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木曽谷の山
比叡ノ山=(909m)・鳴雷山=なるかみさん(1092m)・久ノ井山=(1160m)

長野県 2006.09.26 単独 マイカー 地図 塩尻南東 比叡ノ山 四等三角点
久ノ井山 三等三角点
コース 平出遺跡考古博物館駐車場(5.50)---比叡ノ山(6.10)---大門先コースと№.19巡視路コース分岐(6.35)---鳴雷山(7.10-7.15))---久ノ井山(7.45-7.50)---博物館駐車場(8.50)
久しぶりに木曽の山を訪れた。木曽の山といっても木曽谷入口で『木曽路は山の中である』というイメージとは少しちがう。このあたりは桔梗ケ原と呼ばれて平野が広がり、昔からブドウの産地として知られている。

153号線の塩尻市下大門信号を『平出遺跡』方面へしばらく走り、JRの下をくぐってすぐの二又を左へ、この道は平出遺跡道路というらしい。道なりに走ると平出遺跡考古博物館があり、その先に広い駐車場(無料)がある。

駐車場からスタート。博物館入口と道路を挟んだ反対側に踏跡が見えるのでこれをたどる。すぐに道は左右に分かれる。右へ進んで見ると小さな祠があるが比叡ノ山とはちがうようだ。引き返して左方面の踏跡を進むと、赤松林に囲まれた小広場に神社と鳥居がある。所在なげに四等三角点がぽつんとあった。山頂というより丘へ登ったという感じで展望もない。

次の鳴雷山へ向かう。南側の踏跡を見て下り始めたがすぐに道は消えてしまった。戻るのが面倒で薄い藪の中をそのまま下り、降りきったところで車道をさらに南へ進むと、駐車場から少し西へ寄ったあたりの平出遺跡道路に突き当たった。
平出遺跡道路を西へ向かう。左手にある墓地を過ぎ、その先で緩やかに右カーブするカーブミラーのところで左折(駐車場からカーブミラーまで10分弱)、道なりに進むと神社の前を過ぎ、小さな四辻状のところを左折するとここに始めて鳴雷山の道標があった。

比叡ノ山山頂
草に覆われた道に不安を抱くがすぐに明瞭な道に変わる。『大門先コース』と『№.19送電鉄塔巡視路コース』の分岐がある。どっちでもいいやとう気分で右の大門先を選択する。すぐに尾根に乗った。短い急な登りのあと、左に分岐する踏跡がある。勘で左の方をとる。(そのまま直進するとすぐに送電鉄塔へ突き当たる)ヤブっぽい踏跡で大丈夫かな?と思いつつ進むとすぐに明瞭な道に変わった。
№.19送電鉄塔巡視路コースに合流するあたりからはけっこう勾配がきつくなって汗が流れる。

平坦な鳴雷山山頂には鳥居、灯篭、小社などがある。樹木に囲まれて展望はなく、厳かというより薄暗い陰鬱な雰囲気が漂っていた。

山頂をあとにして来た道を引き返す。帰りは№19送電鉄塔巡視路コースを取ることにして分岐から20メートルほど下ると、東方向へ明瞭な踏跡が見える。地図を広げると登山道
鳴雷山山頂
の記載はないが1160メートル三角点へ行けそうな気がする。ダメモトで行ってみることにする。
鳴雷山の北側を巻いている道が尾根に乗ると「山頂へ10分」の表示が西を指している。つまり先ほどの鳴雷山である。反対の東方向は縄が張られて通せんぼしてある。この先へは入るなという印か。よく見ると薄いが踏跡が確認できる。行けるところまで行って見ることにする。苦手なヤマウルシを気にしながら、手でヤブを払いながら進むとたいした時間もかからずに立派な道に出た。送電巡視路のようだ。あとは緩やかな歩きいい道をたどると三角点のピークに到達した。山名表示などのたぐいは見当たらない。
三角点は頭部の破損が激しく等級も不明。この先はマツタケ山で立ち入り禁止、ビニールテープが幾重にも張られていた。
損傷のひどい久ノ井山三角点
(帰宅後調べと見ると三角点は三等で点名は久ノ井、したがって仮に久ノ井山と呼ばせてもらうが、地元では何と呼んでいるのだろうか。機会があったら調べてみたい。

久ノ井山付近からは松林越に美ケ原方面が垣間見えていた。山頂の樹木を少し切り拓けば北アの穂高・槍方面のかっこうの展望台になるだろう。

下山は登りと同じ大門先コースをとって駐車場へと戻った。






著名な遺跡と言えば佐賀県の吉野ヶ里、青森県の三内丸山などが知られていますが、実は静岡県の登呂遺跡、長野県茅野市の尖石遺跡、そして塩尻市の平出遺跡が、かつては日本三大遺跡と言われていたそうです。縄文時代から平安時代の長期間にわたる集落跡が見られる複合遺跡で、古代住居が復元されたのもこのこ平出遺跡が最初だといわれています。
私も小学生のときに社会科の勉強で見に行った記憶があります。

今回登った3座は平出遺跡に隣接する山で、縄文人が狩猟などをしていたかもしれません。遺跡見物方々登るのも良いと思います。