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木曽駒ケ岳(2956m)~空木岳(2864m)縦走
中岳(2925m)宝剣岳(2931m)桧尾岳(2727m)熊沢岳(2778m)東川岳(2671m)

 

新潟県 1989.9.15~16 単独行  
コース ◆千畳敷(8.50)---木曽駒ケ岳(9.25)---宝剣岳(9.40)---極楽平(10.38)---檜尾岳(11.55)---熊沢岳(12.46)---木曽殿山荘(13.50 泊)
◆木曽殿山荘(5.30)---空木岳(6.44-7.15)---大地獄(9.00)---池山小屋(9.50)---駒ヶ根高原(10.50)
 木曽山脈(中央アルプス)の山行記録はコチラにもあります

木曾駒は故郷伊那谷の小学校にある教室から、いつも眺めていた山。東にある甲斐駒ヶ岳を東駒、西に見える木曽駒ヶ岳を西駒と呼ぶのが慣わし。母校の校歌にも歌いこまれていた。
長男が3歳の時、千畳敷から宝剣山荘あたりまで登ったことがある。

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【一日目】・・・曇り・霧

木曽駒(2956m)は日本百名山の中で最もなじみの深い山でもある。

満員の乗客を乗せてバスはシラビ平に到着。836分発ロープウェイで千畳敷へ。カール(約2600m)には観光客や登山者が散らばっていた。風が冷めたく、カールは霧の底に寒々としている。

水筒に水を補給するとすぐに出発。カールには咲き遅れた花がまだ見られる。クルマユリが風に揺れていた。最初は駒ケ岳の往復、その後木曽殿山荘へ向かう。岩礫の広い尾根をゆるく登ると中岳(2925m)のピーク、巨石に包まれるようにして小さな祠がある。ガスで視界がきかない。コースを外れないよう注意して進むと、すぐに駒ケ岳山頂へ到着。期待の大パノラマは霧に遮られて望むことができない。

復路は、途中岩壁をへつる難所のある巻き道から宝剣山荘へ。

山荘から岩峰宝剣岳山頂へは、かなりの険路。垂直に切れ落ちた絶壁も、鎖を伝えば難なく通過、巨岩の積み重なった宝剣岳山項(2931m)に達する。狭い頂上は10人ほどの人で一杯。ここも眺望から見放されたまま。

極楽平への下りは鎖や鉄梯子の助けを借りて慎重に。累々たる険しい岩峰ルートは山慣れない人には、かなりの恐怖心を抱かせるに違いない。巨岩をくぐり、這いあがりして極楽平に降り立つ。岩場を歩いたあとの広い平らはまさに極楽である。

再び岩塊の道となる。桧尾岳手前の岩場から雲の切れ間に見え隠れするいくつも小峰を越えて行かなくてはならない。まだまだ気が抜けない。地図を見ても、桧尾、熊沢、東川岳と起伏に富んだ連嶺は、緊張の岩場もあって、ハードながらまた楽しみもあるというものだ。岩は思い思いの形をして、いずれも風化により角がとれ柔らかい丸みを帯びている。

桧尾岳(2727m)の頂上で中高年女性パーティが賑やかに休憩している。極楽平から初めて出会った登山者たち。1155分、私もパンをかじって昼食。このパーティも木曾殿山荘泊まりらしい。(彼女たちは私より3時間ほど遅れて山荘に着いた)

次のピーク熊沢岳へは岩の小ピークを一つ二つと越えていく結構きついコース。熊沢岳(2778m)から東川岳(2671m)へのコースは花が多く慰められる。特にハクサンフウロの色の鮮やかさが印象的で目に残り、ウラシマツツジは早や深紅に染めて秋を告げている。

東川岳から急坂を一気にかけ下ると空木岳とのコルに建つ木曾殿山荘(約2200m)。初日5時間の行程は長かったが、一日目の標準タイム8時間30分を5時間で歩けたことには満足。小屋の老夫婦が気持ち良く迎えてくれた。

横浜からの二人連れの女性は明日空木岳から駒ヶ根に下る計画。私と同じだ。それなら空木岳の頂上まで一緒に行こう、もし天気がよかったら南駒へもという話しになった。

【二日目】・・・霧のち晴れ

5時45分、山荘出発。雲の隙間がオレンジに染まっている。空木岳は流れる雲の中に隠れている。先発の登山者がすぐに霧の中に見えなくなる。

空木岳

一足遅れて、昨夜約束のした二人連れの女性を追う。ゆっくりしたペースの二人にすぐに追い付く。風が冷たく防寒代わりに雨衣を着用。ヒナウスユキソウが霧に濡れ、風に打たれている姿が痛々しい。ここではコマウスユキソウと呼ぶのだと、山荘の主人が教えてくれた。空木岳ピークを目指し、高低差約700mの急登をゆっくりゆっくりと登っていく。ほんのいっとき雲が切れて青空が見えた。頂上展望の期待が膨らむ。空木岳も花崗岩の山、巨大な岩石が累状に堆積し、ときにロッククライミングの気分を味わいながら、小岩峰を二つ越えて空木岳の頂上に立った。

濃いガスで眺望はなく、南駒ヶ岳は諦めて下山することにした。百名山の選者深田氏は隣り合う空木と南駒ケ岳のどちらにするか迷ったが、名前の美しさに惹かれて空木を選んだとある。南駒を目前に、南駒ケ岳には再訪を約し、二人連れの女性に別れを告げて頂上を後に長い下山にかかる。

下り始めの急なガレ道は45分、駒峰ヒュッテを過ぎると空が明るくなった気配に振りかえると、空木岳頂上にまっわりついいた雲が飛び去り、姿をあらわす瞬間だった。

もう一度頂上にかけ戻りたい衝動にかられるも、僅かの間にまた雲の中に姿を消し、再びあらわれる気配はなかった。

さらに下って白砂とハイマツの尾根を下りはじめるころ、またも雲が切れ、本物の青空に変わっていった。しっかりと花崗岩の姿を確認する。最後に報われた幸運を年甲斐もなく声を上げて歓喜した。時を合わせて南ア連峰も全容を見せてきた。透き通るような青いシルエットは左から甲斐駒、仙丈、北岳、間の岳、農鳥、塩、荒川三山、赤右、聖、上河内・・・・南ア全山が一望のもと。その先には八ツ、富士、そして昨日歩いた中アの駒~空木の稜線の雲も徐々に切れていった。しばし感激の眺望に酔いしれた。

朝早く小屋を出た8人パーティに追い付き写真を撮ったり、撮られたりしたあとは、私本来のペースでー気に2000メートル近い標高差の下りをかけおりた。

途中大地獄の悪路やコース不明確な所もあり、婦人部隊や二人連れは結構苦労したかもしれない。

三本地蔵等に遭難者の追悼碑がいくつも目につく。この山でたくさんの命が奪われている。やはりそれなりの厳しい山を実感する。シラビソ樹林の長い長い下りをようやく抜け出て、カラマツとミズナラの明るい道になると、この山旅もフィナーレが近い。


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