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大沢岳=おおさわだけ(2819m)
聖岳(3011m)・奥聖岳(2978m)・兎岳(2799m)・中盛丸山(2806)

長野・静岡県 2006.09.02
    -04
単独 マイカー 地図 大沢岳南東
    赤石岳南西
奥聖岳 三等三角点
兎 岳 三等三角点
大沢岳 三等三角点
コース ■便ケ島(7.20)---西沢渡(7.50-7.55)---行程1/2表示(9.05-9.10)---聖岳分岐(11.00-11.25)---聖平小屋(11.35)
■聖平小屋(4.45)---小聖岳(5.45)---前聖岳(6.30-6.35)---奥聖岳---前聖岳(7.00)---兎岳(8.20)---小兎岳(8.50-8.55)---中盛丸山(9.45-10.00)---大沢岳(10.35-10.50)---百間洞山の家(11.35)
■百間洞山の家(4.00)---中盛丸山(5.00)---小兎岳(5.50)---兎岳(6.15-6.40)---聖岳(7.55-8.15)---聖平小屋分岐(9.00-9.05)---休憩(10.00-10.05)---西沢渡(11.05-11.10)---便ケ島(11.40)

左側双耳に見える手前が中盛丸山と後ろが大沢岳、右端が赤石岳(兎岳より)

大沢岳

奥聖岳


西沢の渡しのカゴ
今回の山行は、登りそこねていた奥聖岳と山岳標高55位の大沢岳登頂が目的。

未明に長野市の自宅を出る。飯田ICから251号線、474号線矢筈トンネルを抜けて152号線へ。南下して上島トンネル入口付近の『南アルプス登山口易老渡』の道標で分岐、道幅の狭い遠山川沿いの道を1時間近く走って易老渡へ着く。光岳方面への登山者の車が20数台止まっている。聖平方面へはさらに数分先の便ケ島まで進む。新しく出来た聖光山荘、整備された登山者用駐車場、キャンプ場などがある。

登山口の道標に導かれて西沢渡への登山道へ入る。約30分、平坦な道を進むと西沢の渡渉点『西沢渡』である。渡しカゴが架けられていて水に入ることなく流れを渡れる。ロープをたぐるだけの操作だから難しいことはないし、落ちたりする恐れはない。傾斜の関係で往きの右岸から左岸への渡りはかなりの腕力を要するが帰りはそれほど力はいらない。先に渡った若者二人がロープを引っ張ってくれて大いに助かった。昔深田久弥が光岳だか聖岳へ登ったときにおっかなびっくりで渡ったというカゴはこの渡渉だったのだろうか。

渡渉後は長い登りが待っている。とりわけ前半はかなりの急登がつづく。今日は聖平小屋へ入るだけだから急ぐ必要はない。ガイドブックの所要時間は5時間40分、のんびり歩いても早く着きすぎるくらいだ。カゴを降りて歩きはじめるとすぐに廃屋と化した小屋がある。

登山道は何の問題もなく安心して歩くことができる。渡渉から1時間10分で『2分の一』の標識が見えた。行程の半分ということかと思ったが、この先がけっこう長かった。苔むしたシラビソ原生林の雰囲気を味わいながら、たっぷりと汗を搾られる登りがつづく。頭上の覆いが取れ外されたように、視界が一挙に明るく開けると間もなく聖岳との分岐。聖平小屋まではあと一投足の下りだが時刻はまだ11時、時間調整で腰を下ろして上河内岳や聖岳を眺めながらしばらく休む。通り抜ける風が肌寒い。上空は真っ青な空、周囲にはホソバトリカブトの紫花と、キオンだろうか黄色花が一面咲き競っていた。
結局聖平小屋入ったのは11時35分、この日一番の到着だった。夕食までの時間をつぶすのが大変、ハガキスケッチをしたりして過ごしたが、なかなか時間が進まなかった。夕食時に前横に隣り合わせた3人は松本市と飯山市からの人、私も含めて4人が同県という偶然だった。

2日目
朝食4時半、食べ終わってすぐに出発。ひんやりとした冷気の中を聖岳へ向かう。出来れば大沢岳までを一日で往復したいがどうだろうか。途中から浮かび上った夜明けの富士山だが、すぐに聖岳の影になってしまった。急ぐことなく坦々と脚を運び、小屋から1時間45分で前聖岳に着く。快晴下、大展望が待っていた。富士山をはじめ、兎岳から赤石岳へと連なる緑濃い稜線、仙丈、塩見から遥かに槍・穂高など。中央アルプス、御嶽のほか南には上河内岳から茶臼方面へと延びる懐かしい山々。
18年前の展望と同様、しばしみごとな眺めに見入ってから登り残していた奥聖へ向かう。岩稜から少し下った先が奥聖岳、展望に目を奪われ、うっかりして三角点を確認しないまますぐ引き返し、大沢岳へと向かう。

登り返しの苦労を思いながら聖岳からコルへと急降下していく。下るにつれて道は険しくなり、大崩壊地の縁を滑落に注意しながらの下りがつづく。18年前、逆にここを登ったときの記憶がよみがえってきた。崩壊地付近はマツムシソウが岩にしがみつくようにして咲き競っている。ここのマツムシソウはかなり色が濃い。標高差400メートルほどの下降がようやく終って兎岳への登りとなる。兎岳へはそれほど厳しさも感じないまま、すんなりと登りきった。山頂には大学のワンゲルパーティーらしい10人ほどが大騒ぎ、早々に小兎岳へ向かってコルへと下る。
小兎を越え、中盛丸山への登りあたりから足が重くなってきた。またもや年令を感じざるを得ない。大きな登り降りを繰り返して今日中に聖平小屋へ戻るかどうか、自問自答を繰り返すようになった。聖平小屋の管理人には「日帰りするか百間洞の小屋へ泊るか様子を見て」と話すと、「日帰りはちょっと厳しいのではないか」と言っていた。
ここまで休憩らしいものもなく、歩きとおしてきたツケも回ったのか、中盛丸山への登りはことさらにきつい。中盛丸山山頂に立ったときには日帰りを諦めて百間洞山の家への宿泊を決めていた。百間洞宿泊にしては時間が早すぎる。大休憩で時間調整と思いながら、結局15分の休みで最後の大沢岳へ向かう。18年前、荒川三山・赤石・聖縦走の際、赤石からまっすぐ百間洞に下って宿泊、翌日は大沢岳と中盛丸山のコルへ登って目の前の大沢岳ピークを踏まずに中盛丸山へと進んでしまった。
そのコルからわずか15分で大沢岳の山頂だったのに・・・、そのとき大沢岳を踏んでいたら、再びこの山域に来ることがあったかどうかわからない。登り残した悔しさを味わいつつも、それでよかったという思いも気持ちの中に交錯していた。

岩塊の大沢岳山頂は三等三角点がピークを示すだけで、標識のたぐいは一つとしてない。わが国山岳標高55位の山にしてはちょっと不遇をかこっている気がしないでもないが、その方がいい。(ヘリで運んできた標識が山頂に置いてあった。これから設置作業をするのだろう)これで国土地理院が示す100位までの山はすべて登り終わることができた。

さて、時刻はまだ10時半を回ったところ、時間的には聖平へ戻るのは十分可能、以前の私なら迷うことなく快足を飛ばしたであろうが、復路は目の前の中盛丸山への登り返し、さらに兎岳、最後の聖岳へは400メートルの登り返してなる。もう今日は歩きたくない、そんに気持ちを翻すことはできなかった。もし往復すると登りの累計が2200m以上になり、今の体力では限界だろう。百間洞に泊っても、明日の昼ころには便ケ島への下山は十分可能という読みもあった。

百間洞山の家へはキャンプ場を経由して11時35分の到着、この日も一番の受付となった。と言ってもこの日の宿泊は5人だけだった。スケッチなどで時間をつぶしたが、午後の時間をいささか持て余してしまった。夕食は大きなトンカツ、キャベツもたっぷり。山小屋としては豪勢な夕食で、これまでの経験でも七倉山荘以来のもので大いに感激。聖平まで帰らなくてよかった。
夜半窓から見る空には満天の星が降るように輝いていた。

翌朝は4時に出発。しばらくは灯りが必要だったが、中盛・大沢岳のコルへ着くころには足もとが明るくなっていた。
朱色に染まり始めた東の空を見ながら中盛丸山への登りにかかる。朱色は次第に輝きを増し、富士山がみごさなシルエットを見せている。
モノトーンの世界が色彩を取り戻し、命のよみがえるような夜明けの感動を感じながら昨日の道を逆になぞっていく。足の疲労はとれて快調、中盛丸山の下りで見たご来光も目にしっかりと焼きつけた。

昨日は賑やかすぎるのを嫌って通過した兎岳では、ピークから西方に少しずたれところにあるはずの三角点を確認することにした。見えている白い棒杭がそれと見当をつけ、ハイマツの中を進んでみたが、その棒杭周囲の裸地には三角点が見つからない。さらに探し回るのも面倒で引き返した。
聖岳への大きな登り返しも苦にならず、7時55分再び3013mのピークに戻って昨日同様の大展望をしばらく楽しむ。一昨日聖平小屋から椹島に下り、昨日はツアーを引率して聖平小屋へ入り、今朝聖岳へ登って来るはずのSさん(登山案内人で、聖平小屋でしばらく話をした人)を待つ。20分ほどして大パーティーを先導して登ってきた。

薊平の分岐まで昔を思い出すような快足、45分で下ることができた。休む間もなく西沢渡への長い下りにかかる。

廃屋と化した小屋を過ぎて西沢へ出ると渡しのカゴ、あれ?ちがう。乗った一昨日のものとちがう古いもの、どうして。わけがわからずにしばし呆然。薮の陰の下流を見ると往きに乗ったカゴがあった。

 
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