幣]  '05.4.16

今週は辛かった、昼間は仕事に追われ、夜は夜で付き合い上の用事で深夜にならなければ帰宅することが出来なかった。

今週はあまり興味を引くことも起こらなかったので、これを読んでくれている君にクイズを出すことにする。

新紙幣のことです。千円札には夏目漱石、五千円札には樋口一葉、では一万円札には … 福沢諭吉ですが、さて、それぞれの紙幣の裏にはどのような絵が描かれているでしょうか?

答えは自分で調べてください。答えられなかったら、ぼくと同じ、決してお金持ちにはなれないでしょう。



[CDショップ]  '05.4.9

12ヶ月点検のためにレガシィをディーラーにあずけてあったのだが、それをとりに行ってきた。その帰りに、ショッピングモールの中にあるCDショップに寄ってみたのだ。日曜日の夕方のことである。

すると、店の中で先輩の娘さんに遭遇した。高1の女の子である。彼女の方から会釈をしてくれたのだが、メイクをしていて綺麗になっているので、すぐには彼女と気づかなかったのである。

それはともかく、ぼくが、倖田來未のCDジャケットを見終わって、棚に戻したところでよかった。それを見られていたら、… おじさんのぼくが倖田來未を真剣に眺めているのを見られていたら、… かなり恥ずかしい思いをしたに違いない。



[もったいない]  '05.4.2

ワンガリー・マータイさんは日本語の「もったいない。」という言葉に感銘を受けたそうである。
逆に、日本人のぼくの方が、その言葉を日常から遠ざけてしまっている。

お彼岸で、親戚の家にお邪魔したときのこと、「車ではお酒を出せないから。」と言って、帰り際にビンビールをもらった。
後日そのビールを頂こうとしたのだが、賞味期限を見ると、3月までになっている。つまり製造から半年が経っていたのだ。
ぼくは、一日1本づつ、3日を掛けて飲み干した。お腹(なか)を壊(こわ)さないだろうかと、軽い緊張感をも味わいながらだった。

「もったいない。」という価値観の実践には、勇気を必要とするのだ。



[逆立ち]  '05.3.26

ぼくは、ママさんバレーの練習を手伝っている。週一でひと汗かけるので、実は自分の利益なのだ。

体育館に入ると、選手とは別に、ぼくもウォーミングアップをする。まず初めに逆立ちをするのだ。

体育館の壁にもたれてのことだが、日常では頭が下になることはないので、平衡感覚がリフレッシュするのである。

最近は、頭を床につけて腕は最小限の補助のみとして、しばらく体重を頭にかけるようにしている。すると、なんとなく頭蓋骨のてっぺんが歪むというか、つぶれるような感覚になるのだ。それがなんとも、気持ち悪くて気持ちいいのだ。



[空中に浮く夢]  '05.3.19

数日前のことだが、空中に浮く夢を見ることが出来た。久しぶりだったのでうれしかった。

その前に見たのはいつのことだったろうか。ずいぶん昔である。

以前というか、子供の頃に見たそれは、両手を広げて、低い空を飛ぶというものだった。

が、今回見た夢は少し違っていた。

立っていて、気をつけをした状態で、手のひらを腿(もも)の脇で、腿をパタパタと小刻みに叩くようにすると、… ちょうど、焼き鳥を焼くときにうちわをパタパタとやって炭をおこすときの感じである。 … なんとなくからだが浮き上がるような気がしたのである。

そこで腹筋を使って、からだをくの字にするように力を入れてみたら、なんと、床から足が離れて浮いたのだった。

そのパタパタを激しくしたら、高さが得られてきた。

子供の頃の飛び方に比べて、少し格好は悪いが、空中に浮いたことには違いなかった。



[財布]  '05.3.12

しまった! 財布を洗ってしまった。

作業ズボンのポケットに財布を入れておいたのだが、うっかり洗濯機に放り込んでしまったのである。

財布に厚みが無く、しかも軽すぎたためである。財布に存在感がなかったのだ。

… かなしい!



[財閥]  '05.3.4

3日、堤義明氏が証券取引法違反の容疑で逮捕された。堤財閥の瓦解である。

ぼくも将来、大富豪になったなら、気を付けようと思った。



[シャープペンシル]  '05.2.26

外出先でのことだが、シャーペンを使って記入することがあった。ぼくとしてはめずらしく、漢字を間違えてしまったのだ。

直そうとしたが、手元に消しゴムが見当たらない。そこでしかたなく、シャーペンのキャップを外して、シャーペンに付属している消しゴムを使ったのである。

それが大きな誤りだった。

家に帰ってから気が付いたのだが、ノック式のシャーペンの、ノック部分のキャップが無くなっているのである!

一度キャップを外してしまったので、緩んでしまったのだろう。ぼくは、強いショックと後悔の念にさいなまれた。

(なんでシャーペンの消しゴムを使ってしまったのだろうか)と。

シャーペン本体の不完全になったフォルムを見ると、目を背けたくなった。これから先、このシャーペンを使いたくない感情が湧いてきたのだ。

と、同時に、次のような感情も湧いてきた。

不完全になったシャーペンであっても、シャーペン本来の機能は損なわれていないではないか。シャーペンを見た目で判断してはいけない!不完全なほど、いとおしいではないか。

ところで、ふっと我に返ったのである。… 景品でもらったシャーペンの、キャップごときに心を揺すぶられるようでは、大物の人間にはなれないだろう。そう思ったのである。



[花粉症2]  '05.2.19

ぼくは花粉症にもインフルエンザにも罹(かか)っていない。幸運なことである。

しかし、今週になって、テレビは嫌な情報を流していた。

嫌な情報というのは、次のようなものである。

現代になって、日本人のからだから寄生虫がいなくなった。そのため寄生虫に抵抗するための抗体があったが、本来の目的を果たすことなく体内に残っている。その抗体がスギ花粉と反応を起こしている、というのである。

ということは、花粉症に罹っていないぼくは、寄生虫を飼っている可能性がある、ということではないか!



[花粉症1]  '05.2.12

先日の夕方、テレビの天気予報で解説していたのだが、スギ花粉の飛散が始まるのは、1月1日からの、1日の最高気温の積算が、350°から400°Cになったときという。そして、そろそろその温度になるらしい。

天気予報とは関係ないのだが、また最近、インフルエンザの流行が始まっているらしい。小中学校での学級閉鎖の話をよく聞く。

日本人にとって、まさに二重苦である。

そこで一句浮んだのでしたためておくことにする。

花粉症
インフルエンザ
どっちが好き?



[余寒見舞い]  '05.2.5

今日は2月5日だが、今になって年賀状をポストに投函してきた。
気持ち的に、年賀状をくれた4人の人には、どうしても返信したかったのである。
いや、不幸があったり、旅行に出ていた訳ではない。暮れから正月にかけて仕事が入ってしまって、年賀状を書く余裕がなかったのだ。

年賀状を書こう書こうと思っていたのだが、あっという間に松の内(1月7日まで)が過ぎてしまった。では今度は、寒中見舞いを書こうと考えたのだが、それも即行で過ぎてしまった。寒中見舞いを出せるのは、どうやら立春までだった。
(仕方ない、暑中見舞いまで待つか。)と思ったのだが、念のため、インターネットで調べてみると、寒中見舞いのあとに、2月いっぱいまで出せる、「余寒見舞い。」というのがあることを発見したのだ。
つまり、2月5日、今日ポストに投函したのは、正確に言うと、余寒お見舞いのハガキだった。

考えてみれば、ぼくにとっては、気忙(きぜわ)しく、松の内に年賀状を書くよりも、余裕が出来たこの時期に、自分で撮ったデジカメ写真を添付して、手書きの文章で、稚拙(ちせつ)ながら丁寧に書いた今回の「余寒見舞い」のハガキの方がずっとよかったような気がしたのだ。



[74円]  '05.1.29

仲間うちで新年会をやることになった。仲間うちなので幹事など必要ないのだが、一応ぼくが幹事をすることになったのだ。

ある日、一人の仲間に会った。(ラッキー。連絡する手間が省ける)と思った。

口づてでも悪いので、ぼくはメモ用紙に新年会のことを走り書きにして、彼に渡した。日にち、時間、店の名前、会費などを記したものだ。

新年会当日、ぼくは幹事なので末席にいたのだが、メモを渡した彼も時間通りに部屋に入ってきた。

そして、ぼくに近づくなり、驚くべきことを言ってきたのである。
「会費は74円でいいんだよね!」 と。

それからそいつは、ぼくがやったメモをぼくの顔に近づけてきた。

… 「うッ!」

7千円と書いたつもりが、千が4にみえて、確かに74円になっていたのだ。



[準備体操]  '05.1.22

ぼくの住んでいる地区はスポーツが盛んだ。最近では、自治会の新年会のアトラクションで、グランドゴルフ大会をやったばかりである。その他にも、地域主催のソフトボールやバレーボール大会が催(もよお)される。

練習や試合の前には、全員で、必ず準備体操をやる。なぜか、ぼくが集団の前に出て、準備体操の進行をしなければならないのである。ぼくは別にスポーツのリーダーという訳ではないし、あまり目立つことはやりたくはないのだが。

ところで、準備体操をやっている最中のことだが、からだの前後屈(ぜんこうくつ)あたりに来ると、「あ~ッ。」とか「う~ッ。」とか「痛テテテテッ。」とか、ことさら大きな声を出して、自(みずか)らのからだの堅さをアピールする人が必ずいる。いったい何をみんなに伝えたいのだろうか?と、いつも思ってしまうのだ。



[初詣2]  '051.15

前回、神様に対して、不満の感情を吐露してしまったのだが、よくよく考えてみると、…

神様が霊能者などを遣わして、人々に大災害が迫っていることを事前に知らせた。しかもそのお告げ(おつげ)が的中してしまった。

実は、このようなことが「なくてよかった」のである。つまりこう言うことだ。


奇跡などを見せられて、神の存在が現実味を帯びてくると、現代に久しく忘れられていた預言者などが再び出現したり、神官により会見の幕屋(旧約聖書)などが設けられたりするようになる。

神官や僧侶は、形而上学などを持ち出して、現実の社会や経済に発言権を、あるいは影響力を行使したいと考えるようになる。すると、我々を統治する者が、我々の代表としての政治家から、神官や僧侶になってしまう。

そうなると、コペルニクスやガリレオがせっかく努力してくれたのに、再び太陽が地球の周りをまわり出すような、変な法則がまかり通ることになってしまったりする。

つまり、神様は公(おおやけ)に出て来ない方がよいのである。



[初詣1]  '05.1.6

寝坊なぼくだが、朝早くから起きなくてはならなかった。初参りである。

個人的にだったら、まず出かけることはないだろう。眠いし、寒いし。

しかし、ぼくの家がその神社の講(こう)に入っていて、代参として、近所の家の護神符(ごしんぷ・おふだ)まで、まとめて貰(もら)い受けに行かなければならなかったのだ。つまりぼくは氏子(うじこ)なのである。

氏子数人、一台の車で出かけた。ぼくは後席にいた。車中会話が途切れることはなかったのだが、ぼくには、密かに、頭の中を離れない思いがあったのだ。

神様が本当にいるのならば、15万人もの命が一変に消える、そのような大災害に対しては、事前に警告してくれてもよいではないか、という神様に対する不満の思いである。

… 上記は、2004年12月に発生した、インドネシアのスマトラ島沖地震のことを書いたものだ。死者がのちに、22万人などという報告もある。



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