日本三百名山をこうして踏破した
九州の22座(その1)
1989年
日本百名山を目指していたときに2回で6座、その後2回で16座を登頂しました。
5/2 東京→→→→大分・・・・・・ビジネスホテル泊
5/3 大分市(5.10)===尾平(7.10)−−−宮原−−−祖母山(9.20-9.30)−−−天狗岩−−−尾平(11.20)
5/3 尾平(11.40)===仙酔峡(13.30)−−−仙酔尾根−−−阿蘇高岳(14.50)−−−中岳−−−火口東駅−−(ロープウエイ)−−仙酔峡(16.30)・・・・・・・・テント泊
5/4 仙酔峡(5.00)===牧の戸峠(6.10)−−−久住山(7.15-7.30)−−−中岳−−−牧の戸峠(9.00)
5/4 牧の戸峠===由布正面登山口(12.00)−−−合野越−−−由布岳東峰(12.10)−−−正面登山口(14.00)===大分市・・・・・・・ビジネスホテル泊
5/5 風雨 大分駅〓〓〓宮崎駅==バス==えびの高原(15.20)−−−韓国岳(16.15)−−−えびの高原(17.10)・・・・・・ホテル泊
5/6 小雨 えびの高原(8.30)==バス==林田温泉==バス==西鹿児島駅〓〓〓開聞駅(14.15)−−−開聞岳(16.05)−−−開聞神社(17.10)・・・・・・旅館泊
5/7 開聞駅(5.43)〓〓〓西鹿児島駅〓〓〓霧島神宮駅(8.29)==タクシー==高千穂河原(9.00)−−−高千穂峰(10.30-10.50)−−−高千穂河原(11.40)−−−霧島神宮(13.10)==バス==林田温泉乗り換え==鹿児島空港(16.20)→→→→東京
:3日と4日はレンタカーを使いました)
【参考】
●直腸癌の手術と、それにともなう人工肛門の造設という衝撃から立ち直り、日本100名山を目指すよになったわけですが、1週間という長期間を、一人で遠い九州へ行くことは、当時の私にとっては大冒険でした。
人工肛門の関係でアクシデントが起きたとき、一人で対応できるのか、それが一番の不安でした。

●最初、私は日本100名山を目指しました。上の実績はそのときのものです。

●折角の九州だから、時間を有効に使おうとして、3日と4日は2山づつ登りました。とくに由布岳は走るようにして往復しました。由布岳と高千穂峰は予定以外の登頂でした。

●計画では韓国岳から高千穂河原へ縦走するつもりでしたが、暴風雨に近い荒れ模様が続きそうだと言うことで、強風雨の中を無理して韓国岳だけ登りました。(その後1998.10月、縦走することができました)

●九州にある日本100名山は、宮之野浦岳を除いて5座ありますが、それぞれを結ぶアクセスが大変不便です。
ただし300名山を最初から目指すようなら、効率の良い回りかたができると思います。

九州の22座(その2)
1989年
12/23
  〜
25
東京→→→鹿児島→→→屋久島空港==(バス)==安房==(タクシー)==屋久島ランド散策(14.10-14.30)−−−登山道入口(16.20)−−−淀川小屋(16.55) 《泊》 (6.15)−−−花之江河(7.20)−−−宮之浦岳(9.10-9.15)−−−花之江河−−−淀川小屋(12.10-13.50)−−−登山道入口(14.30)==(タクシー)==安房==(バス)==宮之浦港旅館泊
翌日、宮之浦港から船で鹿児島へ、さらに飛行機で東京へ。

降雪の後で、登山道の雪面の下が空洞のモナカ状態になっていて、体力は倍も要したように感じました。
ガスで視界はきわめて悪く、何度引き返そうと思ったかわかりません。この機会を逃がしたら、いつまた来られるかわからない、何としても山頂を踏まなければという執念で登りました。
他に登山者もなく、終始たった一人だけでした。


九州の22座(その3)
1989年
12/23
  〜
25
神戸港からフェリーで日向港へ。九州に残された300名山7座を一気に登る意気込みで出かける。マイカーの走行距離はかなりのものになった。

1日目・大崩山  2日目・傾山  3日目・−−−−  4日目・普賢岳、多良岳  5日目・背振山、英彦山  6日目・大船山  7日目・湧蓋山、由布岳、鶴見岳  8日目・尾鈴山

3日目は大雨に遭遇したが、7日間で300名山10座を登って九州を完了。300名山以外に 阿蘇烏帽子岳  天山  大分釈迦ケ岳 平冶岳  矢筈岳を併せて登頂。