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  雨飾山=あまかざり(1963m)  

長野・新潟県 2010.08.02. 単独  マイカー 地図 雨飾山 二等等三角点
小谷温泉登山口(6.10)---ブナ平(6.50)---荒菅沢渡渉(7.15-7.20)---笹平(8.13)---雨飾山(8.35-9.00)---荒菅沢(10.00-10.10)---登山口(11.05)
雨飾山山頂

13年ぶり、3回目の雨飾山登山。

下界は例年にない猛暑と言われている。そんな暑いさ中での登山、何も好き好んで汗をかきに行かなくても・・・・と思われそうだ。
ところがウイクデーのこの日も、酷暑予報にもかかわらず中級山岳の雨飾山へは結構な人数が登っていた。

早朝4時過ぎに長野市の自宅を出る。小谷温泉先の登山口着6時、すでに10台以上どの車が止まっている。
登山口から木道など平坦なアプローチが終わると急な登りとなる。実質的にはここが登山口というところだ。昔は広い河原になっていたような気がするが、今は草などが茂って様子は変わってしまった。

ブナの大木が点在する急登を、ゆっくりペースの先行者を次々と追い抜いていく。以前の記憶よりかなり長く歩かされた感じでようやく荒菅沢へ着く。ここに雪渓の残っている時期に訪れたのは初めてだ。
分厚い雪渓の上を歩いて渡渉、冷蔵に入ったように涼しい風が吹いている。汗が引いていく。

雨飾山のシンボル『布団菱』は見えるものの、稜線には雲が絡んでいたる。山頂の展望は期待薄だ。
荒菅沢5分の立ち休憩で急登にとりつく。赤土が濡れていて滑りやすい。先日白馬大雪渓で転倒強打して数日間の痛みに閉口したのがトラウマとなっていて、今日は絶対に滑って転ぶようなことはしない・・・と言い聞かせていたので、慎重に足場を確認、慎重に足を運ぶ。

樹林帯を抜けてもまだ急登はつづく。しかし吹く風が急に涼しく感じてほって一息つける。
休まずに先へ進む。高山植物が一面に広がっている。3000メートル級の北アなどにも負けないお花畑だ。記憶にとどめるために種類ごとに1枚づつカメラに収めていく。

急な岩場に頑丈な梯がかけられている。アサヒビールの提供となっていた。昔もあったのかどうか記憶にない。さらに花を見ながらひと登りすると笹平の標柱、雨飾温泉からのコースが合流する。
ここで方向を南西に変えて、霧の去来する平坦なお花畑の中を、ルンルン気分で進むともう一度梯子を上って雨飾山山頂となる。

寒いと感じるほどの涼風が吹き抜けている。石仏も山頂の様子も以前と変わっていない。四囲の山々はガスに隠れてその姿が見えないのが残念だった。
先着の登山者と30分近く話をしてから山頂を後にした。

笹平から下っていくと、ファミリーが登ってきた。女の子二人を連れた若い夫婦、上の子は小2、下は幼稚園とのこと。自力で頑張っている。すごい! ついわが孫と比べてこの頑張りに感動してしまう。二人に精一杯の褒め言葉を送る。すがすがしい余韻がしばらくつづいた。
荒菅沢の雪渓で、手のしびれるような冷たい水を腹いっぱい飲んでから元気復活した足で登山口へと快調に足を運んだ。


長野・新潟県 1997.08.30. 実弟同行  マイカー 地図 雨飾山 二等等三角点
小谷温泉登山口(6.00)---荒菅沢(7.30-7.40)---山口コース分岐(8.53)---雨飾山(9.15-9.55)---山口コース分岐(10.10)---荒菅沢(10.55-11.00)---登山口(12.00)

荒菅沢からの畳岩岩

弟と雨飾山へ登っ
  8月25日 妙高山
  8月26日 火打山・焼山
  8月27日 高妻山・乙妻山
  8月30日 雨飾山
  9月 1日 八ケ岳阿弥陀岳
  9月 2日 三の沢岳・木曾駒ケ岳

と、休む間もなく連日山へ出かけているが体調はすこぶる良い。
 
 雨飾山の楽しみは、下山して無料の露天風呂に入れることだ。妻と雨飾山へ登ったとき、また妻と天狗原山へ妻と登ったとき、そして大渚山へスキー登山をしたとき。いずれもこの露天風呂で汗を流したものだった。
土曜日だというのに、時間が早いせいか駐車場には2~3台の自動車しか見当たらない。

大海川沿いの木道歩きからはじまる。10分ほど平坦な木道を歩いた後は、左手の山腹の登りに取り付く。早速急登の始まりである。標高差300メートル以上を直登して行く感じだ。この登りは立派なブナ原生林の中で、たいへん気分の良いところだ。あとひと月すれば黄葉が見事だろうが、木々の色づきにはまだ早い。
いつも思うのだが、頭上を覆うように枝葉が茂っているのに、ブナの森はどうしてこう明るく感じるのだろう。上空はまずまずの晴れ間が広がっている。

50分歩いた地点、『荒菅沢へ30分』の標識で1本立てる。回りはブナの巨木ばかり。なんておおらかで静かなことか。
 急登はもうしばらくつづく。一歩一歩ゆっくりペースで登って行く。癌にかかり、死と競争するのように切羽詰まった気持ちで、日本百名山早期達成を目指して遮二無二登った8年前とは、登る山は同じでも気持ちはまったく違っている。

傾斜が緩くなってきて、間もなく荒菅沢への下りに入る。たいした下りではないが、せっかく汗した登りを失うのは惜しい。  
下りに入ると早速峩々と聳える山巓が、朝陽を浴びて険しく目に飛び込んできた。特に目立つのは畳岩と呼ばれ、尖峰を誇る岩の頂である。
荒菅沢へ下りついたところで、清冽な沢水で喉を潤し、岩稜を眺めながらしばしの休憩。
ここから眺める雨飾山は威圧感のある岩稜に気押されて影が薄い。


いよいよこれからが本格的な登りである。
急登に次ぐ急登という感じで高度を上げて行く。気づいた花の名前を弟に教えながら一歩一歩高度を稼いでいく。背後には大きな山体で金山がせりあがってきた。

森林帯を抜け出て痩せ尾根に変ると、高山植物も多く見られるようになった。途中いったん傾斜が緩んで笹平かと思わせるが、そのあともう一度厳しい登りが待っている。

荒菅沢から1時間余の急登の末、ようやく平坦な笹原へ出て、待望の笹平へ登りついた。正面に三角形の雨飾山が頭を突き出している。
オヤマリンドウなどの花を目にしながら、しばらくはほぼ平坦な笹の中の道をたどれば、やがて山口コースの分岐となる。この先から山頂への最後の急登、しかし時間にすればせいぜい15分程度のもの。もう山頂はそこだ。

登りついた山頂には先着者が3人いた。
雨飾山は二つのピークを持っている。先に三角点峰へ登って休憩にした。
前回登ったときにはガスのため、白馬岳方面が雲の切れ間からわずかに望めただけ、今日こそはと期待してきたのだが、北アルプス方面はまったく展望がなかった。天狗原山と金山がやけに大きく見えて、その背後に焼山、それと火打山の頭がのぞいていた。登ってきたコースも一望できる。

40分ほどの滞頂後、もう一方の石仏の並ぶピークを踏んでから、下山の途に着いた。山頂を一歩下ったときに、急に下からガスが上がってきた。たちまち笹平全体をガスが包んで行く。早い時間に登って来て幸いだった。

荒菅沢で休憩しながら振り仰ぐと、山頂あたりに雲に覆われていた。
大海川沿いの木道を歩いて行くと、川の中をすばやく動く魚影がある。良く見るとイワナだ。注意するといくらでもいる。そのはず、この先に禁猟区の表示がしてあった。
出がけには2~3台だけだった駐車場には、たくさんの自動車が止まっていた。 
下山後、村営”雨飾荘”の温泉で入浴し、食事をしてから帰途についた。



長野・新潟県 1989.10.15. 妻同行  マイカー 地図 雨飾山 二等等三角点
登山口(4.20)---荒菅沢(5.40-5.50)---県界尾根(6.50)---雨飾山(7.10-7.20)---荒菅沢(8.00)---登山口(9.00)

雨飾山山頂

北国から雪の便りがとどき、私の登山シーズンも間もなく終りとなる10月中旬、信越国境の雨飾山へでかけた。北の山は秋というよりは初冬にさしかかり、いったん天気が崩れれば大荒れの吹雪だってありうる。こころ構えをして出かけた。

東京から中央高速道を自動車を駆って、豊科から千国街道、大町経由で小谷温泉に向かう。国道を離れて小谷温泉への道へ入ると、ときおり民家の現れる山間の坂道となる。学校をひけた小さな子供が道草を食いながら歩いている。センスなどとは無縁な服を着て、石を蹴飛ばしたり、棒切れをもてあそんだり、しゃがみこんで虫か何かを見つめたり、気ままな挙動がほほえましい。都会っ子にはないそんな姿が、実に新鮮ではるか過ぎ去った遠い昔の自分に重なる。
手入れされた髪、こ奇麗な洋服、磨かれたブランド品のシューズを着こなし、こましゃっくれた動作や言葉使い。都会に住むそんな子供には、田舎育ちの私は何となく気押しされてしまう。

3時前、ようやく目的地の雨飾荘へ到着。
昨夜、雨飾山荘に宿泊希望をしたが満員。しかたなくテント泊。幕営の許可を得て駐車場の一隅にテントを設営した。
あでやかな紅に染まる山あいの彼方、岩峰も凛々しく聳えるのは雨飾山、かなり距離があるように見える。夕食準備までの時間を利用して露天風呂へ入りに行った。歩いて2~3分、入浴は無料ながらよく清掃が行き届いていて奇麗だった。大きな自然石で作られた浴槽は結構広い。ブナ等の原生林に覆われ野趣豊かな露天風呂だった。

夜半、テントに雨音、小雨のようだが雨だと山頂は雪の可能性もある。心配だ。3時過ぎは星が見え、月も照っている。にわか雨だったかもしれない。
予定どうり4時少し前、テントはそのままにして出発する。
車で少し走ると登山口駐車場。月は山の端に落ちて墨を流したような闇だ。懐中電灯の小さい光を頼りに真っ暗な登山道に入る。ほとんど起伏のない道を進むと木道となる。暗くてわからないがここは湿原になっいるようだ。微かに水の流れる音が聞こえる。木道もすぐに終わって荒菅沢の川原に出る。広河原だろう。依然まだ真っ暗で周囲の状況もわからないながら、登山道は明瞭で迷うことはない。

ルートが荒菅沢を背にして樹林の繁る山腹にかかると、気合を入れ直されるような急登が始まる。
同行の妻はすぐに汗を流し、1枚脱いで薄着となる。遅れがちな妻を激励しながら一歩々々登る。深い樹林の中をヘッドランプの光の輪が揺れ動く。このきつい登りを帰りはどうやって下りようかと、妻はそれを心配している。

急登が緩んで一段落するころ、ようやくあたりが白んできて、懐中電灯が要らなくなった。荒菅沢を見下ろす小さな峠だ。展望が開けた。紅葉の樹林は撮影にはまだ明るさが不十分だ。
一部青空も見えるがどうやら曇りがちの一日になりそう。
荒菅沢の奥に立ちはだかる岩稜が有名な『布団菱』の岩壁だろう。
峠から荒菅沢へと下る。広い沢を峻烈な水が駆け下っている。沢の奥に見上げる岩壁が視線を圧倒する。

いよいよこれから雨飾山本峰への登りにとりつく。はなから厳しい急登がつづく。雨あがりの赤土はよく滑り、妻のペースは大幅ダウン。登っても下りが不安・怖い、それに天気も回復するどころか、逆に霧が上がってきて岩壁から上は完全に消えてしまった。苦労して頂上まで辿りついても、多分眺望は望めないだろう。樹林帯を抜け出してようやく展望が開けてきたあたりで、妻の申し出どうりここから先は私だけが急いで頂上を往復してくることにして、妻は引き返すことになった。天気が良ければここからでも妙高山、火打山等が眺められたのに残念。

妻にはゆっくり下るように言い置いて、急ぎ足で私一人山頂を目指す。ガラ場、露岩の急峻を木の枝や笹を支えに登りったところが、笹原という高原状の稜線である。広々とした笹の原というが、ガスが間断なく流れて視界は2~30メートル、その広闊な原も実感出来ない。
霧雨に煙る笹原の道は、ところどころぬかるみがひどくて歩きにくい。

右手梶山温泉からの登山道を見送ってまっすぐ進むと、岩場の急登に取り付き、これを一気に上り詰めると山頂だった。
小さいながら双児峰で、北峰には数体の石仏や石祠が北向きに並んでいた。南峰には山頂を示す標柱が立ち、ここで記念写真を撮る。雲の隙間から白馬連峰がわずいに紺青の影を見せていた。

眺望もなく小雨交じりの強風に寒さが身に染みて早々に下山する。荒菅沢まで下っても霧は晴れない。闇の中をひたすら登ってきた道も、明るくなって辿ると黄葉したブナやカエデやツタもみじに彩られた樹林はあでやかに秋の色を演じていた。
妻に追い付くころ、これから登っていく登山者も数多かった。
下山後、露天風呂で汗を流してから帰宅の途についた。