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東信地方 達磨山=だるまやま(1430メートル)
長野県 | 2006.03.05 | 単独 | マイカー | 達磨山 三等三角点 | |||
コース | 真田本城跡(7.25)−−−林道終点(7.40)−−−鉄塔9への分岐(7.55)−−−bX鉄塔(8.10)−−−主尾根(9.00)−−−達磨山(9.30-9.40)−−−主尾根下降点(10.00)−−−bX鉄塔(10.25-10.35)−−−鉄塔9への分岐(10.45)−−−達磨堂往復25分−−−真田本城跡(11.30) | ||||||
雪のある時期なら足跡が残るので、万一迷っても下山の心配は少ない。 達磨山のある『真田町』の町名はこの日をもって終わり、翌日からは合併で上田市となる。真田町最後の日に登るのも何かの因縁かもしれない。 上田ICを出てR144号を真田町へ向かう。荒井の信号で右折、突き当りを左折、右手を注意しながら少し走ると「真田本城跡」の小さな道標がある。熊久保集落奥にある真田本城跡の入口広場に駐車する。 10日前に達磨山の南隣にある天白山へ登ったとき、目の前に見えた達磨山は見るからに急峻な岩峰であった。雪の岩峰に緊張を感じて気合を入れなおし、ふんどしを締めなおす気持ちで出発する。 城跡に入らず右手の車道をとる。車1台がやっとの狭い道で、全面雪に覆われている。側溝に水の流れる水平道を15分ほどで車道は終り大きな石灯籠が立っている。ここで右手からくる沢の右岸を緩く登って行くと、送電線巡視路9のポールが左方向をさしている。直進は達磨堂への道。巡視路へ入ってじぐざぐを折り返しながら支尾根に登り着くとそこが鉄塔9で展望が開ける。絶好の快晴、屏風のような銀嶺を連ねた北アルプスがみごとだ。 鉄塔からは尾根筋に沿って高度を稼いでゆく。地図を見ても等高線が混みあっていて勾配はかにり厳しい。雪に足を取られて歩きにくくなってきたのでアイゼンを着ける。6本爪を持ってきたが、勾配が厳しいので12本爪の方がよかったかもしれない。露岩越えがあったりする痩せ尾根を慎重に足を運ぶ。赤布を用意してきたが、不足がないほどに既存のテープ類が案内してくれるので助かる。それでも夏道のテープが必ずしも歩きいいわけではなく、アイゼンに適したコースを別に選び、潅木などにつかまって確保しながら登る場面が多い。(おかげで帰宅した翌日、腕が筋肉痛だった) 鉄塔から主尾根に登りつくまでの標高差350メートルの急登は、時間もかかったし疲労感もあった。 主尾根に登りついたところで向きを左に変える。冬木立の樹間から南には富士山、八ケ岳、美ケ原台地なども垣間見えるようになる。正面に東信の烏帽子岳、北方間近には根子岳と四阿山の展望もある。 主尾根は雪の吹き溜まり部分が多く、ときには膝近くまで沈んでしまう。尾根の北側は鋭い急傾斜で落ち込んでいて、この山の険しさを物語っていた。 二つか三つのコブを越えて達磨山に到着した。ここまで雪の主尾根が思ったより長く感じられたのは、緊張の急登の後だったからかもしれない。山頂は尾根の通過点のような平凡さで、ちょっとがっかりさせられる。雪の上に三角点標石がほんの少し頭を出していたが、雪が深かったら通り過ぎてしまいそうだ。トランプほどのアルミ板に「ダルマ山」と刻字したプレートが木の幹に取り付けられているだけ、寂峰の典型のような山頂だった。樹木に囲まれて展望はあまり良くない。北側に根子岳と四阿山が並んでいるのが見えるだけだった。 下山は登りより気を使った。 主尾根から鉄塔への下りでは、目印テープなどがなかったら正確に降りるのは難しい。一つ間近えば岩山の危険を自覚しながら、自分自身の足跡とテープ類を確認しながら下ったが、それでも分からなくなってしまうところもあり、何回か立ち止まって再確認したり、少し戻ったりする場面もあった。 帰りは山の由来となった達磨堂へ立ち寄った。 9のポールのところを直進、30メートルほど先の石垣跡のところで左の支沢へ入る。倒木があったりして怪しげな沢を少し上ると左手山腹へ取り付く目印のテープがある。これをたどって行くと達磨堂があった。岩壁の基部に石窟あり、ダルマの石像などがある。自然の石窟なのか、人工的なものなのかわからなかった。 久しぶりに『山へ登った』という実感を得られた山行となった。 国地院をはじめ、どの地図にも『達磨山』という表示はない。三角点名は「岩井道」である。 上田市のMさんから次のようなアドバイスをお受けしました。 達磨山については、上田小県誌の記述やその時の地図には、高岩という名がつ いています。丸山晴弘氏の湯旅山旅ふたたびに、麓で聞いたら「達磨山」と答えた というのが、私が本で見た初出で、「東信北信日帰りの旅」にも達磨山とあります。 |